2015年3月19日木曜日

「アラブの春」革命の悲劇

「アラブの春」を体験したチュニジア、エジプト、リビア、シリア四国のうち真っ先に強権的政権を打倒し、その後も唯一の成功例と見られたチュニジアでテロ事件が起こった。あれほど世界から祝福され期待されたアラブの春がなぜ「破綻国家」、「失敗国家」を生みつつあるのか。

上記の四ヶ国は全て強権的政権を持つ世俗主義国家 ( 程度の差は小さくなかったが )だった。重信メイが正しく指摘しているように ( 『文芸春秋』4月号  日本赤軍派重信房子の娘 )、強権的政権ではあったが宗教の自由は原則として認められ、かつ女性の地位向上は認められていた。しかし、国民の圧倒的多数がイスラム教徒である国で自由な選択がなされれば宗教国家さらには宗派国家の誕生となるのは不可避だった。

強権的国家の中でも強権の度合いが最も高かったリビアのカダフィ政権の打倒にはフランスなどが空軍機で反乱側を助け、私も政権の崩壊を心から願った。いま私は自分がどこで間違ったのか反省を強いられている。たとえ強権的国家でも宗派間の殺し合いよりははるかに増しだから。

シリアのアサド政権を目の敵にした欧米諸国には私は当初から同感できなかった。すでにアラブの春以後の各国の混迷を見ていたからだが、シリアの小学校?の教室に数人のスカーフを身につけた生徒を目にして居たからである。政権側が世俗性を宣伝した可能性はあるが、それさえ許されない宗派国家で無いことは、中東やマグレブの国々ではいまや貴重になりつつある。

米国を先頭に西側諸国は政権打倒を目指したシリア反政府派を助けてきた。後者の、とくに若者たちの理想への献身は立派だが、いざとなれば欧米諸国が助けに来てくれるとの甘い期待は無かっただろうか。あるいは欧米諸国がそうした期待を抱かせなかっただろうか。今になってアサド政権との交渉の可能性を米国は認め出したようだ。「人権原理主義」も時と場合によると事態を悪化させるとようやく気づいたということか。

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