2015年6月6日土曜日

米国人学者187人の声明

米国のアジア研究者187人が慰安婦問題を含む「歴史認識」問題で先月「日本の歴史家を支持する声明」を出した 。全員でメールをやりとりして文章を作成したとのことで、なるほど良く練られた文章であるし、韓国や中国の主張の味方をして日本を批判するといった低次元の声明でないことは明らかである。声明で中国や韓国の「民族主義的な暴言」と指摘しているので私自身驚いた。メディアの邦訳の妥当性を一瞬疑ったが、考えてみれば邦語文を書いたのも彼ら自身なので文字通りにとるべきだろう。

しかし、声明作成の中心人物の一人キャロル・グラック・コロンビア大学教授の「史実は動かない   
  慰安婦への視点 現在の価値観で」とのインタビュー記事 ( 『朝日』6月5日 )には失望させられた。教授は慰安婦問題を「当時は問題がなかったとしても、現在の価値観に照らすと許容できない行為だったのは間違いない」と語っている。確かにE.H. カーの有名な「過去と現在の対話」との指摘 (『歴史とは何か』1962年 )のように、歴史は現在の視点から絶えず見直されるべきものであるし、事実そうして発展してきた。しかしその事と、過去を現在の価値観や道徳水準で裁断することとは全く別であり、後者は歴史家なら極力避けなければならない「非歴史的」で傲慢な行為である。

同氏は他にもナチスによるホロコーストに関して「重要なのは人数ではない」と 発言 ( 慰安婦問題を念頭に置いて?) しているが、ユダヤ人の迫害や虐殺はほとんど歴史とともに古いのであり、数百万人と言われる犠牲者が無ければナチスのホロコーストがこれだけ問題視されるはずがない。南京虐殺の犠牲者が数百人だったら歴史的事件となって居ただろうか。

また同氏は「価値観は時間を経て変化しますが、事実は変わりません」と語るが、カーが『歴史とは何か』で強調しているのは「歴史的事実」は不変なものではなく、それを見る時代の価値観によって無数の事実の中から選ばれてきたものだということである。歴史家ならその自覚を失ってはならないはずである。せめてカーぐらいはわきまえて発言してもらいたいものである。

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