意外だったのは両紙に三谷太一郎・東大名誉教授が論評を寄せ、『朝日』では首相談話を100%批判する一方、『読売』では大略批判6割、賛同4割の談話を発表していることである。「識者」は掲載紙の傾向に合わせた発言をするものなのか。しかし私はそう断定する気は毛頭無い。インタビュー記事での発言だったから。
以前、ある考古遺跡発見の意義について年長の知人が新聞にその大きな意義について発言していた。たまたま直後に顔を合わせたので、「あそこまで言っていいのですか」と聞いたところ、「本当に困っているんだよ」ということだった。知人はいろいろ前提条件をつけて発言したのにその部分が全く省かれた記事だったため、同業の友人にも私と同じ疑問を呈されたとの事だった。記者による歪曲であり、社の方針 (この新聞は考古関連の記事がよくトップ記事になった ) ろが優先したのである。今回の三谷氏のケースも同じかもしれない。
今回の何人かのインタビュー記事では「おおかたの日本人が共感するところであると思います」との関川夏央氏のそれが一番同感できた。氏の処女作?『海峡を越えたホームラン』以来私が氏のファンであることもあるが、他の論者たちが何故か誰も触れたがらない中韓の「外交カード」の側面にもきちんと言及しているからである。もっとも、「千年たっても加害者と被害者の関係は変わらない」と断言した朴大統領 (それが正しいなら日本は元寇の故に現在のモンゴール国を対等視してはならないことになる ) には、外交カードを利用するという意識はないかもしれないが........。
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