2015年12月29日火曜日

日韓の合意成立

慰安婦問題につき日韓両国政府の合意がなされた。両国がいがみ合うのと合意が成立するのとどちらが良いかと問われれば合意成立が良い。むろん合意の内容が大事だが。

合意に反対する意見もあろうが、日韓いずれの側が大きく譲歩しているかと言えば韓国側ではないか。たしかに日本側も10億円の資金拠出に応じたが、すでにアジア女性基金の際、基金の半分以上を政府が支出している。首相のお詫びも今回が初めてではない。代わりに今回は「不可逆的解決」の文言が合意された。これまで韓国側が合意をひっくり返して来たと認めるようなものであり、韓国人がどう捉えているかは知らないが、私には韓国に名誉な文面とは思えない。大使館前の少女像の撤去は韓国は「努力」を約束したに過ぎないが、もし実現しなければ ( その可能性が高い ) 、韓国政府の権威にマイナスになろう。

韓国側の譲歩がより大きいとの私の判断が正しいとすれば、朴大統領は大きな決断を下したことになる。譲歩の理由はまず、未だ詳細不明だが日韓両国への米国の圧力が大きかったのだろう ( 私は第三国の口出しを好まないが ) 。また、日韓不和の韓国経済への悪影響も考慮されたろう。しかし、それでも私は朴大統領の英断だと考える。先月の日韓首脳会談は大統領と安倍首相との間のわだかまりを大きく除いたように見える。考えてみれば両氏とも保守政治家であり、朴大統領としては50年前日韓請求権協定を結んだ父親を激しく批判する教科書を擁護する人たちと対日問題であくまで共闘する気にはなれなかったろう。

朴正煕元大統領に対する評価が韓国で二分されていることは私もむろん承知している。朝鮮戦争の数年後だったろうか、ソウルの街の斜面にびっしりへばり付いた掘っ建て小屋に近い住宅群のフィルムを見て衝撃を受けた。日本の資金を利用してでも日本に追いつきたいと元大統領が考えたとしても私にはそれも愛国心だと思える。

現大統領の前途は安倍首相よりはるかに困難だろう。それを予想しつつも彼女が決断したとすれば高い評価に値するのではないか。次の大統領がまたゴールポストを動かす可能性は低くないだろうが、現大統領の決断はそれとして評価すべきだろう。

2015年12月28日月曜日

阿倍仲麻呂の実像

11月5日放映のNHKの「英雄たちの選択   遣唐留学生 阿倍仲麻呂の実像」を遅まきながら録画で見た。日本古代史に無知な私には番組出席者たちの発言のどこまでが真実かは判然としないが大変興味深かった。

仲麻呂については一般には百人一首の「天の原  振りさけみれば春日なる...........」で望郷の歌人として知られ、また玄宗皇帝に寵愛され唐の政府高官になったこと、詩人の李白や王維と親交があったことでも知られる。しかし、異郷に死んだ彼は帰国を許されなかったというよりも帰国を希望せず、唐の国政への参加や盛唐詩人たちとの交流を選んだのであり、「望郷の歌人」視はふさわしくないとの主張は納得できた。

結局かれは35年後にようやく帰国船に乗ったが、暴風雨のためベトナムまで流され帰国は叶わなかった ( 李白は「亡き友」を悔む詩を書いた!)。しかも、彼の帰国を玄宗が許可した理由は仲麻呂に道教を日本に伝え広めさせるためではとの出席者の指摘があり ( 仲麻呂や王維の詩からの推測 ) 、
もし帰国が実現していれば我が国が仏教の受容をめぐって国論を二分して争った時と同じ事態が再現していたかもしれないという。

以上はあくまで帰国していたらとの仮定の話だが、論者によれば仲麻呂は日本外交を助けた名外交官だった。「争長事件」として知られている由だが、753年の元旦の儀式で当初は新羅の使節が日本の使節よりも上席にランク付けされ、日本の使節の大伴古麻呂が出席を拒否しようとしたが、仲麻呂の努力で日本が上席に変わったという (この頃から日本と朝鮮はいがみ合っていたのか!)。他の周辺諸国と異なり中国暦や科挙を採用しなかった日本は形式的には新羅や渤海国を自国と対等と見なしていなかった。

結局仲麻呂は中国文化に魅せられて唐に残留したとのことで、司会の磯田道史氏はかれを「グローバル人材第一号」だったと評した。晩年にベトナムの長官 ( 鎮南都護 ) を務めたかれは日本人とベトナムの係わりの先駆けだったとも言える。日本人としてではなかったが。

2015年12月25日金曜日

瀬戸内海の水質改善が悩み?

毎日新聞に瀬戸内海の水質の「貧栄養化」が問題となっているとの記事があった ( 12月24日 )。隔世の感とはこういうことを言うのだろうと思った。

今から40年ほど前、沿岸地域の工業化による瀬戸内海の水質汚染が問題になっていた。工場排水や住民増加による生活排水の増加により瀬戸内海の「富栄養化」が進み、赤潮などの被害が拡大していた。当時、沿岸の大製鉄工場に勤務していた高校時代の友人を訪ねたことがあったが、瀬戸内海は東も西も狭い海峡が出口で、外海と海水が入れ替わることは殆ど期待できないと嘆いていたことを思い出す。そうして1973年に水質規制の法律が作られた。

ところが今では瀬戸内海の水質汚染が後退した結果、海水の「貧栄養化」が進み、そのため漁獲量は46万トンから20万トン以下に減少し、アサリに至っては100分の1に減ったという。アサリの漁獲量は各地でも減少しているので原因は単純ではないかもしれないし、他の漁獲量の減少も開発による藻場や干潟の減少も原因の一つと考えられるという。しかし、今年10月、「瀬戸内海環境保全特別措置法」が施行されたというので、海水の「富栄養化」が過去のことになったのは事実なのだろう。悩みの質が変わったのである。

現在、地球温暖化問題で最大の課題となっているのは炭酸ガスの増加である。地球人類の生活向上がエネルギー消費の増大を招くことは明らかで対策が急がれている。エネルギーの過剰消費の抑制とともに、未だ実用化には程遠いと見られる炭酸ガスの地中への封じ込めなど画期的な技術の開発に成功して欲しい。瀬戸内海の「富栄養化」が阻止されたように。

2015年12月16日水曜日

有識者とは?

新国立競技場のA案B案が発表された。高額な建設費のハディド案と比較するせいか、好意的な意見が多いようだ。私も木を活かした両案に好感を持つし、完成時期もむしろ短縮になったようで言うことなしである。前案も斬新ではあり、ブラジリアやネピドーといった広大な新首都にはふさわしいが、今回は適当では無かったようだ。

今朝の『朝日川柳』に、「案出れば前のを褒める有識者」との作が選ばれ、前案が「個性的だった」との撰者の寸評が付いている。今回はハディド案を褒める有識者は少ないようだが、有識者がとかく何にでも批判をしたがる (ケチを付けたがる ?) 傾向を上手くついてはいる。

同じ事は消費税の軽減税率についても言えそうだ。同じ新聞では第一面に「選挙目当て  揺らぐ財政規律」、第三面には「線引き・財源   課題山積」の見出しがおどっている。しかし、消費税の導入時、それが所得税などに比べて低所得者により大きな負担になると私の蒙を啓いてくれたのはメディアだった。そしてその欠陥の是正策の一つとして食料品への軽減税率が挙げられたが、それが今回採用されそうになると、高額な食品を購入する富者がより大きな恩恵を受けると、先の導入時には全く聞かれなかった批判が提起された。

今回の決定に際して与党間の参院選への思惑や駆け引きが目に余ったのは事実である。また、軽減税率には一律課税にはない問題点が続出したのも否めない。しかし、最初に消費税を導入した竹下内閣が選挙で敗退し退陣した例を見れば、不人気が明白な政策の導入に際して駆け引きをゼロにせよとは理想論に過ぎるし、問題点が少なくないからといって一律課税を続けよというのだろうか。メディアはせめて一貫した姿勢を示して欲しいものである。

2015年12月14日月曜日

韓国のポピュリズム司法

先月の靖国神社の公衆便所への爆発物設置の容疑者の韓国青年が再度来日し、その荷物に同じ爆発材料が隠されていたという。前回が失敗だったと考え再度来日したのだろうが、死傷者が出て大ニュースにならなければ失敗なのだろうか。

私はA級戦犯が合祀されている限り首相ら重要閣僚の靖国神社参拝に反対だし、親類縁者に合祀者がいる人は別とし一般閣僚の参拝にも反対である。また、今回の事件で韓国や韓国人一般を云々したくない ( 韓国のネットでもさすがに呆れたという声が多いようだ )。しかし本人を安重根気取りにさせた空気が今の韓国に皆無とも言い切れない。

在日コリアンで韓国人BC級戦犯の名誉回復運動をしている李鶴来さんの記事が『毎日新聞』に紹介されている ( 12月11日 )。それによれば軍属として徴用され捕虜収容所の看守などを務めたコリアンは3000名以上。そのうち148名が捕虜虐待などで戦犯とされ、23名が死刑執行されたという。自身も一度は死刑判決を受けた李さんは、「母国に帰っても『対日協力者』と見られる」と韓国には帰らなかった。元戦犯に対し韓国政府が「『強制動員の犠牲者』と初めて認定した」のは2006年だった。元慰安婦たちが声を挙げた時期が同じころなのは示唆的である。

同じ12月11日の『産経新聞』に『帝国の慰安婦』出版で韓国で起訴されている朴裕河世宗大教授に「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」が贈られたとのかなり大きな記事が載っている。自社の特派員が大統領侮辱で起訴されている同紙が大きく取り挙げたのは驚くに当たらないが、他紙がこの事実をまったく伝えないのは不可解という他ない。明白な「学問の自由」の侵害といえども他国の事件にやたらに批判を浴びせて良いとは思わないが、「大勢の考え方に抵抗する存在としての例外は大切にしたい」との朴教授の孤独な戦いを伝えることはせめてもの我々の務めと考えるメディアは無いのだろうか。

2015年12月11日金曜日

報道番組「真珠湾攻撃を検証する」を見て

12月8日の日米開戦記念日のメディアの扱いは8月15日の敗戦記念日の扱いより例年地味だが、今年もその例に漏れなかった。教訓としての重要度は後者に劣らないのに.............。結局私の注意をひいたのはフジテレビの夜のプライムニュースの上記の番組だけだった。

今回の番組のゲストは昭和史研究家の秦郁彦氏と、最近『真珠湾の真実』( 平凡社新書 )を出したジャーナリストの柴山哲也氏元朝日新聞記者  (他に政治学者の三浦璢麗氏)だった。秦氏以外の二人の見解はこれまで目にしたことは無かったが、議論はそれほど対立しなかったし、むしろ一致する部分が多かった。

とりわけ秦氏と柴山氏が同意見だったのはローズベルト米大統領が真珠湾攻撃を予知しながらこれを参戦目的に利用したとの説で、戦後共和党政治家が民主党政権攻撃に利用して ( 歴史修正主義の語源はここだとか ) 以来今日にも追随者は絶えないが、両氏はよくある陰謀史観の一つとしてこれを完全否定した。また、対独参戦を目指していた米政権が日米交渉の決裂を望んでいたとの見解も、米国も東西での両面作戦を望んではいなかったとして両氏とも懐疑的だった。日本側が交渉継続を絶望し開戦を決断した契機として知られるハルノートも原則を述べたもので、日本側が思い詰めるほどのものではなく、交渉を引き延ばして国際情勢の新たな進展を待つべしとの米内元海相の意見が、ドイツ軍のモスクワ攻略失敗の判明 ( 12月8日だった!)を考えれば卓見だったということだった。米国に対する交渉打ち切りの通告がタイピングが予定より遅れ結果として奇襲となったとの通説については、新しい見解 ( 遅れは意図的だったとの )は言及されなかったが、秦氏は一時間や二時間前の通告がそもそも妥当ではなく、交渉打ち切り通告は国際法上の開戦通告とは言えない点で二重の無理があったという。これ以上詳細を伝えることは不可能だが、ともかく冷静な意見交換に終始し、価値のある番組放映となっていた。


2015年12月10日木曜日

北京の大気汚染

冬に入るとともに北京の大気汚染が今年も問題化している。原因は自動車の排気ガスもさることながら、工場や家庭で燃やす石炭の影響が大きいようだ。それでも中国のモータリゼーションの普及が絡んでいることは間違いなかろう。

四半世紀ほど前には中国の大都市の朝は出勤する自転車の大群が特徴的で、当時訪ねた蘇州もその例外ではなかった。乗用車は少なく、日本びいきの現地ガイドはあれらは個人所有ではなく官用車や社用車だと言っていた。数年後再度訪中したときには状況は少し変わり、銀輪部隊はそれほど目につかなかった。 酒と魯迅で知られる紹興の町は奇妙な匂いに包まれており、スクーターや二輪車は電動車 ( バッテリー駆動 )以外は禁止と聞いた。
  
それでも今朝のテレビによると、かつての東京の大気汚染は現在の北京に負けないほどだったという。私自身は大気汚染を当時実感したことはあまり無かったが、1967年ナホトカ航路の客船ハバロフスク号で太平洋から東京湾に入った途端に船の立てる波が茶色っぽくなったのに驚いた。外洋と湾内の違いと言っても東京湾はそれほど小さな湾ではない。当時は今は考えられないほどの汚染の広がりだったのである。

日本の大気汚染は冬の北西風のおかげで他国に迷惑はかけなかったが、中国の場合、九州や北海道には直接影響するし、因果関係は明白ではないが、長野県あたりの落葉松の林が秋を待たずに枯れかかった年もあった。汚染浄化技術は日本の得意の筈。我が国も協力を惜しむべきではない。

2015年12月4日金曜日

英国の対イスラム国 ( IS )空爆強化

英国下院がイスラム国空爆をこれ迄のイラク限定からシリアに拡大する動議を可決した。直接にはパリの同時多発テロの衝撃がなせるわざだろうが、英国自身も先日のチュニジアのホテル襲撃事件で同胞を30人殺された事実も伏線となっていただろう。

動議採決に際してヒラリー・ベン労働党「影の外相」が、「私たちが直面しているのは、寛容の精神や民主主義を軽蔑するファシストたちだ。英議会がヒトラーやムソリーニに立ち向かった時のように、人権の否定を許さず、そして正義のために、我々はこの悪に対抗しなければならない」と発言して「大きな拍手」を浴びた (『朝日』12月4日 )。

ISをファシストと呼ぶことに抵抗感を持つ人は少なくないかもしれない。今回の英国下院の決定への評価は歴史が下すだろう。しかし、IS構成員の非人間性がナチスに劣らないことは間違いない。

最近上映されたヒトラー暗殺を独りで企てたドイツ人を描いた映画を見た人は少ないかもしれない。私は見ていないし、史実としても初耳だったが、当の暗殺未遂犯人が敗戦近くまで獄中ではあるが生存していた事実は、以前のブログで紹介した共産党のテールマン党首のケースと同じである。仮にもドイツが民主共和制を経験していた国である事も無関係ではないのだろうか。

第二次大戦開始前の数年間フランスで首相や参謀総長や野党党首を務めたVIP数人は、1940年のフランス敗戦後開戦責任を追及され、ドイツの強制収容所に送られた。フランス人も世界も彼らが生存しているとは思っていなかったろうが、ドイツ敗戦時ドイツ国内を逃避中に米軍に発見された。収容所内でも彼らは、戦前にドイツの脅威を忘れて愚かな政争に耽ったことの反省を語り合っていた。

ナチスによるユダヤ人虐殺が20世紀の最大級の犯罪であることは明らかである。しかし、ナチスドイツがスラブ民族相手の東部戦線と仏英米を相手とした西部戦線で別種の戦争をした事実はそれほど一般に知られていない。スラブ民族の捕虜と西欧民族の捕虜の扱いは対照的で、前者の扱いは非人道の極みだったが、後者の扱いは文明国間の通常の捕虜処遇と大きくは異ならなかった。彼らの人種理論に忠実だったといえばそれまでだが..................。

2015年12月3日木曜日

コオロギやミドリムシを食する時代?

昨日、どの新聞だったか将来の世界的食料不足に備えてコオロギの食用化の研究に取りかかっているという記事があった。牛肉に比べて必要な水資源は百分の一で済み、栄養価も高いという。イナゴが食べられるのだからコオロギは駄目とは言い切れないが (あんがい美味?)、そんな時代が来て欲しくないとは思う。

以前から食用としてのミドリムシの研究が進められていると聞いていたが、一昨日だったかジェット機の燃料になるという記事もあった。せめて燃料で留まって欲しいものである。

TPP交渉の内容がかなり明らかとなって来た。少なくとも農業分野に関しては悪い結果ではないと思う。消費者にとって肉類や果物が安くなるのは歓迎だろう。それに対し穀類生産への影響は当面少ないだろう。

農業に転職した人が補助金の種類の多さに驚いたと読んだことがある。農業団体を選挙で敵に回したくないのは与野党を問わないことの結果だろう。しかし補助金が手厚いとしても米豪などの外国との耕地や牧場の面積差はそれ以上に大きい。戦中戦後の食糧難を知る私は、コオロギやミドリムシを食することの無いよう? 少なくとも主食の穀類の自給率は出来るだけ高く保つべきだと思うし、国民はそのための費用を惜しむべきではないと思う。何しろ世界人口は今後も増加し続けるのだから。

現在の米価が外国の何倍もするのは事実だが、それでも農業従事者の平均年齢が60歳台ということは他産業と比べて農業所得が少ないことが大きいだろう。現在の消費者にとって生計費中の主食の比重は昔と比較にならないほど低い。それを当然と考えて食料安全保障を軽く見てはならないと思う。

2015年11月30日月曜日

ロシア軍機の撃墜

ロシアの軍用機の撃墜をめぐってロシアとトルコの対立はまだ鎮まりそうにない。対立を喜ぶのはイスラム過激派のテロリストなのに。

撃墜の理由とされるロシア機のトルコ国境侵犯の事実はまだ不明というほかない。こうした場合、一般には侵犯が事実である可能性が高いだろう。しかし、ロシア機の落下地点がシリア領だったこと ( だからと言って侵犯無しと言い切れないが ) 、侵犯の証拠としてトルコ政府が公表したトルコ軍機の警告は「国境に近づいている」と再三警告しているが「国境を越えた」とは言っていないので、侵犯の証拠として十分とは言えない。他方、ロシアがイスラム国 ( IS )に対してよりもトルクメン人反政府派への攻撃に熱心だった事実も明らかになった。 

国境を侵犯した航空機の撃墜事件と言えば旧ソ連時代のサハリン沖での大韓航空機撃墜事件が思い出される。私はソ連の参謀総長らがテレビ出演中あきらかに困惑していたこと、深夜に相手が民間航空機であることが分かったとは思えないことなどを考え、レーガン米大統領が口をきわめてソ連を攻撃したことに疑問を禁じ得なかった。しかし、米国は通信傍受 ( 自衛隊による? ) により戦闘機パイロットは目標が民間航空機と知っていたこと、それを報告したパイロットに対し上官が撃墜を許可したことを知った。そうであれば領空侵犯がかなりの時間続くと予想されたとしても撃墜は文明国の行動とは思われなかった ( それ以前に強制着陸を命じたケースもあったのに )。

今回のケースも仮にロシア機の領空侵犯が事実としても、報道によれば十数秒間の侵犯とのこと。相手は民間機ではないとはいえ旧ソ連と同様に荒っぽすぎるトルコの対応との印象は否めない。そのせいかトルコ大統領の発言には軟化の兆しもうかがえる。別の報道によればロシアとの会談でオランド仏大統領はロシアの攻撃目標をISに集中することを約束させたという。そうであればトルコ側の不満も大きく改善されることになる。遺憾の意を表明してもトルコの面目もある程度保たれることにならないだろうか。経済的にも有無相通じる両国の非難合戦は賢明ではない。

2015年11月29日日曜日

友人を見舞って

昨日、二歳ほど年長の旧友を介護施設に見舞った。脳梗塞で倒れて緊急入院してから三つめの施設だそうで、普通のマンションに一歩近づいた感じの施設。本人も左半身が不自由で車椅子が欠かせないが、頭の回転は以前と変わらず、同行した友人と三人積もる話題で思わず長談義となり、再会を期して別れた。

とはいえ、施設側は外出や館内のベランダに出ることはあまり歓迎しないとのこと。一度倒れたりしたら怪我をしたり、そうでなくとも自力で元どおりに車椅子に座ることが困難な人が少なくないとあれば、施設側が神経質になるのも理解できる。大勢の中には何かと他人のせいにするモンスターペイシェントもいるだろう。介護職員の苦労に報いる待遇であって欲しい。

帰りの私鉄はかつて11ヶ月だけ専任教員を勤めた都立高校の下車駅にとまった。60年近くのときを経て駅周辺はビルが林立し、昔の面影はなかった。たぶん学校も変わったろう。思えば当時常識を欠く若者で、今ならどうかと思う発言や行動をしたのに同僚も管理職も大目に見てくれた。恩知らずな言い方だがもっと厳しく注意してくれても良かったのにと思わないでもない。難しいところである。

施設の住所はひかえていたが区分地図を持参しなかったので途中の商店や配達人に頻繁に場所を尋ねる他なかったが、誰も嫌な顔をする人はなかった。さすがおもてなしの国。滝クリの言葉に嘘はなかった!

2015年11月24日火曜日

テロリスト集団との相互理解は幻想では

イスラム国ISないしイスラム過激派の蛮行に対して相変わらず「暴力に暴力で応ずるのは良くない」といった投書が新聞によく載る。掲載する側も含めて認識不足ではなかろうか。以前のブログに書いたことを繰り返したくないが、彼らは反西欧なだけでなく (それだけなら話し合いが可能だが ) 、同じ民族が相手でも宗教や宗派が異なれば殺戮を平気で犯す集団である。彼らが女子教育を訴えるマララを捕えたら必ずや殺すか奴隷にするだろう。

オランド仏大統領の「フランスは戦争をしている」との発言が過剰反応との印象を与えているが、第一次世界大戦中に首相になったクレマンソーが就任演説で「私は戦争をする」と三回?繰り返した故事に倣ったものだろう。上下両院の合同会議をわざわざベルサイユ宮殿で開催したのもフランス革命の発端となった「( 屋内 ) テニスコートの誓い」に倣ったのだろう。現在が第一次大戦やフランス革命と並ぶ危機だと訴えたかったのだろう。移民反対を叫ぶ国民戦線の伸長を防ぐという裏の動機もあろう。私には日本人が一撃で死者130名、負傷者350?名のテロ被害を受けたとき国民もメディアもフランスより冷静だろうとは思えない。

ロシア研究者の袴田茂樹氏はプーチン政権に厳しい目を向けるどちらかと言えば少数派のロシア通であり、未だにロシアを旧ソ連のように見なす誤りに取り憑かれている産経新聞のコラム「正論」の定期寄稿者である。しかし、今回のテロに関しては「( 軍事対応以外の ) 他の選択肢は思い浮かばない。過激派は確信犯であり、説得や和解策、経済的対応などでその活動をやめる相手ではない。報復を恐れての譲歩は相手を増長させ一層危険だ。『報復の連鎖』を批判する人で有効な代案を提示した人を私は知らない」と指摘している。私にはこれに付け加える言葉は何もない。私には瀕死の重傷を負っても主張をやめないマララのような勇気はないが、彼女や後に続く女性たちを危険に晒す言論に与してはならないと思う。

2015年11月23日月曜日

日馬富士の優勝を祝す

横綱日馬富士が二場所休場ののち二年ぶりの優勝を果たした。彼個人としても無論だが、相撲協会としても相撲人気回復のため万々歳ではないだろうか。

私は幕内最軽量と聞く小兵の彼が「全身全霊で」頑張っているのをこれ迄も応援してきた。今回も千秋楽でぜひ勝って優勝して欲しいと願ったが、対戦相手が稀勢の里となると心中は複雑だった。ファンの期待を裏切ってきた稀勢の里だが、十年間優勝者を出していない日本人力士の代表として負けて欲しくなかったから。

昨日うっかりして相撲中継を見損なったが、稀勢の里が勝って存在感を示し、しかも小兵の鶴竜が白鵬をやぶって面目をほどこすと同時に日馬富士に優勝が転がり込むというこれ以上ない好結果となった。亡くなった北の湖理事長も内心喜んでいると思う。

一昨日も相撲中継を見ていないが日馬富士が白鵬をやぶったとき場内は大いに湧いたらしい。白鵬としては面白くないだろうが、やはり白鵬ばかりが優勝では面白くないのは否めない。

白鵬が横綱として相撲界を支えて来たとの自負を持つのは当然だし、その結果相撲ファンが彼の一人勝ちを欲しなくなったのは彼の責任ではない。しかし、今場所の「猫だまし」は彼なりのファンサービスでもあったかと思うが、再三の張り手は矢張り横綱に求められる品格に欠ける。誰もが納得する大横綱として歴史に名を残して欲しい。

2015年11月19日木曜日

「世界一料理がマズイという国」

先日の民放テレビで表記の題のアンケート調査の結果、一位イギリス、二位アメリカ、三位ロシアとなった。娯楽番組なので出演者たちも自国の不評を笑い飛ばして結果に異を唱えなかった。(大国の度量?)  私の乏しい経験でもこの順位にあえて反対はしない。

英国人出演者も自国料理がうす味だと認めた。当然で、英国では各人が塩とコショウを自分の好みにしたがって振りかける。私はカレッジの食堂 (当時はウェィターがついた )以外では米飯を狙って中華やインド料理店を選んだので英国料理を食べる機会は乏しかった。30年後の1990年代にはスーパーでフランスパンがふつうに売られており、その後さらに英国料理は進化したと聞く。

米国料理の経験はツァー中の食事が主でとても大きなことは言えないが、量の多さとともに矢張り大味だったと記憶する。ボストンではロブスター料理の予定というので期待したが、オマール海老?にマヨネーズのようなものをつけて食べるだけ。フランス人なら美味いソースで食べるのではと思った。

ロシア料理はツァーで二度、シベリア鉄道の食堂車で一度、それぞれ一週間程度は食した。食堂車の品数が少ないのは仕方がないのだが矢張り単調で、途中からはボルシチ ( 食欲が無くても液体ならなんとか喉を通る ) でなんとかしのいだ。ツァー中の食事はそれほど単調に感じなかったが、日本人向きになっていた可能性はある。

トルコ料理の経験はないが、世界の三大料理は中国とフランスとトルコだとか。しかし日本のフランス料理はお上品で量が少ないが、フランスでも田舎の料理はそうでもなかった。本場の中国料理は美味しかったが、最近マクドナルドなどとんでもない悪質な食材の話を聞く。果たして私は何を食べたのか!


2015年11月16日月曜日

パリの同時多発テロ

パリで大規模なテロ事件が惹起した。イスラム国ISが計画実行したことは間違いないようだ。観光のハイシーズンではないとはいえ、世界一位を京都と競う?観光都市としては打撃は小さくない。何より市民の不安には同情を禁じ得ない。

今回はムハンマドを揶揄したメディアが襲われたのではなく、無関係の市民が被害者である。今朝の毎日新聞の第一面には「『西洋文化』が標的」との見出しで、今回の攻撃目標がロックミュージックの演奏会場やアルコールを供するレストランやヨーロッパの人気スポーツのサッカー場であった事実を指摘し、「テロは西洋の価値観を抹殺しようとしている」とのフランスの犯罪学者の発言を紹介している。事態は一層深刻であると言える。

イスラム国ISにすれば爆撃下のラッカの惨状はパリと同等ないしそれ以上だと言うかもしれない。しかし彼らは同じアラブ人を宗教や宗派の違いを理由に殺害したり奴隷化している。してみれば、西欧列強による植民地化への怨恨は彼らの蛮行の真の理由ではない。ほんらい中東が人類文明発祥の地であることを示す世界に誇るべき古代遺跡や遺物を破壊するに至っては、自らの文化遺産でもイスラム文化以外を許さないことを宣言するに等しい。

幸いわが国は中東から遠く、ヨーロッパほど脅威に晒されているわけではないが、かつてムハンマドを揶揄したラシュディの詩を訳した筑波大教授 ( 助教授?) が襲われ殺害された事実もある。政府もメディアもフランスへの連帯の表明を惜しむべきではない。テロの波及を恐れて曖昧な態度をとるなどあってはならない。

2015年11月10日火曜日

訂正

東京朝鮮の代表決定ニュースが読売新聞に載っていないと書いたのは誤りでした。多摩版に小さくですが載っています。

東京朝鮮が花園ラグビー場へ

全国高校ラグビー大会の東京代表二校の一つとして東京朝鮮が出場を決めた。心から祝福し、花園での大活躍を願う。朝鮮学校と在日コリアン全体との関係は知らないが、韓国系在日も心から応援すると思う。

在日コリアンに関してはヘイトスピーチや嫌がらせデモなどがしばしば報道される。それらが唾棄すべき行動であることは勿論だが、彼らが日本国民全体から遊離した存在であることも明らかである。今回、呉ラグビー部監督は、「日本の皆さんに支えられてここまで来ることができた。感謝の気持ちでいっぱい」と語った。単なる外交辞令とは思えない。

他方、韓国政府や韓国人はこれまで在日韓国人に対しけっして温かくなかったのではないか。韓国大統領が在日団体と正式に会談したのは確か金大中氏が最初だったと記憶するし、訪韓する在日コリアンは「半日本人」とさげすまれることも少なくなかったと聞く。在日の李良枝氏の1988年度の芥川賞受賞作のテーマ ( 少なくともその一つ ) は、在日が韓国人に侮蔑的な態度を取られる現実だった。慰安婦問題が長い間韓国で取り上げられなかった事実も、彼女らがむしろ対日協力者、反民族的存在と見なされ声をあげるどころではなかったからではなかろうか。

在日コリアンがヘイトスピーチやヘイトデモに脅威を感ずるのは当然である。しかし、京都の朝鮮学校への授業妨害は裁判所により有罪とされ、高額な賠償金が課せられた。また、街頭右翼の宣伝活動は在日コリアンだけでなく彼らの気に入らない同胞の日本人にも向けられている。個人的見聞でもなぜ警察は厳しく取り締まらないか (横で見ているだけ)と思ったほど彼らの行動は傍若無人だった。

今回、他紙が東京朝鮮の代表決定に全く触れなかったり ( 読売、産経 )、簡単にしか触れなかったり ( 毎日 )なのに対し、朝日新聞が「悲願達成」と詳しく報道したのは評価されて良い。


2015年11月8日日曜日

ロシア機の遭難に思う

シナイ半島でのロシア民間航空機の事故原因はイスラム国ISによる爆薬持ち込みの可能性が高まりつつあるようだ。まずフランスが機体の欠陥ではないと声を挙げたのはエアバス機の製造国として責任の無いことを指摘したかったのだろう。つぎに米英がISによるテロ説を主張したのに対しロシアとエジプトが原因断定には早いとしたのは、それぞれシリア介入がテロを生んだとされて政権への支持が失われることを恐れたり ( ロシア )、空港での所持品検査が不十分だったとの批判を逃れるため ( エジプト ) だろう。そこに驚きはない。

私にとって驚きだったのはエジプト一国に8万人のロシア人が滞在していた事実である。ロシアにもソチやヤルタなど冬も温暖なリゾート地はあるのに。やはり水着で甲羅干しが出来るリゾート地が求められるのだろう。わが国にも温暖な沖縄で満足せず、ハワイやグアムなどへ出かける人が少なくない。しかし、その全部を合計してもロシア人の半分 ( ロシアの人口は日本の2倍?)の4万人に達するだろうか?

この事実が意味するところは、政治的自由など問題を残しつつもロシア社会が我々と同じ大衆消費社会であるということではないか。そうした段階に達すれば国民は対外的冒険よりも自分たちの生活向上を求めるようになるだろう ( 大きな方向としては )。

中国も国民の一部に外国で買物に専念する人たちを生んでいるが、それを一般化できるほどではないようだ。我々は中国国民の大多数が大衆消費社会入りするまでは攻勢的ナショナリズムを予想せざるを得ないのだろうか。それとも中国の中華思想はそうなっても変わらないのだろうか。

半世紀近く前になるが、隣国として貧しい中国を持つよりも豊かな中国を持つ方が日本にとり安全で良いことであるとの意見を読み、そういうものかと思った記憶がある。私は中国の主張を全て否定するものではないが、現在の中国を見るとあの意見は何だったのかと思いたくなる。

2015年11月5日木曜日

台湾映画KANO

台湾映画KANOを見た。1931年の中等野球甲子園大会に初出場し、準優勝した台湾の嘉義農林チームの活躍を映画化したもので、いつか見たいと思っていたが機会を逸していた。今回はいつもの市内のシネコンではなく、NPO主催の映画祭のパンフで見かけたので他市に出かけた。

特に見たかった理由は現在の台湾の人たちが日本統治時代をどう描いているかも無論だが、私が中高校生時代プロ野球選手の呉昌征選手がレギュラーとして活躍し ( 戦前は巨人、戦後は阪神、毎日 で。野球殿堂入りしている )、その出身が嘉義農林だと記憶していたこともある。

嘉義農林はこの後も三年連続で甲子園に出場したという。この映画では呉昌征は野球に憧れる少年として顔を出す ( のち出場 )。

映画は弱小のKANOチームがまず台湾代表を、ついで甲子園優勝を目指して日本人監督のもと漢人2名、日本人3人、原住民4人のレギュラー選手が力を合わせて奇跡の活躍をする物語であり、日本の台湾統治への批判は皆無である。逆に作中、農業用の大ダムの建設で当地方が大きな恩恵を受ける挿話もチラリとだが紹介されており、特別に親日映画ではないとしても反日色は皆無である。一つの目標のために民族の違いを超えて協力し合う姿だけが描かれており、彼らの純粋さには心を打たれる。

台湾は時に世界一の親日国などと紹介される ( トルコとどちらが親日世界一かは私には何とも言えないが )。それでも同国の日本語世代が詠んだ短歌が『台湾万葉集』としてまとめられていると聞けば切なく申し訳ない気持ちにさせられる。わが国は旧植民地に世界一の親日国と世界一の反日国を持っていることになるのだろうか。

2015年10月31日土曜日

紅葉派と桜派

今朝の朝日新聞の土曜版beの記事 (「between   読者とつくる」。 意味不明!) に、「秋の紅葉、春の桜、心にしみるのは?」とのアンケート結果が載っている。私も家内も当然桜派が優勢だと思ったら、紅葉派49%、桜派51%と全く拮抗していたので意外に思った。

なにも日本人なら国花の桜 ( 菊?)と決めてかかった訳ではなく、桜がより美しいと思うという単純な理由なので、秋の紅葉の美しさを選ぶ人が多くても不思議はない。特に日本の紅葉はかえでなど赤系統が多い。カナダ東部のかえでの紅葉は日本以上に赤一色らしいが ( 私はメイプルシロップを愛用 !)、一般には黄色系の紅葉 ( 矛盾した言い方だが )が外国は多いようだ。九月下旬のスコットランドの紅葉も赤色系は皆無に近かった。これほど寂しい土地が有ろうかと思うほど人の気配が無く、「寂しさの果てなむ国」との語句が頭に浮かんだ ( 逆の意味らしいが )。

桜は日本のいたるところに名所がある。私が訪ねた限られた数の場所では、ベストの季節ではなかった吉野山は除き、弘前城公園の桜 (複数の樹種 )と高遠の桜 (小彼岸桜 ) が雪山を背景にして最も美しいと感じた。これには、ソメイヨシノよりも濃い色の桜花を私が好むこともあろう。したがって各地のソメイヨシノの名所よりも東北地方の山中に咲く紅山桜に心惹かれる。

住宅建設などで「最近近所の桜がどんどんなくなります」と、いつの日か桜が希少になる恐れを指摘した読者の声も紹介されているが、杞憂だと思う。戦後、自分の周囲を美しくしたいと願った人びとが植えた桜がいまや大きく育っており春の東名道を行けば、少し誇張すれば桜花が途切れることがないとの印象である。今春あたり東京の桜を訪ねる外国人がひときわ多いと感じた。今後も彼らを失望させる事はないと信ずる。

2015年10月29日木曜日

訂正

前回のブログで小渕首相が総裁選によらず党幹部の話し合いで総裁に選ばれたと記したが間違っており、橋本首相が参院選敗北の責任を取って辞職したのち総裁選で選出された。同じようにマスコミの揶揄の対象になった森喜朗氏との混同でした。ちなみに小渕氏は外相時代に官僚の反対を押し切って対人地雷禁止条約に日本を参加させた。

2015年10月27日火曜日

先入観は禁物

今回のマンション不祥事をきっかけに昔懐かしい?ヒューザーの名前がメディアに再三登場した。十年ほど前、耐震偽装の建物を建てたとしてマスコミに一時散々に批判された会社である。私も大半のメディアと同様に、気弱な建築士が注文主の建築会社の意向に抗しきれず不正に加担したのだろうと考えた。いかにも有りそうな話であり、ヒューザーの小嶋社長の悪相と乱暴な言葉使いがそうした印象を強めた。しかし結局、不正な設計をしたのは姉歯建築士の側だと判明した。ヒューザー (と熊本の木村建設 )はむしろ被害者だったのであり、両社はそのためもあって倒産したと聞く。あってはならない「冤罪」事件だった。

以前、小渕首相は自民党内の総裁選によらず党幹部の「密談」で選ばれたというのでメディアはこと毎に首相を揶揄した。しかし残りの任期の担当者を幹部の話し合いで選ぶのか選挙で選ぶかは状況によりその党が決めることだろう。小渕首相の急死がメディアの責任だとは言わないが、全く無関係だと言い切れるかどうか。小渕氏がそれまでの自民党の首相たちより劣っていたとは私には思えない。

その昔、美空ひばりもメディアに冷淡な扱いをされた。私は歌手としての彼女をよく知らないし、知っている僅かな歌も一二の例外を除けば好きでもないが、弟の不祥事 (  暴力団との交際? ) が彼女を叩く口実に利用されたとの印象は拭えなかった。彼女が魚屋の娘だったことが影響したとは信じたくないが..........。最後には彼女の実力をメディアも認めざるを得なくなるがそれまでに長い時間が流れたようだ。

人の評価は棺を蓋って初めて定まると聞く。それは我々がいかに他人の評価を誤り易いかということでもある。存命中に正当に評価されず、後世の歴史家による修正に待つというのでは淋しすぎる。

2015年10月22日木曜日

訂正

前々回 (20日 )のマンションのパンフレットの小見出しの言葉は「後でわかる違い」ではなく、「後で分かるクオリティー」でした。それにしてもブラックユーモアでした。

自動車の信頼度

米国の『コンシューマー・リポート』誌の自動車ブランドの信頼度調査でベストテンのうち5社を日本が占めた。特に1位レクサス、2位トヨタ、4位マツダ、5位スバルとベスト・ファイブのうちの4社が日本製だった ( ホンダは8位 )。

ドイツ車はアウディが3位、ミニ ( 製造地は英国だがBMW社に数えてよい ) が10位。他に韓国車がキア6位、ヒュンダイ9位と健闘している。肝心の米国はGMのビュイックが7位に入っているだけ。

日本車万々歳と言いたいところだが、販売台数や魅力度といった人気指数とは必ずしも一致しないだろう。それにしても立派な成績ではある。ディーゼル・エンジンにケチがついたので日本車の地位は当面は安泰だが、画期的な電池が発明されれば形勢は一変するので安心はできない。

同じ朝刊にトヨタ車のリコールが報じられている。大衆車のドアスイッチの不具合の他に、クラウンのボンネットが時速140キロ以上で開く恐れがあったという。クラウンはトヨタを現在の地位に押し上げた車と言ってよい。精魂込めて作っている筈でも不具合は避けられないようだ。

欠陥とは違うがニュージーランドでレンタカー (マツダ車だった ) を借り、直線路で速度を上げたらガタガタ異音がした。止めて調べたらボンネットがしっかり閉まっていなかった( 整備不良 )。危うく大事故にならなくて済んだが、日本での数回の経験では考えられなかった。カウンターの担当者は女性ならたちまち好意を持ちたくなるような好青年だったのに!

2015年10月20日火曜日

大企業の不祥事

このところ国の内外 ( 国内外などと昔は言わなかった!) の大企業による不祥事が頻発しているが、マンションの手抜き工事の発覚に至って頂点に達した観がある ( まだまだ?)。もっとも私が読む新聞やテレビ番組は東京発や東京版なので、例えば関西のメディアでも大きく扱われているかはわからないが。

遡ればきりが無いだろうが東芝の不正経理あたりからか。この件は法的には犯罪なのだろうが被害者はせいぜい株主中心であったし、タカタ社のシートベルトの不備は犯意があったとまでは言えないだろう。ワーゲン社の場合は単なる過失ではなく購買者を騙したことになり、莫大な補償金支払いは無論のこと、裁判で責任追及されるかも。関係者が三十人にも及ぶとの報道もあり、超一流企業の所業とは信じられない思いである。

超一流企業と言えば三井不動産 ( レジデンシァル ) も業界では三菱地所と並ぶ巨人だろう。入居者は何よりも同社の信用を買ったと言っても言い過ぎではあるまい。それが手抜き工事だったでは許せない思いだろう。約束の完成期限に追われて (子供の入学など ) との説も聞くが、三井住友建設、日立ハイテクノロジーズ、旭化成建材と下請けのピラミッドが責任感の低下を招いたと言っても言い過ぎではあるまい(たとえ丸投げではなかったとしても)。テレビによると同マンションの宣伝パンフレットは施工時の厳しい工事監督を特記しており、その小節の見出しは「後になってわかる違い」だった。なるほど言い得て妙と言うべきか!

法律的には企業は株主のものなのだろう。しかし、米国でさえヘンリー・フォードを始め資本主義勃興期の企業家は利潤追求だけが目的ではなかった。社会も従業員も重視する経営が最後の勝利者であることをトヨタをはじめとする日本企業が世界に示して欲しい。

2015年10月15日木曜日

南京虐殺が世界記憶遺産に!

ユネスコが世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺の記録」を登録したことに対し菅官房長官が「南京事件の政治的利用」と反発し、分担金支払いの支払いを停止することを検討するとの考えを示した。

我が国にとっては不愉快な決定だが、原田義昭なる自民党の国際情報検討委員長の「南京大虐殺、従軍慰安婦の存在をわが国は全く否定しようとしているにもかかわらず」というのは誤解を生む。慰安婦問題はさておき、官房長官は南京虐殺を認めており、決定の経緯が一方的であることや歴史の政治的利用を非難しているのである。

これに対し、松浦晃一郎ユネスコ前事務局長が分担金支払いの停止に強く反対するのは、前職との関係も否めないが妥当なところだろう。米国はパレスチナのユネスコ加盟を理由に分担金支払いを拒否しているし拒否は珍しいことではないが、歴史的事件の資料の遺産指定に同じ態度をとるのは世界の共感を得られまい。

それでも日本人が不愉快に感ずるのは、中国が主張する犠牲者30万人説や東京裁判の20万人説が事実とは思えないからだろう。少し古いが秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書 )は約4万人という数字を妥当としている。これは約30年前の研究結果であるが、昨日の東京新聞の「本音コラム」欄で文芸評論家の斎藤美奈子氏は「最近は4万人説が有力らしい」としている。同氏について私はよく知らないが、朝日新聞の書評委員をつとめ、東京新聞でも今回の政府自民党の対応を批判しているので、いわゆる歴史見直し派ではあるまい。

以上とは別に、国連の分担金 (  ユネスコもこれに準ずる ) が米国2割、日本1割で各々1位2位というのは日本人として納得できない。私は我が国の安保理の常任理事国入り要求を必ずしも賛成しない (  軍事力の提供の用意が国民に果たしてあるのか?)が、旧敵国条項を改正しない国連に五常任理事国より多額の分担金 (米国を除く )を払うのはおかしな話である。

2015年10月11日日曜日

フランス語圏スイスの旅

BS放送で「欧州鉄道の旅」という番組 ( 10月1日 )を10日遅れで録画で見た。題材に事欠いてだろうがBS放送は旅行番組だらけでたまにしか見ないが、今回はスイスが主題というので見る気に成った。

スイスと言えばアルプスや牧場の画面を想像していたら見当外れで、ジュネーヴからバーゼルまでフランスとの国境のジュラ山脈の東麓を走る路線の旅だった。私はフランスに帰るため二度この地方を車で横切ったことがあったが、この辺一帯はじつはスイス時計の産地が連なっている地方で、住民はフランス語を話す人びと。極小の部品を製造し組み立てるおそろしく忍耐強い作業をこなす人びとを見て、ラテン民族は陽気だが多少チャランポランなところもある人たちという私の偏見は粉砕された。途中のラ・ショー・ド・フォンは世界的建築家ル・コルビジェの生地で、若い頃の彼が設計した家が三軒ほど紹介された。しかし後年ピロティ式建築で有名な彼の作品だがその片鱗もなかった。大きいと言っても個人住宅だからか、ピロティ式はその後の構想だからか?

終着のスイス第三の都市バーゼルはライン河中流の商工業都市だが、大聖堂をはじめ古くからの名所もある。そのひとつ、ライン河を見おろすテラスは私も1967年と1993年の二度訪ねているが、其の間何の変わりもなかった。その筈で、200年ほど前の古い版画の風景と、対岸の遠方の煙突を除けば変わりがないのだから20年くらいで変わるはずもない。

バーゼル駅で午後遅くパリ行きの列車に乗り、深夜前にパリに帰着した。当時のパリでは夜遅くは地下鉄は物騒で利用しない方が良いとも聞いており、大きなトランクを抱えての利用は気が進まなかったが仕方がなかった。フランス人 ( 白人 ) は乗客の半分もいなかったが、郊外の住居まで何事もなく帰り着いた。

2015年10月8日木曜日

吉祥寺と恵比寿

吉祥寺が住みたい街ランキングの常連の一位から退き、恵比寿が代わって首位に就いたと新聞に出ていた。だが、いくつかの調査のうちの一つの結果に過ぎないようだ。また、街といってもどの範囲を指すのかで評価は変わるだろう。

吉祥寺は大学入学直後一年間下宿した街であり、30年以上マイカー出勤でない時の通勤の最寄駅 ( 私にとっては ) だったので、その良さは理解しているつもりである。駅のすぐ近くに井之頭公園があるのも強みで、又吉直樹の『火花』に出てくる飲み屋やカフェは利用しなかったが、懐かしい名前ではある。

それに対し恵比寿は、ビール工場の跡地が再開発された「ガーデンプレイス」が話題を呼んだ当時、二、三回訪ねた程度。勤務先の忘年会 ( クリスマス祝会というバタくさい名前だったが ) が若い人たちの主導で毎年東京の新名所や新ホテルを選んで催されることが多かったのでガーデンプレイスを知った。そこは確かに洒落て魅力的な場所だったが、プレイスの周辺の街が住みたくなるほどの街なのかは私には分からない。

それでもガーデンプレイスのすぐ近くに通称「アメリカ橋」と呼ばれる橋があり、山川豊のヒット曲『アメリカ橋』のモデルとなった。平尾昌晃作曲のメロディーも都会的で軽快で大好きだが、山口洋子の詞は嘗ての恋人同士が橋のたもとで偶然再会したときの懐かしさとかすかな後悔?を歌って心にしみる。名作と言われる多くの歌詞を残した山口洋子だが、私の知る僅か数曲の範囲では最上の歌詞だと思う。現実のアメリカ橋は米国での博覧会の橋を移したものと聞く。とくに美しいという程ではないが.................。




2015年10月7日水曜日

ノーベル賞と川奈

一昨日の大村智氏と昨日の梶田隆章氏と日本人のノーベル賞受賞が続いた。むろんお二人には最大級の賛辞を呈したい。もしかするともう一人くらい受賞するかも! ただ、理想を言えばノーベル賞受賞が珍しくなくなり、これほどの騒ぎにならない日本であって欲しい。

受賞後の二人の発言はどちらも謙虚さが際立っていて立派だったが、一貫して人のために役立つことを目指したという大村氏と、「知の地平を広げる」ことを目指したと語った梶田氏と、研究目的は対照的だった。物理学賞の研究も江崎ダイオードや青色ダイオードのように結果として大いに社会に役立つことはあっても、研究の動機はあくまで未知の物質世界の解明なのだろう。医学生理学賞にも無論その面はあっても実用をも目指すことは、二年前の山中伸弥氏がiPS細胞が治療や製薬などに役立たなければ私のこれまでの研究は何の意味もないと言い切ったとき私も理解した。今回の両賞受賞は両面で貢献したことになり素晴らしい。

大村氏の今回の受賞の原因となった菌は伊豆の川奈ゴルフ場あたりの土から採取されたという。たまたま静岡県を訪ねていた私は昨日朝のNHK静岡のニュースの冒頭が川奈への言及だったことに驚いた。大村氏が山梨県出身とあれば富士山人気を競っている静岡県としてはこれで行く他なかったのか??

じつは一昨日私は川奈にいた ( だから何?)。川奈ホテルに泊まったのでも無ければ川奈ゴルフ場でプレイしたのでもなく、ホテルのすぐ近くの「伊豆高原ステンドグラス美術館」を訪ねていた。私の知っている日本の教会の礼拝堂はむしろ簡素な美を意図したものが多かったようで、それも無論ひとつの見識だが、ステンドグラスいっぱいの礼拝堂も悪くはなく、むしろ小半刻ヨーロッパにいる気分になった。一見を勧めたい。

2015年10月3日土曜日

フォルクスワーゲン社の判断ミス

ワーゲン社が米国の排ガス規制を逃れるため不正を働いた理由は明らかになってきた。米国のNOXガスの規制値はEU諸国や日本の倍も厳しいという。現在は他社は不正を働いていないと表明しているが、そのうち一社や二社は同じ不正を指摘されないとも限らない。

自動車生産台数が今年はトヨタを抜いて世界一となると予想され絶好調だった同社には米国は最後の決戦場と映っただろうが好事魔多し、そこに陥穽がひそんでいた。ワーゲン社の車は堅実な小型車として知られるが、米国の国土は広大で道路も駐車スペースも広い ( だいいち小型車は米国の風景に似合わない!)。ヨーロッパや日本では望ましい車でも元来ガソリン価格が安い米国では魅力的ではない。少し原油価格が低下するとたちまち大きく重いピックアップ型トラックを買いたがる米国人気質には合わない。大型車は地球環境に悪いのだが正論を言っても米国人には通用しない。自動車の嗜好には国民性が反映する。台数を稼ぎたかったらやはり中国に注力するのが無難だった。

日本では現在ワーゲン社はディーゼル車を売っていないが、排ガス規制が厳しくなかった初代ゴルフの頃は日本でもディーゼルゴルフが売られており ( 30年以上前!)、一時期私も愛用した。エンジン音の大きな車で、勤務先から帰宅する時、門衛所の人たちがニヤニヤ笑っていた (私の思い過ごし? )。今はエンジン音もガソリン車に近いようなので、排ガス問題さえクリアすれば環境問題への回答のひとつではあり得る。それにしても日本のメーカーは内心喜んでいるのでは?

2015年9月30日水曜日

シリア問題の解決には

シリア難民のヨーロッパへの流入は相変わらず続いており、EU諸国は人道的配慮と現実的負担のジレンマで苦悩している。独仏を中心に、このジレンマを断つためにはシリアと周辺国の安定が最優先だとの認識は共有されつつあり、ヨルダン、レバノンなどのシリア人難民への物質的支援だけでなくISへの空爆まで開始されている。

難民は移住目標地とされる国々にとっても大問題だが、比較的豊かで教育水準の高い国民の大量国外移住はシリア国家の将来にとっても由々しい問題であることを忘れてはならない。欧州諸国 ( 我が国も ) が周辺諸国への経済的支援を決めたのは正しい措置だが、シリア国内の内戦状態を終わらせるためにはそれだけでは十分ではない。

それなのに米国とロシアがアサド政権をめぐって反対の主張をしているのは歯がゆい限りである。政治がより小さな悪の選択であるならば、極悪のISを負かすため悪のアサド政権を助けるのは止むを得ない (  かつてヒトラーを打倒するためスターリンと同盟したのではなかったか ) 。米国は穏健反体制派に肩入れしてきたが、五千人の部隊の育成をめざしたのに現在の実績は4~5人と米国も認めた。いまさらアサドの独裁をあげつらうことには何の意味もない。

自国の民主主義理解を尺度に他国を断罪することは誤りであることを米国は未だに学んでいないようだ。ロシアのアサド政権支持には当然複雑な思惑があるだろうが、スペインを含む1300年前の旧領の回復を旗印にするISを抑えるためにはロシアと協力出来ないはずはない。すでにEU大国はそれを認め始めている。米国は教科書的民主主義観にこだわっている時ではない。

PS. 前回、慰安婦問題で「儒教的??価値観」としたのは「家父長 (制)的価値観」が正しい。原作の用語がすぐに思い出せもなかった。事実としてもタイの同様の例を儒教的とは言えない。

2015年9月25日金曜日

韓国の「反日」教育

一昨日の新聞に韓国政府が小中高校で「慰安婦問題」を教える各20ページの教材を作ったと報道されている。昨日はサンフランシスコ市議会が慰安婦の記念碑設置の決議案を全会一致で可決したと報じられている。後者に関する『朝日』の記事が最も小さいのは大きな問題にしたくないとの配慮なのか (  それは理解できないではない ) 、それとも他紙に一日先を越されたので扱いを小さくしたのかは分からない。

サンフランシスコ市議会の件はむろん韓国系や中国系の市民団体の働きかけの結果だが、市議たちはカリフォルニア州での排日移民法 ( 全土での同種の立法のさきがけとなった ) の成立を米国のレイシズムの先駆と記す記念碑が日本に建てられたらと想像する能力がないのだろうか。そんな昔のことをと言うなかれ。慰安婦問題とはわずか20年の違いに過ぎない。

自国でどんな教育をするかは基本的にはその国の自由だろう。しかしそれが賢明な教育でなければ両国関係の将来は暗い。いま韓国で事実上発禁となり同国の検察が起訴するか検討中と聞く朴裕河世宗大学教授の『帝国の慰安婦』( 邦訳は朝日新聞出版。2014年) は韓国政府の公式見解と、それを促した挺対協 (韓国挺身隊問題対策協議会 )の主張をつぶさに批判している。

朴教授が一貫して主張するのは、日本軍の期待や要請に応えてとはいえ慰安婦募集の実行者は業者とそれに同意した親である事実である。われわれ日本人は業者の大半は韓国人だろうと判断しても確かな数字がないのでなかなか指摘できないが、朴教授は韓国人であることを当然視している。そして悲劇の大きな原因が、子ども特に女子が家のために犠牲になること (たとえ売春婦でも )を不当と思わない当時の儒教的??道徳観であると見る。私もそう思う。昭和初期の東北農村の子女の身売りも無論貧窮が主因とはいえ、やはり同じ心性が働いていた筈である。

また、挺対協の影響下にソウルに建てられ今回サンフランシスコにも建てられる慰安婦像はいたいけな少女像だが、朴教授は現実の慰安婦とはかけ離れていると指摘し、日韓両国の運動団体の主張のあり方を批判する。

彼女の主張に賛成するか反対するかは各人の判断による。しかし、もし韓国の検察が彼女を起訴したら、司法に関する限り現在の韓国は天皇機関説事件や滝川事件や森戸事件を輩出した戦前日本と同じ段階にあると世界に宣明することとなろう。

2015年9月23日水曜日

フォルクスワーゲン社に制裁金?

フォルクスワーゲン社が排ガス規制を免れるため自社のディーゼルエンジンに不正なソフトウェアを組み込んで居たという。すでに会長が陳謝しているので事実なのだろう。車体検査の時だけきれいな排ガスを出すとはどんなソフトなのか想像もつかないが ( すごい技術と感心してしまう! ) 、該当車が1100万台で会社は特別損失として8700億円を計上した。もし米国がさらに制裁金を課せば2兆1000億円という巨額になるという。今年度は販売数世界一と予想され絶好調だったので経営が傾くといった心配はないだろうが、会社には大打撃ではある。

私はフォルクスワーゲン社の車は旧ビートルを二回 ( 二回目はメキシコ製かブラジル製で、私の車歴で唯一の左ハンドル車 ) と初代ゴルフを所有した事がある 。前者は何しろ構造が簡単なので故障もなくお気に入りだった ( まともなクーラーがあったら今でも所有?)が、ゴルフはディーゼルエンジンの燃料噴射装置が数回故障して高速道で黒煙をあげて猛然と走りだし、ゾッとしたことがあった (何しろ偶に起こるので販売店では原因不明で、そのまま )。

工業製品に故障はつきもの。タカタ社の場合1000万台余りのうち二桁程度の事故は仕方が無いとも思うが、死傷した当事者になればそうも言っていられない。しかし個別に十分な補償をするのは当然だが、米国政府が別に巨額の制裁金を課すのは分かったようでよく分からない ( 隠した場合は別 )。不満のある外国に対し米国がしばしば在米資産の凍結を課すのは企業への制裁金とは性格が異なるのだろうが、どちらも自国の制度を世界に適用させようとするようであまり気持ちの良いものではない。TPPも同様の恐れがあるようで、やはり国際的司法制度を強化するのが本筋だろう。

2015年9月22日火曜日

竹田恒泰『アメリカの戦争責任』

PHP新書で出版間もない上記の竹田本?を読んだのは元左翼の旧友が一読を勧める葉書をくれたから ( え、何故 )。これまで著者 ( 明治天皇の玄孫 ) の発言から皇室評論家?と思っていた。

本書の題名はややミスリーディングであり、扱われているのは米国の原爆投下の責任だけ。言うまでもなく投下理由についてはこれまでも内外の研究は数多くなされ、本書もそれらを参照しながら書かれている。日本の降伏への動きも察知されていたあの時期に内部の慎重論を抑えて敢えて原爆が投下されたのは、トルーマン大統領 ( とバーンズ国務長官 ) が対ソ関係を見すえてソ連の参戦前にぜひ投下したかったとの結論は納得のゆくものである。無論それ以外にも従来から指摘されて来たように、日本本土決戦での米軍の犠牲者を減らすため、巨費を投じた開発費用を国民に対し正当化するため、戦時の敵国憎悪の空気など、それぞれが一定の役割を果たしただろう。

しかし竹田氏は、「日本は核兵器使用による唯一の被爆国として、アメリカのとった行動について批判する歴史的な責任がある」と主張するが、それが果たして賢明だろうか?  確かに原爆投下は軍事目標に攻撃対象を限定する交戦法規に違反していたし、アラブの人たちから「日本人は何でアメリカに怒らないのか」と言われるとも聞く。しかし規模こそ大きく違うが日本も重慶や広東に無差別爆撃 ( area bombing ) をおこなっている。相手が日本人だから投下したとの人種差別説も根拠無しとは言わないが、ドレスデンやハンブルクへの爆撃など東京空襲に匹敵する規模の空襲をドイツに加えているので、いまひとつ説得力に欠ける。

私はむしろリーヒ大統領付参謀長やアイゼンハワー将軍など当時の米国要人中にも原爆投下を非とした人たちがいた事実を重視したい。原爆投下を正当化する教科書にもかかわらず米国民でも若い人たちでは非とする率が高まっていると聞く。日本が唯一の被爆国であることは厳然たる事実だが、「八紘一宇」、「日本は神国」と教えられた私は日本が唯一の国であるとの論には、たとえ正しい場合でも生理的に!違和感先立ってしまう。

2015年9月20日日曜日

浅田次郎氏に失望

作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏が、「民主主義を、おざなりな多数決に堕落させ、戦後の日本社会が培ってきた平和主義、世界中の人々の信頼を壊した」とのクラブ声明を出したという。がっかりである。

民主制の下での多数決への批判は珍しくない。しかし公民教科書的な民主主義理解はときに人を誤らせる。人間は誰でも自分の意見が正しいと思っている。しかし他人もそう思っている以上、そして剣による解決が許されない以上、便宜的でも多数決による解決によるしかない。

むろん何事にも例外はある。ナチスは選挙により、つまり多数決により政権に着き暴政を行なった。しかし彼らは議会制民主主義を手段として利用しただけで、その尊重を約束してはいなかった。戦後の西独の基本法 ( 憲法 ) が全体主義政党を禁止したのはそのためである。浅田氏も自民党が全体主義政党だとはまさか主張しないと信ずる。

「英国の議会は男を女に、女を男にする以外は何でもできる」と言われる。むろん諺の類いには常に誇張があるし、英国は成文憲法を持たないという事情はあるが、議員は選挙民の代表ではあるが代理ではない。特別に国民投票を行う場合以外は不確かな「世論」などにわずらはされず自からの識見を優先すべきなのは当然である。

報道で知る限り浅田声明とは逆に、中国と韓国は除きアジア諸国の反応は好意的である。ベトナムやフィリピンは当然だが台湾、インドネシア、オーストラリアなど日本の安全保障政策の強化を歓迎しているし、他の諸国も中国の反応を気にしつつも批判していない。アジアのどの国も中国の一強支配を歓迎するはずがない。この問題で他国の評価が目に入らないのは片手落ちではなかろうか。私には「世界中の人々の信頼を壊した」とはとても思えない。

2015年9月18日金曜日

旧態依然の国会?

参議院の特別委員会の審議?を全部ではないがテレビで見た。第一印象は既視感であり、国会では未だにこんな事をしているのかとの失望だった。

外国の議会でも一定の議事妨害 ( フィリバスター ) は認められている。ただし演壇での長広舌もかならず立ってしなければならないとか、途中は手洗いにも行ってはならぬとかおのずと制限はかかるということだ。しかし委員長の出入室を物理的に阻止することが許されるとは少なくとも先進国ではあまり聞かない。「強行採決」との批判は第一原因である実力阻止に目をつぶっている。法案への反対に理があるからと言って言論の府でどんな手段も許されるものではなかろう。次の選挙で国民の審判を仰ぎ法律を改めるのが正道だろう。

もっとも今朝の『毎日』によると事態は単純ではないようだ。野党側も16日中の採決は覚悟しており、鴻池委員長には当日出入室が可能な時もあったとのこと。鴻池氏が自から動かなかったのは野党に対して「いい子」ぶって見せたかったのか、政権中枢の後輩たちへの長老のひがみだったのか。正当な不満があるなら委員長を辞任すべきである。

雨中の院外のデモ参加者の熱意はむろん立派である。しかし一般市民の多い今回のデモを持ち上げるあまり1960年の安保反対デモが労組などの組織的動員が主だったとの指摘がメディアに散見されたのは全くいただけない。私自身は就職一年目で多忙だった上に新安保条約批判に同意できなかったのでデモに参加しなかったが、友人たちは多く参加していた。むろん学生組織はデモ参加を呼びかけていただろうが、学生たちが完全に自由意志で参加したことは疑いない。現在の記者たちの無知?を正す年長者はいないのだろうか。

2015年9月11日金曜日

唐僧鑑真と歴史学

唐の盛時、来日して戒律をもたらした鑑真とその弟子たちをNHKテレビの「歴史秘話ヒストリア」が取りあげ、一昨日放映した (再映?)。この鑑真渡来は1957年に井上靖により『天平の甍』として小説化された。たいへん話題を呼び映画化もされた。見たかどうか私の記憶は曖昧だが、前進座の芝居は感動して見た (むろん原作も )。当時は「日中友好」が両国で喧伝された時期であり、井上靖と彼が参考にした『鑑真大和上伝之研究』の著者安藤更生早大教授の二人は中国に招かれ破格の厚遇を受けた。

それから何年も経ったのち松本清張が月刊『文芸春秋』で、6回目に渡日に成功するまでの鑑真の苦難の物語に疑問を呈した。清張によると従来の鑑真像は師とともに来日した彼の弟子たちが師の没後著した『唐大和上東征伝』に基づいているが、晩年の鑑真が朝廷からむしろ冷遇されたことに不満な弟子たちが師の偉大さと苦難を誇張した物語であったとした (5回の渡日失敗も疑問!)。その根拠として清張は、唐代の高僧を列挙した記録に鑑真の名はなく、伝えられるような ( 玄宗皇帝が渡日に反対したといった ) 高僧とは言えないとする。

素人の私には『天平の甍』に描かれた感動的な鑑真像と清張の主張のいずれが真実なのか判定できない。しかし、清張の主張は一応の史料批判の結果であり、否定もできない。

清張が訪中したとき中国人ガイドが1人ついただけで、中国側の井上靖への厚遇とは雲泥の差だった。作家として井上に劣ると思わない清張がこの待遇差 (中国のご都合主義 ) に立腹したことと鑑真への低評価は無関係ではあるまい ( 私の史料批判??)。

仮に『天平の甍』の鑑真像がそのままには受け取れないとしても、彼を日本に招くために十数年を費やした普照と栄叡ら留学僧たちの姿は充分感動的であり、『天平の甍』が名作であることには変わりはない。

2015年9月10日木曜日

EU諸国と難民受け入れ

ヨーロッパが難民や移民の大波を受けて苦悩している。EU諸国間で取りあえず国別の受け入れ数を決定したが、すでに中東欧のハンガリー、チェコ、ルーマニアなどは受け入れを拒否したし、EU非加盟国に決定を押し付けることは出来ない。

独仏ら難民受け入れに肯定的な国でも国民の反応は一様ではあるまい。今回の中東系特にシリアからの難民の場合、教育水準も比較的高く経済力もある人たちが多く自国の将来に見切りをつけた面が強いので、難民とも移民とも割り切れない。そうであれば受け入れ側の国民の反応が厳しくなる可能性はある。労働力として受け入れに余裕があるドイツでも以前から難民収容施設への放火が頻発していたのだから。一介の旅行者だった私でもドイツはドイツらしくフランスはフランスらしくあって欲しいと願う気持ちがどこかにある。

とはいえ、戦火を避けたいのは人間として当然であるし、より良い生活を求めることも批判はできない。私はオーストラリアや南米諸国など、かつての移民が主体の国が中心となって受け入れ国になって欲しい (すでにブラジルが手を上げている )。これらの国は人口に比して概して国土は広い。我が国もこれまでの難民受け入れ数は少な過ぎ、もっと門戸を広げるべきだが、中東やアフリカとの過去からのつながり (植民地支配など ) に乏しく、多数の難民の受け入れは難しい。彼ら自身も欧米語を身に付けられる国を希望するだろう。

前にこのブログでも言及したが、たとえ指導者が人道的配慮を重視しても (それも字句通りに受け取れるかは分からない )、国民が逆の態度を示すことは多いにあり得る。すでに中東の豊かな産油国が難民に門戸を閉ざしていることへの不満は新聞に散見される。リンカーンが言ったように、「だれもが抱いている感情というものは、正しくとも正しくなくても、無視してはならないのである」(本間長世 『リンカーン』)。


2015年9月6日日曜日

「私の好きな司馬遼太郎作品」

昨日の土曜付録紙beに表記の記事が載っている。上位10点のうち5点、上位20点のうち9点は読んでいる ( ただし記憶違いも )。むろん20位以外にも読んでいるものはある。他人より多いのか少ないのかは分からないが、仮に多い方だとしても新聞連載で読んだものが少なくなく、自発的選択ばかりではない。

記事では龍馬、大村益次郎、河井継之助のように「歴史の主流から離れた人物」で司馬により広く知られるようになったケースが少なくないと指摘している。確かに「坂の上の雲」の秋山兄弟もその例外ではなく、子規との近しい関係が読者の興味を高めた点はあろう。

新聞の連載で読んだ中で「胡蝶の夢」が20位以内にないのは残念である。この作品はオランダ人医師ポンペと蘭学を学ぶ彼の弟子たちの物語であり、彼等への賛歌でもあるが、終盤は弟子の一人関寛斎の足跡を追っている。寛斎は徳島藩の藩医で戊辰戦争に官軍の軍医として従軍した。そのまま官途に留まっていたら相当の地位につけたろうが、その後徳島で町医者となった。ところが老年になって北海道開拓を志し道東の陸別 ( 日本一寒い町として有名!) に親子で農場を開いた。だが、しだいに「米国式に富む」(徳富健次郎 『みみずのたはこと』より)ことを目指す子と寛斎との溝は深まり、寛斎は自死した。老いた自分にはもう出来ることは何もないと判断したのだろう。

小説の最後は司馬が陸別の関神社を訪ねるところで終わるが、この場面ほど感動的なフィナーレの小説はそうは無いだろう。私も道東旅行の途次関神社に立ち寄ったが、もはや神社というほどのものはなかったと記憶する。しかしその後、関寛斎資料館が町に建てられたようなので遺品が展示されているだろう。

2015年9月5日土曜日

文理佐藤学園の示すもの

埼玉県の文理佐藤学園の学園長を務める女性が何度も繰り返した海外出張で、ラスベガスのカジノを含む観光地めぐりに1500万円を浪費し辞職に追い込まれた。創業者の娘が親の威光を利用して勝手な振る舞いに及んだ点で韓国の「ナッツ姫」と好一対と言える。

その学園というのがエリート教育を方針に掲げ、「英語のシャワー」を売り物のひとつにして生徒募集に励んでいた。写真を見ると校舎も煉瓦造りで、これが日本の学校かといった雰囲気を漂わせている。そのあたりも保護者たちの心をくすぐったのだろう。

これまで世間で早期の英語教育導入が論じられるたび、言語学者らを中心に反対論( 先ず自国語を!)が唱えられた。しかし保護者たちは「専門家」の言を信用せず、英語の早期教育を売り物にする私立一貫校に競って子どもを入学させた。文理佐藤学園は絵に描いたようなその実例だろう。父兄は足で投票したのである。

半世紀前、東京圏で同様なことが起こった。当時、東大合格者数ベストテンの常連校は日比谷高校を先頭に都立高 ( 国立付属も ) で、私学は3校程度だったが、当時の小尾都教育長は都立高校間の格差拡大を懸念して「学校群制度」を作った。その意図は立派だったが、結果として現在の私立一貫校の圧倒的優位を招いた。ここでも父兄は足で投票したのである。

結果として学校群制度は私立高全盛を招き、父兄の教育費負担の増加をもたらしたのでは? 良き意図が良き結果を生むとは限らないのがこの世の現実である。

2015年9月2日水曜日

盗作とは?

偶然か、今朝の『朝日』の「天声人語」と『読売』の「編集手帳」が俳句の盗作問題を取りあげている。前者の場合、作家の車谷長吉の「無意識の記憶」との弁明 (したがって否定ではない ) は十分納得できる。後者の、中村草田男の有名な「降る雪や明治は遠くなりにけり」に先立つ志賀芥子の「獺祭忌 (正岡子規の忌日のこと ) 明治は遠くなりにけり」も同じなのだろう。何しろ17文字という制約では似る可能性はある。子規の名句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」以前に親友の漱石のそっくりの句があるそうだが、同じ題材でこういう作り方もあるぞとの意識的競作なのかも。むろん両人の友情に変わりはなかった。

東京五輪のエンブレム問題は作者の取り下げで一応の決着となった。素人の私には何とも言えないが、デザインの世界の盗作か独創かの判定は実に微妙だと感じた。以前に昭和歌謡曲の巨人の子息の作曲が盗作かと話題になったことがあるが、その後沙汰止みとなった。私など毎年毎年あれだけの数の曲が誕生して似た曲が少ないことが奇蹟のように思える。

30年ぐらい前、ある歴史学者の著書が盗作ではないかと報じられた。テレビで本人の写真まで紹介され、本人が勤務先に進退伺いを出したが受理されなかったと聞く。実は参考文献として先著が巻末で真っ先に挙げられていたのだが、引用符 (「           」)なしで地の文にかなり利用されていたのが前著の著者には納得できなかったようだ。注記のできない新書タイプなので厳しすぎるとも思えるが、後者が旧帝大の教授 ( もう私大に移っていたが ) で前著者が地方国立大の教授だったのも両者の関係を感情的にさせたのかも??     

東京五輪にケチがついたと言いたげな報道もあるが、現状では治安問題を含めて東京が最も安全安心できる都市であることは変わらない。諸外国の期待を裏切ることはないと信ずる。

2015年8月30日日曜日

トランプ氏が米国大統領 に ??

米国共和党の大統領候補の一人トランプ氏の露骨な人種差別的発言が注目されている。最初は泡沫候補とも見られていたが、いまや共和党候補中支持率が最高である。ワシントンの既成政治家たちへの庶民の潜在的不信が掻き立てられると何が起こるか安心はできない。同氏は実業家と聞くが、米国人の民主主義理解には「たたき上げ」(self-made man )への信仰、裏返せば知識人への不信が抜き難くある。

氏の当面の攻撃対象は主としてメキシコ系移民だが、すでに日本への安保ただ乗り論を口にしている。一般的には経済自由主義者の多い共和党政権の方が日本との相性が良いとされるが、とても安心できる人物ではない。移民やマイノリティ民族は米国経済に大いに貢献しているはずだが、職場や居住地で日夜向き合う労働者層にしてみれば歓迎してもいられない。

1970年代中ごろ、「ボストン通学バスボイコット事件」が耳目を集めた。学校現場での人種統合を実現するため黒人の多く住む地区の生徒たちをバスで市内の白人居住地区の学校に通学させるとの施策は、他国では考えつかない米国らしい大胆な措置で敬服に値するが、通学時間もかかる上にバスは白人たちに妨害され、黒人生徒たちはおびえ先細りとなったようだ。白人居住者たちの人種偏見を批判するのは容易だが、施策を決めた市政 (  教育委員会?)のお偉方たちは黒人の稀な市外の高級住宅地に住み子どもを高い学費の私立学校に通わせる人たちだったと聞けば、白人庶民層の怒りは理解はできる。

とはいえ、公然と差別発言をするトランプ氏が米国大統領に就任すれば世界での米国の威信に傷がつくだろう。世界にとっても日本にとってもそれがプラスとは思えない。もどかしいが此処は米国民の良識に期待するしかない。

2015年8月29日土曜日

ラスベガスに見る米国の一面

今朝の新聞の土曜版beに米国西部を貫くルート66の記事が載っている。スタインベックの小説『怒りの葡萄』とからめての記事で、ジョン・フォード監督の黒白映画しか見ていない私 ( それさえ記憶は曖昧 ) には小説の価値を云々する資格はないが、数年前グランドキャニオンやラスベガスなどを廻る米国西海岸ツアーに参加してルート66に立ち寄ったことがある。何しろ原作を読んでいないので正直なところルート66に何の知識も関心もなかった。往時の面影 ( と言っても戦後 ) を残した売店に立ち寄り1950年代の米国車のミニアチュアカーなどを買ったぐらいで、ラスベガスほどの印象はなかった。

ラスベガスは初めてではなく20年ぐらい前に、当時サンフランシスコ近辺に滞在していた長男一家を訪ねたついでにラスベガスに2泊してグランドキャニオン見物をする予定だった。ところが悪天候のため飛行機が飛ばずラスベガス見物しか出来なかった。予定外のショー見物で時間を過ごしたが、テーブルで同席したミズーリ州の老夫婦にトルーマン ( 同州出身 )を話題にしたら大いに話しがはずんだ。

ということで二度目は前回ほどにはラスベガス見物はしなかったが、全行程をバスに同乗した日本人ガイドが同地の生活ぶりを語ってくれたのが面白かった。ラスベガスは夏季は高温になるので、その間不在にする場合は冷房を付けっ放しにする ( そうしないと家具類がおかしくなる!)、庭の水撒きは義務であるなどなど。しかし同地のあるネヴアダ州や南カリフォルニアはコロラド川を唯一の水源としており、その水量はしだいに減少しているとのこと。今後もその傾向が続くとすればラスベガスは ( ロサンゼルスもサンディエゴもだが ) 将来廃墟になる可能性がある。それなのにいっときの繁栄を享受している姿は、ギャンブル都市という側面を離れても ( 近年は家族連れも楽しめる配慮はしている )   帝国末期のローマに似ていると思わないでもなかった。

元来グランドキャニオン見物の基地としてラスベガスを選んだのは、米国勤務が長かった友人が同地は一度は見る価値があると、気のない私の背中を押したためだった。同君が推奨した理由と同じだったかは知らないが、米国の一面を見た思いのする都市ではあった。その後の米国の不動産の大不況でガイドは住宅のローンを払い続けられただろうか。

2015年8月26日水曜日

外国人の姓名表記




陸上短距離走でサニブラウン選手が注目されている。フルネームはサニブラウン・アブデル・ハキームとのこと。サニブラウンが姓で、日本人だから姓が先に来るのは当然だろう。

ところが外国人の場合は表記順に統一がないようだ。ジローラモと言えば「ちょい悪オヤジ」役で人気のイタリア人だが (姓はパンツェッタ )、姓がジローラモだと思っている日本人は少なくないのでは?  私はたまたまルネサンス時代のフィレンツェの宗教的独裁者サヴォナローラからジローラモが名であることを知っていたが (これって自慢? )。

むかしは欧米人の姓名を記すときは、名 ( first name )+姓 ( family name ) の順に書くのは当たり前だったが、ジローラモのように最近はそうでもないようだ。日本在住の外国人だけ、姓+名になったかと思ったが、最近人気のテレビ東京の番組「YOUは何しに日本へ?」で とぼけた声で番組を盛り立てているボビー・オロゴンの場合は名+姓であり、まったく統一がない ( まさかアフリカ人は欧米人ではないから? )。キャロライン・ケネディ大使については言うまでも無い。

外国人でも記述順が姓+名の場合があるからややっこしい。1956年のハンガリー動乱中首相を務めソ連軍による動乱鎮圧後処刑されたナジ首相 ( 冷戦時代のもっとも暗いエピソード の一つ ) は日本と同様 ナジ ( 姓 )+ イムレ ( 名 )がハンガリーでの記載順らしいが、当時の日本の新聞ではヨーロッパ人ということで? イムレ・ナジと書かれていた。間違えなかっただけでも立派?

少なくとも日本在住の外国人は日本式で行くというならそれも結構だが、現在のように双方入り乱れているのはおかしいのでは?それとも、どちらでも自分の懐が痛む訳では無しと達観するのか?

PS.  スターリン暴政の一番の被害者はソ連人だったと以前のブログに書いたが、「ロシア人 ( 正確には旧ソ連人 ) と書くべきでした。そうでないと論旨が不明確になる怖れあり。

2015年8月25日火曜日

安倍談話と世論

終戦70年の安倍談話に対する新聞各紙の世論調査の結果がほぼ出そろった ( 『毎日』だけ未発表? ) 。どの社の結果も率に小さくない差はあれ談話支持が不満を上回る。それでも各紙の談話「評価」と「評価せず」の差 ( 社により7%から26%もある ) が社論に見事に一致しているのは、自紙の購読者相手の調査ではないゆえおかしいと言えばおかしいが、設問の仕方の違いもあろう。むしろ直ちに調査を実施した肯定派の社と最大一週間遅れた否定派の社の数値の違いが目立つ。

結果として談話が「おおかたの日本人の共感するところであると思います」との関川夏央氏の予測が当たっていたことになるが、『朝日』の調査には他紙に無い「後世の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との一節への質問があり ( 共感する63%、しない21% ) 、私はこの一節が談話全体の評価に貢献したのではないかと考えている。また私はこの一節が、安倍首相が「侵略」や「お詫び」の挿入で妥協しても一番入れたかったことだろうと推測する。ともかく、70年以後も節目ごとに謝罪を続けるなど前代未聞だろうと思うから。

今朝の『毎日』によると、中国と韓国の世論とくに後者の安倍談話への評価は全く否定的だという ( 韓国で80%以上が不満 ) 。朝鮮戦争への中国軍の介入により朝鮮半島の統一が寸前で阻まれた悲劇を忘れている韓国が談話をどう評価しようと勝手だが、安倍首相が70周年に談話を出すと予告したことで中国が内容確認まで警戒を解かなかったことは、日中関係改善にとって大きな時間のロスを招いたのではないか。中国政府の談話への反応は抑制の利いたものだと思う。首相の靖国参拝など日本側から日中関係を悪化させるようなことをしてはなるまい。

PS.  前回の「かつら橋」は「かずら橋」の誤り。また、つくば市の運動施設の建設費百数十億円は300億円余りの誤り。前者は国家補助金にほぼ当たり、間違えたようです。

2015年8月22日土曜日

日本の橋ランキング

今朝の朝日新聞の土曜付録beに日本の橋ランキングが載っている。10位までは一度は訪ねているが20位までとなると天草五橋、瀬田の唐橋、琵琶湖大橋は多分訪れていないか、遠望しただけ ( 記憶が曖昧 )。

断トツではないが錦帯橋が1位なのは納得できる。技術のことは私には分からないが、気品という点で一頭地を抜いている。それに対し2位の嵐山の渡月橋は周囲の風景と歴史を味方につけた名橋だが、橋自体はそれほど魅力的だとは私は思わない ( 夜景は知らない )。他方、明石海峡大橋 (3位 )、レインボーブリッジ (7位 )、大鳴門橋 (9位 ) といった現代技術を駆使した橋も独自の美しさを備えているが、自動車で通る間はその美しさはあまり感じない。三つの中ではレインボーブリッジがループ状の取り付け道路からの変化する眺めが期待感を高める。お台場の日航ホテルのカフェからの橋の眺望もちょっとしたものである。

4位の祖谷の「かつら橋」は二年ほど前訪ねたが、完全天然素材?という点でもユニークである。中国人らしい若いカップルにシャッターを押そうかと身振りと英語で尋ねたが、料金を取るとでも思ったのか断られた。直後に遅れていた家内が追いついたのでその嫌疑は晴れたらしいが!  5位の長崎の眼鏡橋はそのロケーションからも名橋と言って良かろうが、九州は石造アーチ橋が多く、美しさで九州随一かどうかはなんとも言えない。6位の二重橋は島倉千代子ならぬ東京人には当たり前すぎて感興はいま一つである。

上高地の河童橋 ( 8位 ) は十回近く訪れた。むろん橋の形も良いが、やはりロケーションの絶対的優位が大きいだろう。穂高連峰に残雪のある季節なら最高である。10位の四万十川の沈下橋群も二、三箇所車で渡ってみたが、欄干がないとけっこうスリルがあった。僻地?なのに頑張ったのはやはり実力なのだろう。

人間の渡る橋という基準なら仕方が無いが、美しさなら熊本県の灌漑用の通潤橋も挙げたい (人間も歩ける )。混雑を避けゴールデンウィーク直後に訪れたら用水の放出は連休中だけで残念だった。要注意。日本三奇橋の一つと言われる山梨県は大月の猿橋がベスト20位に入っていないのは残念である。我が家から最も近いからではない!

2015年8月21日金曜日

裁判の難しさ

やや旧聞に属するが、広島長崎への原爆投下日前後に両市の惨状が改めてテレビなどで紹介された。プーチンの側近が米国による原爆投下は「人道に対する罪」として訴追されるべきだと語ったとの報道に思わず賛成したくなる ( 人道に対する罪に時効はない )。それが米国への嫌がらせと分かっていても。

それに対しては旧ソ連による日ソ中立条約違反や日本降伏後の攻撃、捕虜のシベリア抑留 ( すべて国際法違反 ) は何なのだと日本人なら言いたくもなる。しかし私は旧ソ連と現在のロシアとを同一視することには賛成できない ( それでは某国と同じになってしまう )。スターリン暴政の最大の被害者は旧ソ連国民なのだから。

最近号の『文芸春秋』に、A級戦犯として処刑された7人の1人木村兵太郎大将の長男の、中島岳志氏との対談が載っている。私も含め殆どの日本人が知らない名前だが、東條内閣の陸軍次官で、ビルマ戦線末期に派遣軍総司令官を務めた。A級戦犯となった理由は後者しか考えられず、ビルマから一度は追い出された英国が復讐と見せしめの対象に選んだのだろう。

同じことはシンガポールで英軍を降伏させた山下奉文将軍とフィリピンで米比軍を降伏させた本間雅晴将軍の死刑 ( 現地法廷での判決 ) にも言える。英国の東洋支配の拠点シンガポールの陥落は当時世界に喧伝されたし、フィリピンの「バターン死の行進」は真珠湾奇襲と並んで米国民を憤激させた。しかし、教科書裁判で知られる家永三郎氏が、これが戦争犯罪と言えるのか何とも言えないとしている ( 『戦争責任』1985 年 ) ように、思いもよらない多数の捕虜を獲得して彼らを炎天下に長距離歩行 ( 42キロ。残り80キロほどは鉄道とトラック。Wikipedia ) させたのは、当時の日本の国力からすれば残虐行為とまでは言えなかったろう ( 『風と共に去りぬ』の読者はリンカーンが残虐行為で作者に避難されていることを覚えていよう。南軍の多数の捕虜に北軍が対応しきれなかったようだ ) 。緒戦でフィリピンから逃亡したマッカーサーはその原因を作った本間将軍 ( 人格者として知られる ) を見せしめのため殺さねばならなかった。

我々は戦犯裁判の判決を受諾して講和条約を結んだ以上、対外的に「蒸し返す」べきではないが、不公平な扱いを受けた戦犯の無念は忘れたくない。

2015年8月18日火曜日

映画雑感

新聞休刊日を利用して午前中に近くのシネコンで「日本のいちばん長い日」を見た。九時過ぎに初回の上映なので余裕を見て出かけたがすでにチケット売り場には数十人の列ができ、しまったと思った。しかし子供連れの三、四人の家族が大半 ( 他作品が目当て ) なので上映には間に合った。

観客は40人ほど ( それでも「アナと雪の女王」についで多い )。終戦の決定に至る映画の内容は特別新しいものではなかったが、英語のタイトル The Emperor in August  にふさわしく昭和天皇の言動はかなり詳しく (初めて?)扱われており、一応満足できた。天皇役者も似ていなくもなかった!

昭和天皇は個人としては平和主義者だったと私は考えるが、元首としての開戦責任は当然有ろう。それでも戦後昭和天皇が退位しなかったことは保守派の人たちにもいろんな意見があったろう。ただ天皇の主観では最後まで国民への責任を果たしたいの一心だったのだろう。

そう思うようになったのはエリザベス女王や両陛下 (天皇は私と同年 ) が見るだに痛々しいと感ずるのに退位しないからである。英国王室も天皇家も働き盛りの後継者が育っているのに。しかし、こればかりは側近でも助言ははばかられるのだろう。

もし天皇が憲法を超えた独裁者だったらあの戦争は起こっていただろうか。それはわからないが中途半端な民主化 ( 明治憲法程度でも ) には危険が伴う。現在の中国は独裁国であることは疑いないが、胡錦濤時代いったんは集団指導制を取り入れたため逆に思い切った改革は出来なかった (宮本雄二 『習近平の中国』 著者は元駐中国大使 )。メディアはしきりに習近平政権への権力の集中を批判的に報ずるが、恐らくそれなしには日中関係の改善は困難だろう。第一次大戦中から「外交の民主的統制」が叫ばれるようになり、講和条約締結までの期間は長引くばかりとなった。

2015年8月16日日曜日

「ヴェール着用」の可否

ヨーロッパ諸国で移民や難民の急増が問題になっていることは再三報道されているところだが、それが惹起した問題の一つのヴェール着用の可否を論じた書物 ( クリスチャン・ヨプケ『ヴェール論争   リベラリズムの試練』法政大学出版局 ) の書評が今朝の新聞に掲載されている。私は原著を読んでいないが、この問題はマイノリティ民族の文化を何処までみとめるかという難問に関わる。

問題は実際的なものと原理的なものに分けて考えられる。書評によれば英国では「治安上の懸念」として浮上した。確かに眼しか出していない服 ( ニカブ ) では男女の別を隠すことも容易だし、ゆったりした服なので小銃を所持していても分からない。現実に今以上にイスラム過激派のテロが頻繁になったら公共の場 ( 街頭や交通機関など ) での着用制限はある程度止むを得ないだろう。

公教育の場でのヴェール着用はもっと厄介な問題である。スカーフ程度なら実害はないが、ニカブなどとの間の何処に線を引くかは難しい。その上フランスのように公教育から宗教を文字どうり追放した国では原理からして特定の宗教にだけ寛容にはなれないだろう。他方、フランスほどには政教分離が徹底していない国では「外来宗教」?の扱いの不平等という問題が生ずるだろう。

私自身ロンドンの街角でニカブ姿の女性?と出会ったとき、強い違和感 ( むしろ衝撃 )を禁じ得なかった。昔から住むマイノリティ民族と最近の移民とでも一般の受け取り方は微妙に違うだろう。最近は少なくとも先進国では多文化共生が理念として受け入れられつつあるが、多数派民族の側の受容努力とともにマイノリティ ( とくに新移民 )の側も新しい仲間との間の差異縮小の努力を一定程度必要とされるのではないか。今のまま移民の激増だけが続けば社会や政治の保守化さらには非寛容化は確実に進むだろう。ゲルマン民族至上主義のナチスが選挙を通じて政権に到達したことを忘れるべきではない。

2015年8月15日土曜日

安倍談話と新聞

いろいろな点で注目されていた戦後70年の安倍談話が発表された。新聞各紙の論調は当然それぞれ異なっているし、掲載された「識者」たちの論評も同じではない。『朝日』と『読売』の社説は前者が否定的評価を、後者が肯定的評価を下している。予想どうりととる人が多いだろうが、『読売』は過去に日本の戦争責任に関するプロジェクトを実施して成果を刊行しており、他の諸問題とくに安全保障問題と異なりこの問題に関しては、管見の限りでは厳しい態度を取ることが少なくなかった。

意外だったのは両紙に三谷太一郎・東大名誉教授が論評を寄せ、『朝日』では首相談話を100%批判する一方、『読売』では大略批判6割、賛同4割の談話を発表していることである。「識者」は掲載紙の傾向に合わせた発言をするものなのか。しかし私はそう断定する気は毛頭無い。インタビュー記事での発言だったから。

以前、ある考古遺跡発見の意義について年長の知人が新聞にその大きな意義について発言していた。たまたま直後に顔を合わせたので、「あそこまで言っていいのですか」と聞いたところ、「本当に困っているんだよ」ということだった。知人はいろいろ前提条件をつけて発言したのにその部分が全く省かれた記事だったため、同業の友人にも私と同じ疑問を呈されたとの事だった。記者による歪曲であり、社の方針 (この新聞は考古関連の記事がよくトップ記事になった ) ろが優先したのである。今回の三谷氏のケースも同じかもしれない。

今回の何人かのインタビュー記事では「おおかたの日本人が共感するところであると思います」との関川夏央氏のそれが一番同感できた。氏の処女作?『海峡を越えたホームラン』以来私が氏のファンであることもあるが、他の論者たちが何故か誰も触れたがらない中韓の「外交カード」の側面にもきちんと言及しているからである。もっとも、「千年たっても加害者と被害者の関係は変わらない」と断言した朴大統領 (それが正しいなら日本は元寇の故に現在のモンゴール国を対等視してはならないことになる ) には、外交カードを利用するという意識はないかもしれないが........。

2015年8月13日木曜日

ドイツ的性格再論

昨今話題の芥川賞受賞作品を読みたくて発売当日『文芸春秋』を買い求めたが、真っ先にギリシャ危機に対するドイツの対応を批判する二つの文章、E. トッドの「ヨーロッパは三度自殺する」と塩野七生氏の巻頭の小随筆「なぜ、ドイツ人は嫌われるのか」が目についた。

前者はインタビュー記事で、以前に当ブログで言及した単行本 ( 新書 )の趣旨をさらに一歩進めて、現在のドイツを放置すれば世界は第一次大戦と第二次大戦に次ぐ第三の災厄に見舞われるだろうと警告する。現在のギリシャの危機が財政緊縮や当面の国際的融資で解決するような生易しいものではなく、債務の大幅軽減を必要とするとのトッドの判断は多分正しいだろう。そして、そうした根本的解決にドイツが障害となっているのも事実だろう。今回の新しい論旨は前著のように障害をドイツ人の国民的性格 ( 融通のきかなさ、他国への猜疑心=騙されることへの恐れなど ) に帰するだけでなく、ドイツの大部分を含む北ヨーロッパ諸国のルター的プロテスタンティズムに原因を求めている点である ( カトリックのポーランドは例外 ) 。

他方、ローマ史家の塩野氏がギリシャを含む南欧の主張に同情的なのは「やはり」と言いたいところだが、氏はドイツ ( 南ドイツを除く ) がローマ帝国の領域外だったことに原因を見出す!  ローマ帝国は「勝って譲る」という懐の深さで他民族を心服させたが、ドイツ人にはその度量が無いと言う。私は今回の南北ヨーロッパの対立 ( トッドは南欧は本心ではギリシャの味方だという )を常識的にゲルマン民族とラテン民族の気質の違いと捉えてきたが、トッドや塩野氏のように論旨を拡大されると戸惑ってしまう。

ヨーロッパのユーロ貨採用も外国人旅行者としては本当に便利だったが、相当に無理があったように感ずる。最近の非ヨーロッパ系移民の激増 ( とその一部の国への集中 ) ひとつをとってみてもEUへの批判は今後強まりこそすれ弱まることはないだろう。古い考えかもしれないが、国家という単位はそれなりの存在理由があるから続いてきたのではないだろうか。私はEUの分裂を望まないが今後あり得るとは考えている。

2015年8月7日金曜日

70年談話 有識者懇の報告書

きのう上記懇談会の報告書が発表された。新聞掲載の「要旨」を読んだだけだが、その限りではおおむね妥当なのではないか。

「満州事変」以後の日本の対中国軍事行動を侵略と認めるのは止むを得まい。それに先立って中国人の在中日本人に対する犯罪やボイコットがあったことは事実てある。尖閣列島国有化の際の中国人の「愛国無罪」の蛮行は、80年前もこうだったのかと思わせた。しかし日本側の反応(とりわけ「暴戻支那人」と煽り立てる新聞の反応 )は過剰反応だった。その根源に自国民の生命を特別視する自民族優越思想があったことは否定できない ( 現在のイスラエルのアラブ人への対応と同じ )。それを正当化するのは困難である。

我が国が欧米の植民地支配からのアジアの解放のため戦ったというのも「正確ではない」。そう信じた同胞は少なくなかったと思うし、結果としてアジアの解放に寄与した側面があることを否定したり無視したりするのは賛成できないが、日本の国策がそれを目指して居たというのは強弁だろう。日本を動かした動機はアジアの資源の獲得であったと見るのが大筋では正しいだろう。

台湾ついで朝鮮の植民地化は、欧米にそれを非難する資格があったとは思えないが、民族自決に反したことは事実である。報告書が1930年代から日本の「植民地化が過酷化した」としているのは戦時徴用の導入もその一例なのだろう。私は戦時中朝鮮人の「飯場」に級友を訪ね歓待された事がある。その活気に満ちた雰囲気を覚えているが、彼らの職場が鉱山や土木工事など危険の多い仕事場だったことは否めないし、飯場を訪ねる地元住民は稀だった。

戦後しばらくは中国が日本に対し「軍民二元論」を採り指導者層と一般国民を区別していたのはマルクス主義の階級史観にもとずくものであったろうが日本にとって有難い事ではあった (マルクス様々?)。長い中断期を経て最近習近平政権が「軍民二元論」を復活させようとしているかに見える。それなのに野党が参院審議で安倍首相の念頭にある仮想敵国が中国であるとわざわざ言わせたのは賢明だろうか。中国も名指しされれば面子も当然あろう。そもそも十年ごとに首相談話を出す必要はないのに安倍首相がいわば寝た子を起こしたことと同様賢明ではなかった。

2015年8月3日月曜日

つくば市民に敬意

茨城県のつくば市長が市の郊外に陸上競技場をはじめとする大運動施設の建設を計画したが、住民投票は圧倒的にこれを否決した。住民投票には強制力は無いらしいが、市長は結果を尊重せざるを得ないようだ。

市長は予定地近くに大病院を経営しているとのことなので、周辺の土地開発に特別の利益を期待したのかもしれない。テレビはそれを匂わせていた。しかしそうでなくとも自治体首長は大きな「ハコモノ」を作って自分の業績として長く残したい誘惑に駆られるようだ。それを助長するのが国の補助金である。今回も総額百数十億円の半分 ( 46% )をそれで賄うという。( 他に49%が市債という名の借金とか )。私は補助金のエサに釣られなかったつくば市民を立派だと思う。

私がこの事実に注目したのは似たことが私の住む市でも過去にあったからである。私宅に近いロータリー (いまやラウンドアバウト )に面した土地に市が、老人が会合などに利用する小建物を建てようとし、周辺の数軒の住民が反対した。最初私は老人は騒音源とはならないのに反対するのは住民エゴではないかと感じた。しかし市長はそれまでそうした計画を示したことは一度もなく、たまたま、リーマンショック後に政府が特別高率の補助金を出して全国に事業を募ったのを利用するためと知った。けっきょく施設は建設され利用もそこそこ為されているようなので、市としては面目は立った。

しかし、リーマンショック当時は景気対策として例外的に必要があったとしても、補助金があるが故に不必要なあるいは過剰な施設が建設されのを放置して良いわけがない。全国の自治体住民はつくば市民を見習って欲しい。

2015年8月1日土曜日

終戦の月

毎年8月は前の戦争の体験談や関連記事がメディアを賑あわす。今年は特に新安保法制との関連か、7月から賑やかである。まだ封切前らしいが、映画『日本のいちばん長い日』が話題を呼んでいる ( 私がPRに乗せられているだけ?)。むかし私が見たのは半藤一利氏の原作か1967年の旧作映画かあやふやだが、私自身の戦争体験と重なり無関心ではいられなかった。

現在から見れば終戦の「聖断」がせめて一年早ければ原爆投下も沖縄戦も東京下町の大空襲も免れたのにと残念に思わない人はいないだろう。しかし、1945年8月でさえ和平への抵抗は辛うじて阻止された。もっと早ければ、ヒトラー暗殺に失敗して和平派が粉砕されたドイツのように戦争が首都陥落まで続いた可能性はあった。ライシャワー博士は広島原爆投下の報に、日本は終戦に向けて動き出していたのにと暗然とした。だが、戦後見聞を深めた結果、広島への投下は止むを得なかったとの結論に至ったと回想録で語っている (長崎への投下は全く無駄だったとしているが )。それほど当時の我が国は軍部に牛耳られていたと理解するべきだろう。

今週の『歴史秘話ヒストリア』はジョセフ・グルー元駐日米大使の日米開戦阻止の努力と、戦時中の対日ポツダム宣言の穏和化の努力を紹介していた。前者では近衛首相のハワイでの日米首脳会談の提案がグルーの後押しにもかかわらず実現せず、開戦が決定的になったと指摘していた。じっさいグルーは会談開催をローズベルト大統領に文字どうり懇願している ( 『滞日十年』)。十年間に日本政治に精通したグルーには、もはや開戦回避のためにはハワイでのローズベルト大統領との会談での結果を近衛首相が帰国後ただちに参内して天皇の裁可を得てしまうというウルトラC級の手段しかないと正しく理解していた。番組では国務省ら大統領の周辺が「事前交渉なしに会談はノー」と反対したので会談は実現しなかったと説明していたが、その背後に中国政府の反対があったと聞く (蒋介石総統は「中国戦線が崩壊する」と会談に反対したという )。他にもローズベルト個人の過剰な民主主義イデオロギーや日本への侮りなどが指摘できるだろう。

むろん日米開戦が取り敢えず避けられたとしても、満州問題を中心に問題解決は困難を極めただろう。しかし、戦後冷戦の収束や最近のその一部復活を見ていると、風向きを変えることの重要性を強く感ずる。相手への警戒心が信頼感に変われば以前は不可能と思われていたことでも実現したことを忘れるべきではない。

PS   以前、三沢高校に元ヤクルトの八重樫が居たと書いたが間違いで、八重沢が正しいようだ。

2015年7月31日金曜日

飛行機事故あれこれ

調布飛行場を飛び立った小型機が墜落し犠牲者を出した。今回飛行機は南に向かって離陸して事故になった。北風が吹く半年間は北に向かって離陸するのではないか?  いずれにせよ滑走路の北端には古い人見街道が東西に走っており、私の通勤路でもあった ( 途中に近藤勇の生家跡と本人の墓のある寺がある )。頭上を小型機が超低空で離着陸することもあった。周辺の住民は多少の危険は理屈では承知して住みついた筈だが、まさかの思いはあっただろう。

御巣鷹山事故が起きたとき半月後にドイツに学会出張する予定だった私は肝を潰し、出来ることなら中止したかったが、それはならなかった 。臆病者と言うなかれ ( そうでないとは言わないが )。事故が当時の世間に与えた衝撃は大変なものだった 。

そのまた20年以上前に羽田空港に着陸しそこなった全日空機とカナダ航空機の二機と、富士山付近で墜落した英国海外航空機と立て続けに一年以内に大事故が起こったことがある。全日空機は札幌の雪まつり ( 私には初耳だった )帰りの客を多く乗せていた。墜落原因は機体の欠陥説とパイロットミス説に二分され、調査委員会の結論は後者に傾いたが、委員の東大名誉教授は機体欠陥説を主張した。ノンフィクション作家の柳田邦男は著書『マッハの恐怖』で、教授が綿密な調査で立証したと紹介し大宅壮一ノンフィクション賞を受けた。

ところが後年、全日空の重役?が亡くなったときの新聞記事の中に、事故当時の社内では「とうとうやったか」と語られていたと付記されていた。当時全日空と日航は、札幌羽田間の所要時間の短縮のため激しい競争を繰り広げており (柳田も言及 )、正規の木更津回りのルートを避け千葉市上空から急速降下するルートを選ぶ場合もあったという。つまり、パイロットが無理なコースを選択したことが原因と見る空気が社内にあった。ボーイング727機は優秀な機種だけに操縦は難しかったとされるが、素人の私だがこの記事に妙にリアリティーを感じる。『マッハの恐怖』が大労作であることは完全に同意するが。




2015年7月26日日曜日

スポーツ界と芸能界

旭天鵬の今場所の成績が今日現在3勝11敗となった。モンゴル勢の先頭を切って角界入りをし、ここまで頑張ったのは頭が下がる。寄る年波には勝てぬということか。スポーツの世界の厳しさを感じる。

先日テレビで、No.1国際派俳優の息子という俳優を見かけた。前者の娘もNHKの朝ドラのヒロインを演じた。数え上げれば同じ例は少なくないようだ。芸能界の安易さを感じた。

スポーツの世界では実力がすべてである。親の七光りは通用しない。長嶋茂雄の息子も野村克也の息子も騒がれながらプロの道に進んだが、けっきょく通用しなかった。冷厳な数字には勝てなかったのである。そもそも長嶋も野村も己れの実力だけでのし上がって来た。

有名俳優の息子や娘として他人には無い悩みもあったろう。また、親譲りの才能を発揮する例は少なくないだろう。しかし出発点での不平等は明らかである。それが通用するのは演技の評価の曖昧さ (いいかげんさとまでは言わないが )だろう。

旭天鵬はかねてから十両陥落の場合は現役引退すると語っていたので、そうなるかもしれない。親方に日本国籍が必須かはともかく日本国籍を取得しているとのことなので、親方や解説者として大いに活躍して欲しい。他の誰でもない自らの力で勝ち取った地位なのだから。

2015年7月22日水曜日

林真理子と『野心のすすめ』

しばらく前、作家の林真理子が銀座あたり?で高価なブランド品を買いあさり、高級レストランで食事をする単発のテレビ番組を見た。タレントが出演する同種の番組は数多く、馬鹿馬鹿しくて見ることは稀だが、彼女の場合反感を覚えず見ることができた。その理由は彼女らしい悪びれない率直さも大きいが、馬鹿馬鹿しい行動を見ている別の彼女の眼を感じたからである。作家の眼と言って良い。

たまたま家内が図書館から、二年前に出て話題を呼んだ『野心のすすめ』を借りてきたので私も読んだ。読後感は悪くなかった。先ず「はじめに」で、若い女性タレントがデビューのきっかけを友人が本人に勝手にコンテストに応募したのでとよく言い訳するのは「全部とは言いませんが、ほぼ百パーセント、嘘です」と痛快な断定を下す。前から半信半疑だったがやはり.............。

何といっても彼女の本は美容外科の植毛助手から出発して直木賞作家となり今や同賞を含む幾つもの文学賞の選考委員を兼ねるまでの彼女の体験が土台となっているから自慢話の連続であるのは事実である。しかし彼女はそれを隠しはしない。努力をともなう野心は何ら恥ずかしいことではないから (「少年よ大志を抱け」と「少年よ野心を抱け」とは訳語の違いに過ぎない )。さらに彼女はお金のない未婚女性が将来出世しそうな男性探しに躍起になっても寛大である。逆に、「お金も知名度もある女優さんや歌手が、『干したばかりの家族の洗濯物に顔を埋めている時がいちばん幸せ』などと発言すると、途端に『いい人!』と共感の声が上がるのです」と指摘する。そこに偽善を感じてしまうのは私も同感である。

いつの世でも「いい子」になりたがる人が多いのは仕方が無いことかもしれない。ただ、メディアがいい子ぶりを見抜けないのが情けないということだろう。むろん知っていて調子を合わせているならもっと悪い。世の中で林真理子が貴重な所以である。

2015年7月19日日曜日

YMCAの一夜

今朝の新聞にユースホステルYHの利用者数が最盛期の十分の一近くに激減しているとの記事があった。私自身、宿泊者同士の交流を重視するというYHの方針は賛成だが、みんなで歌を歌ったり?といった行動を強いられるのは有難くないので、利用したことは一度も無い。

とはいえ、1960年代には日本人の個人旅行者にはヨーロッパの大都市のホテルの宿泊料の高さが不安だったし、安いB&Bの存在など全く知られていなかった ( JTBがくれる『外国旅行案内』。ポケットに入る大きさでヨーロッパ編400ページ程度が当時日本で入手可能な旅行情報のすべてだった )。そこでクリスチャンではないがYMCAホステルの安い宿泊料のため、日本出発前にYMCAに加入した。大学町に到着するまでにロンドンに一泊はする必要があったし、すぐ近くの大英博物館は見ておきたかった。当時は、外国のホテルでは食堂へはネクタイを着用して行くと聞いていたが、そんな事はなかった (ホテルでないせいかはわからなかったが )。

翌朝、窓外に始めてロンドン名物のスモッグを目にした。当時の英国はまだ石炭利用の暖房が主流だったためだが、その後同じ経験をすることは二度と無かった (帰国時しかロンドンに泊まったことはなかったが、その間何回かは上京?したのだが )。健康のためには望ましいことだが、煙突掃除夫が消え、映画『メリーポピンズ』の情緒は主題歌『チム チム チェリー』の記憶以外は失われた (このこと前にも書いたような? )。

その日、大英博物館の館内のカフェテリアで昼食をとった。場所を探していたらアジア人女性が手を挙げて呼んでくれた。ロンドンで働くタイ人。流暢な英語でお前は何をしに英国に来たのかと問われたが、私の慣れない英語では留学のためとは口が裂けても言えなかった。帰国するまでには同館の図書室を何回か利用することになるのだが。

その後どの国でもYMCAホステルを利用することはなかった。英語国では当時『ヨーロッパ一日5ドル旅行』がベストセラーで、安宿探しは容易になったので。

2015年7月17日金曜日

憲法は遵守されてきたか

安保諸法案が衆院で可決された。私の購読する新聞の昨日の社説のタイトルは「安保法案の強行採決  戦後の歩み覆す暴挙」とあるが、本当に戦後の歩みを覆しているだろうか。私はそう思わない。

以前のブログに書いたように今回の法案が転機 (正確には段階を進めた ) ことは確かであり、また野党が指摘しているように憲法違反であると私も思う。しかし憲法第9条第2項を虚心に読めば、憲法違反は自衛隊の発足以来60年間続いて来たと言わざるを得ない ( 自衛隊が「戦力」でないと考える国が日本以外にあるだろうか )。私だけではない。保安隊が自衛隊に改変された時、朝日新聞 (1953.7.23 )の天声人語は「単に保安隊の性格が変わるどころの話ではなくて、憲法に規定された日本の国家の性格までを一変することになりかねぬ」と述べ、同日の読売新聞の社説も「対外的に自衛軍を増強していく約束をしながら、国民に対しては『自衛軍は戦力ではない』というような見えすいたごまかしはやめてもらいたい」と述べていた ( 朝日夕刊 6月18日より引用。今年である!)。つまり今回の立法は「戦後の歩みを覆」しているのではなく、延長なのである。

その後、新聞も憲法学者もその歩みを問題にしてこなかった。国民もそれを許容してきた。自衛隊発足以来の世論調査は殆ど一貫して自衛隊「増強」には反対する一方、一貫して「現在程度」を支持してきた。しかしその間、自衛隊は一貫して増強されてきた。これを既成事実に弱い日本人の特質の表れと見るか、逆に日本人のリアリズムと見るかは見る人次第だろう (私は前者と見るが )。

自衛隊のPKO法が成立したとき4日間の野党の牛歩戦術があった。今日自衛隊のPKO活動に反対する人は少数だろう。

憲法第9条が現実に長い間利点であった側面は否定できない。しかし日本国と日本国民が9条を忠実に遵守してきたと考えるのは錯覚だろう。

同じ日の新聞に澤地久枝氏が「権力にモノを言うことに勇気が試される時代です」と語っている。しかし文筆を業とする者にとってはメディアに「モノをいう」ことこそ最も困難であるとの自覚がないとは驚きである。

2015年7月15日水曜日

イラン核協議の合意成立を歓迎

イランの核開発をめぐる同国と米英独仏中露6か国の協議がようやく成立した。米国とキューバの国交回復とともに退任近いオバマ大統領の業績づくりの一環であるとしても、イランと外部世界との緊張を大幅に緩和するものであり、米露関係にも好影響となる可能性はある。

私は核技術には素人なのでイランによる秘密の核兵器開発の可能性がゼロだと言い切る自信はない。したがって国土が狭小なイスラエルの反対は理解はできる。しかし、もしイランが将来イスラエルを核攻撃すれば米国の報復でイランの国土は悲惨な状態になるだろう。原爆は相手国への威嚇として役立つとしても、実際には使用は不可能な兵器である。いま一番重要なことはイランの穏健派政権に実績を挙げさせ、人気を不動のものにすることである。

かつてイランのパーレビィ王制が「ホメイニ革命」で崩壊したとき、世界でもわが国でも大半のメディアは独裁に対する民衆の勝利としてこれを歓迎した。しかしイランの王制は国の近代化を目指していた政教分離の国家であったのに対し、ホメイニ支持者は時計の針を逆に戻すことを願う人たちだった。じじつ王制崩壊後のイランの政治は惨憺たるものであった。当時代々木公園がイラン人労働者で溢れていたことを記憶する人は少なくないはず ( 出稼ぎのためと同時にイランイラク戦争での無意味な戦死を忌避するためだったようだ )。さいわい現在の穏健派政権は、政教一致を否定しないとしても実際的利益をより重視するだろうし、イラン国民もそれを是とするだろう。

今度の合意成立にはロシアも協議に参加している。合意不成立だったらロシアが西側への対抗のためイランの孤立を利用する誘惑に駆られる可能性はあったろう。合意成立でその可能性は無くなった。あとはイスラエル贔屓の米国議会の妨害が成功しないよう祈りたい。

2015年7月13日月曜日

ガッツポーズもほどほどに!

ウィンブルドン男子の決勝はジョコビッチの勝利で幕を閉じた。ニュース番組で断片を見ただけだが、勝利の瞬間かれが派手なガッツポーズで喜びを表しているのに多少の違和感を抱いた。他のスポーツでもガッツポーズは派手になる一方だ。以前、朝青龍が思わず?ガッツポーズをして問題視されたことがあった。チーム競技で勝利したとき仲間と喜び合うのを見ても何の違和感もない。しかし、一対一の競技となると..........。

これまでインタビューでの相撲の力士たちの応答が舌足らずの感じで、元来話し下手なのだろうと考えていた。ところが同じ人が親方になったり解説者になったりすると案外多弁だなと感じたことがよくあった。聞くところでは、勝利ののち多弁なのは負けた相手に失礼だというのも寡黙のひとつの理由だとか。たしかに相手を土俵にたたきつけた後の多弁は心配りに欠けるように思う。相撲ある限りこの配慮は忘れて欲しくない。それこそ国技と呼ばれるにふさわしい心がけである。

寡黙と言えば初代若乃花はぶっきらぼうと言って良いほど言葉少なだった。しかし、私の年長の元同僚は荻窪あたりの呑屋で親方時代の初代とたまたま同席したことがあり、話がはずんだ挙句腕相撲をして勝ったと喜んでいた。元同僚は腕相撲が得意だったとはいえ若乃花がわざと負けたことは明らかだ。初代は思いの外気さくな人柄だったようだ。

突きや押し相撲が全盛の現在、がっぷり四つに組んでの豪快な投げ技やまさかの鮮やかなうっちゃりが得意だった若乃花の相撲が懐かしい。その若乃花も元同僚も亡くなって相当になる。二人があの世でも再会して腕相撲で盛り上がってほしい。

2015年7月9日木曜日

ドイツ的性格

『21世紀の資本』 (読んだことはないが、『21世紀の資本論』が正しい訳では? )の著者として著名なピケッティがギリシャに対する債務減免をメルケル首相に要請する公開書簡を発表した。理由は経済的に緊縮政策の押し付けが愚策で危険だということだが、国際政治の立場からドイツの危険を指摘したトッドの二人がフランス人であることは偶然ではあるまい。

ドイツとの関係が経済的に、したがって国際政治的に対等と言えなくなってきたフランスという事情もむろん有るだろう。だが、フランス人から見てドイツ人の性格への危惧も無視できない。前回のブログでは紹介する余裕がなかったがトッドの本にはドイツ的性格への警戒が再三言及されていたのである。それはドイツ人の性格としばしば指摘される徹底性と言っても良い。

勤勉で几帳面な性格はドイツ人の長所だが、彼らは物事を中途半端に出来ないところがある。ホロコーストもその一例だろう。ユダヤ人迫害はヨーロッパ史上かなり一般的な事象だったし、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世はユダヤ人抹殺を口にしたりした (実行はしなかったが )。ナチスはその頃注目されていた優生学を文字通り受け止め、「劣等人種」や精神障害者は存在の価値がない (または低い )と信じた。人種差別は現在まで続く人類の宿痾だが、ここまで徹底した例は稀だろう。他方、ナチスの宿敵ドイツ共産党のテールマン党首は敗戦半年前まで11年間獄中ではあるが生存していた。ドイツが曲がりなりにも民主共和国を経験していたことも無関係ではないだろうが、かれが「劣等人種」でなかったこともあろう。

ホロコーストに従事した収容所の看守たちも一人一人は「普通のドイツ人」だった。理論的に正しいと確信すれば憐憫といった人間的感情を押し殺すことができるのは無論ドイツ人だけではないが.............。

メルケル首相個人の意向がどうあれ、この問題でドイツ国民の意向を無視できるかどうか。それにしても米国のルー財務長官が債権諸国に債務減免を求めると公言したのは拙劣である。裏面での交渉ならともかく、これではメルケル首相は妥協すれば米国の圧力に屈したと国民の目に映るとどうして分からないのだろうか。
 

2015年7月7日火曜日

ギリシャ問題

ギリシャがEUの緊縮政策要求を拒否して両者の対立が深まっている。

チプラス首相がEU諸国に対してギリシャの民主主義を護ると大見得を切っているのはいただけない。EUはギリシャ人が身の丈に合った生活をすべしと要求しているのである。伝え聞くところではギリシャの年金は現役時代の収入の8割を支給するので、早期退職者も多かったとか。事実なら支給率がもっと低いEU諸国を納得させることは難しい。ギリシャの生んだイソップ童話の蟻とキリギリスの例が今のEU諸国と同国にそのまま当てはまるのは皮肉である。そういえばギリシャの古代文明は世界史上の奇蹟と言っても過言ではないが、その民主政治はあっという間に衆愚政治に変わった。歴史は繰り返すのか (今のギリシャ人はその後南下してきたスラブ民族が主体とも聞くが )。

とはいえ先進諸国はこれまで発展途上国の債務を軽減してきた。ギリシャを途上国と考えればそもそもEUに加盟させたのが事件の発端である。さらに独仏の銀行が多額の資金をギリシャに貸し付けたのは経営判断の誤りであったことは否定できない。また、ドイツはユーロ導入によりマルク採用時より有利な交易条件を享受してきた。借りたものを返せは個人間では当然だが、国家間では必ずしもそうではない。

ギリシャ救済が動き出すかはEUとくにその中心のドイツとの交渉の行方にかかっている。ギリシャが非妥協的な財務相を交代させたのは一歩前進だが、首相のポピュリズム的手法は相手国を怒らせるだけで改める必要がある。他方、EU側もある程度の債務軽減に応ずるのが賢明ではないか。

最近我が国ではE.トッドの『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書)が書評にも取り上げられている。NATO諸国が、味方してはならないウクライナ極右翼に肩入れしたとの見解はわたしもまったく同感だが、ウクライナの反露姿勢の背後にドイツがいるというのは疑問があるし、我が国の多くのロシア問題研究家の見解とは逆である。ドイツが地続きの東欧諸国の安価な労働力を利用し、それができないフランスに差をつけていることへの苛立ちがトッドの見方に反映しているのだろうか。それにしても邦語の題名はどうかと思う (既刊書の邦訳ではないので原題名はない )。




2015年7月3日金曜日

女子サッカーのW杯

「なでしこ」チームがW杯の決勝戦に進むことになった。準決勝まではニュース報道で結果を知るだけだったが、対イングランド戦は難敵相手ということもあり、時間的にも見やすかったので始めから終わりまでテレビ観戦した。

結果的には勝利したが、やはり相手もさるものだった。相手選手のオウンゴールで意外な結末となった。オウンゴールをしたバセット選手には同情を禁じ得ないが最善のプレーと信じた上のこと、不運と諦める他ない。執念を貫いたなでしこたちを褒めるべきだろう。

しかし気の毒だったがオウンゴールで勝敗が決したことはまだ良かった。私はサッカー音痴に近いが、もし最初の日本のPKの一点で勝負が決まっていたら後味は良くなかったのではないか。解説者?の誰かが、イングランドのPKも日本のそれも違反というほどではなかったと言っていた。その当否は私には判断できないが、解釈次第で決まった勝利ではスッキリしなかったろう。今回イングランド側は、残念でも審判の判定による負けよりは納得できたろう。なでしこには決勝戦もぜひ勝ってほしいが、そうでなくとも私には何の不満もない。世界二位は文句の付けようがない立派な成績だから。

敗れたチームの国民はその後どのチームに買って欲しいと思うだろうか。以前、サッカーが弱いインドネシアの国民は自国チームの敗退後は旧支配国のオランダチームを応援する人が多いと読んだ記憶がある。私はそうなったら日本以外で一年以上住んだ唯一の国イングランドを応援するだろう。しかしオランダはインドネシア人にとって三百年植民地として自国を支配し、足かけ四年の独立戦争では流血を強いられた敵国だったが............。菊池寛ではないが、「恩讐の彼方」ということのようだ。

2015年6月29日月曜日

古書目録から感じたこと

古書店の目録の最新版が郵送されてきた。邦文書籍の専門店のカタログで、かつてはその中からたびたび注文していたが、最近は注文することも稀なのに毎度新版を送られるので恐縮である。

ページを繰っていて賀川豊彦の関係書や本人の著書が計23冊に及ぶことに気が付いた。個人として断トツに多いだろう。ある時期 ( 主に戦前 ) の賀川豊彦の人気や影響力がいかに大きかったかが分かる。しかし、23冊中文献 (伝記 )  が3冊で、あとはすべて本人の著書だった。その影響が無視出来ないはずなのに彼を研究する者が少ないのは、大衆に呼び掛けること自体を質が低いと考えたがる思想史家の体質があるのではないか。

同じことは札幌農学校の学友だった内村鑑三と新渡戸稲造の評価にもうかがわれる。「目録」の件数は両者とも10冊だったが、内村の場合は研究書 (娘の回想本を含む ) 7冊、本人の著書3冊なのに新渡戸の場合は研究書が3冊で著書が7冊である。じっさい五千円札に登場するまで新渡戸は一部の研究者を除き忘れられかけて居た。

私は思想史の専門家でも何でも無いので研究者の間での内村鑑三と新渡戸稲造の思想家としての評価の差 ( 人気の差 )に異議を唱える資格はない (内村について調べたことはない )。しかし生涯を思想家として過ごした内村に対し、台湾総督府の官僚 ( 農学者としてだが ) を手始めに官職を歴任した新渡戸、十分な教育を受けられなかった青年子女のため、一部の冷たい視線 (東大教授のくせに !)を知りながら多くの大衆向けの修養書を著した新渡戸 ( 著作だけでなく勤労青年のための「遠友夜学校」や女子教育の「スミス女学校」を設立したり協力した )が研究者の注目したがるタイプではないだろうことは想像できる。それでも内村と新渡戸はお互いを尊敬していた。

この頃は大衆文化の歴史に目を向ける研究も増えているが ( 私の大学時代の友人がエノケンについて一書を世に出した ) 、それとこれは別なのか。権威崇拝でなければ良いのだが。

2015年6月27日土曜日

年齢相応はあるはず

昨日の新聞によると、横浜の市立中学校が陸上自衛隊の演習の見学募集をした。理由は「公民」の「平和主義に関する学習と関係がある」とのことで、それに対し「子ども・教育・くらしを守る横浜教職員の会」が「中学生は兵器の威力にだけ魅力を感じてしまうのではないか」との理由で反対している。どんな演習か詳細は分からないが、反対には一理あると思う。提案した教員の意図が仮に平和教育の一環だとしても (その可能性はある )、中学生の理解力や感受性を考慮する必要があろう。

それで思い出したがしばらく前、「はだしのゲン」を残酷な描写があるとの理由で中学校 (小学校?)の図書室の開架式の書棚から引っ込めた学校がひとしきりメディアの批判にさらされた。しかし高校生には適切なことが小中学生には不適切な場合は十分考えられる。開架式の書棚から引っ込めたことが即、表現や言論の自由の制限だとは思わない。映画館でも図書室でも同じことである。

年齢制限と同じではないが文科相が式典での国旗掲揚や国歌斉唱を国立大学も実施すべきであると発言した。税金で運営されているからとの理由を挙げているが、賛成できない。

私は小中学校の式典での国旗掲揚や国歌斉唱には反対しない。国旗や国歌に敬意を表する (胸に手を当てたり立ち上がったり )ことは外国の式典では一般的なようだが、身についていないと咄嗟には出来ないものである。式典ではある程度の規律や厳粛さは必要で、教職員が国旗や国歌に不賛成だからといって座っていたら式典は台無しである。上司や外部の人間が口の動きまで監視するのは行き過ぎだと思うし、私自身は演壇の背後に大きな国旗を掲げるのは見たくない。しかし旗立に立てるとわざと見にくい位置に置いたりされる場合があると聞けばそちらも問題だと考える。

しかし、小中高学校は主として公民としての基礎的な知識を学ぶ場であるが、大学は職業に結びつく教育の場であると共に真理を探求する場でもある。極論すれば国歌や国旗をどう理解するかを根本から考える場である。税金で支えられているから国旗国歌をというのは短絡的で、自由な言論を基本とする大学にはふさわしくない。

2015年6月26日金曜日

「太平記の時代」

最近歴史再考番組が増えたようだ。老舗の「歴史秘話ヒストリア」に加えてNHKで「英雄たちの選択」が始まり、民放局でも同種の番組が誕生している。足利尊氏を取り上げた6月18日放映の「選択」を大分遅れて録画で見た。

戦前の日本の学校教育では後醍醐天皇と彼を支えた大塔宮護良親王 (いつの間にか戦前の「だいとうのみやもりながしんのう」の読みが「おおとうのみやもりよししんのう」に変わった ) や楠木正成正行父子や新田義貞は絶対の善であり、彼らと戦った北条氏や足利尊氏は絶対の悪だった。小学生の私はそれを素朴に信じ、とくに忠臣楠木正成は私にはほとんど神に近い存在だった。

戦後も相当経ってからNHKの日曜時代劇 (「太平記」?  尊氏を真田広之、正成を武田鉄矢が演じた   1991年 ) を見る頃には尊氏がそれなりに大人物らしいと聞き知ってはいたが、それでは善の化身後醍醐天皇と「建武の中興」の評価はどうなるのかと思い新書程度は読んでみた。むろん評価する資格はないが、後醍醐のめざしたものはかなり時代錯誤的な古代王政の復活だったらしいと知った。それでも私の抱く楠木正成への尊敬の念は変わらなかった。勝ち味のない戦いと知りながら、尊氏 (  正成は尊氏を評価し、彼との和睦を進言したが却下された )を相手に湊川で戦って死んだのは、何もそこまでしなくてもとも思うが、一介の土豪から側近の朝臣にとりたてた後醍醐への恩義に殉じたのはそれなりに立派だと思う。武田鉄矢の演じた素朴な正成像も悪くなかった (その好印象の影響もある? )。。

南朝の遺跡でも知られる吉野山を訪ねたのはそれよりまた後で、むろん桜見物のためだったが、出陣する正行が壁に辞世の歌をしたためたという如意輪堂だけは見たかった。もう記憶はおぼろだが、建物にはあまり正行を偲ばせるものはなかったように思う。それでも利か不利かが当然の基準のような時代には長く記憶して欲しい父子だと思う。

2015年6月24日水曜日

私の沖縄観

沖縄の「慰霊の日」にちなんでかテレビニュースに銀座の沖縄のアンテナショップ (外堀通りの数寄屋橋交差点の北。ぜひ立ち寄りを! )が写っていた。何年か前わたしは同ショップで奮発してシーサーを買った。むかし現地で買い、重い思いをして帰ったのだが、焼き物のそれは矢張り大量生産品の軽さがあり、本物 (職人の手作り )が欲しかった。現地のように屋根に載せたかったが家内が反対したので玄関に置いてある。

私が最初に沖縄を訪れた時は未だ王宮?は再建されていなかった。観光バスのコースには当然戦跡も含まれていたが、海軍司令部跡は入っていなかった (今は知らない)。仕方なくタクシーを捕まえたが、運転手は私の沖縄訪問の目的が観光だけでないと察し、自分の戦争体験を語ってくれた。二度目の沖縄訪問 時 (レンターカー利用 )には平和の礎や万国津梁館も観光スポットになっていた。

沖縄と本土の関係が難しい局面を迎えている。日本唯一の地上戦の惨禍、本土だけの27年早い独立回復、減るどころか増加した本土と沖縄の基地格差とくれば本土への不満が激化しても不思議ではない。私は沖縄独立論が勢いを増しても驚かない。かつては国家からの分離独立は重罪だったが、最近のスコットランドの住民投票が示すように先進国では事情は変わりつつある 。そして我が国は間違いなく先進国である。

しかし地上戦も独立の27年の遅れも基地格差も本土政府の罪のように描く一部のマスコミの論調 (沖縄のそれも )が 全て正しいとは思わない。米国が南九州ではなく沖縄に上陸したのは米軍の都合だったし本土の独立先行が沖縄の日本復帰に有利となった面もあろう。米軍基地の沖縄偏在を是正するため負担を引き受けようと言う本土の自治体首長が居ないのは本土の人間としても情けない限りだが、普天間基地を抱えて苦しむ宜野湾市と基地移転を拒む名護市の関係は似ていないでもない (基地の危険と騒音に苦しむ人の数は移転により激減するだろう )。

戦後米国が沖縄を日本から切り離すつもりであったことは米国人関係者が認めている。佐藤栄作首相の「沖縄返還がない限り日本の戦後は終わらない」との発言は今から見れば当然でも、当時はそれなりの決意の表明であった。学生時代から沖縄への関心を持ち続けた小淵首相がサミット会場に沖縄を選んだ心情は評価されて良いし、橋本首相としては普天間基地の返還に努力を傾けたと思う。当時私を含めて多くの本土の人間は基地移転の報にホッとした思いだったと思う。

私自身は沖縄が分離独立を求めてもそれが県民の意志ならば反対しない。経済的自立の可能性は高まってきたようだ。しかしそれが賢明な判断だとは思わない。中国が過去に朝貢国だった沖縄を対等な相手と見なすとは思えないし、「太平洋は米中二国を容れるに十分なほど広い」と公言する中国指導者が、西太平洋への進出のルートにある沖縄の独立をどこまで尊重するかは疑問である。沖縄と本土の対立を煽っているとしか思えない一部のマスコミの論調は本当に沖縄の利益を第一に考えているのだろうか。

2015年6月21日日曜日

野良猫との正義の闘争

世の中には犬派と猫派がいるらしい。好き嫌いに理由など必要ないが、一方は主人への犬の忠誠心に惹かれ、他方は猫の人に媚びない自尊心に惹かれるとか。私は単純により可愛いから犬派だが、子供の頃子猫を自宅に短期間預かったことがあり、猫の可愛さも知らぬではない。また犬といってもこの頃の猫と見紛う犬は好きになれない。この頃外国で日本犬の人気が高まっていると聞き、我が意を得たりと感じる。

この一年あまり一匹の野良猫が庭を我が物顔に出入りし、埋めた台所ゴミを夜中に掘り返す。シッと口で言ったぐらいでは歩調を早めもしないが、私が庭に出れば脱兎のごとく逃げる。ところが、二ヶ月ほど前家内が、庭のアジサイの陰にいた猫が逃げるどころか威嚇するそぶりを示し、生まれて間もない子猫が傍らにいるのに気づいた。母親の愛は偉大だと言うべきなのだが、狭い庭に複数の野良猫は御免こうむりたい。相手は飼育場所を勝手に変えるので私も気づかず傍を通って威嚇されたが、棒切れも持っていなかったので手が出せなかった。

昨日やはり突然威嚇された時には手の届くところに拳大のコンクリート片があったのでそれを投げつけた。3米ほどの距離だったが昔草野球で鍛えたコントロールは確かで、一発目が親猫に命中すると子猫が逃走した。しかし親猫は相変わらず威嚇をやめないので二発目、三発目を投げた。三発目でようやく親猫は逃げた。どれも相手に当たったので肋骨ぐらい折れてもおかしくなかったのだが。短期間に人間を侮るようになっていた。

我が領土領空を侵犯されて不愉快なのは国も人も同じ。庭に居つかれないためには大人気ないと思われようとやむを得なかった。しかし、何より野良猫ごときが人間に刃向かうのが許せなかったのかも。私の行為は動物虐待に当たるのか?

2015年6月19日金曜日

「いい戦争はない」 しかし...........。

もう再生の仕方を忘れかけているVHS方式で録画したドキュメンタリー番組に、1982年のフォークランド戦争を扱った英国のグラナダテレビ制作の「勝利の代償」がある。英国とアルゼンチンの間のフォークランド諸島の帰属をめぐる戦争は英国の勝利に終わり、英艦隊の帰国を軍港で迎える人びとの熱狂はこれが日ごろ冷静な英国人かと思わせた。第二次大戦後、旧植民地の強権的政権の時に身勝手な要求に、反植民地主義の世界的趨勢の故にたびたび譲歩させられて来た怨念が爆発したのだろう。フォークランド諸島は過去に両国間に帰属争いがあったとはいえ150年来の英領で、僅かな住民も英国系だった。

そんな中でもこの番組は英国の「正義」にあえて疑問は呈さないとはいえ、両国の兵士たちの苦難、夫を戦死させた英国人妻の悲しみを「勝利の代償」として正面から取りあげ、まだ勝利の熱狂が残って居たであろう英国のメディアの水準の高さを示して居た。私は一再ならず演習の一回分をこの録画の再生に当てた。  

作家の瀬戸内寂聴氏が新安保法案への反対集会で「戦争にいい戦争など絶対にない」と訴え、それが某新聞の記事の見出しとなった。確かに「いい戦争」などない。しかし止むを得ない戦争はある。国連憲章で国家の自衛権が認められているのはそのためだろう (たとえ自衛が口実として利用されることが多いとしても )。前大戦でナチスドイツ軍と闘った米国や英國や旧ソ連の兵士たちは無駄死にしたのだろうか。私はそうは思わない。

私は芸術家と宗教者の政治批判は用心して聞くことにしている。むろん立派な発言が多い。しかしときに溜息をつきたくなる発言もある。彼らは相対的な正義や真理に満足せず、「絶対の探求」をしたがる。しかし政治は相対的価値の世界である。政治学でよく聞く言葉に「政治はより小さな悪 (lesser evil)の選択」がある。政治家は問題を善と悪、正義と不正義の対立として描きたがるが、本当にそうであることは少ない。とくに誰にも反対しづらい「正論」には用心したい。領土紛争はその最たるものであり、その時我が国のメディアが「世論」に抗する覚悟があるかどうか (私は芸術家でも宗教者でもないので「絶対にない」とは言わない!)。

2015年6月17日水曜日

18歳選挙権を歓迎。

今日の参院の議決で選挙権年齢が18歳に引き下げられることが決まった。私自身は大賛成だが、積極的反対ではなくとも賛成留保といった意見は結構少なくないようだ。

賛成留保の理由は一つではないのだろうが、18歳の男女に果たして正しい政治判断が可能かとの疑問が小さくないようだ。確かに成熟した政治的判断は一定の教育訓練や人生経験を必要とするだろう。しかし逆に、社会の利害関係に縛られた大人には正しい判断が出来ない場合もあろう。経験には一定の年数も必要だろうが訓練は学校教育で可能なはずである。何より高齢者ばかりに顔を向けた政治への多少の是正にはなるだろう。  

わが国でも政治を取り上げる学校教育が無い訳ではないのだが先進諸国の例を仄聞する限り日本は少ないようだ。その理由は日頃政治色を鮮明にしたがらない国民性が大きいことは間違いないだろうが、自民党長期政権時代に日教組の影響を嫌った政府与党が学校での政治教育に警戒的だったことがあるだろう。

私自身は地方 ( 日教組の影響力も小さかった?)で戦後すぐ中高生時代を過ごしたので直接そうしたことを感じたことはなかった。しかし私より6歳年下の日本現代史家の保阪正康氏は小学校で連れて行かれた映画館で見た米国の記録映画で、日本の特攻機が次々と撃ち落とされると教師たちが拍手するのを見た。氏は「そうした記憶はトラウマのように頭に残っている」と書いている ( 『あの戦争は何だったのか』新潮新書 )。教師たちが拍手した理由は当時の日本がファシズム陣営に属したというのであろう。理屈は分かるが、何とイデオロギー優先で人間性を欠いた見方であろうか。同氏と共に「こういうことが平和教育だったのだ」と言いたくもなる。

保坂氏はいわゆる東京裁判批判派 (歴史見直し派 )ではない。しかし当時の自民党の日教組の「偏向教育」批判が必ずしも見当外れでないことは氏の回想からうかがわれる。独善的なナショナリズムは御免だが、他国のナショナリズムへの追随も願い下げにしたい。

PS.  日本が占領していたベトナムで百万人の餓死者が出たとの説を紹介したが、ベトナム共産党の挙げた数字は二百万人、他の説では四十万人という ( 中公新書  『物語  ヴェトナム現代史』)。おそらく後者に近いのだろう ( こうした場合の通例 )。原因は米軍による鉄道破壊と海上封鎖で南部の米を北部に輸送出来なかったためとか。しかし日本によりベトナムが戦争に巻き込まれた以上、日本の責任も否定できない。今ひとつ、スイスのルツェルンに3万人分の核戦争に備えた地下壕があると書いたが、核シェルターが正しく、その場合は放射能対策のある地下室も含まれるかもしれない。それにしても用心を怠らない国ではある。

2015年6月15日月曜日

運転免許証の更新

今日運転免許証を更新した。十日前、速度違反 (70キロ制限の有料道路で21キロオーバー ) で捕まったとき、これ迄の免許証がゴールド免許 (5年間無違反者に与えられる ) だったことに初めて気付いた (計8年間無違反だったことになる )。これでゴールド免許ともお別れかと思ったが、違反点数 が少ないためか( 2点 )、先方の手続き遅れのためか、またゴールド免許証がもらえた。それにしても70キロ速度制限は警察の罰金目当ての数値と言いたくなる良い道路。神奈川県警は大阪府警に次いで職員の不詳事件の絶えない県警だと心中で毒づいたが、後の祭りだった。

3日前には高齢者教習も受けた。認知度テストの一つは16種の絵をどれだけ記憶しているかを調べるのだが、最初はどうしても10種しか思い出せず慌てた。2枚目は同じ絵を動物、植物、昆虫 (動物ではないのか!)楽器、家具、大工道具、家電製品などとヒントが与えられて再回答するテストなので何とか全部思い出せた (他の7人の成績は不明 )。成績不良でも不合格はないので気楽な筈だがそうでもなかった。運転実技も気楽な筈だったが、日頃バックモニター頼りで後退時に背後を振り返る習慣を全く失っていたので勝手が違い不安だった。

私の若い頃は希望者が多かったせいか教習所の男子指導員の横柄な態度 ( とくに同性に対し ) は有名だった。それで一計を案じ、家内に国内で免許を取得させ私は英国で取得した ( 同国では助手席に免許保持者がいれば仮免マークがもらえ幾らでも練習できる )。英国の教習所は敷地を持たず路上教習だけ。日本で運転していた友人が一回目は不合格だったので試験は特別やさしくはなかったが、実技試験だけで法規や構造のペーパーテストは無かった。現在は知らないが当時は写真も貼ってないチャチな免許証だつたので、同性なら ( 同姓ではない )他人が使っても見分けできなかったろう。

 帰国して日本の免許に転換したとき、日英の車両区分の違いに係員が困惑していた。私が強く主張すれば大型免許も取得できたかもしれなかったが、その時はとにかく外国の免許を日本でも認めて欲しい一心で、普通免許で結構ですと言ってしまった。何事にも遠慮坊でいつも損している!!




2015年6月13日土曜日

商人道は時代遅れなのか

昨夜、スイカの特産地の初売りで一個35万円!で落札されたとテレビが報じていた。以前、新年の築地市場の初売りでクロマグロが目の回りそうな値段で落札されていた。落札者が自分で食するためにスイカを買ったとは到底思えない。マグロもスイカも料亭やチェーン店で客に提供するのだろう。メディアで話題になればもとは取れるのだろう。だからと言って疑問は残る。

以前、米国の有名スポーツ選手の途方もない金額にこのブログで言及したことがある。それでも、球場の観客の増加や関連グッズの売り上げ上昇などがオーナーの狙いだとしても、有名選手には余人にない技術があり、それを見る満足感があるが、初売りのスイカと翌日のスイカにどれほどの味の違いがあるというのだろう。需要があるのだから問題視する方がおかしいのか。

しばらく前、サンデル・ハーバード大学教授が北京大学での白熱授業で、災害などで?ホテルが需要に応じられないとき十倍の室料を要求することは許されるかと問うと学生の八割が「市場経済なのだから」問題無しとの意見だったので驚いた。商売といえども信用を重んずる日本では非難されるだろう。今の中国社会は善悪は別として日本よりも「資本主義的」なようだ!

法律に触れない限り力あるものは何をしても良いと考えるのが米国流 ( そして現在の中国流 ) なのか。それが社会のあるべき姿とは私にはとても思えないが。それが経済成長の原動力になるとしても、また共産主義の利他主義的人間観が多分に人間性への誤解に基づいていたとしても ( たかがスイカの値段に何を大袈裟な?! )。

2015年6月6日土曜日

米国人学者187人の声明

米国のアジア研究者187人が慰安婦問題を含む「歴史認識」問題で先月「日本の歴史家を支持する声明」を出した 。全員でメールをやりとりして文章を作成したとのことで、なるほど良く練られた文章であるし、韓国や中国の主張の味方をして日本を批判するといった低次元の声明でないことは明らかである。声明で中国や韓国の「民族主義的な暴言」と指摘しているので私自身驚いた。メディアの邦訳の妥当性を一瞬疑ったが、考えてみれば邦語文を書いたのも彼ら自身なので文字通りにとるべきだろう。

しかし、声明作成の中心人物の一人キャロル・グラック・コロンビア大学教授の「史実は動かない   
  慰安婦への視点 現在の価値観で」とのインタビュー記事 ( 『朝日』6月5日 )には失望させられた。教授は慰安婦問題を「当時は問題がなかったとしても、現在の価値観に照らすと許容できない行為だったのは間違いない」と語っている。確かにE.H. カーの有名な「過去と現在の対話」との指摘 (『歴史とは何か』1962年 )のように、歴史は現在の視点から絶えず見直されるべきものであるし、事実そうして発展してきた。しかしその事と、過去を現在の価値観や道徳水準で裁断することとは全く別であり、後者は歴史家なら極力避けなければならない「非歴史的」で傲慢な行為である。

同氏は他にもナチスによるホロコーストに関して「重要なのは人数ではない」と 発言 ( 慰安婦問題を念頭に置いて?) しているが、ユダヤ人の迫害や虐殺はほとんど歴史とともに古いのであり、数百万人と言われる犠牲者が無ければナチスのホロコーストがこれだけ問題視されるはずがない。南京虐殺の犠牲者が数百人だったら歴史的事件となって居ただろうか。

また同氏は「価値観は時間を経て変化しますが、事実は変わりません」と語るが、カーが『歴史とは何か』で強調しているのは「歴史的事実」は不変なものではなく、それを見る時代の価値観によって無数の事実の中から選ばれてきたものだということである。歴史家ならその自覚を失ってはならないはずである。せめてカーぐらいはわきまえて発言してもらいたいものである。

2015年5月31日日曜日

不思議な国ベトナム

ベトナム戦争当時、「ベトナムに平和を!  市民連合 」(通称 ベ平連 )を作家の小田実らと結成し事務局長をつとめた吉川勇一氏が亡くなった。当時米国に支援された南ベトナム政権と闘う「南ベトナム解放戦線」を支持する声はわが国でも広汎だった。とくに米空軍による「北爆」に対しては日本でも多くの団体が反対声明を出した。私も創立メンバーの一人 (名目的だが )だった小団体も反対声明を出すことになったが、私は署名を断った。解放戦線の実体に疑問を禁じ得なかったからである。

1975年の南ベトナム「解放」後、解放戦線は急速に表舞台から姿を消し、戦争の真の目的は「民族統一」ではなく北ベトナムによる南の「社会主義化」だったことが明らかとなった。そしてそれに同調出来ない多数の南ベトナム人が「ボートピープル」となって南シナ海を漂流した。旧ベ平連の幹部たちはそうした事態に何の反応も示さなかった。組織としては解散していただろうが、個人としてでも反対を表明すればその知名度から新聞はともかく、事あれかしの週刊誌がほって置かなかっただろう。

中国の南シナ海進出に対してベトナムが米国とともに反対している。ベトナム戦争当時とは対立の構図は正反対となった。たまたま両国の利害が一致したこともあろうが、それだけではあるまい。統一後のベトナム政権は嘗てあれほど血を流して闘った米国ともフランスともその過去をことさらに問題化しない。よほど誇りの高い民族なのだろう。他人事ではなく日本も第二次大戦中のベトナム占領時代、米の大生産国の同国で大飢饉で多数の (百万人以上とも聞いた )住民の死者を出したが、同国が日本の責任を追求して非難したとは聞かない。

私は中国に対抗して我が国がベトナムと手を組むべしとは思わないが、同国への敬意は人並み以上に持っている。たとえ共産党の一党独裁の同国の現在の腐敗はかなりのものであり、「この国で、統一の時期や方法が正しかったのか、という議論がなされることはない」(中野亜里  大東文化大教授。『朝日』5月30日 )としても。

2015年5月25日月曜日

日本人好みの幕末の人物

朝日新聞の土曜特別ページbeの今回のランキングは「あなたの好きな幕末の人物」20人だった。

1位はやはり坂本龍馬だったが断トツではなかった。多士済々の時期だから止むを得ない。近年、龍馬は薩摩藩が利用した使い走り役だったとの説があった。全くの誤りではないのだろうが、藩の後ろ盾を持たない浪人として影響力に限度があったろうし、薩長同盟の誓詞に裏書きをしているなら矢張り大活躍したとするべきだろう。
2位の勝海舟は私には多少意外だった。幕末の貴重な人材だったことは疑いないが。江戸っ子らしい洒脱さも人気の理由かもしれない。
3位は西郷隆盛で、同志だった大久保利通の17位とは功績からすれば不釣り合いだが、人気とはそういうものなのか。二人とも使命のためには自分の生命など意に介さなかったのは立派であり、大久保は死後は借金しかなかったほど清廉だったという。しかし私は両者は他人の生命も意に介していなかったとの印象を禁じ得ない。4位の高杉晋作は痛快といえばこれほど痛快に短い人生を燃焼させた人も稀だろう。人気があるのも頷ける。ただ、「長州人の狂気」の後世への影響はプラス面ばかりではないと感ずる。
佐幕派から新撰組の土方歳三と沖田総司がそれぞれ6位と8位とに選ばれているのは、生き方のカッコ良さが受けるのだろう。土方を演じた俳優は少なくないが、私にはテレビドラマ「燃えよ剣」で見た栗塚旭が土方役者としては最高だった。
土方と沖田に挟まれる7位に吉田松陰が入っているのはテレビの影響か。彼のテロ肯定には私などついていけないが。
女性が篤姫 (9位 )と皇女和宮 (20位 )しか選ばれていないのは男性優位の時代の反映なのか。それとも未だ活躍の掘り起こしが進んでいないためか。

全体として納得のゆく選定と感ずるが、島津斉彬 (13位 )はもっと上位にきて良い人物だろう。今の時代はテレビドラマの主人公に選ばれないとベストテンに入れないのか!  それとも演ずる役者が好かれなかったからか (確か高橋英樹が演じたことがあったが、彼も年齢が年齢だし.........)。

2015年5月23日土曜日

米国の干渉は御免である

今朝の新聞は米国が「プーチン氏訪日 (を )危惧」しているとして「日本の対露外交に不信感」との見出しをつけている。それに対し小見出しで菅官房長官がロシアとの「政治対話継続」に対し「米に理解を求める」とある。

実は一部の新聞 (「読売」と「日経」)に安倍首相訪米時のオバマ大統領との会談で首相がロシアとの外交交渉再開 (プーチンの訪日を含むだろう)の意向を明らかにし、大統領が「慎重さ」を求めたと報道されていた。今回、国務省の役人が相次いで圧力をかけてきたのである。不愉快である。

西側諸国では既にメルケル独首相がロシアの戦争終結70周年行事の翌日同国を訪問しているのに、日本は岸田外相も訪露していない。米国はドイツにも慎重さを求めただろうか。それともメルケルがそれを無視して訪露したのだろうか。ドイツは前大戦でロシアに多大な被害を与えたから訪露もかまわないと言うなら日本はロシアとの間で平和条約をまだ締結していない。わが国はプーチン訪日を早期に実現すべきである。

日米同盟は日本だけがその恩恵を受けているのではない。まして日露の友好は中国への牽制効果という点で米国の利益でもある。安倍首相は対米配慮のあまり対露交渉を断念すべきではない。

米国が日米同盟の利益を捨ててまで日米関係を悪化させる可能性は少ないと私は考えるが、何事にも干渉したがる国柄ゆえその可能性はある。しかし、「G7の結束」はすでにアジア投資銀行へのヨーロッパ諸国や韓国の加盟で破られている。その件で唯一米国と同一歩調をとってきた我が国が結束を求められても従う義務はない。我が国の自主性を守るためなら尖閣列島を中国に奪われる危険を冒すのも、防衛費のGDP1%枠を放棄するのも止むを得ない。考え直すべきなのは日本ではなく米国である。

2015年5月22日金曜日

白鵬の「誤審発言」問題

今年の一月場所で白鵬と稀勢の里の相撲が物言い後とり直しとなり、白鵬が「子供でもわかる」誤審だと発言して問題視されたことは覚えておられよう。昨日の白鵬と豪栄道の取組も多少微妙だった。

結論から言えば、私は一月場所の稀勢の里戦のとり直しは不当だとは思わないが、昨日の白鵬が負けとの行司判定は物言いがついても良かったと思う。どちらのケースも勢いは圧倒的に白鵬の側にあったので彼は前者のとり直しが不満だったのだろう。観客から「もう一度コール」が起こったのも不満に火を注いだのだろう。しかし、比較にもならないが私自身遊び仲間と相撲を取り合った頃、一瞬でも先に足以外の体の何処かが地面につけば負けと信じていた。国技館相撲では勢いも考慮されると聞くが、やはり写真判定のできる体位をより重視すべきだろう。その点で一月場所でのとり直しは不当ではなかったと思うし、少なくとも「子供でも分かる」は言い過ぎだった。

他方、昨日の勝敗も微妙だったが、新聞二紙は白鵬の腕が先についたと言っているのでそうかも知れない。しかし白鵬は物言いを期待してしばらく立っていたというし、その後報道陣に無言を通したという。判定に不満だったのだろう。私は昨日は物言いがついてもおかしくなかったと思う。行司は即座にどちらかに軍配を挙げなければならない苦しい立場だが、審判役はゆっくり写真を見て判定できる立場であり、その結果は白鵬も納得せざるを得なかっただろう。

むかし大鵬が物言い再試合での誤審で45連勝がストップとなったとき、横綱が物言いを付けられる相撲を取ったのが悪いと答えたと一月にも回想された。双葉山の69連勝の記録を破るかと思われた時期だったので大鵬の態度の立派さが際立った。しかし、後年ある記者が本心から自分が悪いと思ったのかと聞いたら、そう思わなければいけないと思ったと答えたという。納得は行かなくとも不満を懸命に押し殺していたということだろう。やはり彼は心技兼ね備えた大横綱だった。白鵬には今からでも大鵬を見習って欲しい。大鵬の偉大さと人気は強さだけが理由ではなかったと銘記して欲しい。白鵬には未だそうなる時間があるはず。

2015年5月20日水曜日

またまた訂正

先ほどのブログのブラバントはトラバント (愛称トラビ )の誤り。私は古臭い箱型の同車が大好き。前々回の「二人の女性教授」の一人は若い女性フォトグラファーの誤り。5月3日のブログでウイリアム王子が自分で愛車を運転していたと書いたが、チャールズ皇太子も自分で運転していた。どちらも警護車らしい車が追尾していた。日本なら警護車が先導するだろうしその方が安全だが、それでは運転は楽しくないだろう。どちらが人間的か!?

冷戦末期の東欧

昨夜偶然チャンネルを回したNHK BSプレミアムで「世界街歩き」の東ベルリン篇を見た。アレグザンダー広場でのソーセージの立ち売り男 (一人で食材もガスタンクも全て 25キロを身につけて売り歩く )や書物の木 (太い並木に本を入れた窪みが幾つかうがってある 。言わば街角の無料図書館 )などを見ていたら、家内がこの番組見た事があるのではと言い出した。この頃のNHKは複数回放映が多い。しかし、民放もBS放送で矢鱈に旅行や名所紹介番組が多く、それらを見ていた可能性もある。結局、判然としないまま番組は終わった。

30年ほど前、東欧共産圏諸国をめぐるツアーに参加した。東ドイツ航空のチャーター機利用だったので (スチュワーデスたちを見た途端、その体格にここはドイツだと感じた!)往復とも東ベルリンのシェーネフェルト空港利用だった。ベルリンの壁やブランデンブルグ門や美術館などを案内された。昨夜見たベルリンの壁には強烈な色彩の絵がいっぱいに描かれていたが、当時は少なくとも壁の東独側にはそれはなく、西ベルリンはブランデンブルグ門から遠望しただけ。街を走る車の大部分は色とりどりの小型車ブラバント。大柄なドイツ人が後席に収まるか疑問の車でも当時入手するのに十年の貯金が必要だったとのことで、今回インタビューされた婦人は展示車を見て懐かしいと言ったが、本心なのかユーモアなのかはわからなかった。

東欧共産圏諸国は、その政治はともかく他の面では西側の影響を受け始めていた。ブタペストで泊まった最新の?「アトリウム・ハイアット・ホテル」の駐車場にスーパーカーが並んでいたので驚いたが、ハンガリー初のF 1グランプリレース開催とかち合ったためだった。共産圏諸国と一括りされていたが国境の出入国検査は厳しく、相互関係は必ずしも友好的ではないとの印象だった。

なにしろ大手旅行社はまだ東欧旅行を手がけていない頃だったので、現地で他の日本人グループと会うことも全く無く、ポーランドからチェコスロバキアへの夜行列車は寝台車の手配漏れで普通車の座席で苦しかった。それでも、アウシュビッツ収容所を訪れるので参加したという若者も居て、最近のツアーより雰囲気は良かった。何よりヨーロッパの歴史にどっぷり漬かった旅ではあった。

2015年5月17日日曜日

日本的な、あまりに日本的な?

日曜午前のTBSの「サンデーモーニング」(司会 関口宏 )は前週のニュースの総括番組なのでよく見ていたが、最近は野党的見解の仲間を集めた自己満足的番組のきらいがあって (たまに出席する大宅映子氏は別 ) 、見たり見なかったりだった。今朝は安保法制がテーマだったからか森山敏元防衛大臣が出席したが、番組の雰囲気はたった一人の出席者の変更で一変していた。

森本氏は野田内閣の防衛相だったが、今朝は新安保法制の説明 (と弁護 )に徹していた。ところが、日頃は野党的見解を述べる二人の女性大学教授も法案の慎重審議は求めたが、正面からの批判は避けていると私は感じた。森本氏も時には安倍首相の弁護に窮したのか、あやふやとも取れる弁解をしていたので批判を展開する好機もあったのに論争に発展しなかった。下手に批判をして森本氏に本気で反論されたら恥をかくと警戒したともとれる。

しかし、論争にならなかった一番の理由はとっぴかもしれないが「和をもって貴しとなす」との日本的心性 (その場の雰囲気を壊さない )が勝ったからではなかろうか。フランスのテレビ討論番組を見たことがあるが日本とは全く違った雰囲気で、いかに自分の発言時間を確保するかの壮絶な競争だった。ともあれ日頃の楽しい語らいの雰囲気ではニコニコしている司会の関口宏が終始渋面を崩さなかったのが印象的だった。

今朝の森本氏の番組出席が政府自民党の意向を忖度したテレビ局の配慮だった可能性もあったのではないか?  何の根拠もないし、森本氏が新法制の説明の適任者で無いとは誰もいうまいが........。

2015年5月15日金曜日

新安保法制 一つの捉え方

安倍内閣が新安保法制を閣議決定し、今朝の新聞各紙が大きく取り上げている。賛否何れにせよ今回の安保諸法案が一つの転機であること、これにより自衛隊が海外の紛争に巻き込まれる可能性が増大したことは否定できない。「戦争法案」との評価は極端だが、首相の「そのようなことは絶対にあり得ない」との発言も正しくない。自衛隊員の家族が不安を感じているとしても自然である。

しかし、今回の諸法案がそのまま成立したと仮定して、わが国は同じ敗戦国のドイツやイタリアが半世紀前に選んだ道に一歩踏み出したと解すべきだろう (両国はアフガニスタンに派兵までして犠牲者を出している )。両国にはNATOという制約がある (だから過ちを犯す危険はない )とテレビでドイツ人が語っていたが、NATOはロシアにとっては脅威であり、セルビアにとっては爆撃を繰り返す敵だった。

日本が米国と同盟、それも基地提供の代わりに守ってもらうという「片務的」同盟を結んで来た以上、民主党政権が続いていても同盟強化の要求を拒みきれなかっただろう。国会での慎重審議は当然望まれるが、単に法案成立を阻止する口実と化しても困る。1960年代中ごろ英国労働党政権がロンドンの第三空港の候補地としてスタンステッドを選んだら、保守党が審議審議なしには認めないとした。野党になると保守党も日本社会党と同じだと思った。

南スーダン派遣の韓国軍が弾薬不足を懸念して現地の自衛隊に弾薬補給を要請し、自衛隊隊長がこれに応じた。現在の法制では彼は法規違反の責任を問われる可能性があった。それでも500人?の韓国兵が弾薬尽きて虐殺される危険を黙視出来なかったこの隊長を私は立派だと思った。韓国の政府も国民も感謝しなかったが。

スイスのルツェルンは世界的観光都市だが、原爆攻撃に備えて3万人収容可能の地下壕を備えているという (現在の市の人口は8万人。建設当時はもっと少ない?)。永世中立国で仮装敵国もない (考えられない )スイスが国民の安全のためそれだけの準備をしている。他国との同盟のため紛争や戦争に巻き込まれたくなければスイスのようにハリネズミのような防備が必要となろう。私はそれもありと考えるが..........。

2015年5月14日木曜日

教育格差の原因

最近、奨学金貸与の枠が狭いため奨学金頼みの学生の要望に応えられていないとの新聞記事が目についた。それは事実として、そこから敷衍して親の所得格差が教育格差を生んでいるとの論旨には必ずしも納得できなかった。『中央公論』6月号で大阪大学教授が所得格差よりも親の学歴格差が教育機会の不平等を生んでいるとの調査結果を発表しており、納得できた。

高等教育を受けた父親の職業はふつうサラリーマンだろう。そして家業のないサラリーマンには子どもに自分と少なくとも同程度の教育を受けさせるしか子どものために出来ることは無い。それに対し第一次産業従事者や小売業者には是非とも子弟に高等教育を受けさせる必要は大きくない。むしろ子どもの教育水準を高めるほど家業を継いでもらえなくなるし、子どもは親と同居せず大都会に職を得ることになろう。そして人口の都市集中、地方の過疎化を加速させる。個人的にも国家としてもそれが理想とも言い切れない。

しかし、第一次産業が細り、製造業さらにはサービス産業の比重が増大している現在、別の問題も生じている。ヨーロッパ諸国の失業率とくに若者のそれは日本の失業率よりずっと高い。半世紀前にはヨーロッパ諸国の大学の数は日本よりはるかに少なく、学生数も同様だったが、いつの間にか学生の比率は少なくとも逆転したようだ。その結果、増大した大学卒業者は生産現場を嫌い失業しているのに移民労働者は増加し穴を埋める。それでも移民がキリスト教文化圏の出身者だったうちは文化摩擦は少なかったが、他宗教とくにイスラム教徒であれば事情は全く異なる。

国民の教育水準の向上が望ましいことは一般論として正しいが、誰もが上級の学校に進むのがあるべき姿とまで言えるかには疑問が残る。やはり意志と能力を備えた者に限れば現在のわが国の上級学校進学率が妥当なところかもしれない。そうであれば奨学金の量的拡大より質的向上に努めるべきだろう。

2015年5月13日水曜日

私の「みなかみ紀行」

旧聞になるが、ゴールデンウィーク後半の帰京の車列の渋滞を横目に見ながら水上温泉に出かけた。

若山牧水は関東北部の温泉の旅を愛し、「みなかみ紀行」を著した。私は同書を読んでいないが、牧水の真似をしたくてこれ迄上州の温度を何箇所か訪ねた。しかし、水上温泉は高級ホテルから低額の旅館まである大きな温泉地。前者は身分不相応!だし、後者は気が進まず、これ迄訪問を避けてきた。しかし、以前にこのブログでも記したように、長妻議員のおかげで僅か十一ヶ月の公立校教員の勤務記録が蘇生した。年金額の増加は言うに足らないものだったが、公立共済組合の保養所に大手を振って?泊まれることになり (こちらの方が余程有難い )、今回も谷川連峰をのぞむ部屋に泊まり、再度八重桜や奥地の山桜を目にすることができた。

帰路に藤の大木で最近評判を呼んでいる「足利フラワーパーク」に立ち寄った。連休を一日外れても相当の人出だったが、藤の花だけでなく石楠花をはじめこれでもかと言わんばかりに様々な花が咲き誇っていた。花を売り物にしている以上当然だが、あまりに華やかなのでいささか食傷気味になり、背後の小山の新緑の中に満開の花をつけた孤高の桐の木にむしろ心を惹かれた。つむじ曲がりと言われれば一言も無いが。

日本の四季はそれぞれに美しいとはいえ、私個人はやはり春を一番に好む。私だけでなく、桜前線が一ヶ月以上をかけて列島を北上するわが国は、業平ならずとも「のどか」にしていられない人は少なくないだろう。これで天災が少なければと思うばかり。

2015年5月11日月曜日

プーチンの実像


9日のロシアの対ドイツ戦勝70周年記念式典について私の購読している新聞をはじめメディアは、西側諸国首脳の出席ボイコットや新兵器を誇示した軍事パレードについて詳しく報じている。それらの問題の重要性は疑い得ないが、他紙の記事でモスクワのパレード参加者数が50万人、ロシア全土では2000万人だったと知った。むろん政府による参加働きかけはあっただろうし、そもそもロシアは人口大国だが、もはや参加を強制できる全体主義国家ではない。西側諸国との対立激化で物価は五割も跳ね上がっているというのに。この数字は「軍事力を誇示」といった見出しで済ませて良いとは思わない。ウクライナ問題はロシア人のナショナリズムを激発させてしまったのである。

これ迄もブログに書いてきたが、西側諸国の理解がどうあれロシアから見れば、この20余年は屈辱の20余年だった。いかに弱体化したとはいえ依然原爆大国であるロシアの国益の軽視は、仮に西側にその意図が無かったとしても賢明ではなかった。5月5日まで『朝日』に11回にわたり連載された「プーチンの実像」(予定された単行本化が待たれる )は、これまで流布されたプーチン像とは大きく異なっている (同紙の10日の社説の主張とも 異なる)。彼は早くからソ連共産主義に見切りをつけ、ソ連崩壊後は任地サンクトペテルブルクに外資を率先して導入し、柔道への深い敬意で関係者を感激させたなど、当初から反西欧ではなかった。今回の式典での演説も米国の「一極支配」に反対する意図は誤りではない。どの他国による一極支配よりも米国の一極支配が望ましいとしても、一極支配よりも、米中二極支配よりも,多極支配が世界にとっても日本にとっても望ましい。

「プーチンの実像」はプーチンがもはや西側に絶望して政策変更した可能性も示唆しているが、中国と世界最長の国境線をを持つロシアが、地政学 (嫌な言葉だが )からして中国への警戒心を失うとは思えない。これ以上ロシアを中国の側に押しやって良いはずがない。



2015年5月3日日曜日

何事にも堅苦しい国 日本

ウィリアム王子とキャサリン妃に第二子が生まれ、メディアが英国民の興奮を伝えている。国王を断頭台に送り共和制になったことを誇るフランスと王室の慶事に沸く英国とは、同じように民主主義先進国と自負しても対照的である。どちらに共感するかは人それぞれだろう。しかし、両国に共通する面も見逃せない。

キャサリン妃が出産した病院に駆けつけたウィリアム王子は愛車のレンジローバー?を運転して帰った。日本では決して見ることのない光景だった。皇居内だが御用邸内だかで皇太子 (天皇 ?)がハンドルを握ったとは聞いた覚えがあるが、公道でそうした姿を見かけることはない。同じ王族なのに。

王族だけではない。以前、ジスカルデスタンがフランスの大統領だったとき、休日を中部フランスの別邸で過ごした彼がマイカーを運転してパリに帰る写真を見た覚えがある。大統領と異なり国家元首ではない日本の首相でも街なかで運転することはない。安全第一を優先する役所がそれを許さないだろう。しかし、テロの危険ならば日本より英国やフランスの方がずっと危険だろう。    

雅子妃も外交官時代はカローラを運転してパパラッチならぬ記者たちに追いかけられていた。彼女が車の運転が好きかどうかは知らないが皇太子妃の現在、街なかの運転を禁じられていることは間違いなかろう。一事が万事。彼女の病気にはそうした束縛の数々が原因となっていると私は睨んでいる。宮内庁こそが、あるいは宮内庁を臆病にさせる我が国の精神的風土こそが病気の第一原因に挙げられるべきだろう。

どの先進国と比べても安全な我が国で皇族も要人も他国に勝る束縛を強いられているのは不思議という他ない。

2015年5月1日金曜日

訂正続々!

、古い順に、4月11日、ソフィア.ローレンを故人としたのは誤り。マストロヤンニと混同。4月20日、マヌス島をインドネシアとしたのはパプアニューギニアの誤り。4月26日、「母親を山に捨てた息子」は「叔母を山に棄てた男」の誤り ( Wikipedia )。古今集の歌が先で、上記は後からつけた説話だろう。後はまた気がついたときに.........。

安倍演説の英語

米国上下両院合同会議での安倍首相の演説の英語全文ないし重要箇所の単語が新聞各紙で解説されている。演説内容もその英訳も外務省関係者を中心に練りに練ったものだろう (ジェスチャーまで?)。米国に対する過大とも言える賞賛は場所柄からある程度止むを得ないし、英訳に関しては私ごときが評価する資格はない。

ただ、「反省」をどう英訳するのか、reflectionしか思い浮かばず (竹原常太 和英小辞典もそれだけ )、気になってテレビを見ていたらremorseと聞こえた。思いもかけなかったのでもう一回別の放送にチャンネルを変えたが間違いなかった。remorseは英和辞典によれば「良心の呵責」、「自責」など、沈思の意味もあるreflectionよりずっと強い反省の言葉である (他の個所のrepentanceも同じ )。しかし、私の購読紙以外の他紙でremorseが「反省」の訳語として村山談話以来使われてきたと知った。

もう一つ、首相の好む「積極的平和主義」はactive (ないしpositive )pacifismとでも訳すと私は勝手に想像していたが、proactive contribution to peace と英訳されていると知った。proactiveとは研究社の英和大辞典でも一行しか割かれていない言葉で、私は無論のこと英語国民でも庶民は恐らく知らない単語ではないか。しかし、外務省?がpacifismの使用を避けたのは妥当だった。西欧、少なくとも英仏両国ではpacifismは否定的意味で使われることが多いからである。

第一次大戦で多大の人命の犠牲を払った両国は、ヴェルサイユ条約の厳しさへの負い目も加わり、ナチスドイツが台頭してきても平和的共存が可能だと信じがちだった。ナチスドイツがそんな生易しい相手ではないと気づいた時はもう遅く、後発のドイツの軍事力に圧倒され、米国の参戦でやっと勝利できた。それ以来、「どんな代価でも平和を peace at any price」は二度と繰り返してはならない政策となり、pacifismは少なくとも西欧の外交関係者は使わない用語となっていると思う。

米国を賞賛するのも、それとの協調を誇示するのも悪いとは言わない。しかし、安倍首相が再三、中国が提案するアジアインフラ投資銀行への疑念を語り、先日は、悪い金貸しは利用しないのが賢明と口にしたのは軽率としか言いようがない。自国が加盟するかは兎も角、無用な批判を口にすべきではない。中国のメディアは安倍演説を批判していても、中国外務省の報道官は要望はしても批判していない。礼には礼を尽くすべきである。

2015年4月29日水曜日

災害への備え

ネパール地震の被害は日を追って拡大しており痛ましい。同国の建物の大部分は私の記憶では鉄骨や鉄筋を使用しているようには見えず、大地震には弱かろう。今はカトマンズの被害の報道が中心だが、交通も通信も途絶した地方の被害が判明するのはこれからだろう。ヒマラヤ山麓のトレッキングの基地で同国第二の?都市ポカラも震源地からの距離はカトマンズと同程度。列国の支援を得て一日も早く復旧し観光客を迎えて欲しい。

天災の被害を完全に防ぐことは不可能なので、その極小化に努める以外の途はない。東北大震災以前、私は日本各地の空港は乱立ぎみと理解していたが (例えば、新幹線も東名高速道もある静岡空港 )、地震に続く津波で仙台空港が使用不能なとき山形空港や福島空港の存在は貴重だったようだ。静岡県も東海地震が予想される地域。天災大国の我が国ではそうしたことも計算に含めて経済性を考える必要があるようだ。

他方、施設とともに災害への日頃の心構えも重要である。東北大震災のとき航空自衛隊松島基地ではヘリコプターを含めて二十数機が流されたと聞く。これでは被災地救援どころではない。戦闘機や輸送機なら津波襲来までの短時間で滑走路の損傷を調べる困難もあったろうが、ヘリコプターまで失ったのは失態と呼ぶべきである。戦場は想定外の連続が珍しくないだろう。厳しいようだが基地司令の責任は検討されただろうか?

2015年4月26日日曜日

春の信濃路

高齢者がゴールデンウイークの混雑に加担するのは申し訳ないと考え? 一足先に先週、安曇野に一泊二日の旅をした。

春の松本平が美しいことは良く知っているが、それには背景の北アルプスの眺望が必須なので天候が鍵となる。好天気が二、三日は続きそうだったが (それが先週を選んだ本当の理由!)、珍しく気象庁の予報通りとなり、山肌が雪でおおわれた後立山連峰が美しかった。半世紀前、爺が岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳と続く縦走路を仲間と歩いたのは盛夏だったが、その頃は元気だったと感じ入った。

桜は染井吉野の満開と八重桜の満開とのちょうど狭間だったが、同じ八重桜でも仲間より早く咲くつむじ曲がりも結構あった。最近人気の大王わさび農場は四回目?の訪問だったが、やはり今回がベストの時季だった。午前早くだったせいか見物客は九割方中国人 (多分!)で、日本人は完全な少数派。しかし一人でも多くの中国人が雪の北アルプスと八重桜を楽しんでくれることは素晴らしいことである。二回ほど中国人ペアに声をかけてシャッターを押してあげ感謝された (はず )。

帰路は姥捨から戸倉に下り、上信越道を利用した。堀辰雄は古今集の詠み人知らずの歌「我が心慰めかねつ更科や、姨捨山に照る月を見て」(母親を山に棄てた息子の悔悟の歌とか。大和物語 )をこじつけて、この地に赴任した国司の妻 (菅原孝標女 )が都を恋うる望郷の歌としたが (『姥捨』 『更科日記』)、その気持ちは分かる気がする。ともあれ、数時間で帰宅した私には悲しいかな特別の感慨の歌は思い浮かばなかった。高速道が悪いのか!

2015年4月20日月曜日

プレミアムな時代

「プレミアムな時代」という言葉がある。BSジャパンの同名の特集番組 (2014.11.22)あたりが元祖なのだろう。要は「並み」より少し高級なもの (ワンランク上!)を求める時代ということだろう。ともかく、その辺りからプレミアム製品の流行が始まったようで、それはそれで良いのだが、プレボス (プレミアム・ボスコーヒー?)のように一読して分からない短縮形も出てくる。さらに食品だけでなく広範な商品やサービスにまで拡大するだろう。

自分の金でより高級なものを求めるのは個人の自由に違いない。ブランド品志向も同様である。しかしバブル景気の前後、パリのブランド品店に日本人旅行者の行列ができ、店員は軽蔑したようなぞんざいな対応だったとの記事を読み情けなかった。同胞にあまり恥ずかしいことをしてくれるなと願うのは余計なお節介なのか。

第二次大戦中のインドネシア方面軍の司令官で戦後戦犯に問われた今村均大将は、日本で十年の刑期を果たすよりも部下たちが刑期を果たしている悪条件のマヌス島 (インドネシア ) での受刑を希望して同地に赴いたことで知られる数少ない昭和期の良心的な将軍だった。彼は若い頃駐在武官として? 英国に滞在したが、帰国の列車が動き出したとき、滞在中の自分の振る舞いが日本の名誉を傷つけることなく終了したことに安堵の涙を流した。彼の場合、英国でも多分軍服を着用していたので滞在中の緊張は人一倍だったのだろうが、戦後の1960年代でも、心の片隅にでも自分のかく恥は日本の恥だとの感覚でいた留学生はいたと思う。

プレミアムの時代、外国に赴かなくともブランド品は自由に入手できるようになった。海外でブランド品店に行列する日本人はもう居ないと思いたい。

2015年4月18日土曜日

報道ステーションの「内ゲバ」

自民党がNHKの「クローズアップ現代」のやらせ問題とテレビ朝日の報道ステーションでの元官僚の古賀茂明氏の官邸批判を理由に両局幹部から「事情聴取」したと報道されている。推測だが、政府与党にとって問題なのは後者で、NHKのやらせ問題は「付けたり」ないし「隠れ蓑」なのではないか。「やらせ」が小さい問題だとは言わないが、定義次第では民放局では稀ではないと感ずる。

私は報道ステーションをたまにしか見ないが、問題の場面を偶然目にしていて驚いた。ただ私が驚いたのは古賀氏と、その発言 ( 自分の番組下ろしが官邸の意向を忖度したテレビ局幹部の圧力によるとの ) を否定する古舘キャスターとの思いがけない「内ゲバ」に対してであって、政府与党に対する古賀氏の発言内容ではなかった。

私は古賀氏が自己の信念に忠実な人であることに日頃感心する一方、その主張がときに極端に走りがちであるとも感じていた。しかし今回に限って言えば氏の主張には一定の根拠があると感ずるので、それを否定するキャスターの発言には疑問を持った。舞台裏で古舘氏が古賀氏に「あなたを守り切れなくて申し訳ない」と謝っていたならば、キャスターの表の発言は視聴者への裏切りであろう。古賀氏がキャスターとの裏のやりとりを密かに録音していたというのにも驚いたが、自分が嘘つき呼ばわりされるのは耐えられないと氏が考えたのは同感できる。氏の発言には疑問の余地はない。週刊誌によれば古舘氏のプロダクションに30億円 ( 氏個人にはそのうち13億円 )がテレビ朝日から毎年支払われているとのこと。事実なら古舘氏はテレビ局への恩義を重視したのだろう。氏はその程度の人間なのであり、テレビ業界から追放される覚悟で真相を暴露した古賀氏の方がずっと立派であるとも言える。

自民党が古賀氏や報道ステーションに日頃から不満を抱いていたとしても、今回の「聴取」は大人気ないと感ぜざるを得ない。局側には「不偏不党」との放送法の規定は守って欲しいが、正しい政府批判ならば表明して当然である。もっとも、自説の主張の前に事実の公平な提示を優先して欲しいとは思うが。

2015年4月14日火曜日

粗雑な世論調査

今朝の朝日新聞のトップ記事は「被害を与えた国と「うまくいっている」 日本46%. ドイツ94% 
本誌・日独世論調査」とある。粗雑で誤解を生む記事という他ない。

既に指摘されていることだが、東京裁判ではドイツを裁いたニュルンベルク裁判と異なり、「人道に対する罪」との訴因は採用されなかった。まだ冷戦が本格化していなかった当時、米国を主とする連合国に日本に寛容になる理由は全くなかった。それに該当する大規模な事態はなかったとされたのである。

私はかねてから現代史における蛮行は 1 ) 戦場の狂気、2 )戦争の狂気、3 )イデオロギーの狂気 の三種があると指摘してきた。1 が国家の決定 ( 国策 ) によるとまでは言えない (南京虐殺など )のに対し、2 は国策に基ずく蛮行 (無差別爆撃など 。日本も重慶や広東で実施 )であり、3 は特定の人種的イデオロギーや政治的イデオロギーに基ずく蛮行である。敵対したから反抗したからとの理由ではないので子供まで対象となる ( ナチスのユダヤ人虐殺やカンボジャの自国民虐殺など )。実際に一つしかない命を奪われた被害者にとっては三種の違いは何の意味もない。しかし、国家の犯罪を問題とするなら大きな違いである。

日独の比較で言えば、南京虐殺ののち慌てた日本政府は学者を動員して中国文明が如何に優れているかを記した二冊本を日本軍に配布した (『史学雑誌』の連載コラム「歴史の風」。手元にないので日付やコラムの題名は未確認 )。そんなお堅い本が軍の末端まで配布されたとも思えないが、再発を防ぐための一定の努力があったことは認められる。他方、ナチス・ドイツでは独ソ戦開始に当たり親衛隊員たちに、この戦争は通常の戦争の枠にはまらぬ凄惨なものになるので不参加を許すとした。最後までこの通告通りだったとはとても思えないが、スラブ民族に対しては国際法も人道も無視した戦争にすることを政権幹部は自覚していたのである ( それと比較して身内への配慮の厚さ! )。

メルケル独首相はドイツが寛容な隣国を持ったことも幸運だったと語った。周恩来や毛沢東が中国の指導者だった時代には日本国民も日本帝国主義の被害者だったとされ、私などそこまで言ってもらえるのは有難いと思うとともに、国民も被害者の面だけでもなかったと面映ゆい気持ちを持った。その後、江沢民の中国は反日教育で、韓国は自国のメディアの偏向で対日関係を刺々しいものとした。朝日新聞の調査では、我が国が謝罪や償いを十分して来たかとの質問に2006年には十分が36%で不十分が51%だったのに、今回は十分が57%で不十分が24%だった。朝日新聞はこの国民意識の変化の意味をもっと深く考えるべきである。


2015年4月11日土曜日

「忘れ得ぬ往年のハリウッド女優」

今朝の朝日新聞の付録beに上記の表題のランキング記事が載っている。20位中10位以下は流石に私もそれほど関心の無い女優たちだし、5位から10位はベスト5 ( オードリー・ヘプバーン、ビビアン・リー、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、ソフィア・ローレン )とは矢張り実績や人気で見劣りがする。

断トツ1位のヘプバーン (2位の倍以上の票差 ) はむろん「ローマの休日」の人気の故だろう。妖精の語がピッタリの女優で、私が見た他作品は多くないが、「シャレード」がその音楽とともに記憶に残る。

ビビアン・リーの2位は「風と共に去りぬ」の印象が強いためだろう。私個人は「哀愁」( 原題ウォータールー・ブリッジ )の彼女の美しさに匹敵する作品はないと思う。第一次大戦で引き裂かれた男女の悲しい物語である。

バーグマンも「カサブランカ」人気が与って3位なのだろう。知的な美しさで私は断然1位に推すが、作品としては「誰がために鐘はなる」「聖メリーの鐘」などに彼女の魅力が発揮された。実生活では母国スウェーデンの医師?との理想のカップルと思われたが、突然ロセリーニ監督との不倫事件を起こした。やや幻滅したが、自分の心に忠実だったのだろうと、彼女なら許せてしまう!

モンローの映画は見たことが確かなのは「ナイアガラ」、「帰らざる河」ぐらい。演技の上手下手を論ずるのは野暮なのだろうが好感は持てたし、もっと幸福な人生を送ってもらいたかった。

ソフィア・ローレンはマルチェロ・マストロヤンニとの共演作を複数見ている筈だが、「ひまわり」の彼女しか記憶にない。好きなタイプの女優ではないが、「ひまわり」の彼女はヘンリー・マンシーニの哀切なメロディーとともに忘れられない。

考えれば5名全て故人だった。冥福を祈る。男優のランキングもぜひ報告して欲しい!

P.S. 前回のブログの「フランスより高い出生率」は「フランス人.....」の誤り。「小樽ゆかりの人たち」の「白砂の」は「白砂に」の誤りです。

2015年4月9日木曜日

フランスの非ユダヤ化

昨夜のNHKBSの「国際報道」で、フランスからのユダヤ系市民の出国が増加し年間一万人に達したという。移住先はイスラエルである。この事実は私にとって初耳ではなく、シャルリー・エブド事件のころ確かロバート・キャンベル氏が民放局で深刻な事態だと指摘していた。

ヨーロッパ各地での最近のユダヤ施設襲撃事件もきっかけとなっていようが、出国の大部分はそれ以前の決定のはず。むしろ、数百万人と言われるフランスのイスラム系住民が今後土着のフランスより高い出生率で増加すれば、いつかフランスはユダヤ系市民にとり安住の地ではなくなるとの見通しによるものだろう。イスラエル人記者がわざとユダヤ帽 (皿形の帽子キッパ )をかぶりパリの街を歩いたらイスラム系住民が多い地域で侮蔑の言葉を浴びた。また、既にイスラエルに移住したユダヤ人の父親は、自分の子供がパリの街角でイスラム系住民に出会ったときそっとキッパを脱いだのを見て、もうこの国には居られないと決心したという。

前大戦中フランスのユダヤ人はナチスとそれに協力させられた傀儡政権によりフランスから追放されたが (強制収容所行き ) 、今度は命令によらず同じ結果が起こりつつある。「イスラム国」の掲げる地図ではスペインやバルカン半島など嘗てのイスラム圏が領土として真っ黒に塗られている。それは軍事力で阻止できるとしても、自由や人権を誇りとする国で同国人の行動を阻止することは事実上不可能だろう。

ネタニヤフ政権のユダヤ人入植地の拡大がアラブ人にとって許せないのは当然である。しかし、ユダヤ系フランス人にその責任を問うのには無理がある。諸民族の共存や多文化主義を口にするのは容易だが、イスラム系住民の問題はフランスだけでなくEU諸国にとりジレンマである。

2015年4月5日日曜日

米国知日派の限界

用事で東京を留守にしていた (物見遊山ではない!)のでいささか旧聞に属するが、3月30日の朝日新聞の第一面の見出しは「安保法制  米提言に沿う    知日派作成、 首相答弁にも反映」だった。内容は、安倍内閣が執拗に実現を目指している新安保法制が「アーミテージ・ナイ・リポート」と呼ばれる知日派の対日政策の提言書の線に忠実に沿っているというものだった。

アーミテージ元国務副長官やナイ・ハーバード大教授は米国の代表的な知日派であり、その対日政策の評価は人により異なるだろう。しかし、知日派イコール親日派と見るのが誤りだとまでは言わないが、所詮彼らが米国の立場を離れないことは事実だろう。それは当然である。彼らにとって米国第一、日本第二だからと言って不満は言えない。アーミテージが日韓関係をめぐって日本は慰安婦問題に頑なな態度を取るなと「忠告」していることでそれは明らかだった。日本にとっては真実がどうだったかが問題だが、アーミテージにとっては台頭する中国を前にして日韓関係の修復だけが関心事なのである。

しばらく前の「声」欄に日本は米国の保護国だとの投書があった。帝国主義全盛時代の植民地の別名 (偽名?)の再現に私はたじろいだが、よく考えればまんざら見当外れでもない。少なくとも戦後、本質的な問題で日本が米国に逆らったことがあったろうか。建前上かもしれないが自国兵の一つしかない命を他国のために提供する用意があると言われれば、提供される側の自主性に限界があってふしぎではない。それでも他国人の生命を一人も奪わなかったし、自国民の生命を一人も失わなかったことを重視する立場も当然あるだろう。どちらの代償を止むを得ないと考えるかの問題である。

2015年3月31日火曜日

プロフェッショナルの使命感

朝日新聞で「プロメテウスの罠」と題する東北大震災と原発事故に関する連載記事が続いており、現在も「オイルマン」編が二十数回に達している。

いわき市の「小名浜石油」は東電の広野火力発電所を含む地域全体に石油製品を供給していたが、原発事故でいわき市の放射線量は一時急上昇した。会社は従業員の安全のため苦渋の決断をし、事業の一時閉鎖を決めた。しかし原油は一定の加熱を続けないと固着する。再開時に再加熱すれば完全に元に戻るかは確かではなく、大事故になる可能性すらあった。すると四人の社員が装置を守るため自発的に残留を決めた。

一方、原発事故後いわき市を中心に福島県ではガソリンや軽油の供給が需要に全く追いつけず、日常の必要はもちろん原発からの住民の避難も困難になっていた。誰かが放射能被曝の危険を冒してタンクローリーでガソリンスタンドに小名浜石油の製品を届けなければならなかった。すると、10名余りの運転手が会社 ( 「物流サービス東北」)の呼び掛けに応じて出勤した。給油待ちの1キロを越す車列が待つあるガソリンスタンドにタンクローリーが到着すると歓喜の拍手が到着を歓迎した(2万リットル搭載なら数百台の車の給油が可能だったろう)。

小名浜石油の残留社員と物流サービス東北の運転手のプロフェッショナルとしての責任感には脱帽の他ない。日本の経済そして国民生活はこうした人びとの使命感によって支えられていたのである。さらに私はこの事実に着目し克明に調査報道した記者たちの努力にも拍手を送りたい。これだけのことを世に知られないままにしてはならなかったと思うからである。これもある種の使命感であろう。

2015年3月29日日曜日

議会政治の作法

今朝の朝日新聞に二人の政治学者の対談が掲載されているが、杉田敦法政大学教授の議会政治理解の浅さに驚かされた。

安倍首相の政治姿勢を批判するのは自由であり、当然の権利である。私も首相が議場でヤジを飛ばすのがdecentだとは思わないし、ましてその内容が誤りであったりすれば ( そうらしい )、お粗末としか言いようがない。しかし一般論として言えば、教授の「行政を監視する役割を持つ国会で首相と質問者の関係は、口頭試問を受ける受験者と面接官のようなもの」との比喩は少なくとも一面的である。

英国の議会政治を確立したとされる19世紀の下院で自由党内閣の首相を長く勤めたグラッドストンは、同僚により「反撃において強烈である」と評された( 神川信彦『グラッドストン』潮出版社 ) 。いい加減な知識で首相を批判すると倍返し?に会うということである。ある時の保守党のディスレイリの「舌鋒は、議会の礼節をはるかにこえたすさまじいもの」( 同 )であり、批判されたピールの弟が決闘を申し込むほどのものだった。

議会政治とは元来、剣による闘いを言論による闘いに進化させたものであろう。昨今テレビ画面で誰でも見ているように英国の下院の議席は与野党が対等に向き合っており、その間隔は剣先が届かない距離だったと言われる。後者は出来過ぎた説のように私は思うが、議場の討論は闘いである側面を忘れた議論はいただけない。論戦は与野党対等であるべきで、どちらの発言内容が正しいかこそが問われるべきであろう。

2015年3月27日金曜日

長州人の狂気

NHKの日曜大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率がいま一つだとか。私自身は見ていないので理由はよく分からない。そもそも吉田松陰とその妹が現代ではテーマとして地味だったかも。推測憶測に過ぎないが。

戦時中、吉田松陰はその歌「かくすればかくなるものと知りながら  止むに止まれぬ大和魂」「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも   とどめ置かまし大和魂」など大和魂教の教祖として少年の私の尊崇の的だった。戦後はいったん危険人物?として姿を消した松陰の復活ののろしは河上徹太郎の『吉田松陰』( 1968年 )だったと記憶する ( 未見 )。それ以後松陰の見直しが進んだらしく、私も攘夷論者と信じていた彼がペリー艦隊で密航を企てたと知り、あっけに取られた。

その松陰の教えを受けた長州藩の若者たちが討幕の原動力となったことは周知の通りであり、安倍首相のような「保守派」はもちろん、近代日本に批判的な「進歩派」も、維新そのものは「草莽崛起」の大事業と捉えているようだ。しかし、久坂玄瑞らが惹き起こした禁門の変 ( 京都の三分の二を焼いた ) は十倍の敵を相手にした暴挙?だったし、藩論を反幕府に一変させた高杉晋作の功山寺決起以後など私には奇跡の連続としか思えない。司馬遼太郎は「長州人はときに狂う」と評している。

私は長州閥を通じて日本陸軍 ( さらに日本そのもの ) に伝えられた「長州人の狂気」が太平洋戦争の一因だったと考えている。普通に考えて鉄鋼生産額が十倍の米国を相手に日本が戦争をするなど正気の沙汰ではない。「長州人の狂気」は確かに近代日本の誕生に貢献したが、同時に近代日本の将来の蹉跌をDNAとして持っていたのではなかろうか。

2015年3月25日水曜日

訂正

書いたばかりのブログで二つ目の「雪あかりの路」を「雪あかりの街」としたのは誤り。また、以前、クリミアが百数十年前にロシア領土になったと書いたが、二百三十年がベターなようです。西側の主張に影響された?

小樽ゆかりの人たち

昨夜BS朝日で、「にほん風景物語 小樽 啄木の愛した街」と題した番組を放映した。小樽の運河やそれに沿った倉庫群、そこでの冬のイベント「雪あかりの路」、小樽文学館など同地の見どころを作家の高橋源一郎が訪ねる番組で興味深かったが、「雪あかりの街」の語源が伊藤整の同名の詩集に由来することを作家が全く言及しなかったのはどうかと思った ( 私も読んでいないが!)。『小樽日報』社では僅かな日数だったが啄木と童謡詩人の野口雨情が親しい同僚だったとは初耳だった。有名な「東海の小島の磯の..........」の歌は雨情が二箇所手を入れて現在の形になったとは本当なのだろうか(と遊べり→とたわむる。 ?→白砂の )。

小樽高等商業 (現小樽商大 )出身の伊藤整は戦後軽妙なエッセイ集『女性に関する十二章』(内容は男性に関する十二章なのだが )や小説『氾濫』、『日本文壇史』など硬軟両様の作家活動で人気を博した。私も一度だけ文学講演を聞いたことがあるが、今から思えば大著『日本文壇史』執筆中の「こぼれ話」だったのだろう。  

同じく小樽高商出身者では『蟹工船』の作者小林多喜二が最近「新しい貧困」に苦しむ若者の間でブームを呼んだ ( メディアによると )。蟹工船に実際に乗った経験のないのに嵐の場面などよく書けたものとその才能に感心するが、創作ノートには蟹工船の実態はそれほど酷くはなかったと書いている ( 文庫版の解説 ) ことはどの程度知られているのだろうか。

戦前から小樽高商は外国人教師を招いて英語教育に力を入れていた。戦前最後の?英人教師だったリチャード・ストーリーは後年英国を代表する日本学者の一人となった。ドロシー夫人の著した『リチャード・ストーリー  日本人の心の友』(霞出版社)によると、当時冬の小樽は雪橇が往来する街だった。リチャード自身、始まったばかり?の民間航空で独り来道するのに、燃料補給のため仙台と青森に立ち寄らなければならなかった。それにしても彼が性病に罹った事実まで書くこともなかったのでは! 私は「のんきな父さん」然としたストーリーさんしか知らないが。

2015年3月21日土曜日

空襲の真実

十日余り前に録画したTBSテレビの報道特別番組「私の街も戦場だった」を見た。話は終戦直前の8月5日、東京西部の高尾山直下の湯の花トンネル入口で国鉄中央線の列車が米軍機の銃撃を受け、死者60名を出した惨事が中心だった。

前大戦中の米空軍による被害と言えば広島、長崎、東京など爆撃によるものがよく知られ、戦闘機の銃撃 ( 1秒間に70発!)や艦砲射撃による被害はそれほど語られてこなかった。しかし、各機には戦果を確認するため、引き金を引いている間攻撃対象を撮影するカメラが設置されており、その大量のカラーフィルムが米国の公文書館に保存されていた。

銃撃の対象は建物、飛行場、漁船など人間の居る場所、なかんずく鉄道車両が選ばれ、被害地域は全国至るところだが、米軍が上陸を予定していた南九州が多かった。しかし、番組の後半はドラマ仕立てで中央線の事件を取りあげ、さらに記録を精査して当の戦闘機の操縦士を特定した! 本人は88歳で死亡していたが、ロサンゼルスに住む息子は父が妻に書いた二百數十通の手紙 (と遺書 )を保存しており、操縦士は機関車は狙ったことは認めたが、「逃げる人を見てからは撃たなかった」と記していた。自己正当化も無論考えられるが、「戦争は地獄だ」、「美しいこの国を君に見せたい」と妻に書いた人の言葉を私は信じたい。無我夢中で引き金を引いていたのが真相ではなかろうか。

当時国民学校六年生だった私自身は爆弾で防空壕が揺れる恐怖は味わったが、家内は岐阜市への焼夷弾攻撃で家を焼かれ、猛火の中を逃げまどった。だからと言って二人とも米国に恨みを持たないのは、家族に犠牲者を出さなかったからだろう。それはともかく、毎日規則正しく三機づつ艦上攻撃機を生産していた工場が、あっという間の爆撃で壊滅したし、小川に架かる小さな鉄道橋は見事に破壊された。もう反撃する日本軍機も無かったので相手のやりたい放題だった。

その後70年、破壊技術の進歩は大きい筈。「イスラム国」への爆撃の効果を疑う報道が多いが、私には信じられない。

2015年3月19日木曜日

早速訂正!

直前のブログで「スカーフを身につけた」生徒としたのは「スカーフを身につけない」の誤り。やれやれ。

「アラブの春」革命の悲劇

「アラブの春」を体験したチュニジア、エジプト、リビア、シリア四国のうち真っ先に強権的政権を打倒し、その後も唯一の成功例と見られたチュニジアでテロ事件が起こった。あれほど世界から祝福され期待されたアラブの春がなぜ「破綻国家」、「失敗国家」を生みつつあるのか。

上記の四ヶ国は全て強権的政権を持つ世俗主義国家 ( 程度の差は小さくなかったが )だった。重信メイが正しく指摘しているように ( 『文芸春秋』4月号  日本赤軍派重信房子の娘 )、強権的政権ではあったが宗教の自由は原則として認められ、かつ女性の地位向上は認められていた。しかし、国民の圧倒的多数がイスラム教徒である国で自由な選択がなされれば宗教国家さらには宗派国家の誕生となるのは不可避だった。

強権的国家の中でも強権の度合いが最も高かったリビアのカダフィ政権の打倒にはフランスなどが空軍機で反乱側を助け、私も政権の崩壊を心から願った。いま私は自分がどこで間違ったのか反省を強いられている。たとえ強権的国家でも宗派間の殺し合いよりははるかに増しだから。

シリアのアサド政権を目の敵にした欧米諸国には私は当初から同感できなかった。すでにアラブの春以後の各国の混迷を見ていたからだが、シリアの小学校?の教室に数人のスカーフを身につけた生徒を目にして居たからである。政権側が世俗性を宣伝した可能性はあるが、それさえ許されない宗派国家で無いことは、中東やマグレブの国々ではいまや貴重になりつつある。

米国を先頭に西側諸国は政権打倒を目指したシリア反政府派を助けてきた。後者の、とくに若者たちの理想への献身は立派だが、いざとなれば欧米諸国が助けに来てくれるとの甘い期待は無かっただろうか。あるいは欧米諸国がそうした期待を抱かせなかっただろうか。今になってアサド政権との交渉の可能性を米国は認め出したようだ。「人権原理主義」も時と場合によると事態を悪化させるとようやく気づいたということか。

2015年3月18日水曜日

ウクライナ併合一年

ロシアによるウクライナ併合 ( ロシアからでは復帰 )から一年たち、プーチン首相の核戦争準備発言がメディアの一斉批判を浴びている。しかし、プーチンが「クリミア情勢がロシアに思わしくない方向に向かったとき」(3月16日 『朝日』夕刊)を考えて準備したとすれば、その発言は無神経だとしても原爆所有国首脳なら当然考えられることで、騒ぐに当たらない。問題の本質はクリミア併合が正当か否かである。

親西欧派による2004年の「オレンジ革命」は、不正選挙に怒った民衆がデモやストで ( 流血なしに )再選挙を勝ち取った革命だった。したがってロシアにとって何れほど不快であっても干渉出来なかった。しかし、去年の場合最近のテレビの再生画面を見てもデモでもストでもなく、仮にも選挙で選ばれた政府に対する暴動ないし反乱 (死者百名とか )だった。新政権がNATO加盟を目指すことが十分予想される以上、ロシアが指をくわえて見過ごすことはできなかったのは当然でもある。セバストーポリ軍港を含むクリミア半島は百数十年前からロシア領であった。もはや軍事上もイデオロギー上も危険とは言えないキューバに対し、百年前に租借したグアンタナモ基地を返還しようとしない米国がロシアを批判できるのだろうか。

その重要度でクリミア半島と比較すべきはグアンタナモ基地以上に、真珠湾軍港を持つハワイであろう。米国によるハワイ併合過程と日本による朝鮮併合過程とはよく似ていると何かで読んだ記憶がある。それでも私はハワイをハワイ人に返せとまでは言わない。ただ米国は自国の行なった不正には盲目であると言いたいだけである。

プーチンの核戦争準備発言に関して言えば、日本は唯一の被爆国としてこの問題に抗議する特別の権利ないし義務を有すると一部の日本人は考えるようだ。思い上がりではなかろうか。もし権利があるとすればそれは国際法 ( 交戦法規 )に反して原爆で民間人を大量殺害した米国に対してだが、上記の主張をする同胞の考えはそこには無いようだ (私も今更それを問題にしろと言うのではない )。義務に関して言えば、被害者である日本人が何らかの義務を負うとは不思議な主張である。それでは中国人は日中戦争中の被害に対し日本人に何らかの義務を負うことになりかねない。私にはとても理解できない理屈である。

2015年3月14日土曜日

訂正

二時間前のブログ、熱海小田原間の国道135号線で米国人の車に追突されたのは、映画の「20年後」ではなく10年後でした。車の種類から確実! 20年後には確か立川基地は横田基地に統合されていたと思います。

『ゼロの焦点』の時代

北陸新幹線が金沢まで開業した。同地を訪れる人が5倍になるとか。にわかに信じ難いが、金沢、富山など沿線自治体や住民がこれにより少しでも潤うならこれほど結構なことはない。車窓から見る沿線の多様な風景は日本でも指折りだろう。

北陸新幹線を取り上げた「天声人語」の書きだしは松本清張の『ゼロの焦点』についてだった。その頃と今では何れだけ金沢近辺が近くなったかへの言及だが、現在からふりかえって小説 (1959 )や映画 (1961 )が発表された時代への郷愁?も感じられた。

清張の推理小説の傑作としては『点と線』の方が言及されることが多い。ミステリー小説ファンでない私としては反論できないが、時代色の濃い『ゼロの焦点』の方が私は好きだし、作者も自作の第一に挙げているとか( Wikipedia )。有馬稲子や久我美子主演の映画に心を動かされ、私は能登金剛の巌門を2度訪ねた (清張の心打つ歌碑がある )。脚本が橋本忍と山田洋次だったとはこれまで知らなかったが、矢張りと感ずる。

粗筋は、むかし立川基地あたりの米兵相手の売春婦で今や金沢あたりの名流夫人となっていた女性が、自らの汚辱の過去を知られそうになり、相手を殺すというもの。浅はかといえば浅はかだが、戦後の窮乏時代、生きるために賤業についた主人公を裁ける人がどれほどいるだろうか。加害者も被害者も不幸な時代の犠牲者と思える。

約20年のち、私は立川基地の米人の車に追突された。相手が白人と気づいた瞬間から何故か下手な英語が口をついて出た。本当は相手を困らせるため日本語を使うべきだったと後で反省?したが、後の祭りだった。かなりの被害を完全に修理した日本人の職人わざには脱帽だった。

2015年3月12日木曜日

タラワ マキン。軍神の散った島

メルケル首相の訪日でドイツの原発廃止( 完全廃止は十年後だが )があらためて注目された。我が国で意見が割れるこの問題に私は判断を下しきれない。地震国日本の原発の危険は明らかであり、私も築後40年を稼働の限度とすることに全面賛成である。他にも松江市から10キロ以内と聞く島根原発は1号機も2号機もぜひ廃止して欲しい。他の原発所在地と違いはないのだが、ハーンの住んだ松江や宍道湖を訪問できなくなるなど考えたくない。

だが、地球温暖化の問題も大きい。その影響は原発事故と異なり起こったらではなく、必ず起こる。低層住宅の多い東京は世界で最も海面上昇に弱い首都ではあるまいか( 大阪も名古屋も..........)。堤防などいくら強化しても大地震で二、三箇所切れたら終わりだろう。その被害は計り知れない。小国だが、ツバル、キリバスといった太平洋の島国はすでに水没の危険にさらされており、キリバスの大統領はすでに国土の消滅、フィジーへの移転を表明している。

キリバスは英国領だった前大戦中、日本海軍の陸戦隊に占領されていた( 当時はタラワ、マキンと呼ばれた )が、米軍の反攻に会い、柴崎中佐率いる陸戦隊は玉砕した( 軍人軍属約五千名中、生存者百数十名。Wikipedia)。中佐は二階級特進し、「軍神柴崎少将」と呼ばれた。

私は少将の長男と小学校で同級生だった。玉砕が大本営発表されると新聞社が学校に遺児の写真を撮りに来た。偶々校庭に居た数人が騎馬戦する様子を撮影することになり、柴崎君と私が馬上で戦うことになった。驚いたことに私は最初から同君にのし掛かられる形で撮影された。撮影終了後はほっとかれたが、ひとたび不利になった体勢は挽回できず、私は敗れた。私の新聞不信はこの日から始まった??

その後一年足らずで私は東京を離れたので、とびきり穏やかな少年だった柴崎君が戦後どう生きたかは知らない。「軍神の子」の名誉は何の役にも立たなかっただろうが.........。

2015年3月11日水曜日

メルケル訪日の意図

、メルケル独首相が嵐のように訪日し離日した。首相在任、はや九年とか。戦後日本の首相の誰よりも長期政権である。それほど有能なのだろう。うらやましい限りである。しかし、福島の原発事故のあと従来の方針を一変して原発廃止を決断したのは、彼女の指導力とともに国情の違いもあろう( 日本なら決定までにあちらに相談し、こちらと協議しとなったろう )。西ドイツ時代になるが、社民党出身のシュミット首相も八年間在任して強いリーダーシップを発揮したが、その間議会での与野党の議席差が二桁になったことは一度もなかったと聞く。日本だったらその間何人の首相が交代しただろうか。一票差でも多数は多数と認める政治的風土がなければリーダーシップの発揮のしようも無かっただろう。

彼女の訪日の目的は、これまで訪中は七回なのに訪日は二回というアンバランスの是正や、6月のサミット主催国ドイツの首相としての根回しなどもあろうが、ウクライナをめぐって日独協調を目指すこともあるようだ。米国はロシア制裁に最も熱心であり、ウクライナへの重火器援助をちらつかせているが、ドイツやフランスはそこまでのロシアとの対立を望んではいまい。北方領土問題を抱えロシアとの対立を避けたい日本はメルケル首相にとり潜在的な味方である。ぜひ本心を確かめたかったのだろう。

そのためかどうか、彼女は長い演説でも歴史認識問題に言及せず、日中韓三國の関係への助言はしないとことわり、記者の誘導質問を受けてやうやく発言した( 一紙だけ読んでは、飛んだ誤解をする だろう )。過去にきちんと向き合うという当然のことを述べたが、隣国フランスが寛大だったことも一因と挙げた。日中韓三國の反省を迫ったシャーマン米国務次官の発言に日本びいきだと猛反発をした韓国メディアはメルケル発言にも猛反発するだろうか。それとも大使受難事件の後ゆえ素知らぬ態度で過ごすだろうか。

2015年3月8日日曜日

『家』と『道草』

故あって藤村の『家』と漱石の『道草』を続けて読んだ。日本文学史にうとい私でも、明治大正の作家たちにとって家族制度の問題、家に対する個の確立の問題が小さくないテーマだったとは何となく耳にしていた。『家』も『道草』も、二人の作家にとっての家の問題が主要なテーマとなっている私小説である。

先ず現在との違いを知らされたのは当時の一家の兄弟姉妹の数の多さである。木曽の名家の出身の藤村の場合とりわけ顕著だが( したがって甥姪の数も多い  )、漱石の場合も係累は少なくない。その家が没落( 藤村 )ないし衰退( 漱石 )したらどうなるか。一族のうち比較的成功したメンバーは当然のように、生活が苦しい親族を助けなければならない。藤村も漱石も助ける側ばかりではなく助けられる側に立つこともあったが、大半の場合金銭的援助を求められる側であった。家に対する個の確立とは精神的な意味ばかりではなく、極めて現実的な問題でもあったと知った。

我が国の家族関係はその後大きく変わった。家の建築資金などは別だが、親族と日常的に援助し合うことは稀だろう。年金や生活保護制度などが整備されたことが大きい。それは大変結構なことだが、代わりに明治大正の時代、否戦前昭和の時代でも殆ど考えられなかった老人の孤独死が珍しくなくなった。そこまででなくとも自宅以外で最後を迎えることが一般化しつつある。犬猫で心を癒す老人家族が増えた。個の確立を願った時代には想像できなかった諸問題である。明治大正の時代がうらやましいなどとは思わないが、物事には常に両面があるということだろう。

2015年3月6日金曜日

駐韓米大使の受難

リッパート駐韓米大使が韓国人暴漢に刺された。あと少しで頸動脈に達していたという。どの国にも狂気じみた「愛国的」犯行はある (ライシャワー駐日大使も日本人に刺された。もっとも犯人は精神病の入院歴があったが )。ただ、なぜ過去にも同様な犯罪を犯し裁かれた人間を警備陣は入場させたかが不思議だったが、今朝の『読売』で疑問は氷解した。

大使が出席した会合は「南北和解協議会」?の主催で、犯人の所属団体もそこに加入していたという。それでは怪しくても入場を拒めまい。民族服を着用した犯人は目立ち、警官は危険を感じていたというのに.........。現在の韓国では南北和解か反日の何れかを標榜すれば、下っ端の警官(失礼!)ではとても手が出せないのである。犯人の自供によれば米韓合同演習反対が目的で、日中韓三國の不和をたしなめたシャーマン米国防次官の発言が動機ではないという。多分その通りだろうが、同発言を日本贔屓だとするデモが起きている韓国の空気が犯人を大胆にした可能性はゼロとも言い切れない。米韓両国ともこの事件の両国関係への影響を否定しているが、米国は世論を無視できない国。今後の影響は誰にも読めない。

大使の受難以上に現在の韓国の異常さを示しているのは、朴裕河氏の『帝国の慰安婦』が世論 (というよりメディア? ) の猛攻撃を受けているばかりか、司法による調査対象となっているとの報道である。こと反日感情の暴威に関する限り、まるで我が国の戦前戦中の非国民扱いと違いがないではないか。もし司法まで本格介入するとしたら、韓国では反日にしか言論の自由は認められていないし司法はポピュリズムに抵抗できないと言わざるを得ない。それならば日韓両国が「基本的価値を共通する」との語句を文書から外した日本外務省の判断は正しいことになる。そうでないことを祈るが...........。

2015年3月4日水曜日

MOA美術館の訪問

手術後の新しいメガネでの最初の中距離旅の目的地に熱海のMOA美術館を選んだ。片道100キロ未満で二ヶ月ぶりの運転に手頃な距離なのと、尾形光琳の300年忌記念特別展 (3月2日は終了前日だった ) で、『紅白梅』と『燕子花(かきつばた)』の双方が見られる稀な機会と聞いていたからである。同館訪問は約40年前の第一回以来だった。

『紅白梅』も『燕子花』も印刷物や映像で見ているので特別の感興は湧かなかったが、他に『伊勢物語』などの古典に題材をとった光琳の作品が多数あり、日本の美術と文学の深い関連をあらためて知らされた(今まで知らなさすぎた!)。さらに、光琳の影響を受けた近現代の画家たちの作品が展示されていた。近代の大家のものは興味があったが、現代となると既知の画家もなく、疲れも手伝い足早に一瞥しただけ。私の美術鑑賞は作者の有名度に多分に影響されるということか!

第一回は偶々三笠宮殿下のお供をしての訪問だった。無論お忍びの見学だったが、入口の担当者は数人の仲間の中の殿下に炯眼にもすぐ気づき、途中からは思いがけずVIP待遇となった。やはり日頃映像で見慣れているせいか。殿下が地下鉄を利用されることもあると聞いたので、ある時よく気付かれませんねと聞いたら、「三笠宮殿下によく似ていますね」と声をかけられたことがあると笑っておられた!

この時の訪問の仲間のうち生き残っているのは年少だった二人だけだと思ったら殿下を忘れていたことに気付いた! スケートやダンスが得意だったと聞く殿下の車椅子姿は痛々しいが、歴史学を専門とされた殿下には長く世の推移を見守って欲しい。

2015年3月1日日曜日

暗殺犯人は誰?

ロシアの野党指導者が射殺された。プーチン政権による暗殺説と、( プーチン政権の主張する )反政権派の挑発説 (政権への西側諸国の態度硬化を狙っての )の二説が対立している。真相はまだ不明だが、私はそのどちらでもないのではと感じている。

政権による暗殺説の弱みはプーチンは別に追い込まれていないことである。過去の例では政権が関与していた疑いはあるケースもあるが、いまや世論は圧倒的と言って良いほどプーチンを支持している。わざわざ疑惑を招く手段を取る必要があるだろうか。逆に反政権派による挑発説も疑問である。プーチンとしては取りあえず政権への疑惑を否定する材料として利用したのではないか。

私は単純にネムツォフへの極右国粋派の反感が犯罪の原因ではないかと考える(むろん断定はしない )。政権の強権的性格への彼の批判には同感する国民も少なくないだろうが、クリミアの併合が「侵略」だと主張した( 『朝日』夕刊2月28日 )のは行き過ぎだつたと思う。住民投票の結果は明らかだったし、ゴルバチョフ元大統領もクリミアは元来ロシア領だったとして併合を是認している。暗殺行為は厳しく裁かれるべきだが、ネムツォフも歴史的経緯を無視していた。

以前にブログで紹介したように米国は、当時のベイカー国務長官が東欧諸国を西側に引き入れはしないと約束しながら約束を守らなかった。ゴルバチョフは西側諸国を信頼した過去の判断を今では後悔していると思う。

現ウクライナ政権があくまでNATO加盟を目指すなら東部二洲を確実に失うだろう。住民投票で勝てないだろうから。住民投票には該当地域の範囲をどうするかで結果が変わるなど問題はあるとはいえ、解決不能とまでは言えず、スコットランドの例が示すようにもっとも公明正大な解決方法である。スコットランドは良くてウクライナ東部はいけないとは誰も言えないだろう。スコットランドは400年間連合王国の一部であった。

2015年2月27日金曜日

テレビキャスターの死

フジテレビの元アナウンサーで他局の番組の司会も長年つとめ名が知られた宮崎総子さんが亡くなった。どの新聞の訃報欄でも仲代達矢の妻宮崎恭子の実妹と紹介されていた( 『日経』だけ言及せず。意図してなら見識である )。私は誤解して彼女の前夫( 離婚 )を、同じフジテレビの山川千秋キャスターと今日まで覚えていたが、同じ局の別の山川氏だった(どちらも離婚歴あり!)。

山川千秋は同テレビの初代ニュースキャスターとして同時期のNHKの磯村キャスターの向うを張った?が、二十数年前ガンで死に、当時そのことで話題を呼んだ。私は彼と小学校で五年半同級生だった( なぜかクラス替えが無かった)。記憶に誤りがなければ彼の父は海軍軍人。世田谷区は新開住宅地として軍人の所帯が少なくなかった。父親の職業欄に軍人と記入する同級生に対し会社員と記入する私は本当に肩身が狭かった。彼の母親は教育熱心で、普段の日に彼の弟を負ぶってよく授業参観に来た( 当時でもそういう親は稀だった)。

私はその後東京を離れていたので、彼が同じ大学に同時期に在学していたとは知らず、のちに私の教え子がフジテレビのアナウンサーと結婚した折、披露宴で30年?ぶりに再会した。間も無く新書版の『日本人が見えてくる本』(主婦と生活社)が贈られて来た。特派員として何年も欧米に住んだと知ったが、書中、欧米人は夜など観劇やコンサートによく出かける、日本人はテレビを見て過ごす、文化のレベルが違うとあるので、テレビ界の人間がそんなことを書いて良いのかとびっくりした。気骨がある人間だからか、外国ぐらしでKY人間になったのか、確かめる機会もないまま死なれてしまった。

死に急がなけれはもっと活躍したろうにと残念である。長男は山川冬樹という歌手兼パフォーマンス・アーティストだとか。

2015年2月25日水曜日

生活難の実体は?

ガストやロイヤルホストなどファミリーレストランで値上げした料理の人気が高く、経営の改善に寄与していると言う(『週刊ダイヤモンド』。ただしインターネット)。𠮷野家の牛丼も一挙に80円値上げしたと聞いて他人事ながら心配していたが ( 米国肉に固執する頑固さに感心していた)、売れ行きは悪くないとか。その理由として若い年齢層の客が減っても高齢者の客が増えているためという。
考えてみれば納得がゆく。若い夫婦の場合子供連れが多いから支払額はバカにならないだろうし、逆に高齢者は夫婦二人が多いから大した出費にならない。とはいえ今でもファミレスに子供連れの一家は少なくないし、学校帰りの高校生仲間も目に付く。メディアが物価高による生活難を再三取り上げるが半信半疑にもなる。

卵や牛乳など物価優等生だけでなく、もやしを始め進じられないほど安い食材は少なくない。肉類も貿易自由化のおかげで外国産は安い。昔は蒲焼や寿司は日常の食べ物では必ずしもなかったし、今でも店で食べれば安くないが、寿司などスーパーで手軽に買える。

食材以上に衣類は安くなった。私が社会人になりたての頃新着のスーツは布地から選ぶのが普通で、一着の値段は相当だったし、それが普通だったが、今は二着いくらの安さ。カジュアル衣料のユニクロは「日本を滅ぼす」(浜矩子)ことが心配されるほどの人気である。

衣食住のうち住居は相変わらず高価だが要求レベルが高くなったためもあるようだ(四十数年経つ拙宅は改築した家々に囲まれ肩身が狭い!)。共働きの夫婦にはそれほどの負担でないのか都心のマンションが人気だそうで、郊外は高齢者の街になりつつある。日本人の生活が苦しくなったとは思えない。物事を数十年のスパンで考えることはそもそも間違いなのか?

PS   「北斗星」の始発駅は今も上野駅でした。訂正します。

2015年2月23日月曜日

その顔見たくない!

今朝の新聞の投稿川柳に「新軍歌   世界平和のためならば」という句が載っている( 選者の寸評は「外せや外せ歯止めなど」)。この句の意味は75才以下の人には理解困難だろう。戦時中の軍歌の一節「東洋平和のためならば何で命が惜しかろう」を踏まえているから。

選者( この人の短評は何時も秀逸 )の選句の傾向が大方野党的なのは多少気になるが、世相や権力者の冷やかしという川柳の性格からある程度止むを得ない。少なくとも夕刊のコラム「素粒子」ほど一方的ではない。後者とても一行か二行で表現する必要上断定的にならざるを得ない側面はあるだろうが、物事はそれほど正邪の別がはっきりしているものなの( 筆者はいつからそんなに賢者になったの )と言いたくもなる。

今朝の川柳には珍しく?「出ちゃならぬときに出てくる困りもの」( 選者評は「元首相でもいい? と沖縄知事に面会」)と野党元代表鳩山由紀夫氏を槍玉に挙げている句が選ばれている。私も、普天間基地の県外移設を約束しながら「私の勉強不足でした」と主張を取り下げた氏が今更どのツラ下げてと思う。私の嫌いな政治家はむろん数々いるが、氏は小沢一郎氏と並んで最も顔を見たくない人物である。新内閣が発足すると野党もメディアも一年ほどは厳しい批判を自制するのに、その貴重な一年間を台無しにして民主党政権の顔に泥を塗った元凶の二人である。

鳩山由紀夫氏は東大工学部出身らしいが、優秀な家庭教師を長年雇えば東大くらい誰でも入れるという見本ではないか!! とにかく、鉄面皮という言葉がこれほどピッタリの人物は空前絶後だろう。

2015年2月21日土曜日

桜を唄った歌

今朝の新聞( 『朝日』be )に「あなたの好きな桜ソング」の読者ランキング20位が載っている。私が知っているのは1位の森山直太朗の「さくら」、3位の日本古謡の「さくらさくら」、5位の「夜桜お七」、8位の「同期の桜」だけ。最近の若者の歌を私がいかに知らないかが改めて分かった。森山と坂本の歌はテレビで随分聞かされたが特別の感慨はない。感慨が湧いたのは矢張り年齢相応の歌だった。

「同期の桜」はむろん海軍兵学校生徒を歌っているが、会社の同期会あたりでも歌われるだろうから、若い人でも知っている人は少なくないかも。戦時中、「ああ紅の血は燃ゆる( 学徒動員の歌 )」と並んでよく歌われたが、肝心の兵学校生にどの程度歌われたかは知らない。前の戦争は愚かな戦争だったが、若い人たちの純粋な心根には聞く度に厳粛な気持ちになる。「ああ紅の.....」も「花もつぼみの若桜....」とあるように桜を歌っているのだが、知る人は少ないだろう。釣り堀の丸太の柵の上でこの歌を歌った小学同級生Hが陶酔して? 歌いながら釣り堀に落ちた。釣り堀は今は住宅地になっている。

「さくらさくら」は私の好きな歌で、日本の国歌にふさわしいと思う。同じ意見を新聞の投書欄で見たことがある。フランスや中国の国歌など戦争から生まれた国歌が多い中で、「さくらさくら」は古雅で平和的で日本の国歌にふさわしいと思うのだが、どの政党からも無視されている。「君が代」に反対する人たちがいつまで経っても少数派なのは代わりの歌を提示しないからではないか。「君が代」が侵略戦争中大いに歌われたと言うならフランスやイギリスの国歌はそれ以上のはずで、私には反対理由たり得ないと思う。新しく作ると言ってもどんな歌になるか分からないでは多数の支持は永久に得られまい。私は単純に「君が代」よりも「さくらさくら」の方が音楽として気に入っているのだが(何しろ素人なので逆の意見も否定する気は無いが)。

2015年2月19日木曜日

トクヴィルの現代性

200年近く前、フランス人のトクヴィルは米国旅行の経験をもとに名著『アメリカの民主政治』を著した。まだ貴族制の名残のあるヨーロッパの人間のかれ ( 自身も貴族出身 )は米国社会の平等傾向に強い印象を受けたが、それが大衆民主主義下の同調圧力、多数派世論による専制を生む危険を警告した。

今朝の朝日新聞に、帝国論で思想界の注目を浴びたフランスのE.トッドの長文インタビューが載っている。彼は現在のフランスで『シャルリー』を批判する権利を口にすると相手は、「君は表現の自由に賛成じゃないのか、本当のフランス人じゃないな」と「決めつけられる」とこぼし、「今日の社会で表現の自由を妨げるのは昔ながらの検閲ではありません........。今風のやり方は (中略 )世論の主導権を握ることです」と語っている。

少し古いが2月8日の読売新聞の世論調査で、「政府は日本人が外国の危険な地域に行かないよう呼びかけています。危険な地域に行ってテロや事件に巻き込まれた場合、その最終責任が本人にある」との設問への回答は、イエスが83%、ノーが11%、答えなしが6%だった。いかにも誘導的な設問だが、そうでなくとも結果が逆転するとは思えない。だが、逆であってもなくても良い。問題なのは諸新聞の投稿欄に二人の人質の責任を指摘する投稿が全く見当たらないことである。そうした投稿がないはずがないのに、新聞が取りあげない (ふだんあれほど意見が対立している新聞がどちらも )。「死者に口なし」との諺があるが、現代日本では逆に死者への批判は厳禁となる。

今日、「世論の主導権を握る」のはマスメディアである。それが公正な報道をしないならば、「作られた世論」が支配的になる。トクヴィルの警告は現代の米国やフランスだけでなく、残念ながらわが国でも真理ではないだろうか。