それから何年も経ったのち松本清張が月刊『文芸春秋』で、6回目に渡日に成功するまでの鑑真の苦難の物語に疑問を呈した。清張によると従来の鑑真像は師とともに来日した彼の弟子たちが師の没後著した『唐大和上東征伝』に基づいているが、晩年の鑑真が朝廷からむしろ冷遇されたことに不満な弟子たちが師の偉大さと苦難を誇張した物語であったとした (5回の渡日失敗も疑問!)。その根拠として清張は、唐代の高僧を列挙した記録に鑑真の名はなく、伝えられるような ( 玄宗皇帝が渡日に反対したといった ) 高僧とは言えないとする。
素人の私には『天平の甍』に描かれた感動的な鑑真像と清張の主張のいずれが真実なのか判定できない。しかし、清張の主張は一応の史料批判の結果であり、否定もできない。
清張が訪中したとき中国人ガイドが1人ついただけで、中国側の井上靖への厚遇とは雲泥の差だった。作家として井上に劣ると思わない清張がこの待遇差 (中国のご都合主義 ) に立腹したことと鑑真への低評価は無関係ではあるまい ( 私の史料批判??)。
仮に『天平の甍』の鑑真像がそのままには受け取れないとしても、彼を日本に招くために十数年を費やした普照と栄叡ら留学僧たちの姿は充分感動的であり、『天平の甍』が名作であることには変わりはない。
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