2015年8月29日土曜日

ラスベガスに見る米国の一面

今朝の新聞の土曜版beに米国西部を貫くルート66の記事が載っている。スタインベックの小説『怒りの葡萄』とからめての記事で、ジョン・フォード監督の黒白映画しか見ていない私 ( それさえ記憶は曖昧 ) には小説の価値を云々する資格はないが、数年前グランドキャニオンやラスベガスなどを廻る米国西海岸ツアーに参加してルート66に立ち寄ったことがある。何しろ原作を読んでいないので正直なところルート66に何の知識も関心もなかった。往時の面影 ( と言っても戦後 ) を残した売店に立ち寄り1950年代の米国車のミニアチュアカーなどを買ったぐらいで、ラスベガスほどの印象はなかった。

ラスベガスは初めてではなく20年ぐらい前に、当時サンフランシスコ近辺に滞在していた長男一家を訪ねたついでにラスベガスに2泊してグランドキャニオン見物をする予定だった。ところが悪天候のため飛行機が飛ばずラスベガス見物しか出来なかった。予定外のショー見物で時間を過ごしたが、テーブルで同席したミズーリ州の老夫婦にトルーマン ( 同州出身 )を話題にしたら大いに話しがはずんだ。

ということで二度目は前回ほどにはラスベガス見物はしなかったが、全行程をバスに同乗した日本人ガイドが同地の生活ぶりを語ってくれたのが面白かった。ラスベガスは夏季は高温になるので、その間不在にする場合は冷房を付けっ放しにする ( そうしないと家具類がおかしくなる!)、庭の水撒きは義務であるなどなど。しかし同地のあるネヴアダ州や南カリフォルニアはコロラド川を唯一の水源としており、その水量はしだいに減少しているとのこと。今後もその傾向が続くとすればラスベガスは ( ロサンゼルスもサンディエゴもだが ) 将来廃墟になる可能性がある。それなのにいっときの繁栄を享受している姿は、ギャンブル都市という側面を離れても ( 近年は家族連れも楽しめる配慮はしている )   帝国末期のローマに似ていると思わないでもなかった。

元来グランドキャニオン見物の基地としてラスベガスを選んだのは、米国勤務が長かった友人が同地は一度は見る価値があると、気のない私の背中を押したためだった。同君が推奨した理由と同じだったかは知らないが、米国の一面を見た思いのする都市ではあった。その後の米国の不動産の大不況でガイドは住宅のローンを払い続けられただろうか。

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