2026年4月22日水曜日

 クマの害にもっと真剣な対処を!

 メディアによると山村で行方不明の女性を捜索していた警官がクマに襲われ負傷した。クマは捕獲されたが警官の近くに女性の死体を見つけたということなので、要するにクマによる死者一名、負傷者一名ということなのだろう。

 今頃は冬眠から覚めたクマが出没する時期なのだろう。しかし山村では山菜探しの季節。住民にとって山菜は自分で食するにせよ商品とするにせよ貴重な収穫物であり、クマが出没すると聞いても探索は断念できないだろう。今回は探索の警官まで負傷したわけだが、狩猟免許者の同行の都合がつかなければピストルの所持ぐらい許可できなかったのか。

 今年は仙台市の中心部までクマが出没する異常事態。 自衛隊の出動を要請するにしても長期の出動は困難だろう。必殺の武器の携行がなければ警官も真に同情に値する被害者である。警察の幹部はそんな命令を出すべきでないと思うがどうだろう。

2026年4月20日月曜日

 J.ネルーの生涯

  第二次大戦後、アジアやアフリカの旧植民地がぞくぞくと独立を果たしたころ、新興国群の誰もが認めるリーダーはインドのネルー(日本ではネール)、インドネシアのスカルノ、エジプトのナセルの三人だった。そのうちスカルノは共産圏諸国に接近して軍部の不興を買い失脚。 ナセルは第3次中東戦争でイスラエルに敗北し失脚。 結局最後までその地位を保ったのはネルーだけだった。私は彼が来日時に私の出身大学を訪問したので間近に見たことがある。

 指導者たちが去ってもアジア・アフリカの新興国が強い発言力を持つ事実はむろん変わらなかった。そのため?日本でもネルーの大著『父が子に語る世界史』が翻訳刊行され、私も愛読者の1人だった。一読して何より印象的だったのはロシア革命への傾倒、レーニンとトロツキーへの手放しの賛辞だった(スターリンは未だ注目されていなかった)。 しかし革命ロシアがその後とんでもない国ソ連邦となったのはご存知の通り。

 独立運動の最中の獄中での著作であることも考慮しなければならないが、どれほど善意で生まれた国でも、言論の自由が欠けるとき国民の抑圧者となることをネルーでも理解できなかった。

2026年4月15日水曜日

蜜柑の木は残った!

  およそ半世紀前、多摩丘陵の新開地の一画に住みついた時は当然庭木はゼロ。一本や2本は果樹が欲しいと伊豆東海岸の136号線沿いの露店で温州みかんの苗を求めたが夏みかんのそれしか無く、やむなくそれを入手し、門の傍に植えた(その後温州みかんを入手し、庭の中央に植えた)。

 それから毎年、花の香りと蜜柑を毎年収穫したが、数年前、温州みかんがなんと150個ほど取れた年、突然木は枯れた。夏みかんはそれほど好きではないのでガッカリした。ところが昨年からの異常な日照り続き。 今度は夏みかんが枯れると思い、風呂の残り水を何回もバケツで根元にかけたが、不安いっぱいだった。しかし、三日ほど前、家内が芽が出てきたと報告。私の努力は報われ嬉しい。

2026年4月12日日曜日

 教師冥利の一日

  今日は学部と修士課程(当時は博士課程は未設置)で計4年フランス史を指導した旧学生二人が拙宅を訪れてくれ、たっぷり話し合うことができた。現在1人は某博物館勤務。1人は家庭の人だが地域の文化活動に貢献中。ご息女の大学入学式のため関西から上京とか。 何しろとんでも無く久しぶりなので積もる話は限りなく、これ以上楽しい会合があろうかと感ずるほどの半日を過ごした。

 これまで教師は天職の一つと聞かされても、どの職業でも適性があれば天職だと思ってきたしそれに変わりはないが.............。  ご家族を含めていっそうのご多幸を願うばかり。

2026年4月7日火曜日

 帰宅報告

  今日病院から解放されました。一年前と同様の手術で腰痛は著しく減少。 施術の背中の傷跡が痛むだけ。ウソと叫びたい気持ち(早とちりでないの!)。 帰宅途中の街路の桜花に促され、何年振りか一句。 「桜花 雨に追われて 散り急ぎ」。 報告の上駄句を読めというの!!

2026年4月2日木曜日

 ヨルダン王国の知恵

  ここ数年、否この数十年、中近東で殆ど唯一安定した国家運営を続けて国はどこか。それはヨルダン王国であり、まるで中近東の国家ではないかの印象である。しかし、同国はイスラエルと直接国境を接する稀な国家の一つである。それは何故か? ヨルダン王家、とくに現フセイン国王の知恵の結果であると私は考えている。

 ヨルダンがトランスヨルダンと呼ばれていた頃からの王家の後継者である彼は、第3次中東戦争(1976年)の頃から慎重にイスラエルとの対立を避けてきた。同じくイスラエルの隣国で未だに紛争を抱えているシリアやレバノンとの違いは大きい。

 ヨルダン王国は「アラブの大義」のスローガンに動かされることなく、自国と自国民の生活安定を最優先して来たかに見える。イスラム原理主義者から見れば不徹底で不快極まるだろうが、国民の幸福の物差しからすれば賢明な指導者ではなかろうか。中近東では、報道機関に忘れられそうな国ほど不幸の度合いは低いと私は考える。

 追記 三日後に腰痛治療のため入院しますので、しばらくブログを休みます。悪しからず!

2026年3月29日日曜日

 老人のフランス映画懐古

 今朝のテレビ欄に「ギャバン」という題の番組(テレ朝)があった。昭和一桁生まれの私などには戦前のフランス映画俳優を代表するジャン・ギャバンはスクリーン上の英雄だった(ある時期、フランス映画の人気は自称インテリアの間ではアメリカ映画より高かった)。まさかとは思ったが念のためチャンネルを変えたが、やはり、怪獣物のようだった。

 日本でのギャバンの人気を最高に高めたのは『望郷』と『大いなる幻影』(ともに1937年)。 パリのいかがわしい世界の顔役だった彼は司法に追及され、当時は仏領だったアルジェリアの首都アルジェの暗黒街の顔役になる。しかし、パリが恋しくて仕方がないのに帰国はかなわず、他人の帰国を見送るばかり。最後はたしか銃弾を浴びて死んだ。 戦前にパリに憧れた日本の自称インテリたちの心を一作で鷲づかみにした。同年の『大いなる幻影』は第一次大戦でのフランス人捕虜の物語で戦前フランス映画の頂点ともみられる作品。  翌年の『霧の波止場』は再びギャングもの。そうしたギャバンの姿は一転、戦後『現ナマに手を出すな』の白髪姿の彼は見たくは無かった。今朝の本欄は思いもかけないむかし話になってしまった。しかし、当時は懐かしい.............。