2015年3月27日金曜日

長州人の狂気

NHKの日曜大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率がいま一つだとか。私自身は見ていないので理由はよく分からない。そもそも吉田松陰とその妹が現代ではテーマとして地味だったかも。推測憶測に過ぎないが。

戦時中、吉田松陰はその歌「かくすればかくなるものと知りながら  止むに止まれぬ大和魂」「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも   とどめ置かまし大和魂」など大和魂教の教祖として少年の私の尊崇の的だった。戦後はいったん危険人物?として姿を消した松陰の復活ののろしは河上徹太郎の『吉田松陰』( 1968年 )だったと記憶する ( 未見 )。それ以後松陰の見直しが進んだらしく、私も攘夷論者と信じていた彼がペリー艦隊で密航を企てたと知り、あっけに取られた。

その松陰の教えを受けた長州藩の若者たちが討幕の原動力となったことは周知の通りであり、安倍首相のような「保守派」はもちろん、近代日本に批判的な「進歩派」も、維新そのものは「草莽崛起」の大事業と捉えているようだ。しかし、久坂玄瑞らが惹き起こした禁門の変 ( 京都の三分の二を焼いた ) は十倍の敵を相手にした暴挙?だったし、藩論を反幕府に一変させた高杉晋作の功山寺決起以後など私には奇跡の連続としか思えない。司馬遼太郎は「長州人はときに狂う」と評している。

私は長州閥を通じて日本陸軍 ( さらに日本そのもの ) に伝えられた「長州人の狂気」が太平洋戦争の一因だったと考えている。普通に考えて鉄鋼生産額が十倍の米国を相手に日本が戦争をするなど正気の沙汰ではない。「長州人の狂気」は確かに近代日本の誕生に貢献したが、同時に近代日本の将来の蹉跌をDNAとして持っていたのではなかろうか。

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