2015年6月24日水曜日

私の沖縄観

沖縄の「慰霊の日」にちなんでかテレビニュースに銀座の沖縄のアンテナショップ (外堀通りの数寄屋橋交差点の北。ぜひ立ち寄りを! )が写っていた。何年か前わたしは同ショップで奮発してシーサーを買った。むかし現地で買い、重い思いをして帰ったのだが、焼き物のそれは矢張り大量生産品の軽さがあり、本物 (職人の手作り )が欲しかった。現地のように屋根に載せたかったが家内が反対したので玄関に置いてある。

私が最初に沖縄を訪れた時は未だ王宮?は再建されていなかった。観光バスのコースには当然戦跡も含まれていたが、海軍司令部跡は入っていなかった (今は知らない)。仕方なくタクシーを捕まえたが、運転手は私の沖縄訪問の目的が観光だけでないと察し、自分の戦争体験を語ってくれた。二度目の沖縄訪問 時 (レンターカー利用 )には平和の礎や万国津梁館も観光スポットになっていた。

沖縄と本土の関係が難しい局面を迎えている。日本唯一の地上戦の惨禍、本土だけの27年早い独立回復、減るどころか増加した本土と沖縄の基地格差とくれば本土への不満が激化しても不思議ではない。私は沖縄独立論が勢いを増しても驚かない。かつては国家からの分離独立は重罪だったが、最近のスコットランドの住民投票が示すように先進国では事情は変わりつつある 。そして我が国は間違いなく先進国である。

しかし地上戦も独立の27年の遅れも基地格差も本土政府の罪のように描く一部のマスコミの論調 (沖縄のそれも )が 全て正しいとは思わない。米国が南九州ではなく沖縄に上陸したのは米軍の都合だったし本土の独立先行が沖縄の日本復帰に有利となった面もあろう。米軍基地の沖縄偏在を是正するため負担を引き受けようと言う本土の自治体首長が居ないのは本土の人間としても情けない限りだが、普天間基地を抱えて苦しむ宜野湾市と基地移転を拒む名護市の関係は似ていないでもない (基地の危険と騒音に苦しむ人の数は移転により激減するだろう )。

戦後米国が沖縄を日本から切り離すつもりであったことは米国人関係者が認めている。佐藤栄作首相の「沖縄返還がない限り日本の戦後は終わらない」との発言は今から見れば当然でも、当時はそれなりの決意の表明であった。学生時代から沖縄への関心を持ち続けた小淵首相がサミット会場に沖縄を選んだ心情は評価されて良いし、橋本首相としては普天間基地の返還に努力を傾けたと思う。当時私を含めて多くの本土の人間は基地移転の報にホッとした思いだったと思う。

私自身は沖縄が分離独立を求めてもそれが県民の意志ならば反対しない。経済的自立の可能性は高まってきたようだ。しかしそれが賢明な判断だとは思わない。中国が過去に朝貢国だった沖縄を対等な相手と見なすとは思えないし、「太平洋は米中二国を容れるに十分なほど広い」と公言する中国指導者が、西太平洋への進出のルートにある沖縄の独立をどこまで尊重するかは疑問である。沖縄と本土の対立を煽っているとしか思えない一部のマスコミの論調は本当に沖縄の利益を第一に考えているのだろうか。

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