2015年3月12日木曜日

タラワ マキン。軍神の散った島

メルケル首相の訪日でドイツの原発廃止( 完全廃止は十年後だが )があらためて注目された。我が国で意見が割れるこの問題に私は判断を下しきれない。地震国日本の原発の危険は明らかであり、私も築後40年を稼働の限度とすることに全面賛成である。他にも松江市から10キロ以内と聞く島根原発は1号機も2号機もぜひ廃止して欲しい。他の原発所在地と違いはないのだが、ハーンの住んだ松江や宍道湖を訪問できなくなるなど考えたくない。

だが、地球温暖化の問題も大きい。その影響は原発事故と異なり起こったらではなく、必ず起こる。低層住宅の多い東京は世界で最も海面上昇に弱い首都ではあるまいか( 大阪も名古屋も..........)。堤防などいくら強化しても大地震で二、三箇所切れたら終わりだろう。その被害は計り知れない。小国だが、ツバル、キリバスといった太平洋の島国はすでに水没の危険にさらされており、キリバスの大統領はすでに国土の消滅、フィジーへの移転を表明している。

キリバスは英国領だった前大戦中、日本海軍の陸戦隊に占領されていた( 当時はタラワ、マキンと呼ばれた )が、米軍の反攻に会い、柴崎中佐率いる陸戦隊は玉砕した( 軍人軍属約五千名中、生存者百数十名。Wikipedia)。中佐は二階級特進し、「軍神柴崎少将」と呼ばれた。

私は少将の長男と小学校で同級生だった。玉砕が大本営発表されると新聞社が学校に遺児の写真を撮りに来た。偶々校庭に居た数人が騎馬戦する様子を撮影することになり、柴崎君と私が馬上で戦うことになった。驚いたことに私は最初から同君にのし掛かられる形で撮影された。撮影終了後はほっとかれたが、ひとたび不利になった体勢は挽回できず、私は敗れた。私の新聞不信はこの日から始まった??

その後一年足らずで私は東京を離れたので、とびきり穏やかな少年だった柴崎君が戦後どう生きたかは知らない。「軍神の子」の名誉は何の役にも立たなかっただろうが.........。

0 件のコメント:

コメントを投稿