2015年9月10日木曜日

EU諸国と難民受け入れ

ヨーロッパが難民や移民の大波を受けて苦悩している。EU諸国間で取りあえず国別の受け入れ数を決定したが、すでに中東欧のハンガリー、チェコ、ルーマニアなどは受け入れを拒否したし、EU非加盟国に決定を押し付けることは出来ない。

独仏ら難民受け入れに肯定的な国でも国民の反応は一様ではあるまい。今回の中東系特にシリアからの難民の場合、教育水準も比較的高く経済力もある人たちが多く自国の将来に見切りをつけた面が強いので、難民とも移民とも割り切れない。そうであれば受け入れ側の国民の反応が厳しくなる可能性はある。労働力として受け入れに余裕があるドイツでも以前から難民収容施設への放火が頻発していたのだから。一介の旅行者だった私でもドイツはドイツらしくフランスはフランスらしくあって欲しいと願う気持ちがどこかにある。

とはいえ、戦火を避けたいのは人間として当然であるし、より良い生活を求めることも批判はできない。私はオーストラリアや南米諸国など、かつての移民が主体の国が中心となって受け入れ国になって欲しい (すでにブラジルが手を上げている )。これらの国は人口に比して概して国土は広い。我が国もこれまでの難民受け入れ数は少な過ぎ、もっと門戸を広げるべきだが、中東やアフリカとの過去からのつながり (植民地支配など ) に乏しく、多数の難民の受け入れは難しい。彼ら自身も欧米語を身に付けられる国を希望するだろう。

前にこのブログでも言及したが、たとえ指導者が人道的配慮を重視しても (それも字句通りに受け取れるかは分からない )、国民が逆の態度を示すことは多いにあり得る。すでに中東の豊かな産油国が難民に門戸を閉ざしていることへの不満は新聞に散見される。リンカーンが言ったように、「だれもが抱いている感情というものは、正しくとも正しくなくても、無視してはならないのである」(本間長世 『リンカーン』)。


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