2015年8月13日木曜日

ドイツ的性格再論

昨今話題の芥川賞受賞作品を読みたくて発売当日『文芸春秋』を買い求めたが、真っ先にギリシャ危機に対するドイツの対応を批判する二つの文章、E. トッドの「ヨーロッパは三度自殺する」と塩野七生氏の巻頭の小随筆「なぜ、ドイツ人は嫌われるのか」が目についた。

前者はインタビュー記事で、以前に当ブログで言及した単行本 ( 新書 )の趣旨をさらに一歩進めて、現在のドイツを放置すれば世界は第一次大戦と第二次大戦に次ぐ第三の災厄に見舞われるだろうと警告する。現在のギリシャの危機が財政緊縮や当面の国際的融資で解決するような生易しいものではなく、債務の大幅軽減を必要とするとのトッドの判断は多分正しいだろう。そして、そうした根本的解決にドイツが障害となっているのも事実だろう。今回の新しい論旨は前著のように障害をドイツ人の国民的性格 ( 融通のきかなさ、他国への猜疑心=騙されることへの恐れなど ) に帰するだけでなく、ドイツの大部分を含む北ヨーロッパ諸国のルター的プロテスタンティズムに原因を求めている点である ( カトリックのポーランドは例外 ) 。

他方、ローマ史家の塩野氏がギリシャを含む南欧の主張に同情的なのは「やはり」と言いたいところだが、氏はドイツ ( 南ドイツを除く ) がローマ帝国の領域外だったことに原因を見出す!  ローマ帝国は「勝って譲る」という懐の深さで他民族を心服させたが、ドイツ人にはその度量が無いと言う。私は今回の南北ヨーロッパの対立 ( トッドは南欧は本心ではギリシャの味方だという )を常識的にゲルマン民族とラテン民族の気質の違いと捉えてきたが、トッドや塩野氏のように論旨を拡大されると戸惑ってしまう。

ヨーロッパのユーロ貨採用も外国人旅行者としては本当に便利だったが、相当に無理があったように感ずる。最近の非ヨーロッパ系移民の激増 ( とその一部の国への集中 ) ひとつをとってみてもEUへの批判は今後強まりこそすれ弱まることはないだろう。古い考えかもしれないが、国家という単位はそれなりの存在理由があるから続いてきたのではないだろうか。私はEUの分裂を望まないが今後あり得るとは考えている。

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