本誌・日独世論調査」とある。粗雑で誤解を生む記事という他ない。
既に指摘されていることだが、東京裁判ではドイツを裁いたニュルンベルク裁判と異なり、「人道に対する罪」との訴因は採用されなかった。まだ冷戦が本格化していなかった当時、米国を主とする連合国に日本に寛容になる理由は全くなかった。それに該当する大規模な事態はなかったとされたのである。
私はかねてから現代史における蛮行は 1 ) 戦場の狂気、2 )戦争の狂気、3 )イデオロギーの狂気 の三種があると指摘してきた。1 が国家の決定 ( 国策 ) によるとまでは言えない (南京虐殺など )のに対し、2 は国策に基ずく蛮行 (無差別爆撃など 。日本も重慶や広東で実施 )であり、3 は特定の人種的イデオロギーや政治的イデオロギーに基ずく蛮行である。敵対したから反抗したからとの理由ではないので子供まで対象となる ( ナチスのユダヤ人虐殺やカンボジャの自国民虐殺など )。実際に一つしかない命を奪われた被害者にとっては三種の違いは何の意味もない。しかし、国家の犯罪を問題とするなら大きな違いである。
日独の比較で言えば、南京虐殺ののち慌てた日本政府は学者を動員して中国文明が如何に優れているかを記した二冊本を日本軍に配布した (『史学雑誌』の連載コラム「歴史の風」。手元にないので日付やコラムの題名は未確認 )。そんなお堅い本が軍の末端まで配布されたとも思えないが、再発を防ぐための一定の努力があったことは認められる。他方、ナチス・ドイツでは独ソ戦開始に当たり親衛隊員たちに、この戦争は通常の戦争の枠にはまらぬ凄惨なものになるので不参加を許すとした。最後までこの通告通りだったとはとても思えないが、スラブ民族に対しては国際法も人道も無視した戦争にすることを政権幹部は自覚していたのである ( それと比較して身内への配慮の厚さ! )。
メルケル独首相はドイツが寛容な隣国を持ったことも幸運だったと語った。周恩来や毛沢東が中国の指導者だった時代には日本国民も日本帝国主義の被害者だったとされ、私などそこまで言ってもらえるのは有難いと思うとともに、国民も被害者の面だけでもなかったと面映ゆい気持ちを持った。その後、江沢民の中国は反日教育で、韓国は自国のメディアの偏向で対日関係を刺々しいものとした。朝日新聞の調査では、我が国が謝罪や償いを十分して来たかとの質問に2006年には十分が36%で不十分が51%だったのに、今回は十分が57%で不十分が24%だった。朝日新聞はこの国民意識の変化の意味をもっと深く考えるべきである。
0 件のコメント:
コメントを投稿