賛成留保の理由は一つではないのだろうが、18歳の男女に果たして正しい政治判断が可能かとの疑問が小さくないようだ。確かに成熟した政治的判断は一定の教育訓練や人生経験を必要とするだろう。しかし逆に、社会の利害関係に縛られた大人には正しい判断が出来ない場合もあろう。経験には一定の年数も必要だろうが訓練は学校教育で可能なはずである。何より高齢者ばかりに顔を向けた政治への多少の是正にはなるだろう。
わが国でも政治を取り上げる学校教育が無い訳ではないのだが先進諸国の例を仄聞する限り日本は少ないようだ。その理由は日頃政治色を鮮明にしたがらない国民性が大きいことは間違いないだろうが、自民党長期政権時代に日教組の影響を嫌った政府与党が学校での政治教育に警戒的だったことがあるだろう。
私自身は地方 ( 日教組の影響力も小さかった?)で戦後すぐ中高生時代を過ごしたので直接そうしたことを感じたことはなかった。しかし私より6歳年下の日本現代史家の保阪正康氏は小学校で連れて行かれた映画館で見た米国の記録映画で、日本の特攻機が次々と撃ち落とされると教師たちが拍手するのを見た。氏は「そうした記憶はトラウマのように頭に残っている」と書いている ( 『あの戦争は何だったのか』新潮新書 )。教師たちが拍手した理由は当時の日本がファシズム陣営に属したというのであろう。理屈は分かるが、何とイデオロギー優先で人間性を欠いた見方であろうか。同氏と共に「こういうことが平和教育だったのだ」と言いたくもなる。
保坂氏はいわゆる東京裁判批判派 (歴史見直し派 )ではない。しかし当時の自民党の日教組の「偏向教育」批判が必ずしも見当外れでないことは氏の回想からうかがわれる。独善的なナショナリズムは御免だが、他国のナショナリズムへの追随も願い下げにしたい。
PS. 日本が占領していたベトナムで百万人の餓死者が出たとの説を紹介したが、ベトナム共産党の挙げた数字は二百万人、他の説では四十万人という ( 中公新書 『物語 ヴェトナム現代史』)。おそらく後者に近いのだろう ( こうした場合の通例 )。原因は米軍による鉄道破壊と海上封鎖で南部の米を北部に輸送出来なかったためとか。しかし日本によりベトナムが戦争に巻き込まれた以上、日本の責任も否定できない。今ひとつ、スイスのルツェルンに3万人分の核戦争に備えた地下壕があると書いたが、核シェルターが正しく、その場合は放射能対策のある地下室も含まれるかもしれない。それにしても用心を怠らない国ではある。
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