結論から言えば、私は一月場所の稀勢の里戦のとり直しは不当だとは思わないが、昨日の白鵬が負けとの行司判定は物言いがついても良かったと思う。どちらのケースも勢いは圧倒的に白鵬の側にあったので彼は前者のとり直しが不満だったのだろう。観客から「もう一度コール」が起こったのも不満に火を注いだのだろう。しかし、比較にもならないが私自身遊び仲間と相撲を取り合った頃、一瞬でも先に足以外の体の何処かが地面につけば負けと信じていた。国技館相撲では勢いも考慮されると聞くが、やはり写真判定のできる体位をより重視すべきだろう。その点で一月場所でのとり直しは不当ではなかったと思うし、少なくとも「子供でも分かる」は言い過ぎだった。
他方、昨日の勝敗も微妙だったが、新聞二紙は白鵬の腕が先についたと言っているのでそうかも知れない。しかし白鵬は物言いを期待してしばらく立っていたというし、その後報道陣に無言を通したという。判定に不満だったのだろう。私は昨日は物言いがついてもおかしくなかったと思う。行司は即座にどちらかに軍配を挙げなければならない苦しい立場だが、審判役はゆっくり写真を見て判定できる立場であり、その結果は白鵬も納得せざるを得なかっただろう。
むかし大鵬が物言い再試合での誤審で45連勝がストップとなったとき、横綱が物言いを付けられる相撲を取ったのが悪いと答えたと一月にも回想された。双葉山の69連勝の記録を破るかと思われた時期だったので大鵬の態度の立派さが際立った。しかし、後年ある記者が本心から自分が悪いと思ったのかと聞いたら、そう思わなければいけないと思ったと答えたという。納得は行かなくとも不満を懸命に押し殺していたということだろう。やはり彼は心技兼ね備えた大横綱だった。白鵬には今からでも大鵬を見習って欲しい。大鵬の偉大さと人気は強さだけが理由ではなかったと銘記して欲しい。白鵬には未だそうなる時間があるはず。
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