2026年9月15日火曜日

 朝鮮人同級生との小さな思い出

  朝日新聞の夕刊に「決闘から始まった授業」との見出しで、広島の高校生と同地の朝鮮中高級学校の生徒らの衝突と和解の努力のエピソードが載っていた。私は戦争末期東京を離れ地方の小学校で2人の朝鮮人の生徒と一年足らずだが同級生だったことがある(東京では同国人と会うことはなかった)。彼らの親は飛行機工場の拡張のための土地造成の作業に従事していた。日本人生徒が朝鮮人の生徒をいじめたりすることは皆無だったのは、彼らが大柄だったことと無関係ではなかったかも知れない。

 彼らの居住する集落は小学校と道を隔てた反対側にあり、ある日私は誘われて同級生の家を訪ねた。典型的なバラックの家だったが新築後間も無くだったので清潔な感じだった。 他の同級生が集落を訪れることは皆無だったからか、同級生の母は大歓迎してくれた。現在と異なり交流がゼロでは生徒同士の衝突もなかったということか? ともあれ、エトランジェ同士が慰め合ったということなのだろう。


2026年9月13日日曜日

 「9・11事件」の記憶

  今年は乗っ取られた複数の民間航空機がニューヨークの世界貿易センタービルを攻撃して破壊したいわゆる「9・11事件」の25周年ということで、新聞を中心に回顧記事が目立った。日本人ビジネスマン数十名も犠牲になった驚愕の事件だった。私はたまたま途中からテレビを見て最初は何が起こったのか理解できなかったが、2機目(3機目?)が突入するのを見てやっと事態を理解し、言葉を失った。

 犯人たちもあれほどの事態になるとは予想していなかったかも知れないが、何の関係もない民間航空機の乗客たちの生命を奪うことを何とも思わない犯人たちの冷血漢ぶりに言葉を失った。その意味では当時のブッシュ大統領や米国民の怒りは理解できる。

 実は過去にアフガニスタンに侵攻した英帝国と旧ソ連のどちらも何の成果もなく撤退した。だからといって結果論から米国のアフガニスタン侵攻を過去の歴史を学ばなかったなどと批判する気にはなれない。人命の喪失を何とも思わない宗教指導者が世界には存在すると観念する他ないのだろう。


2026年9月8日火曜日

 国際刑事裁判所(ICC)の判断はいつも正しいか?

 トランプ米大統領が国際刑事裁判所との争いを始めた。最近のトランプ氏の理不尽さは今更ではないが、日本人の長官までとばっちりを受けているのはご存知の通り。しかし、同裁判所の行動にはときに疑問を感ずるときもある。

 フィリピンのドゥテルテ前大統領は同国の「麻薬戦争」で麻薬関係者を容赦なく殺し、その間に無実の人も間違って殺されたとされ、ICCに逮捕され現在裁判中と聞くが、私は先進国の基準を途上国に安易に適用することは問題だと思う。フィリピンもそうだが、中南米諸国はメキシコのような大国に至るまで麻薬関係者との闘いに苦戦しており、ハイチ政府はついに麻薬関係者たちに乗っ取られたと聞く。ところが、同国はフランス革命後の中南米諸国で最も早くフランスに倣って民主主義革命を達成したと歴史教育者の一部で讃えられていた。私はドゥテルテ前大統領のおかげでフィリピンは麻薬関係者の支配が阻止されたのではないかと考える。それが正しいか否かはともかく、先進国の基準をやたらに他国に当てはめて裁くことは正しいだろうか?


2026年9月6日日曜日

 句会に誘われて

  私は文学部出身でありながら俳句や短歌を作った経験はゼロではないが限りなくゼロに近い。新聞には両者の投稿欄があるが、最近はどちらも大変な数でとても読む気になれず、目を通すのは川柳欄だけ。ところが最近月一回の句会に誘われ、これまで3回投稿して出席した。しかし、季語のことはよく知らないので、入れたり入れなかったり。俳句と呼べるのは半分ぐらいかも。それでも合評会はそれなりに面白いので、しばらくは続けるつもり。

 ところが現在の私は近くでも外出は家人に車で送り迎えしてもらう他ない。したがって半分以上の句は自家の庭を題材とする他なく、いつまで続けられることやら。しかし、他の出席者の句は面白いので、自作の川柳まがいの句でお付き合いするつもり。人間、先のことは分からない。

2026年9月1日火曜日

 中道勢力の分裂

 今朝の新聞に「中道、事実上の解体 3党首会談正式に合流断念」と報じられた。やっと意味のなかった「結婚」が破局を迎えた。 

 前回の衆院選を前にして立憲民主党と公明党が選挙向けの連合を組んだ。当時の新聞の世論調査では、高市内閣への支持率は70%を大きく超えており、これ以上の自民党の強大化を防ぐための提携は私などよくぞ決心したと高く評価した。しかし、国民の理解は得られなかった。

 当時の立憲民主党の野田佳彦党首は公明党を自民党から引き離すため、新党の全国区候補の上位候補の全員を元公民党員にした。しかし国民の間にある宗教政党への違和感(それも昨日まで政府与党だった)を見逃した。野党支持の有権者は戸惑ったのではないか? 結果論からの批判は心苦しいが、野田氏の配慮は多年の同志たちの足を引っ張った。政界は善意がそのまま通じる世界ではなかったということだろう。

2026年8月28日金曜日

 ゴーヤーの日除け

 我が家の居間の南面は夏の陽射しを遮るため何年間か朝顔を網の目状に生やしたが、4年ほど前からゴーヤー(沖縄原産の苦瓜)に変えた。実利が目的ではないが、 実が下がっている様も悪くはなかった。しかし、ゴーヤーは連作すると実らないと聞き、今年は大きめの植木鉢に植えた。家内によると肥料も加えたそうだが、やはり例年のような成長速度は望めず、8月も下旬になってようやく目隠しの役を果たすようになった。

 それにしても庭の雑草も含めて植物はなぜか人の心を落ち着かせる(公団住宅のベランダでもそうだった)。しかし都会では庭の焚き火も許されない昨今、 枯れ草といえども焼却場に負担をかけている。鉢植え程度で我慢せよということか? 私が都会人になりきれていないということなのか?

2026年8月26日水曜日

 アンカレッジ空港の思い出

  新聞で、時計店が襲われ超高級なスイス製の腕時計が強奪されたとの記事を読んだ。億円単位の中古時計など我々とは全く無縁の事件だが、それを読んで私は三度か四度利用し、 スイス時計を購入したことのあるアンカレッジ空港を思い出し、感慨に耽った。

 戦後の我が国とヨーロッパとの間の交通路は旧ソ連が外国機の領空利用を許さなかったため、南回りの海路や空路や、ナホトカ航路でその後はソ連航空でシベリア横断するしか渡欧の方法はなかった。しかしその後に北極の上空を横断するルートの利用が一般的となり、私も3回か4回利用し中継地のアンカレッジ空港に立ち寄った。

 当時は日本出国時の外貨保持は制限があった(750ドル?)ので、夏季休暇を利用してフランスの国立図書館や文書館に日参する私自身を含めて何としても帰国まで食い繋ぐ必要があり、 カルチエ・ラタンの安価などんぶり飯を提供する日本食堂は混んでいた。

 帰国時のアンカレッジ空港で無税の電池式のオメガ(当時は新式でもてはやされていた)を購入した。空港の利用者は時間にもよろうが日本人が大半で、うどん店の前は行列。あと数時間で寿司でも天丼でも食べられるのにと、私は我慢。こうして入手した電池式オメガを数年間愛用したが、電池交換が必要な腕時計の人気はその後下り坂となり、私も利用を諦め売却した。

 一時は利用客の大半が日本人だった?アンカレッジ空港は今はどう利用されているか。  たまらなく懐かしい。