2026年2月1日日曜日

 スポーツ競技大会の肥大化

  オリンピックを始めとする各種スポーツ大会でメダルを獲得することは競技者本人にとっての名誉と喜びであるばかりでなく、一般の同国人にとっても喜びであると言えるだろう。その結果、近代オリンピックは第一回のアテネ大会いらい各国民の関心の的となり、今日の隆盛を産んだといえよう。

 しかし、最近の競技種目の拡大には疑問のあるケースもある。男女の選手が同一種目で闘う混合もその一つではなかろうか。  一つの試合で男女がそれぞれの役割を果たす場合は何の問題もない。しかし、一例を挙げるとスキーのジャンプ競技に「混合」種目が設定されたと聞く。しかし、同じジャンプ台で競うとはいえ、同一水準ではない男女の成績を足して2で割って順位を決めることに何の意味があるのか。 私の誤解であることを願っている.............。

2026年1月28日水曜日

 パンダの中国返却

  パンダが中国に返却され、我が国での飼育数はゼロとなった。私も家内も可愛い動物だとは思うが、 結局のところ上野公園に会いに行くことはなかった。それでも最初から貸与という条件だったとはいえ、紀伊白浜を含めてパンダ飼育が全国でゼロとなったのは約束違反とはいえないが、非情な措置ではある(パンダ返却は高木内閣成立前から決まっていたので政情の変化とは関係ない)。

 パンダの繁殖力はそれほどでないのか、四川省への団体旅行で現地の飼育施設を訪ねたが、目にしたのは数頭だった。しかし施設全体からすればほんの一部だったのだろう。いずれにせよ、日中友好の象徴のようなパンダ貸与だと我々は思っていたが、現在の中国指導部にそうした配慮は二の次三の次だったのか。それとも中国にも他国に貸与する余裕は無くなったのか。メディアに日本以外の西側諸国への中国の対応を報道してほしい。

2026年1月24日土曜日

 記憶に残るニュース・キャスターたち

  番組の司会をするアナウンサーたちで多分もっとも名を知られた久米宏氏が亡くなった。追悼番組で現役時代の姿に再会したが、たしかにテレビのために生まれてきたようなと言いたい軽妙な話ぶりで、懐かしかった。

 しかし、ニュース番組の司会者としては多分NHKの磯村氏が元祖だろう。ともかく長い間NHKの顔だった記憶がある。NHK退職後にその知名度に目をつけた自民党に都知事候補に担がれたが敗北。やはり知事役にぴったりという感じはなかった。

 磯村氏とほぼ同時期にフジテレビでニュース番組のキャスターを務めた山川千秋氏は国民学校5年生まで同級生だった。 マンモス大学では学部も違い再会することはなかったが、私のゼミ生とフジテレビのアナウンサーとの結婚披露宴で再会し、懐かしかった。 その後早死にしたが、その時にはキリスト教に入信していたと最近知った。入信せずにはいられなかった気持ちを思うと何とも言えない気持ちになる。

 最近ではNHKのキャスターだった大越氏が六大学野球で母校の投手だったので親しみを感じていた。現在はときどき他局の番組で見かけるのが嬉しい。以上、このブログで過去に言及した人もある。悪しからず。

2026年1月23日金曜日

 雪の峠越え

  新聞やテレビが豪雪予報を伝えている。そのたびに晴天続きの太平洋側の諸県と豪雪の日本海側の諸県の甚だしい不公平に申し訳ない気持ちにさせられる。

 私はこれまで東京と愛知県にしか住んだことはないので、豪雪と言えるほどのものを経験したことはない。ただ一度だけ、雪のため高速道が閉鎖され困ったことはある。

 12月下旬だったと記憶するが、大学時代の友人で広島の同業者の家に泊まった帰り、途中までは快晴で楽しいドライブだった。滋賀県の草津からは東に別れる国道一号線も利用できるが、その日のうちに帰京したく、名神高速道路を続けることにした。ところが途端に「一天俄かにかき曇り」、  とうとう彦根で高速道が閉鎖となった。以後、かなりの積雪の中を関ヶ原の峠の直前の醒井(さめがい)駅まで来たが、峠越えの自信はなく、駅前広場で車中泊をすることにした。そして2時間ほども経ったろうか。 駅前を大型トラックが歩くほどのスピードで前車との間隔を何十メートルも空けてゆっくりと峠に向かうのを知り、私も真似をすることにした。実際に峠を越えたらたちまち雪は消え、大幅に遅れたが朝には名古屋に着いた。私は運が良かったのか、悪かったのか!


2026年1月18日日曜日

 無意味な日本語やめて!

  われわれが使用する言葉は不変ではなく、常に移ろうものだろう。かつては「正反対」と書くところを最近は「真逆」と書く人が多くなった。 同様に以前は「一層の」と書くところを「更なる」と書く人が多くなった。 新しい言葉に戸惑う私のような高齢者は最早黙って受け入れる他ないようだ。

 ところで発言者の年齢に関係なく、「関係」の代わりに「関係性」という言葉も最近急速に使用されるようになった。しかし、これまでの「関係」とどう違うのか。 あえて変える理由があるのか私には分からない。『広辞苑』をはじめとする現在の国語辞典には「関係性」という言葉は載っていないが、これだけ使用者が増加すれば辞典編集者も新版には「関係性」を加えるだろう。しかし、事項執筆者は「関係」との語義の違いを説明できるだろうか? 私には「関係性」は関係の無意味な言い換えとしか思えない。

 「大学入学共通テスト」は必要か?

 いつの頃からかを正確には覚えていないが、今年も今朝の新聞に今年の大学入学共通テストの問題(と解答)が掲載されている。 ページ数にすると15ページ(下半分に大学などの広告などが載る6ページを含めて)。数十年前に大学受験をした私など読むだけで圧倒される(実は読まない)。 
 現在の共通テストの導入の理由として、各大学出題の入試問題に難問奇問が少なくないとの批判があった。すでに出題者側だった私も無罪とはいえないが、現在の共通テストでこれだけの大量出題への解答ともなると反応スピードの早い受験者(都会出身者が多い?)に有利に、反応スピードの遅い受験者(地方出身者に多い?)に不利にならないか?
 最近の出題傾向は記憶力のテストよりも思考力のテストをということで、どうしても長文の問題となりがち。私には画一的でなく昔のように各大学が独自の出題をしていた時代の方が、 偏った才能を救済する点で有効だと思うがどうだろうか?

2026年1月16日金曜日

 政治の一寸先は闇

  政治の一寸先は闇ということなのか。昨日の敵は今日の友ということなのか。昨日まで与党と野党に分かれて対立していた公明党と立憲民主党が単に選挙協力と言うだけでなく(それだって驚きだが)選挙のため場合によっては単一の新党を作るという。

 昭和のはるか昔、 自民党(当時は自由党)の有力者の1人だった大野伴睦氏が、「猿は木から落ちても猿だが、議員は落選すればただの人」との名言?を吐いた。 いくら時代がその後変わっても政治の世界は何ほども変わっていないということか。

 自民党の中では良識派?だった石破茂首相も党内で少数派では何もできなかった現実を見れば、私は高市首相や自民党議員たちを一概に批判する気にはなれない。まして立憲民主党と公明党が半年前には思いもよらなかった選挙協力どこか新党をつくる話し合いをしていると聞いても一概に批判する気になれない。努力が実をむすぶよう願うばかりである。