2026年5月2日土曜日

 過剰包装の時代に終止符を!

  今朝の新聞にナフサが原料の住宅断熱材が品薄に?との記事が掲載されている。ホルムズ海峡が閉鎖され、中東産石油の大きな部分が供給されなくなり、経済活動の困難を招くのではないかとの理由で世界とくに日本のメディアが経済活動の前途に警鐘をならしている。まったく前途が心配だが、これが契機となり石油が燃料ばかりでなく日常の包装器材の原料となっていることを初めて知り驚いている。

 何時ごろからか、菓子類の包装の過剰ぶりが目立っている。清潔感や高級感を強調するためか以前は裸で売られていた駄菓子の煎餅やあられまで一つ一つが最近では包装紙に包まれている。無駄の極みとしか思えない。少なくとも衛生的配慮が主ではなさそうだ。工場や自動車などの石油消費量と比べれば極小かもしれない。しかし、真に必要ではない無駄を省くことにも八方手を尽くす時ではなかろうか。

2026年5月1日金曜日

 『学生街の喫茶店』の思い出

  「君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ.......... 」との歌詞のガロの『学生街の喫茶店』が流行ったのはわたしの学生時代より十年ほど後だ。しかし、大学正門前の喫茶店『ルオー』(複製の大きなルオーの絵が掲げられていた)に友人たちと私が通った頃と歌詞とは何ほども変わっていない。

 親しい仲間と同じ学科の一年先輩の女性のOさんと全員登山好きでもそこで同席したことは何回も無いが(一学科二十数人に1人かせいぜい2人の女子学生と単独で会うことなど考えられなかった!)この曲を聴くとなんとなく『ルオー』を思い出す。卒業後は同じ仲間の会で彼女とは半世紀近くの間に数回顔を合わせたが、最後の2回ほどは病身で食事に助けが必要だった。いま生存しているとは思はないが、ガロの歌声を聞くと当時を懐かしむ気持ちを禁じ得ない。

2026年4月28日火曜日

 一部アフリカ諸国の混乱

  メディアによるとアフリカ西部の小国マリの国防相がサハラ砂漠から侵入したイスラム教徒の過激派の攻撃により殺害されたとのこと。いかに小国とはいえ一国の国防相が侵入勢力により殺害されたとは..........。

 サハラ砂漠以南のアフリカの小国群は私を含めた日本人には意識の上では最も遠い存在ではなかろうか。これら諸国は植民地独立の波に乗ってフランスやイギリスの支配を脱したが、国家運営の困難から最近はロシア人の傭兵などの支援に支えられていた。したがっていくら傭兵たちとはいえ、こうした事件はロシアにとって痛手ではある。

 これら「サハラ以南」の小国群の苦境は最も極端な形ではあるが、スーダンやマリなどアフリカ諸国の相当部分も陥っているところ。国連をはじめとする国際援助機関の指導の一層の強化が望まれる。

2026年4月25日土曜日

 元祖福祉国家の名誉を維持するため?

  新聞に英国で2009年以降に生まれた者には禁煙を強制することが決まったと報道されている。何かの間違いではないかと思うが、事実としたら大変な決断ではなかろうか。

 第二次大戦直後の総選挙で大戦勝利の栄光に包まれた保守党のチャーチル首相を敗って組閣したアトリー労働党内閣は社会保障を大幅に充実させ、世界の福祉国家建設の流れを作ったことで知られ、外国人を含む住民全員の医療費無料はその核心でもあった。 しかし当然ながら近年は他国同様に財政難に苦しむ中で元祖福祉国家の名誉を保つためか、 無料の医療制度を改めず、禁煙の強制を選んだようだ。

 順番待ちのための手術の大幅遅延など、 無料の医療に固執する必要があるのかと私など思うがタバコは百害あって一利なしと聞くとこの頑固さも英国人気質の一端なのだろう。危機打開の成功を祈る。

2026年4月22日水曜日

 クマの害にもっと真剣な対処を!

 メディアによると山村で行方不明の女性を捜索していた警官がクマに襲われ負傷した。クマは捕獲されたが警官の近くに女性の死体を見つけたということなので、要するにクマによる死者一名、負傷者一名ということなのだろう。

 今頃は冬眠から覚めたクマが出没する時期なのだろう。しかし山村では山菜探しの季節。住民にとって山菜は自分で食するにせよ商品とするにせよ貴重な収穫物であり、クマが出没すると聞いても探索は断念できないだろう。今回は探索の警官まで負傷したわけだが、狩猟免許者の同行の都合がつかなければピストルの所持ぐらい許可できなかったのか。

 今年は仙台市の中心部までクマが出没する異常事態。 自衛隊の出動を要請するにしても長期の出動は困難だろう。必殺の武器の携行がなければ警官も真に同情に値する被害者である。警察の幹部はそんな命令を出すべきでないと思うがどうだろう。

2026年4月20日月曜日

 J.ネルーの生涯

  第二次大戦後、アジアやアフリカの旧植民地がぞくぞくと独立を果たしたころ、新興国群の誰もが認めるリーダーはインドのネルー(日本ではネール)、インドネシアのスカルノ、エジプトのナセルの三人だった。そのうちスカルノは共産圏諸国に接近して軍部の不興を買い失脚。 ナセルは第3次中東戦争でイスラエルに敗北し失脚。 結局最後までその地位を保ったのはネルーだけだった。私は彼が来日時に私の出身大学を訪問したので間近に見たことがある。

 指導者たちが去ってもアジア・アフリカの新興国が強い発言力を持つ事実はむろん変わらなかった。そのため?日本でもネルーの大著『父が子に語る世界史』が翻訳刊行され、私も愛読者の1人だった。一読して何より印象的だったのはロシア革命への傾倒、レーニンとトロツキーへの手放しの賛辞だった(スターリンは未だ注目されていなかった)。 しかし革命ロシアがその後とんでもない国ソ連邦となったのはご存知の通り。

 独立運動の最中の獄中での著作であることも考慮しなければならないが、どれほど善意で生まれた国でも、言論の自由が欠けるとき国民の抑圧者となることをネルーでも理解できなかった。

2026年4月15日水曜日

蜜柑の木は残った!

  およそ半世紀前、多摩丘陵の新開地の一画に住みついた時は当然庭木はゼロ。一本や2本は果樹が欲しいと伊豆東海岸の136号線沿いの露店で温州みかんの苗を求めたが夏みかんのそれしか無く、やむなくそれを入手し、門の傍に植えた(その後温州みかんを入手し、庭の中央に植えた)。

 それから毎年、花の香りと蜜柑を毎年収穫したが、数年前、温州みかんがなんと150個ほど取れた年、突然木は枯れた。夏みかんはそれほど好きではないのでガッカリした。ところが昨年からの異常な日照り続き。 今度は夏みかんが枯れると思い、風呂の残り水を何回もバケツで根元にかけたが、不安いっぱいだった。しかし、三日ほど前、家内が芽が出てきたと報告。私の努力は報われ嬉しい。