2015年4月5日日曜日

米国知日派の限界

用事で東京を留守にしていた (物見遊山ではない!)のでいささか旧聞に属するが、3月30日の朝日新聞の第一面の見出しは「安保法制  米提言に沿う    知日派作成、 首相答弁にも反映」だった。内容は、安倍内閣が執拗に実現を目指している新安保法制が「アーミテージ・ナイ・リポート」と呼ばれる知日派の対日政策の提言書の線に忠実に沿っているというものだった。

アーミテージ元国務副長官やナイ・ハーバード大教授は米国の代表的な知日派であり、その対日政策の評価は人により異なるだろう。しかし、知日派イコール親日派と見るのが誤りだとまでは言わないが、所詮彼らが米国の立場を離れないことは事実だろう。それは当然である。彼らにとって米国第一、日本第二だからと言って不満は言えない。アーミテージが日韓関係をめぐって日本は慰安婦問題に頑なな態度を取るなと「忠告」していることでそれは明らかだった。日本にとっては真実がどうだったかが問題だが、アーミテージにとっては台頭する中国を前にして日韓関係の修復だけが関心事なのである。

しばらく前の「声」欄に日本は米国の保護国だとの投書があった。帝国主義全盛時代の植民地の別名 (偽名?)の再現に私はたじろいだが、よく考えればまんざら見当外れでもない。少なくとも戦後、本質的な問題で日本が米国に逆らったことがあったろうか。建前上かもしれないが自国兵の一つしかない命を他国のために提供する用意があると言われれば、提供される側の自主性に限界があってふしぎではない。それでも他国人の生命を一人も奪わなかったし、自国民の生命を一人も失わなかったことを重視する立場も当然あるだろう。どちらの代償を止むを得ないと考えるかの問題である。

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