戦前の日本の学校教育では後醍醐天皇と彼を支えた大塔宮護良親王 (いつの間にか戦前の「だいとうのみやもりながしんのう」の読みが「おおとうのみやもりよししんのう」に変わった ) や楠木正成正行父子や新田義貞は絶対の善であり、彼らと戦った北条氏や足利尊氏は絶対の悪だった。小学生の私はそれを素朴に信じ、とくに忠臣楠木正成は私にはほとんど神に近い存在だった。
戦後も相当経ってからNHKの日曜時代劇 (「太平記」? 尊氏を真田広之、正成を武田鉄矢が演じた 1991年 ) を見る頃には尊氏がそれなりに大人物らしいと聞き知ってはいたが、それでは善の化身後醍醐天皇と「建武の中興」の評価はどうなるのかと思い新書程度は読んでみた。むろん評価する資格はないが、後醍醐のめざしたものはかなり時代錯誤的な古代王政の復活だったらしいと知った。それでも私の抱く楠木正成への尊敬の念は変わらなかった。勝ち味のない戦いと知りながら、尊氏 ( 正成は尊氏を評価し、彼との和睦を進言したが却下された )を相手に湊川で戦って死んだのは、何もそこまでしなくてもとも思うが、一介の土豪から側近の朝臣にとりたてた後醍醐への恩義に殉じたのはそれなりに立派だと思う。武田鉄矢の演じた素朴な正成像も悪くなかった (その好印象の影響もある? )。。
南朝の遺跡でも知られる吉野山を訪ねたのはそれよりまた後で、むろん桜見物のためだったが、出陣する正行が壁に辞世の歌をしたためたという如意輪堂だけは見たかった。もう記憶はおぼろだが、建物にはあまり正行を偲ばせるものはなかったように思う。それでも利か不利かが当然の基準のような時代には長く記憶して欲しい父子だと思う。
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