以前のブログに書いたように今回の法案が転機 (正確には段階を進めた ) ことは確かであり、また野党が指摘しているように憲法違反であると私も思う。しかし憲法第9条第2項を虚心に読めば、憲法違反は自衛隊の発足以来60年間続いて来たと言わざるを得ない ( 自衛隊が「戦力」でないと考える国が日本以外にあるだろうか )。私だけではない。保安隊が自衛隊に改変された時、朝日新聞 (1953.7.23 )の天声人語は「単に保安隊の性格が変わるどころの話ではなくて、憲法に規定された日本の国家の性格までを一変することになりかねぬ」と述べ、同日の読売新聞の社説も「対外的に自衛軍を増強していく約束をしながら、国民に対しては『自衛軍は戦力ではない』というような見えすいたごまかしはやめてもらいたい」と述べていた ( 朝日夕刊 6月18日より引用。今年である!)。つまり今回の立法は「戦後の歩みを覆」しているのではなく、延長なのである。
その後、新聞も憲法学者もその歩みを問題にしてこなかった。国民もそれを許容してきた。自衛隊発足以来の世論調査は殆ど一貫して自衛隊「増強」には反対する一方、一貫して「現在程度」を支持してきた。しかしその間、自衛隊は一貫して増強されてきた。これを既成事実に弱い日本人の特質の表れと見るか、逆に日本人のリアリズムと見るかは見る人次第だろう (私は前者と見るが )。
自衛隊のPKO法が成立したとき4日間の野党の牛歩戦術があった。今日自衛隊のPKO活動に反対する人は少数だろう。
憲法第9条が現実に長い間利点であった側面は否定できない。しかし日本国と日本国民が9条を忠実に遵守してきたと考えるのは錯覚だろう。
同じ日の新聞に澤地久枝氏が「権力にモノを言うことに勇気が試される時代です」と語っている。しかし文筆を業とする者にとってはメディアに「モノをいう」ことこそ最も困難であるとの自覚がないとは驚きである。
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