2026年3月2日月曜日

 米国とイスラエルのイラン攻撃

  36年にわたり最高指導者としてイランに君臨したハメネイ氏が米国の空爆により殺害された。これが米国によるイランの国家主権の侵害であると言ってよかろう。しかし、東京のイラン大使館の前には100人ほどの在日イラン人がイラン革命前(ホメイニ革命前のこと?)の国歌を流し、「バンザイ」を叫んだという(朝日新聞)。 100人が多いとは言えないが写真などで本国政府に身元が知られる恐れを考えれば必ずしもわずかとは言えないし、何より米国大使館の前での在日イラン人の怒りの集会が開催されなかったらしいことは彼らの気持ちを天下に示している。これは在日イラン人だけの気持ちだろうか?

 思えば1978年のホメイニ革命でイランのパーレビー国王が米国亡命を余儀なくされたとき、メディアは民主主義の勝利のようにこれを報道した。宗教者独裁の恐ろしさを日本も世界も忘れていた。もし王制が継続していたらイランはもっとまともな国になっていたろう。少なくともイラン女性はずっと自由になっていたことは間違いない。今回もイランでは米国による攻撃直前に数千人の反政府デモ参加者が政府により殺されたと伝えられる。無慈悲とも何とも言いようのない独裁である。イラン国民がより良い選択をするよう、出来るよう願う。

2026年2月24日火曜日

 「ばけばけ」の不真面目な視聴者

 小泉八雲とその妻セツを主人公とするNHKのテレビ番組『ばけばけ』が視聴者にどの程度受け入れられているかは分からない。私には昔訪れた旧居や松江城は懐かしいが、元来八雲の著作を手にしたことはなく、毎日欠かさず『ばけばけ』を視聴してはいない(も少し話の展開を早めてほしい)。それでも八雲についてもっと知りたいとは思い、「朝日新書」の『セツと八雲』を買って読んだ。その結果、八雲の日本紹介の本は『怪談』を含めて十冊を超えると知り、不明を恥じた。

 八雲と言えば「耳なし芳一」など著作の形で接しなくとも『怪談』の翻案として何となく読んだ記憶はある。むかし小学校の国語教科書で読んだ「稲むらの火」も八雲の紹介ではじめて世に知られたという。紀州のある村の有力者の濱口梧陵が安政南海地震に際して津波を予見し、一刻も早く村人を海岸から遠ざけるため収穫したばかりの自家の稲むらに放火したというエピソードは国定教科書の時代には誰もが読んで感激したが、現在はどうなのだろうか。

2026年2月21日土曜日

 冬季オリンピック報道の狂態

  昨夜、午後7時のNHKニュースにチャンネルを合わせたら、冬季オリンピック(とくに女子フィギュア)のニュースを報道していたのでEテレに切り替えたが、同じオリンピック報道、。なんと同局のBSニュースまで同じだった。たぶん民放も同じ? 私は無性に腹が立った。この期間、テレビ局のスポーツ部門以外の社員たちは特別休暇を楽しんでいるのではと邪推したくなった。

 私もこれまで人並みにスポーツ番組を楽しんできた。1956年のコルチナ冬季オリンピックは日本の期待の星の猪谷千春選手が男子回転種目で旗門不通過の疑いで判定が遅れ、 その間気が気でなかった(一着はかのトニー・ザイラー)。今回では女子カーリングにこれまでの常連ロコ・ソラーレに代わって出場したフォルティウスの最後の試合も、 ルールもよく分からないのに応援した(相手が中国チームだったからではない!)。

 しかし、民放テレビ局も含めて同一時間にスポーツ番組しか提供しないのはおかしいし、とくに視聴料を払っているNHKには厳しくならざるを得ない。放送だけではない。冬季オリンピックの開催地そのものが1956年のコルチナから今回はミラノを含む全4箇所に代わっていたとは.............。 夏季大会に続き冬季大会も中小国には開催無縁となるのでは? 

2026年2月18日水曜日

 訂正

  私が青森県を訪れたのは30歳台の後半のように前々回書きましたが、20歳台後半に奥入瀬川と十和田湖を友人と訪ねていました。 悪しからず.............。

2026年2月15日日曜日

 分かりにくいベネズエラの政治

  米国のトランプ政権によるベネズエラのマドゥロ政権打倒の後の同国の政情は多くの人々を当惑させているのではないか? 何よりもトランプがマドゥロ政権の忠実な副大統領をそのまま大統領に昇格させ、これまで前政権と闘ってきたマチャド氏の政治家としての適格性に疑問を表明したかと思ったら、 これまで前政権に阻害されて来たマチャド氏が受賞したばかりのノーベル平和賞のメダルをトランプに進呈した。

 私はベネズエラの二代にわたった全体主義的独裁の打倒後すぐに旧政権と闘ってきた勢力が政権を担当することは1930年代のスペインのように内戦を生む危険が少なくないと思うので、暫定的に旧政権の副大統領に政権を委ねたことは理解できないではない(トランプの眼中には石油の確保が最優先事項だったのだろうが)。他方マチャド氏がノーベル平和賞のメダルをトランプに進呈したことに驚いたのは私だけでは無いと思うが、自らも生命の危険に晒されてきたマチャド氏が独裁者の追放をベネズエラにとって何よりも重要と考え感謝したとしても、 それほど不条理では無い。ともあれ、同国の民主主義の着実な歩みを願ってやまない。

2026年2月13日金曜日

 訂正

  私も利用したかつての東京港から道東へのフェリーの到着先は帯広ではなく、釧路港でした。当日は霧のため港外で待たされ、帯広の近くの温泉に辿り着けるのか心配させられました。以上

2026年2月12日木曜日

 私の青森県

  昼食後、何となくNHKの『列島ニュース』を見ていたら、大韓航空がソウル・青森間の便数を3往復から5往復に増やすとのこと。近年の外国人訪問客の増加に応じた結果だろうが、他の空港ならともかく冬場の観光が容易とは言えない青森県に.............と他県のことながら心配になった。八甲田山のスノーモンスターや酢が湯温泉にそれだけの集客力があるだろうか?

 私が初めて青森県を訪れたのは30歳台の末ごろ北海道ドライブ旅行の帰途(往路はその頃運行していた東京港・帯広間のフェリー))に渡島半島の戸井から下北半島の大間に上陸したことに始まる。最初の宿は松本清張のエッセイで知った鄙びた下風呂温泉で、その頃は恐山などの観光地も知らず、翌日は一路帰京した(東北自動車道も無い頃なので途中でもう一泊したかも?)。

 その後、「津軽海峡冬景色」に惹かれて?竜飛岬や、その頃映画で一躍知られた明治期の八甲田雪の行進の悲劇の跡地を大学の同僚2人と尋ねた。さらに家内と訪れた恐山も時代離れした魅力で楽しかった。花吹雪の弘前公園も青森市のねぶた踊りも東北6県で最高だった。今後も韓国の旅行客を満足させることを願っている。