2015年6月27日土曜日

年齢相応はあるはず

昨日の新聞によると、横浜の市立中学校が陸上自衛隊の演習の見学募集をした。理由は「公民」の「平和主義に関する学習と関係がある」とのことで、それに対し「子ども・教育・くらしを守る横浜教職員の会」が「中学生は兵器の威力にだけ魅力を感じてしまうのではないか」との理由で反対している。どんな演習か詳細は分からないが、反対には一理あると思う。提案した教員の意図が仮に平和教育の一環だとしても (その可能性はある )、中学生の理解力や感受性を考慮する必要があろう。

それで思い出したがしばらく前、「はだしのゲン」を残酷な描写があるとの理由で中学校 (小学校?)の図書室の開架式の書棚から引っ込めた学校がひとしきりメディアの批判にさらされた。しかし高校生には適切なことが小中学生には不適切な場合は十分考えられる。開架式の書棚から引っ込めたことが即、表現や言論の自由の制限だとは思わない。映画館でも図書室でも同じことである。

年齢制限と同じではないが文科相が式典での国旗掲揚や国歌斉唱を国立大学も実施すべきであると発言した。税金で運営されているからとの理由を挙げているが、賛成できない。

私は小中学校の式典での国旗掲揚や国歌斉唱には反対しない。国旗や国歌に敬意を表する (胸に手を当てたり立ち上がったり )ことは外国の式典では一般的なようだが、身についていないと咄嗟には出来ないものである。式典ではある程度の規律や厳粛さは必要で、教職員が国旗や国歌に不賛成だからといって座っていたら式典は台無しである。上司や外部の人間が口の動きまで監視するのは行き過ぎだと思うし、私自身は演壇の背後に大きな国旗を掲げるのは見たくない。しかし旗立に立てるとわざと見にくい位置に置いたりされる場合があると聞けばそちらも問題だと考える。

しかし、小中高学校は主として公民としての基礎的な知識を学ぶ場であるが、大学は職業に結びつく教育の場であると共に真理を探求する場でもある。極論すれば国歌や国旗をどう理解するかを根本から考える場である。税金で支えられているから国旗国歌をというのは短絡的で、自由な言論を基本とする大学にはふさわしくない。

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