記事では龍馬、大村益次郎、河井継之助のように「歴史の主流から離れた人物」で司馬により広く知られるようになったケースが少なくないと指摘している。確かに「坂の上の雲」の秋山兄弟もその例外ではなく、子規との近しい関係が読者の興味を高めた点はあろう。
新聞の連載で読んだ中で「胡蝶の夢」が20位以内にないのは残念である。この作品はオランダ人医師ポンペと蘭学を学ぶ彼の弟子たちの物語であり、彼等への賛歌でもあるが、終盤は弟子の一人関寛斎の足跡を追っている。寛斎は徳島藩の藩医で戊辰戦争に官軍の軍医として従軍した。そのまま官途に留まっていたら相当の地位につけたろうが、その後徳島で町医者となった。ところが老年になって北海道開拓を志し道東の陸別 ( 日本一寒い町として有名!) に親子で農場を開いた。だが、しだいに「米国式に富む」(徳富健次郎 『みみずのたはこと』より)ことを目指す子と寛斎との溝は深まり、寛斎は自死した。老いた自分にはもう出来ることは何もないと判断したのだろう。
小説の最後は司馬が陸別の関神社を訪ねるところで終わるが、この場面ほど感動的なフィナーレの小説はそうは無いだろう。私も道東旅行の途次関神社に立ち寄ったが、もはや神社というほどのものはなかったと記憶する。しかしその後、関寛斎資料館が町に建てられたようなので遺品が展示されているだろう。
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