2015年5月14日木曜日

教育格差の原因

最近、奨学金貸与の枠が狭いため奨学金頼みの学生の要望に応えられていないとの新聞記事が目についた。それは事実として、そこから敷衍して親の所得格差が教育格差を生んでいるとの論旨には必ずしも納得できなかった。『中央公論』6月号で大阪大学教授が所得格差よりも親の学歴格差が教育機会の不平等を生んでいるとの調査結果を発表しており、納得できた。

高等教育を受けた父親の職業はふつうサラリーマンだろう。そして家業のないサラリーマンには子どもに自分と少なくとも同程度の教育を受けさせるしか子どものために出来ることは無い。それに対し第一次産業従事者や小売業者には是非とも子弟に高等教育を受けさせる必要は大きくない。むしろ子どもの教育水準を高めるほど家業を継いでもらえなくなるし、子どもは親と同居せず大都会に職を得ることになろう。そして人口の都市集中、地方の過疎化を加速させる。個人的にも国家としてもそれが理想とも言い切れない。

しかし、第一次産業が細り、製造業さらにはサービス産業の比重が増大している現在、別の問題も生じている。ヨーロッパ諸国の失業率とくに若者のそれは日本の失業率よりずっと高い。半世紀前にはヨーロッパ諸国の大学の数は日本よりはるかに少なく、学生数も同様だったが、いつの間にか学生の比率は少なくとも逆転したようだ。その結果、増大した大学卒業者は生産現場を嫌い失業しているのに移民労働者は増加し穴を埋める。それでも移民がキリスト教文化圏の出身者だったうちは文化摩擦は少なかったが、他宗教とくにイスラム教徒であれば事情は全く異なる。

国民の教育水準の向上が望ましいことは一般論として正しいが、誰もが上級の学校に進むのがあるべき姿とまで言えるかには疑問が残る。やはり意志と能力を備えた者に限れば現在のわが国の上級学校進学率が妥当なところかもしれない。そうであれば奨学金の量的拡大より質的向上に努めるべきだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿