2015年8月1日土曜日

終戦の月

毎年8月は前の戦争の体験談や関連記事がメディアを賑あわす。今年は特に新安保法制との関連か、7月から賑やかである。まだ封切前らしいが、映画『日本のいちばん長い日』が話題を呼んでいる ( 私がPRに乗せられているだけ?)。むかし私が見たのは半藤一利氏の原作か1967年の旧作映画かあやふやだが、私自身の戦争体験と重なり無関心ではいられなかった。

現在から見れば終戦の「聖断」がせめて一年早ければ原爆投下も沖縄戦も東京下町の大空襲も免れたのにと残念に思わない人はいないだろう。しかし、1945年8月でさえ和平への抵抗は辛うじて阻止された。もっと早ければ、ヒトラー暗殺に失敗して和平派が粉砕されたドイツのように戦争が首都陥落まで続いた可能性はあった。ライシャワー博士は広島原爆投下の報に、日本は終戦に向けて動き出していたのにと暗然とした。だが、戦後見聞を深めた結果、広島への投下は止むを得なかったとの結論に至ったと回想録で語っている (長崎への投下は全く無駄だったとしているが )。それほど当時の我が国は軍部に牛耳られていたと理解するべきだろう。

今週の『歴史秘話ヒストリア』はジョセフ・グルー元駐日米大使の日米開戦阻止の努力と、戦時中の対日ポツダム宣言の穏和化の努力を紹介していた。前者では近衛首相のハワイでの日米首脳会談の提案がグルーの後押しにもかかわらず実現せず、開戦が決定的になったと指摘していた。じっさいグルーは会談開催をローズベルト大統領に文字どうり懇願している ( 『滞日十年』)。十年間に日本政治に精通したグルーには、もはや開戦回避のためにはハワイでのローズベルト大統領との会談での結果を近衛首相が帰国後ただちに参内して天皇の裁可を得てしまうというウルトラC級の手段しかないと正しく理解していた。番組では国務省ら大統領の周辺が「事前交渉なしに会談はノー」と反対したので会談は実現しなかったと説明していたが、その背後に中国政府の反対があったと聞く (蒋介石総統は「中国戦線が崩壊する」と会談に反対したという )。他にもローズベルト個人の過剰な民主主義イデオロギーや日本への侮りなどが指摘できるだろう。

むろん日米開戦が取り敢えず避けられたとしても、満州問題を中心に問題解決は困難を極めただろう。しかし、戦後冷戦の収束や最近のその一部復活を見ていると、風向きを変えることの重要性を強く感ずる。相手への警戒心が信頼感に変われば以前は不可能と思われていたことでも実現したことを忘れるべきではない。

PS   以前、三沢高校に元ヤクルトの八重樫が居たと書いたが間違いで、八重沢が正しいようだ。

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