2015年9月22日火曜日

竹田恒泰『アメリカの戦争責任』

PHP新書で出版間もない上記の竹田本?を読んだのは元左翼の旧友が一読を勧める葉書をくれたから ( え、何故 )。これまで著者 ( 明治天皇の玄孫 ) の発言から皇室評論家?と思っていた。

本書の題名はややミスリーディングであり、扱われているのは米国の原爆投下の責任だけ。言うまでもなく投下理由についてはこれまでも内外の研究は数多くなされ、本書もそれらを参照しながら書かれている。日本の降伏への動きも察知されていたあの時期に内部の慎重論を抑えて敢えて原爆が投下されたのは、トルーマン大統領 ( とバーンズ国務長官 ) が対ソ関係を見すえてソ連の参戦前にぜひ投下したかったとの結論は納得のゆくものである。無論それ以外にも従来から指摘されて来たように、日本本土決戦での米軍の犠牲者を減らすため、巨費を投じた開発費用を国民に対し正当化するため、戦時の敵国憎悪の空気など、それぞれが一定の役割を果たしただろう。

しかし竹田氏は、「日本は核兵器使用による唯一の被爆国として、アメリカのとった行動について批判する歴史的な責任がある」と主張するが、それが果たして賢明だろうか?  確かに原爆投下は軍事目標に攻撃対象を限定する交戦法規に違反していたし、アラブの人たちから「日本人は何でアメリカに怒らないのか」と言われるとも聞く。しかし規模こそ大きく違うが日本も重慶や広東に無差別爆撃 ( area bombing ) をおこなっている。相手が日本人だから投下したとの人種差別説も根拠無しとは言わないが、ドレスデンやハンブルクへの爆撃など東京空襲に匹敵する規模の空襲をドイツに加えているので、いまひとつ説得力に欠ける。

私はむしろリーヒ大統領付参謀長やアイゼンハワー将軍など当時の米国要人中にも原爆投下を非とした人たちがいた事実を重視したい。原爆投下を正当化する教科書にもかかわらず米国民でも若い人たちでは非とする率が高まっていると聞く。日本が唯一の被爆国であることは厳然たる事実だが、「八紘一宇」、「日本は神国」と教えられた私は日本が唯一の国であるとの論には、たとえ正しい場合でも生理的に!違和感先立ってしまう。

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