2015年7月31日金曜日

飛行機事故あれこれ

調布飛行場を飛び立った小型機が墜落し犠牲者を出した。今回飛行機は南に向かって離陸して事故になった。北風が吹く半年間は北に向かって離陸するのではないか?  いずれにせよ滑走路の北端には古い人見街道が東西に走っており、私の通勤路でもあった ( 途中に近藤勇の生家跡と本人の墓のある寺がある )。頭上を小型機が超低空で離着陸することもあった。周辺の住民は多少の危険は理屈では承知して住みついた筈だが、まさかの思いはあっただろう。

御巣鷹山事故が起きたとき半月後にドイツに学会出張する予定だった私は肝を潰し、出来ることなら中止したかったが、それはならなかった 。臆病者と言うなかれ ( そうでないとは言わないが )。事故が当時の世間に与えた衝撃は大変なものだった 。

そのまた20年以上前に羽田空港に着陸しそこなった全日空機とカナダ航空機の二機と、富士山付近で墜落した英国海外航空機と立て続けに一年以内に大事故が起こったことがある。全日空機は札幌の雪まつり ( 私には初耳だった )帰りの客を多く乗せていた。墜落原因は機体の欠陥説とパイロットミス説に二分され、調査委員会の結論は後者に傾いたが、委員の東大名誉教授は機体欠陥説を主張した。ノンフィクション作家の柳田邦男は著書『マッハの恐怖』で、教授が綿密な調査で立証したと紹介し大宅壮一ノンフィクション賞を受けた。

ところが後年、全日空の重役?が亡くなったときの新聞記事の中に、事故当時の社内では「とうとうやったか」と語られていたと付記されていた。当時全日空と日航は、札幌羽田間の所要時間の短縮のため激しい競争を繰り広げており (柳田も言及 )、正規の木更津回りのルートを避け千葉市上空から急速降下するルートを選ぶ場合もあったという。つまり、パイロットが無理なコースを選択したことが原因と見る空気が社内にあった。ボーイング727機は優秀な機種だけに操縦は難しかったとされるが、素人の私だがこの記事に妙にリアリティーを感じる。『マッハの恐怖』が大労作であることは完全に同意するが。




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