「満州事変」以後の日本の対中国軍事行動を侵略と認めるのは止むを得まい。それに先立って中国人の在中日本人に対する犯罪やボイコットがあったことは事実てある。尖閣列島国有化の際の中国人の「愛国無罪」の蛮行は、80年前もこうだったのかと思わせた。しかし日本側の反応(とりわけ「暴戻支那人」と煽り立てる新聞の反応 )は過剰反応だった。その根源に自国民の生命を特別視する自民族優越思想があったことは否定できない ( 現在のイスラエルのアラブ人への対応と同じ )。それを正当化するのは困難である。
我が国が欧米の植民地支配からのアジアの解放のため戦ったというのも「正確ではない」。そう信じた同胞は少なくなかったと思うし、結果としてアジアの解放に寄与した側面があることを否定したり無視したりするのは賛成できないが、日本の国策がそれを目指して居たというのは強弁だろう。日本を動かした動機はアジアの資源の獲得であったと見るのが大筋では正しいだろう。
台湾ついで朝鮮の植民地化は、欧米にそれを非難する資格があったとは思えないが、民族自決に反したことは事実である。報告書が1930年代から日本の「植民地化が過酷化した」としているのは戦時徴用の導入もその一例なのだろう。私は戦時中朝鮮人の「飯場」に級友を訪ね歓待された事がある。その活気に満ちた雰囲気を覚えているが、彼らの職場が鉱山や土木工事など危険の多い仕事場だったことは否めないし、飯場を訪ねる地元住民は稀だった。
戦後しばらくは中国が日本に対し「軍民二元論」を採り指導者層と一般国民を区別していたのはマルクス主義の階級史観にもとずくものであったろうが日本にとって有難い事ではあった (マルクス様々?)。長い中断期を経て最近習近平政権が「軍民二元論」を復活させようとしているかに見える。それなのに野党が参院審議で安倍首相の念頭にある仮想敵国が中国であるとわざわざ言わせたのは賢明だろうか。中国も名指しされれば面子も当然あろう。そもそも十年ごとに首相談話を出す必要はないのに安倍首相がいわば寝た子を起こしたことと同様賢明ではなかった。
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