ドイツとの関係が経済的に、したがって国際政治的に対等と言えなくなってきたフランスという事情もむろん有るだろう。だが、フランス人から見てドイツ人の性格への危惧も無視できない。前回のブログでは紹介する余裕がなかったがトッドの本にはドイツ的性格への警戒が再三言及されていたのである。それはドイツ人の性格としばしば指摘される徹底性と言っても良い。
勤勉で几帳面な性格はドイツ人の長所だが、彼らは物事を中途半端に出来ないところがある。ホロコーストもその一例だろう。ユダヤ人迫害はヨーロッパ史上かなり一般的な事象だったし、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世はユダヤ人抹殺を口にしたりした (実行はしなかったが )。ナチスはその頃注目されていた優生学を文字通り受け止め、「劣等人種」や精神障害者は存在の価値がない (または低い )と信じた。人種差別は現在まで続く人類の宿痾だが、ここまで徹底した例は稀だろう。他方、ナチスの宿敵ドイツ共産党のテールマン党首は敗戦半年前まで11年間獄中ではあるが生存していた。ドイツが曲がりなりにも民主共和国を経験していたことも無関係ではないだろうが、かれが「劣等人種」でなかったこともあろう。
ホロコーストに従事した収容所の看守たちも一人一人は「普通のドイツ人」だった。理論的に正しいと確信すれば憐憫といった人間的感情を押し殺すことができるのは無論ドイツ人だけではないが.............。
メルケル首相個人の意向がどうあれ、この問題でドイツ国民の意向を無視できるかどうか。それにしても米国のルー財務長官が債権諸国に債務減免を求めると公言したのは拙劣である。裏面での交渉ならともかく、これではメルケル首相は妥協すれば米国の圧力に屈したと国民の目に映るとどうして分からないのだろうか。
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