四半世紀ほど前には中国の大都市の朝は出勤する自転車の大群が特徴的で、当時訪ねた蘇州もその例外ではなかった。乗用車は少なく、日本びいきの現地ガイドはあれらは個人所有ではなく官用車や社用車だと言っていた。数年後再度訪中したときには状況は少し変わり、銀輪部隊はそれほど目につかなかった。 酒と魯迅で知られる紹興の町は奇妙な匂いに包まれており、スクーターや二輪車は電動車 ( バッテリー駆動 )以外は禁止と聞いた。
それでも今朝のテレビによると、かつての東京の大気汚染は現在の北京に負けないほどだったという。私自身は大気汚染を当時実感したことはあまり無かったが、1967年ナホトカ航路の客船ハバロフスク号で太平洋から東京湾に入った途端に船の立てる波が茶色っぽくなったのに驚いた。外洋と湾内の違いと言っても東京湾はそれほど小さな湾ではない。当時は今は考えられないほどの汚染の広がりだったのである。
日本の大気汚染は冬の北西風のおかげで他国に迷惑はかけなかったが、中国の場合、九州や北海道には直接影響するし、因果関係は明白ではないが、長野県あたりの落葉松の林が秋を待たずに枯れかかった年もあった。汚染浄化技術は日本の得意の筈。我が国も協力を惜しむべきではない。
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