2015年3月8日日曜日

『家』と『道草』

故あって藤村の『家』と漱石の『道草』を続けて読んだ。日本文学史にうとい私でも、明治大正の作家たちにとって家族制度の問題、家に対する個の確立の問題が小さくないテーマだったとは何となく耳にしていた。『家』も『道草』も、二人の作家にとっての家の問題が主要なテーマとなっている私小説である。

先ず現在との違いを知らされたのは当時の一家の兄弟姉妹の数の多さである。木曽の名家の出身の藤村の場合とりわけ顕著だが( したがって甥姪の数も多い  )、漱石の場合も係累は少なくない。その家が没落( 藤村 )ないし衰退( 漱石 )したらどうなるか。一族のうち比較的成功したメンバーは当然のように、生活が苦しい親族を助けなければならない。藤村も漱石も助ける側ばかりではなく助けられる側に立つこともあったが、大半の場合金銭的援助を求められる側であった。家に対する個の確立とは精神的な意味ばかりではなく、極めて現実的な問題でもあったと知った。

我が国の家族関係はその後大きく変わった。家の建築資金などは別だが、親族と日常的に援助し合うことは稀だろう。年金や生活保護制度などが整備されたことが大きい。それは大変結構なことだが、代わりに明治大正の時代、否戦前昭和の時代でも殆ど考えられなかった老人の孤独死が珍しくなくなった。そこまででなくとも自宅以外で最後を迎えることが一般化しつつある。犬猫で心を癒す老人家族が増えた。個の確立を願った時代には想像できなかった諸問題である。明治大正の時代がうらやましいなどとは思わないが、物事には常に両面があるということだろう。

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