2015年5月1日金曜日

安倍演説の英語

米国上下両院合同会議での安倍首相の演説の英語全文ないし重要箇所の単語が新聞各紙で解説されている。演説内容もその英訳も外務省関係者を中心に練りに練ったものだろう (ジェスチャーまで?)。米国に対する過大とも言える賞賛は場所柄からある程度止むを得ないし、英訳に関しては私ごときが評価する資格はない。

ただ、「反省」をどう英訳するのか、reflectionしか思い浮かばず (竹原常太 和英小辞典もそれだけ )、気になってテレビを見ていたらremorseと聞こえた。思いもかけなかったのでもう一回別の放送にチャンネルを変えたが間違いなかった。remorseは英和辞典によれば「良心の呵責」、「自責」など、沈思の意味もあるreflectionよりずっと強い反省の言葉である (他の個所のrepentanceも同じ )。しかし、私の購読紙以外の他紙でremorseが「反省」の訳語として村山談話以来使われてきたと知った。

もう一つ、首相の好む「積極的平和主義」はactive (ないしpositive )pacifismとでも訳すと私は勝手に想像していたが、proactive contribution to peace と英訳されていると知った。proactiveとは研究社の英和大辞典でも一行しか割かれていない言葉で、私は無論のこと英語国民でも庶民は恐らく知らない単語ではないか。しかし、外務省?がpacifismの使用を避けたのは妥当だった。西欧、少なくとも英仏両国ではpacifismは否定的意味で使われることが多いからである。

第一次大戦で多大の人命の犠牲を払った両国は、ヴェルサイユ条約の厳しさへの負い目も加わり、ナチスドイツが台頭してきても平和的共存が可能だと信じがちだった。ナチスドイツがそんな生易しい相手ではないと気づいた時はもう遅く、後発のドイツの軍事力に圧倒され、米国の参戦でやっと勝利できた。それ以来、「どんな代価でも平和を peace at any price」は二度と繰り返してはならない政策となり、pacifismは少なくとも西欧の外交関係者は使わない用語となっていると思う。

米国を賞賛するのも、それとの協調を誇示するのも悪いとは言わない。しかし、安倍首相が再三、中国が提案するアジアインフラ投資銀行への疑念を語り、先日は、悪い金貸しは利用しないのが賢明と口にしたのは軽率としか言いようがない。自国が加盟するかは兎も角、無用な批判を口にすべきではない。中国のメディアは安倍演説を批判していても、中国外務省の報道官は要望はしても批判していない。礼には礼を尽くすべきである。

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