これまでインタビューでの相撲の力士たちの応答が舌足らずの感じで、元来話し下手なのだろうと考えていた。ところが同じ人が親方になったり解説者になったりすると案外多弁だなと感じたことがよくあった。聞くところでは、勝利ののち多弁なのは負けた相手に失礼だというのも寡黙のひとつの理由だとか。たしかに相手を土俵にたたきつけた後の多弁は心配りに欠けるように思う。相撲ある限りこの配慮は忘れて欲しくない。それこそ国技と呼ばれるにふさわしい心がけである。
寡黙と言えば初代若乃花はぶっきらぼうと言って良いほど言葉少なだった。しかし、私の年長の元同僚は荻窪あたりの呑屋で親方時代の初代とたまたま同席したことがあり、話がはずんだ挙句腕相撲をして勝ったと喜んでいた。元同僚は腕相撲が得意だったとはいえ若乃花がわざと負けたことは明らかだ。初代は思いの外気さくな人柄だったようだ。
突きや押し相撲が全盛の現在、がっぷり四つに組んでの豪快な投げ技やまさかの鮮やかなうっちゃりが得意だった若乃花の相撲が懐かしい。その若乃花も元同僚も亡くなって相当になる。二人があの世でも再会して腕相撲で盛り上がってほしい。
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