2015年9月11日金曜日

唐僧鑑真と歴史学

唐の盛時、来日して戒律をもたらした鑑真とその弟子たちをNHKテレビの「歴史秘話ヒストリア」が取りあげ、一昨日放映した (再映?)。この鑑真渡来は1957年に井上靖により『天平の甍』として小説化された。たいへん話題を呼び映画化もされた。見たかどうか私の記憶は曖昧だが、前進座の芝居は感動して見た (むろん原作も )。当時は「日中友好」が両国で喧伝された時期であり、井上靖と彼が参考にした『鑑真大和上伝之研究』の著者安藤更生早大教授の二人は中国に招かれ破格の厚遇を受けた。

それから何年も経ったのち松本清張が月刊『文芸春秋』で、6回目に渡日に成功するまでの鑑真の苦難の物語に疑問を呈した。清張によると従来の鑑真像は師とともに来日した彼の弟子たちが師の没後著した『唐大和上東征伝』に基づいているが、晩年の鑑真が朝廷からむしろ冷遇されたことに不満な弟子たちが師の偉大さと苦難を誇張した物語であったとした (5回の渡日失敗も疑問!)。その根拠として清張は、唐代の高僧を列挙した記録に鑑真の名はなく、伝えられるような ( 玄宗皇帝が渡日に反対したといった ) 高僧とは言えないとする。

素人の私には『天平の甍』に描かれた感動的な鑑真像と清張の主張のいずれが真実なのか判定できない。しかし、清張の主張は一応の史料批判の結果であり、否定もできない。

清張が訪中したとき中国人ガイドが1人ついただけで、中国側の井上靖への厚遇とは雲泥の差だった。作家として井上に劣ると思わない清張がこの待遇差 (中国のご都合主義 ) に立腹したことと鑑真への低評価は無関係ではあるまい ( 私の史料批判??)。

仮に『天平の甍』の鑑真像がそのままには受け取れないとしても、彼を日本に招くために十数年を費やした普照と栄叡ら留学僧たちの姿は充分感動的であり、『天平の甍』が名作であることには変わりはない。

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