2016年12月31日土曜日

歳末雑感

とうとう一年の最終日となった。年々一年の過ぎるスピードが早まると感ずるのは高齢者に共通の感慨なのだろう。火野正平の迷文句「人生  下り坂最高」は自転車旅行番組「こころ旅」での彼のヤケ気味のボヤキだが、私もとにかく自分の足で歩けているだけでも感謝すべきなのだろう。

歳末には各メディアで「今年の10大ニュース」といった話題が取り挙げられる。海外ニュースならやはりトランプの大統領選勝利と英国のEU脱退が二大ニュースだろうが、国内ではそれほど意見一致を見る重大ニュースがあっただろうか。私個人は熊本地震や糸魚川火災といった災害が心に残っている。震度6程度は経験している私だが、熊本地震の被害は明らかにそれを上回る。打撃を受けた住民にはボランティアの若者たちは神様のように映るだろう。老人にできる唯一の貢献は募金に応ずることくらいだが、今回は機会の無い?まま過ぎてしまった。

糸魚川市の火災が自然災害と認定されたのは相当の拡大解釈だが、師走の寒空に焼け出された人々のことを考えれば妥当な結論だろう。焼け跡の片づけなどかつては自分でやる他なかったが、高齢化時代、とくに地方住民の高齢化がすすむ時代には自力任せでは過疎化が進むばかりとなろう。自然災害とまでは言えないが、今冬の北海道の積雪は災害に近いもののようだ。複数の教え子が札幌に住むので新年には平年並みかそれ以下になって欲しい。

自然災害は避けようがないが、人災は少なくとも減らすことはできる。若い電通社員の自死は人災の最たるものだろう。小企業なら仕方が無いというものでは決してないが、業界のトップ企業が過労死を出すなど許されることではない。責任追及は厳しく為されるべきである。

それでも飢えもテロも無い我が国は、「不条理な死」を世界最少にまで出来る国のはずである。その点で世界からうらやましがられる国ナンバーワンになって欲しい( やはり最後は老人の説教?)。

2016年12月30日金曜日

安倍首相の真珠湾訪問

安倍首相とオバマ大統領のハワイ演説は、どうせスピーチライターが主に書いたものだろうが、よく練られた出来の良い演説だと思う ( 私の好みではどちらも半分の長さがベターだが )。安倍演説に謝罪の言葉が無いのはオバマ氏の広島演説にも無いのだから問題はない。外交は相互主義であるべきである。

中国政府や韓国メディアが自国への言及が欠けていると不満なのは相変わらずで驚くに当たらない。しかし、それを後押しするようにわが国の新聞が、「歴史認識は明示せず」「『戦後』は終わらない」( 朝日 )、「中韓  批判相次ぐ」「『お詫び』『反省』触れず」( 毎日 )、「露中韓とは懸案残る」( 読売 )と、強弱の差はあるにせよアジア諸国や歴史認識へのと言及が無いと安倍演説に不満を示しているのはいただけない。中国は南京訪問を望んでいるが、村山首相と小泉首相がそれぞれ日中戦争発端の地である柳条湖と盧溝橋を訪問している ( 日米間の真珠湾に当たる )事実には口をつぐんでいる。日本のメディアが両首相の両地訪問の際、米国への言及が無いと指摘したとは聞かない。
 
一部の日本人が南京虐殺を否定するのは大きな誤りであるが、現地の展示館が犠牲者数を何倍にも誇張している限りだれが日本国首相でも行くべきではない ( 行けば数字を認めたことになろう )。大都市で戦闘が交わされれば住民に多大な被害が想定されるので、すでに国際法では「非防備都市宣言」が規定されていた ( 1940年、パリはその宣言のおかげでひとまず破壊を免れた ) が、蒋介石総統も南京防衛軍司令官も日本軍や在住外国人代表の無血開城の要求に頑として応じなかった。外国人代表のドイツ人ジョン・ラーベは「とにかくここはアジアなのだ!」と嘆く他なかった  ( ジョン・ラーベ 『南京の真実』 講談社 1997 )。(彼の母国が間もなく数百万人のユダヤ人を殺したのは皮肉であるが )。

以前ソウルを訪問したとき私は「三・一独立運動」発祥の地タプコル公園 ( 当時はパゴダ公園 )に足を運んだ。案内役の韓国人教授に日本の外相は最初の訪韓時にここに来て敬意を表すべきだと話したが、教授は黙っていた。翌日、昨日の自由行動日にどこを見たかと現地ガイドに聞かれたのでパゴダ公園と答えると、「えー。以前、日本の政治家が訪問したとき、韓国人が猛烈に怒った場所なのに」と呆れられた。日本人は「三・一独立運動」に敬意を表してはいけないとは.........。長年日韓交流に尽くしている友人にこの経験を話したが苦笑しただけだった。そんな程度のことでガッカリするようでは日韓交流など出来ないということか。

中国共産党政権が過去の日本帝国主義打倒を自己正当化に利用する限り、また韓国の政治家やメディアが人気取りの道具として「歴史認識」を持ち出す限り、いちいち対応する必要は無いだろう。日本のメディアの良心派気どりは日中関係と日韓関係を損ねているのではなかろうか。だからと言って昭和天皇がA級戦犯合祀以来取りやめた靖国神社参拝を稲田防衛大臣が行うのは浅慮という他ないが。

2016年12月28日水曜日

キッシンジャーのトランプ評価

昨日の読売新聞にキッシンジャー元米国務長官との長いインタビューが掲載されている。米中国交回復の実現の尖兵となって世界を驚かせた人にふさわしく、イデオロギーに囚われない現実主義政治家の面目躍如といったところか。

トランプ氏について元国務長官は「傑出した大統領になるまたとない好機で、これを前向きにとらえ彼にはチャンスを与えるべきだ」とする。奇異に感ずる人もあろうが、まだ新政権の政策が明らかになっていない段階では無暗に批判するのが得策ではないということなら理解できる( 希望的観測であっても ) 。トランプの「米国ファースト」主義のもつマイナス面については「国益というものは他国の国益にも配慮しなければ、孤立するだけだ」と釘をさしている。

我が国にとってはトランプの日米同盟への一層の貢献要求は愉快ではない。しかしキッシンジャーは「トランプ氏の対日姿勢にも一理ある」「日米同盟の責任分担はどうあるべきかというのは重要な問いかけだ。.............分担の割合は両国の国力の変化に応じたものでなければならない」と国力低下に苦しむ米国の立場を代弁している。

ロシアとウクライナの対立抗争については列国はウクライナの「独立を尊重し、領土も保全されるべきだが、いかなる軍事同盟へも加えられるべきではない」とNATO加盟には反対する。ロシアによるクリミア併合については「クリミア半島は特殊なケースだ。ウクライナに編入されたのは1954年とごく最近」だと、これを通常の武力的国境変更とは区別すべきだとするのは私も同感である。
オバマ外交でほとんど唯一賛成できないところである。

中国については「いま起きていること ( トランプの反中国的姿勢のこと ) は私の思いと相入れないが、これはトランプ氏の大統領就任前のことだ。まだ最終的な評価をすべきではない」と対中宥和ともとれる発言をしている。やはり米中和解を実現した ( 日本をつんぼ桟敷において ) 自身の過去や、我が国ほどには中国の圧力を感じない米中間の地理的距離がこうした発言を促すのだろうか。日本としてはにわかに同意出来ないところだろう。

2016年12月26日月曜日

年賀状あれこれ

年末に年賀状を書く人もあり書かない人もあり、それぞれ個人の勝手である。他からの賀状を受け取ってから内容を受け止めて年初に書くのも一つの流儀ではある。私は平凡に師走に書いて出しているが。

十年くらい前から私は自分で写した写真を印刷に出して利用している。世の中には家族や旅行先の風物などを賀状に使用する人は多いが、自分でプリント印刷している人が大部分のようだ。私がそうしないのはプリンターの使用にいま一つ自信がなく失敗が怖いからだが、近所のカメラ店への配慮もある。かつては頻繁に現像やプリントを依頼していたのにプリンターを購入してからは全く依頼しなくなった。他の写真機材も新宿や地元の量販店で購入するようになり、旧知のカメラ店主に依頼するものは年一回の賀状印刷しかないのである。

今回、賀状を書いていて題名の字に自信が持てなくなり困った。「朝露」なのだが霧や霜が何故か脳中に去来する。要は加齢とともに臆病になっているということなのだろう。それでも今朝のNHKテレビの「あさイチ」を見ていたら、素人にも見つけやすい認知症の症候四つ?の一つに「年賀状を書きたくなくなる」があって少しばかりホッとした。なにしろ今日正午に投函したのだから。

私も過去に一度年賀状を中止しかけたことがあったが翌年には再考した。やはり年初に賀状をもらわないのは寂しいと感じたからである。海外の友人に出すクリスマスカードはいつかたった一枚になったが、メールのやりとりはあってもやはりもらって安心する。ただし半世紀近くも続くといつも浮世絵風ともいかず選択に窮する面もある。今年は光琳の「紅白梅図」があったのでこれだと飛びついて買ったが、もしかして二度目?!


2016年12月22日木曜日

ベルリンのトラックテロ

小旅行をしている間に、ベルリンで大型トラックを使ったテロがクリスマス市に突っ込み死者13名を出す惨事があった。犯人はまだ確定していないが犯行の態様からもイスラム過激派の仕業と見られる。これまでドイツはメルケル首相のもと難民や移民に寛大だったが、今後はその政策の再考が必至だろう。最大の被害者はある意味でドイツ内のイスラム系同胞なのだが、それが理解できる犯人なら最初から犯行に及んでいないだろう。

米国でのトランプの大統領選の勝利の一因が「隠れトランプ派」の存在にあったことは知られている。同国ではマイノリティ民族への不満や、同性愛者や女性のジェンダー的主張への違和感などを公然と表明することがタブーとなっていた。大学卒の若者のトランプ支持者が言論の自由のために行動していると語るテレビ画面があった。

現在のEU諸国では移民難民の入国に公然と反対することはやはりPolitical Correctness (政治的正しさ ) に反するとされ、極右と非難されがちである。しかし、テロに走る移民難民が百人千人に一人、否、一万人十万人に一人と頭では理解しても、現実に各種のイベントに参加するのが恐ろしいとなれば、反移民感情は抑えられない。

今朝の毎日新聞の社説は「ベルリン・テロ   独社会の分断を恐れる」との見出しで、「懸念されるのは極右勢力が国民の不安につけこみ、ドイツ社会の分断を深めることだ」、「非道な事件が協調の精神を失わせることになってはならない」と論ずる。たしかに正論ではある。しかし精神論は現実の前には無力である。Political  Correctness  に執着する限り政治の非寛容化が止むことはないだろう。EU諸国は米国のトランプ現象を他山の石とすべきではなかろうか。それも早急に。

2016年12月15日木曜日

寒月の季節

今朝まだ暗いうちに新聞を取りに戸外に出たら、上空斜めに月が浩々と照っていた。寒いので戸外に出たくはないのだが、澄み渡った夜空に寒月を見るのは嫌いではない。

寒月を見ると必ず思い出す文章がある。徳冨蘆花の『自然と人生』の中の「寒月」と題した湘南の逗子の夜を描いた十行に満たない短文である。

 「夜九時、戸を開けば、寒月昼の如し。風は葉もなき萬樹をふるいて、飄々、颯々、霜を含める空明に揺動し、地上の影  木とともに揺動す。..............仰ぎ見れば、高空雲なく、寒光千万里。天風吹いて、海鳴り、山騒ぎ、乾坤皆悲壮の鳴をなす。...........月色霜の如き往還を行く人の屐歯、戞然として金石の響きをなすを聞かずや。...............月は照りに照り、風は彌吹きに吹く。大地吠え、大海哮けり、浩々また浩々たり。」

古風すぎる文章で活字を拾うのに苦心したが、横浜の、みなと未来のタワーマンションに住む旧友はこの月、この風を感じることは稀だろう ( このブログ、つまりは負け惜しみの産物? )。

訂正。前回村木孝蔵としたのは村下孝蔵の誤りでした。『初恋』一曲しか知らないのに無理をした罰!

2016年12月11日日曜日

アニメ映画『君の名は』

アニメ映画『君の名は』は高校生 ( 中学生?)を主人公にした映画と聞いていたので、人気の高いことは知っていたが老人が見るのはどうもと遠慮してきた。しかし評価は高まる一方の上に中国の若者たちが多数映画館に足を運んでいると聞いては日本人の私が知らぬ顔をしていては申し訳ない?と思い、最寄りのシネコンに足を運んだ。ウィークデイの昼間なので若者はほとんどおらず、観客は少数の中高年者だけだった。

結果は無残というか、ストーリーの展開に十分ついていけなかった。田舎の女子生徒と東京の男子生徒の身体が頻繁に入れ替わるということだが、今現在どちらが女子でどちらが男子なのか服装では分からないのだから困った。声で判断しろというのか知らないが私も家内も分かり兼ねた。結末は最後まで伏せておきたいのか、あとでインターネットで調べたが曖昧だった。何年かのち二人は都会で再会したようだが、はっきり示さないのが余韻があるというのか.........。

それでも一度訪ねたことがあり、以前NHKの朝ドラの『さくら』の舞台となった飛騨古川を模した風景は懐かしかったし、ニューヨークのエンパイアステートビルに似たNTTビルや副都心のビルなどの新宿の風景も懐かしかった ( ときどき見ているのに!)。

よく理解したわけでもないのに口幅ったいが、中高生の初恋を描いたというならジャンルは違うが歌もある。村木孝蔵の『初恋』は詞もメロディも良く出来ている。本人が50歳にもならずに亡くなったのは残念だが、一曲でも記憶に残る名歌を残せたのだからもって冥すべきなのか ( 歌に話を逸らすのか!)。

訂正  前回、渋谷にデパートがまだ無かったとしたが、東横デパートが私が2歳ごろに開店している。早とちりでした。

2016年12月5日月曜日

渋谷駅今昔

昨日久しぶりに渋谷駅を利用した。東急東横線の渋谷駅が昨年?地下化して乗り換えが不便になったと不評のようだが、私はまだ同線を利用していない。

戦前の国鉄渋谷駅は今と同じ場所にあったが、忠犬ハチ公の像は現在よりずっと駅寄りにあったと思う。現在のハチ公前広場は当時は市電の出発駅で、三つぐらいのプラットホーム ( と言っても地表といくらも違わない高さ ) から各方面に路面電車が出発していた。当時井の頭線 ( 帝都電鉄と言った ) の沿線に住んでいた私は母親に連れられて銀座や日本橋のデパートに行くためこの市電をよく利用した ( 地下鉄はまだ無かった ) 。どのデパートだったかは分からないが、建物の中央が吹き抜けだったことを記憶しているので松屋か日本橋三越だったのだろう。当時の渋谷にはデパートはなかった。

戦後間も無く路面電車が廃止され、代わりのバスの発着場は東に移った。大学生となり上京して再び渋谷駅を利用するようになったが、渋谷食堂 ( 渋食 ) で五目焼きそばをときどき食べるのが楽しみだった。現在のスクランブル交差点付近でデモに参加し、警官隊に道玄坂を追われたこともある。警察がデモを許可しなかったのか、それとも自治会幹部たちが無届けデモをして一般学生に警察への敵意を持たせたかったのだろうか。

いまやハチ公前広場は国際的な名所となり、昨日も外国人の若者が目立った。中国人が識別できればさらに多く感じただろう。これは外国人の増加のためではなかろうがエイズの予防活動 ( 無料検診 ) が行われており、私にまでビラと男性用防止具?が手渡された!

ハチ公が主人の死後も渋谷駅に日参したのは食べ物をもらうためだったとの説を読んだ記憶がある。しかし犬好きの私は信じたくない。ハチ公前広場は忠犬の伝説とともにいつまでも若者たちの集合場所であって欲しい。

2016年12月1日木曜日

「駆けつけ警護」論議に欠けているもの

朝日新聞にかつて国連政務官としてPKOに関与された川端清隆・福岡女学院大学教授の「危険の分かち合い   議論を」との見出しのインタビュー記事が載っている ( 12月1日 )。わが国のPKOの「駆けつけ警護」論議で最も欠けていたもの、与野党もメディアも避けていた ( 逃げていた ) 論点を指摘して間然するところがない。

川端氏が「PKOの理念は『危険の分かち合い』であり、人道支援や開発援助は代替にはならない」「PKOへの参加国が危険を甘受するのは、国際平和の維持が国益に合致すると信じるからだ」と語っているのは全く同感である。しかしわが国での今回の論議は与党は危険はないと事実に反する主張をし、野党は危険を指摘するばかりでPKOの本質を理解していないことを示した。与党の論理に従えば今後自衛隊員に死者が出ればたちまち撤退に追い込まれるだろうし、野党の論拠に従えばそもそも日本人の生命を犠牲にする大義など地球上に存在しないということにならないだろうか。そこまで「日本人ファースト」に徹するというならトランプの「米国ファースト」と何ほども違わないと私には思える。少なくとも国際援助機関の駆けつけ警護は最低の倫理的要請だろう。 

確かにアラブ系優位のスーダンに反抗して独立した南スーダンに部族社会を超える国家運営の能力があるかと問いたくなる。かつてのカンボジアと同じである。最近NHKの特集番組でカンボジアで犠牲者( 高田晴行氏 )を出した文民警察隊の苦労を知り暗然となった。民間人の中田厚仁さんについては言うまでもない。カンボジアと同様に南スーダンで犠牲者が出ても現地で何ほども感謝されないだろう。虚しい努力だと言うならそれも一つの考えである。

それでも多くの国が危険を知りながら国連に協力して部隊を派遣している ( それぞれ思惑はあろうが ) 。人道支援も開発援助も平和回復なしにはあり得ないからだろう。何十万人の犠牲者を数えたあのルワンダ内乱も遅まきではあったが国連の支援を得て平和を回復している。「危険の分かち合い」の認識を欠いた論議で終わらせてよいとは思えない。

2016年11月30日水曜日

訂正

先ほどのブログで100万円としたのは50万円の誤り。往復料金をもとに2.5倍してしまいました。うっかりの回数が増えた?  仕方なし!

シベリア鉄道の旅

今年がシベリア鉄道の完成100周年だという。その半ばの1967年に英国からの帰国にシベリア鉄道を利用した。当時は航空料金に割引などなく、夫婦プラス四歳児なら東京まで計100万円以上が必要だったろう。それもシベリア鉄道を選んだ大きな理由だが、明治末以来多くの文人が利用し、戦後は日本人捕虜たちが絶望に苛まれながら西へ送られた跡をたどりたいとの気持ちもあった。金銭だけなら往路に利用した横浜ナホトカ航路プラスソ連航空の料金と違いはなかった。

英国の東岸ハーリッジからのフェリーでオランダのフック・ファン・ホランドに上陸すると数両の無人の客車が待機しており、間も無くパリから来た車両と連結してモスクワを目指した。途中東ベルリンなどに停車したがプラットホームに降り立つことも許されなかった。列車内にルーブルへの両替所はなく、モスクワまで食堂車は利用できなかった。モスクワの駅には私たち一家のためソ連旅行社 ( インツーリスト )の職員が出迎え、翌日は市内観光の案内もしてくれた。外国人監視も兼ねていたのかもしれない。

モスクワからイルクーツクまでの旅は白樺の疎林の中を走るばかり。日本ならそのまま別荘地になりそうな風景だったが、流石に退屈した。イルクーツク以後ハバロフスクまでは周囲は草山ばかり。ハバロフスクからナホトカまではまた自然林となった。タイガ ( 針葉樹林帯 )は皆無だった ( 戦前のライシャワーもそう書いている )。鉄道沿線から伐採がすすんだのでは?

モスクワからは渡されたクーポン券で食堂車を利用したが、すぐロシアの食事が口に合わなくなり、車中を売りに来るボルシチを食べてしのいだ。それでも邦人を含む非ロシア人数人との交流を決して忘れることはないだろう。

ソ連邦が崩壊し軍港都市ウラジヴォストークが外国人に開放されたのでカムチャツカ半島ツアーの往復に同地に立ち寄った。シベリア鉄道の終着駅に佇むモスクワ行きの車両を見て今昔の感に堪えなかった。


2016年11月27日日曜日

フィデル・カストロの死

約半世紀間キューバの最高指導者だったフィデル・カストロが亡くなった。彼の政治姿勢に関し今朝の『朝日』の社説 ( 他紙は社説に取り上げず ) は、かれは「もともと共産主義者ではなかった」「カストロ政権を敵視した米国に対抗してソ連と連携。社会主義体制へのかじを切った」と述べるが、私には浅い理解に思える。かれは当初からソ連共産主義の信奉者だったのではないか。

カストロらによるバチスタ独裁政権の打倒は民主主義を旗印にしたため米国の少なくともジャーナリズムには味方する向きも少なくなかった。しかし、新政権による米国企業の接収などで米国の政府も報道機関もカストロに敵対的になったが、旧政権関係者の処刑などが公正さを欠くと判断されたこともあった。カストロ自身、失敗した第一回の武装蜂起の裁判でバチスタ独裁を徹底して批判したが、のち恩赦で釈放された (米国の働きかけ?)。かれはバチスタと同じ寛容さを政敵に許さなかった。その後キューバで西欧的な自由な選挙が一度でも目指されたとは思えない。

ときに数時間に及ぶ彼の演説は当時のソ連圏指導者たちの通例だったし、キューバは世界で最後まで北朝鮮の金正日体制を公然と支持した唯一の国だった (  中国も公然とは支持しなかった )。キューバ・ミサイル危機に際してフルシチョフソ連首相のミサイル撤去決定にカストロは強く反対したという。毛沢東と同じく彼も億単位の死者でひるむ人間ではなかったようだ。

中南米諸国に極端な貧富の差やひどい腐敗が存在する限りカストロの死を愛惜する民衆が減少することはないだろう。しかしカストロ的方法の有効性は別の問題だろう。

訂正    前回、「真新しい」としたのは「目新しい」の転換ミス。また、「あずさ2号」は狩人の歌の発売当時は新宿発だった。インターネットできちんと調べるべきでした。それにしても何度聞いても良い歌詞、良いメロディです ( 話をずらすな!?)。


2016年11月22日火曜日

JR中央線 「あずさ」

長野県諏訪で日曜日に会合があり、JR中央線の特急「あずさ」で日帰り往復した。20歳台前半のころ友人たちと北アルプス登山のため何度か利用したが、大抵は夜行だった。むろん当時は特急「あずさ」は存在しなかった。その後アルプス登山から遠ざかり、またマイカー利用ばかりとなって、最近30年間ほど中央線を利用したことは一度もなかった。

八王子・茅野間の2時間ほどの指定席の旅は快適そのものの旅であり、車窓の眺めも高速道のそれとは微妙に異なり面白かった。山梨県も地方の例外ではなく人口が減少しているとのことだが、甲府駅周辺の高層ビル群は高速道からは見えないので真新しかった。ただ、「あずさ9号」は大月にも停車せず馬車馬のように走り続けたが、結果としてマイカーの所要時間と大差なかった ( 拙宅が国立インターに近いせいもあるが ) 。その点ではマイカーと比較して格別の優位はなかった。

帰途は会合がスケジュール通りの時間に終わるか心許なかったので指定席を予約していなかった。その結果茅野駅では「あずさ30号」に座席をかろうじて確保できたが、1時間後に「あずさ」に乗った友人は新宿 ( 立川?)まで立ちっぱなしだった。私より一回りは若くてもやはり大変だったとか。

狩人の『あずさ2号』は私の好きな曲の一つで、聞くたびに一種切ない気分になる。しかし、新宿発の下りの「あずさ」はすべて奇数番号で、下りの2号は存在しない。夢を壊すようで申し訳ないが、事実は曲げられない!?

2016年11月18日金曜日

高齢者の自動車事故

このところ立て続けに高齢運転者による死傷事故が報ぜられている。とりわけ立川の病院駐車場の出がけの事故は私と同年の83歳の女性の起こした事故なので他人事ではなかった。もっとも彼女の場合最近まで多年ペーパードライバーだったとのことだが。

都市郊外の場合、地方ほどではないが都心よりは病院など生活に必要な施設への交通手段は少ない。まして地方ではマイカーの必要度は高い。個人差を考えれば一律に何才から免許返上というのは問題を含む。

現在でも運転免許更新時には技能テストの他に高齢者は認知度テスト?を受けさせられる。しかし、それで更新を拒否されたという話を私は聞いたことがない。最近、問題ありと認められた場合指定医療機関の医師の診断で免許返上を強制できるようにしたらしいが、「まだらボケ」など医師といえども判断に苦しむ場合も少なくないだろう。旧知の主治医の診断書ほどではないとしても人情も絡み、担当医師は相当決断しづらいだろう。

さいわい最近の電子デバイスによる自動車の安全装備の向上は著しい。前面の他車だけでなく人物も識別できる車も軽自動車にまで及びつつある。何しろ完全自動運転車が話題になる時代である。不可能ではあるまい。後期高齢者には大幅な負担増しとなろうとも、そうした装備のある車しか運転を許可しないとする制限も一案だろう。

今朝の「朝日川柳」に、「老原発  見よ高齢者事故多発」が載っている。ついに老原発と比較するか!!

2016年11月14日月曜日

パリのテロ殺傷事件から一年

昨日の11月13日でパリの劇場やカフェでのテロリストによる殺傷事件から一周年たった。日付けは忘れていたが、死者130人という事実にあらためて事件の重大性を痛感させられた。当事者のフランス人が受けた衝撃と困惑がいかに大きいかは治安機関に大きな権限を与える「非常事態宣言」が3ヶ月ごとに更新され、未だに撤廃出来ないでいる事実に示されている。世界に向かって自由と平等の国を標榜してきたフランスが自らその自由を制限していることの意味は小さくない。

打撃は精神面だけではない。フランスを訪れる日本人観光客は前年比6割にまで減少しているという。幸い日本ほど減少率が大きい国は他にない。日本人が生命の危険に対しいかに敏感かが窺われる。そういう私自身も怖いからフランスに行かないではないのかと言われそうだが、これはもう体調に自信が持てないため (  ファーストクラスなら行けるのになあ!)。

米国の大統領選挙でのトランプの勝利をフランスのルペンを始めヨーロッパ各国の右派が歓迎している。あの暴言王トランプが勝利するならルペンの大統領選勝利すら可能性は十分?ある。街頭を重装備した警官が巡回し、イベント会場の入口に所持品検査の長い列ができるという事態に国民がいつまで忍耐できるかが今や問われている。フランスの中道勢力の苦悩は深い。

2016年11月9日水曜日

トランプ大統領の誕生

米国大統領に半年前にはまさかと思われたトランプが選ばれた。ワシントンの政治家たちへの不信は米国では今始まったことではないだろうが、ヒラリーはその不人気を一身に集めてしまった。もっとも、ウォール街での一回の講演で二千万円を稼いだと聞けば彼女自身も不人気の一因と見られても不思議ではなかった。クリントン一家はいつの間にか庶民とはかけ離れた存在になっていたのである。

クリントンの敗因は経済のグローバル化の影響と、移民、黒人、女性などのマイノリティー集団 ( 女性をマイノリティーに数えるのはおかしいのだが、政治的存在として ) への反感ないし不寛容の二つが重要だろう。

北米自由貿易圏 ( NAFTA ) に代表される経済のグローバル化は米国の製造業を衰退させた。かつて日本の自動車産業は経済摩擦を避けるため米国に工場を建てたが、最近は人件費の安いメキシコに工場を進出させていた。その結果米国の消費者は安い自動車を入手できたが、収入源を絶たれればそれどころではなくなる。世界的にはグローバリズムは、日本を先頭に中国やタイなど途上国の生活水準を向上させたのだが、米国の庶民には慰めにはならない。クリントンでは現状を打開してくれないと判断するのは無理もない。

メキシコ人を主とするヒスパニック系移民や黒人など非白人は米国経済を支えているのだが、将来白人住民が過半数を割る見込みとあっては心穏やかではいられないのだろう。黒人の場合が代表的なのだが、過去に奴隷として連れてきたという非人道的事実から表立った批判は出来にくいのだが、黒人所帯の2組に1組が母子家庭で、月十数万円の生活保護費を受けると聞けば不満も高まる。しかし、人種差別を口にすれば political correctness ( 政治的正しさ ) に反するとしてこれまでは政治生命を絶たれかねなかった。それを公然と口にしたトランプ ( それでも黒人の名指しは避けている ) が人気を集めるのは無理もなかった。「隠れトランプ」が少なくなかったのだろう。

それでも「史上最低の大統領選」?でも政争が白日の下に展開される米国政治は、政争を事後知るしかない中国の国民から見れば夢のように映るだろう。自国の将来を不安視して子や孫に米国籍を取らせようとする中国の幹部たちは今後も減少することはないだろう。日韓やEU諸国のような同盟国にはむづかしい局面も予想されるが...............。

2016年11月5日土曜日

シルクロードの一人旅

新聞の折り込みチラシと紛らわしいタウン紙のご当地版 ( 多摩・八王子・稲城・町田 ) に『週刊もしもし新聞』がある。そこに『モリテツのシルクロードを突っ走れ!!    西安~ローマ12000キロ バスと列車の旅』が連載されている。私に関心はなかったが、家内に勧められて読み始めた。家内が興味を持ったのは、その旅がスリルに満ちているからだろう。スリルとは乗り物や宿への不安もあるが、官と民を問わぬ袖の下やぼったくりのこと。これを最近死去したウズベキスタンのカリモフ大統領らこの地に多い独裁政治ゆえの腐敗と見るか、腐敗が酷いから独裁者が必要なのか。ともかく日本人には驚くことが少なくない。

今週はバクーまでカスピ海横断300キロのフェリーの旅。袖の下はシーツを配るおばさんに1ドルを要求されただけ。先方はチップのつもりなのか?  強制されるチップは少額でもやはり賄賂なのか? シーツ代は運賃に含まれているはず。 チップの習慣のない日本に住む幸せ!

1万5000トンの巨大船は出発の汽笛なしに動き出した。ヨーロッパのどの国も列車の出発のベルは鳴らない。米国ではボストン・ニューヨーク・ワシントン間しか列車を利用したことはないが、やはり無音の出発だった。うるさくとも警告のベルがあった方が良いと感ずるのは私が日本人だからか?

ヨーロッパでは私服の鉄道員は時々見かける ( パリのメトロの女性運転手も!)。カスピ海フェリーの船長も横縞のTシャツにジーパン姿だった。安全運転ならどんな服装でも構わないが、パスポートを一時預かる係員はやはりフェリーでも制服で居て欲しかったろうに。長時間の航海ではあるが、船長も機関長も自室のドアを開け放して昼寝していた!

航海中徹底して付きまとわれた二人の少年の兄弟 ( シャープのテレビを買った帰りで、ヤポン最高とはしゃいでいた ) の両親が下船時、「子守、ありがとう」と挨拶に来たのに、モリアツ氏が謝礼を要求したくなったのはシルクロードの風に染まったためか!







2016年11月2日水曜日

韓国大統領の「不正」問題

福沢諭吉はその「脱亜論」で、中国と朝鮮が隣国であるのは「わが日本国の一大不幸」であり、今後の日本は「アジア東方の悪友を謝絶するものなり」と述べたことは知られている。これに対しては彼の帝国主義的思考の表れとする批判論と、彼が期待し肩入れしていた朝鮮の「開化派」が起こした甲申政変 (1884年 ) が三日天下で終わった ( 首謀者の金玉均は亡命後、「守旧派」の刺客に暗殺された ) 失望が言わせたものとの弁護論がある。私は後者に共感し、近代化を目ざした金玉均らに同情を寄せていた。しかし最近、甲申政変は先ず守旧派殺害で開始されたと知り ( 陳舜臣 ) 、政敵を容赦しない朝鮮の政治文化にいささか鼻白む思いだった。

朴槿恵韓国大統領が側近の女性に政府文書を見せたり、演説の添削を頼んだり、財団設立などで便宜を図ったとの理由で国民の激烈な批判を浴びている。しかし歴代の米国大統領にスピーチライターがいることは常識であるし、もし当初から側近女性を秘書官などに任命していたら政府文書を見せたからと言ってこれほどの批判に晒されていただろうか? 財団資金の悪用などは未だ嫌疑の段階だし、それが事実としても朴大統領自身の不正ではない ( むろん任用責任はあるが ) 。

そんな時流に逆らうことを書きたくなったのも朴氏以前の大韓民国の歴代大統領十人のうち国民から惜しまれて退場した大統領を思い出せないからである。( 軍事クーデターによる ) 追放二人、( 独裁を批判された )亡命と暗殺各一人、任期後の無期懲役一人という直接選挙以前の五人の大統領は別にしても、その後の五人も全員が親族の不正利得などを追及され、一人は自殺した。彼らのうちには私が同感できない人格や識見の持ち主もいたが、金大中氏のように、ノーベル賞に値したかはともかく他国のリーダーと比べて何ら遜色ない大統領もいた。何れにせよ五人の大統領を選んだのは国民であり、その責任は国民にないのだろうか。韓国民が何かと日本に厳しい目を向けるのは自国の指導者に厳しいのと同じ政治文化のためだと考えた方が良いのだろうか。

2016年10月31日月曜日

中日新聞の誤報問題

最近、中日新聞と同系の東京新聞の二紙に捏造記事があったと報道されていたが、昨日の後者に中日新聞社の社内調査の検証記事が大きく掲載された。「新貧乏物語」と題された連載記事に、貧しい家庭の女子中学生が教材費や部活の合宿費が払えなかったり、塾に行きたくても行けなかったと写真入りで紹介された。だが、写真はヤラセ、合宿費は払われて本人は部活に参加しており、塾は母親が勧めたのに本人が断わったのが真実だったという。

ひどい捏造記事だったが、担当記者は入社後間も無くで大きな仕事をあてがわれ、ぜひアピールする記事をと焦り、デスクはその嘘に気づかながったという。いくら功名心に動かされたとはいえ捏造記者は厳しく処罰されるべきだが、誇大記事を大目に見た疑いもあるデスクを含めて社内に貧困や経済格差への批判なら誇張も咎めないとの雰囲気が存在したのではないか。5月の記事にしてはあまりに遅い訂正にそう思はざるを得ない。たとえ正義感に駆られた結果でも事実を曲げて報道して良いはずがない。                                                      

現在のわが国では人手不足が深刻なようだ。じじつ失業率3%といえば諸外国と比べてよく頑張っている方だろう。それに対して失業率低下といっても非正規労働者の増加のために過ぎないとの反論がある。しかし、非正規といっても不本意非正規労働者はそのうちの四分の一だと聞く。残り四分の三は高齢者、主婦、ニートなど  自ら非正規を選んだ人たちということになる。むろん残り四分の一といえども放置して良いはずはなく、職業教育の改善などの努力は必要だが、誰もが希望の職業につける訳ではないのは止むを得ないだろう。

2016年10月28日金曜日

三笠宮殿下の思い出

三笠宮崇仁殿下が亡くなられた。わずか三、四年間だが週一度、同僚としてお目にかかっていたので私なりに殿下の謙虚な人となりを述べずにはいられない。

昨夜のテレビニュースで殿下が「気さくな」人柄であったと再三言及されていた。それが生得のものか長年の配慮が習い性となったのかは分からないが、私に異存は全くない。非常勤講師の方々は通常、時間調整のため授業前に学科の談話室に立ち寄られた。われわれ専任教員も授業を依頼している以上たいてい顔を出しており、殿下も談笑に加わっておられた。特別扱いが何よりも嫌いな殿下には数少ない気楽で楽しい時間だったのではなかろうか。

年度末、熱海の来宮のキリスト系大学の共同の保養所で学科の教員の慰労会があり、殿下も興味津々? 参加されていた。私がご一緒したのは三度くらいだが、大学紛争が激しかった年 ( その年の卒業式は無かった )、教員間の関係も緊張をまぬがれなかった。そのため当夜二人の教員間で論争があり、年下の側が泣いて抗議する場面があった。目の前で諍いが起こるなど、軍隊時代を除き殿下には前代未聞の出来事だったかもしれない。むろん発言はなさらなかった。

過激派のテロの恐れを理由に ( そういう時期が日本でもあった ) 講師を辞められたとき、赤坂御所?の宮邸に同僚数人とお茶に招かれ、妃殿下やご息女も加わり楽しいひと時を過ごした。学生の奇怪な卒論を話題にして御一家の爆笑を誘ったので女性お二人は私のことを今も記憶しておられるのではないか??

殿下のご著書『古代オリエント史と私』の中だったと記憶するが、満州事変の調停のため来日したリットン調査団を敵視した軍の一部に、調査団の食事にチフス菌を入れる陰謀があったと記されている。一部にせよ当時の軍部がどれほど増長していたかを示すエピソードである。また、東條大将への大命降下は、勝手な要求を並べる陸軍を抑えるには陸軍自身に首相の重責を負わせる他ないとの苦肉の策だったのに、外国からは日本もいよいよ開戦を決意したと逆の解釈をされたと書中で残念がっておられた。不幸な時代だったという他ないが、他国に真意を理解してもらうことの難しさは当時だけではない。




2016年10月25日火曜日

「駆けつけ警護」の是非

自衛隊の「駆けつけ警護」の是非が政党間で、またメディアで論じられている。具体的には南スーダンへの自衛隊のPKO派遣部隊に新任務として与えることの可否が問題となっているが、むろん今後とも他地域での同様のケースが予想される。

政党間でもメディアでも派遣された自衛隊員の危険がもっぱら論じられている。これまで自衛隊の主要任務は道路整備などの非軍事的活動とその防衛で、他国のPKO部隊や援助機関の救難は考えられていなかったが、今後は後者も有り得ることになる。

自衛隊が参加しているPKO活動は文字通りは「平和維持活動」であり、道路や民生施設の整備がそれに当たるとはむしろ拡大解釈だろう。それが他国から大目に見られていたのは現実に住民の生活改善に役立つからだろう。しかし我が国の「PKO派遣五原則」がどうあれ、実際に他国のPKO部隊や援助機関が反乱軍やゲリラに攻撃されたとき我関せずで済むだろうか? 事実、何か月か前、韓国の部隊が弾薬不足に陥り、現地の自衛隊が何万発かを貸与したことがあった。幸い大事に至らなかったが、もし自衛隊が援助を断れば弾薬が尽きて 韓国の部隊が皆殺しに近い損害を被る可能性はあったろう。そのとき日韓関係はどうなっていただろうか。私には悪夢としか思えない。

そもそもPKO派遣部隊は国連の兵力のはず。確かに「駆けつけ警護」は自衛隊員の危険を増大させ犠牲者を出すことも大いにあり得る。それがいけないなら我が国はそもそもPKO活動に参加すべきではない。米国に次ぐ国連経費を負担しているのに敵国条項を改めようとしない国連にPKO協力をする必要はないとの意見はあり得るし、破綻国家の住民のために自衛隊員が一人でも犠牲になるべきではないと考えるならそれも一つの考えではある。しかし現在の「駆けつけ警護」批判はそうした理由を挙げてはいない。いつまで曖昧さを続けるつもりだろうか。

P.S.  今朝とつぜんメール以外の機能が作動しなくなった。メクラ滅法にプラグを引き抜いては付け直していたら回復したが今後も作動不能はありそうだ。電子機器の故障は素人にはお手上げだが、ブログが中止になっても私が死んだと早合点しないで欲しい!

2016年10月21日金曜日

中国の体制内知識人の苦悩

朝日新聞 (10月20日 )に中国の天津社会科学院名誉院長の王輝氏への長いインタビューが掲載されているが、当局の人権侵害と闘う反体制知識人とは別の体制内知識人の苦悩が読み取れる。

文化大革命時代に党幹部だった王氏は拘束された苦難の時期と政府内で仕事に従事した時期をともに経験した。氏は一千万人の犠牲者を生んだ文革の暗黒面をむろん否定しないが、文革の直前には「党内には、すでに特権階級が生まれつつあった」とは認めている。

その後は鄧小平の「改革開放」時代になり経済は大成長したが、貧富の格差は拡大するばかりとなった。現在は「すでに貴族権益のようなものを持つ階級も生まれているから、左 ( 共産主義 )にも行けない」「かといって右に行くこともできない。右とは米国的民主政治の道です」「 ( 民主化が ) 進めば中国は四分五裂の道をたどるでしょう」「ただただ、今のままやっていく。これしか他に道はありません」。

現在の習近平体制下の人民の人権擁護に身を捧げている反体制知識人たちの受難と苦悩には多くの日本人が心を痛めていると信ずる。しかし、彼らはまだ希望を失っていないのに対し、王氏のような良心的体制内知識人には絶望しかないようだ。氏はこうなった原因を「( 中国共産党のような ) 暴力による政権奪取の必然の結果は専制政治です。それは民主化をもたらすことはないのです」と結論している。もっと早く目覚めるべきだったと言うのは言い過ぎだろうか?

現在の中国の対外政策は独善的で危険をはらんでいる。しかし、習近平が腐敗撲滅以外に中国を正道に戻す道はないと信じているのは誤りではない。その道はおそろしく狭い道だろうが...........。

2016年10月18日火曜日

訂正?

今日のNHKのクローズアップ現代でロンドン・オリンピックの経費が2兆1000億円と伝えていたが、私のメモ ( 出典不明で残念 )には北京3兆4000億円、ロンドン3兆1700億円、アテネ1兆1100億円、バルセロナ1兆1900億円とある。より詳細だから正しいと言うつもりはないが..........。

ボート・カヌー会場選定の難航

東京オリンピックのボート・カヌー競技の会場選定が難航している。今日の小池都知事とIOCのバッハ会長の会談の内容は伝えられる限り、当初の海の森会場の方針を守って欲しいとの婉曲な要望であるようだ。

そもそも会場選定がこじれたきっかけは東京オリンピックの経費予想が当初言われた数千億円から三兆円に膨張したことにある。しかし北京、ロンドンの開催費も三億円を超えていたと聞く。東京の場合も施設費以外の警備費や運営費などが巨額なようだ。当初の数字とは積算根拠が全く違うのである。

とはいえ我が国の財政難を考えれば開催費は出来るだけ節約することが望ましい。しかもIOC自身がオリンピックの簡素化に好意的になりつつある。むろん選手たちの使い勝手は大事だが、ボート会場も宮城県や埼玉県に適当な候補地があるなら再考の余地はあろう。各競技団体も理想論に固執すべきではないし、ましてレガシー ( 遺産で何が悪い!) 作りは二の次、三の次である。私にとってのオリンピックの遺産は長野大会の男子ジャンプ、リオの体操、卓球、バドミントン、水泳などでの選手たちの歓喜や感涙の思い出である。

IOCが韓国でのボート・カヌー競技の開催の可能性を口にしたという。平昌オリンピックのボブスレー競技の会場も難航し、日本側が長野での開催を申し出たが韓国側が断固拒否したとも聞く。私はボート会場が韓国に移されても断固反対はしないが、同じ選手村での各国選手たちの交流や親善という理想に合致しないとの国際ボート連盟会長の長沼への反対理由は何だったのかとは思う。

夕刊に海の森会場の整備費を当初の491億円から300億円に圧縮する試算がなされつつあるという。そうであれば今回の開催地騒動も、当初案に落ち着いたとしても十分意義があったともいえる。他の競技会場も仮設の観客席の採用など今後も簡素化に勤めて欲しいものである。

2016年10月15日土曜日

君主制の効用

タイのプミポン国王が亡くなられ国中が喪に服している。クーデターの絶えない国の世論をとらえるのは難しいし、同国の場合都市と農村部の違いが大きいようだが、今回は国民の大多数が国王の逝去を悲しんでいると見て良いようだ。その理由には伝統的な王室尊崇の国民感情と共に、これまでプミポン国王の存在が国の分裂をぎりぎり防止してきたとの国民の認識があるようだ。

王室尊崇の感情は君主国ならどの国にも多少にかかわらず存在するだろうが、国王に拝謁する国家指導者たちが文字通り床にひれ伏すのには驚いた。我が国では絶対に見たくない光景だし、今後そういうことは有り得ないと信じるが、タイの流儀を否定する気はない。

自由、平等、友愛を掲げたフランス革命が王制を廃止して以来、王制廃止を民主主義発達の指標と見なす風潮が一般化したが、英国の例を挙げるまでもなく皮相な見方である。フランス自身その後ナポレオン独裁を生んだが、彼はオーストリア宰相のメッテルニヒに、「フランス人は戦勝を続けなければ私を許さない」とこぼしたという。身勝手な弁解だが否定もできない。血筋による正統性、神秘性を持たない弱みである。

君主は政治的階級的対立を超越した存在であるとの主張は疑わしいし、虚構の要素が大きいが、君主制が国内対立が内戦にまで激化することを防ぐ緩衝役を務める場合は確かにある。第一次大戦後英仏はメッカの太守フサインの三人の息子をそれぞれシリア、イラク、ヨルダンの王位につけた。そのうち王制を廃止しなかったヨルダンだけが 同じく王制のモロッコとともにアラブ世界で悲惨な内戦をまぬがれている。両国の政治や社会に問題はないはずがないが、内戦よりはマシである。

一度は君主制を廃止しながらのちに復活した国にスペインとカンボジアがある。どちらも共通して激しい内戦を経験した国民が王制復活を許したり願ったりしたのである。王制が人間平等に反するとの主張は間違っていないが、君主制が緩衝装置となる現実は否定できない。「君主制の効用」とする所以である。

2016年10月13日木曜日

「聖地巡礼」

映画やドラマの舞台となった場所を訪ねる「聖地巡礼」は以前から話題になっていたが、今回は新城誠監督の『君の名は』がブームの火付け役のようだ。私も過去に「聖地巡礼」をしたことがあるので思い出を記したい。海外の「聖地」ばかりとなったのは過去の名画の存在を知って欲しいから で自慢のためではない!

ジョン・フォード監督の名画の一つに『わが谷は緑なりき How green was my valley 』(1941年 )がある。南ウェールズの炭鉱町の坑夫一家の思い出を息子の目で描いた映画で、炭坑事故をきっかけに敬虔で誠実な一家の生活は過去のものとなる。リチャード・レウェリンの原作小説 ( 邦訳 ) も印象的だったので、その舞台とされる南ウェールズのロンダを訪ねた。すでに炭鉱は閉鎖されたのか人影はまばらだったが、石造  (煉瓦?)の家々は道沿いにひっそりと佇んでいた。  

『ローマの休日』の「聖地」はそれほど珍しくもない。主演のグレゴリー・ペックも好演だったが、清末の中国に赴任し妨害に耐えて布教する牧師を演じた『王国の鍵』(1944年 )の彼もこれ以上の適任は考えられないほどぴったりの役だった。当時の主演者はペックにせよジェームズ・スチュアートにせよ出て来ただけで好感を持たれてしまうタイプ?なのに、最近のジョニー・デップなど何でこんな汚ならしい男が人気なのか理解できない!

『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台のザルツブルク市街やミラベル庭園は映画の通りの美しさだったが、私の第一の関心は近くのベルヒテスガーデンのヒトラーの有名な山荘だった。ヒトラーの見たドイツアルプスの絶景を私も見たいとの低俗な願いは十分満たされたが、山荘でのヒトラーと愛人のエヴァ・ブラウンとの満足げな写真と異なり、高所恐怖症だったヒトラーはあまり来たがらなかったという。

映画ではないが、韓国ドラマ『冬のソナタ』ファンの「聖地」春川や南胎島を、放映後の人気絶頂の頃訪ねたのはたまたま韓国ツアーに参加したため。テレビで欠かさず見ていたので結構楽しかった。訪韓の本来の目的は元同僚の韓国人の友人と再会するためソウルで自由行動日のあるツアーを選んだのだが、けっきょく私たち夫婦しか参加者はなく、済州島からソウルまでミニヴァンでの贅沢な旅となった。日本では『冬のソナタ』といえばペ・ヨンジュンが話題の中心だったようだが、私はチェ・ジウのファンだった。

私は冬ソナファンではあるが、その後の韓流ドラマはヒロインがこれでもかこれでもかとイジメられる『宮廷料理人チャングム』を途中まで見ただけで疲れてしまい、一切見ていない。信じてほしい!


2016年10月10日月曜日

グローバリゼーションの功罪

三、四年前に購入した柱時計が動かなくなった。随分早い故障だが、もともと安物の上に保証期間を過ぎており、修理代が原価を超える可能性を考え新規購入することにした。最寄駅の周囲にはニトリ、小売店の集合ビル、デパートと ( 数種類しか置いていないビックカメラを除いても ) 三店舗あるが、この順に千円未満 ( 柱時計が!) から数万円の物まで見事に販売店の格に応じた?価格帯で並べられていた。結局、ニトリでは高額の品を購入した。やはり中国製だった。

経済のグローバリゼーションの結果、昔なら考えられない価格で各種商品が入手可能になった。百円ショップを訪れた友人が何でも売っていると驚いていた。発展途上国の製品を経済先進国の国民が買うことは相互に利益であり、一見万々歳である。しかし、物を大切にする習慣は確実に廃れるだろう。痛し痒しである。。

刊行されたばかりの講演再録集『問題は英国ではない、EUなのだ』( 文春新書 ) でエマニュエル・トッドが英国のEU離脱の原因を、先進国共通の「グローバリゼーション・ファティーグ ( 疲れ )」に求めている。国境を越えての物品や人間の自由な移動が経済の活性化を生み、人々に物質的満足をもたらすとの新自由主義的教義が誤りとは言い切れない。しかし、米国の製造業従事者が全雇用の10%程度と聞けば、かつて米国製品が輝いていた時代を知る私には健全なこととは思えない。トランプ人気の一因が矢張り米国民の「グローバリゼーション疲れ」であることは否めない。その結果、政治家の品性が二の次、三の次となる時代が来るのだろうか。

それも困るが、トッドは別のインタビュー記事で、「この大統領選挙でグローバル化の神話は終わり、国家回帰に拍車がかかるだろう」と予言している ( 『朝日』10月4日 ) 。

2016年10月5日水曜日

死刑廃止論の行方

日本弁護士連合会が国連の勧告に応じて死刑制度廃止 ( 2020年迄に ) の提言を七日の「人権擁護大会」で決めるという記事が載ったと思ったら翌日、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士たちが反対声明を出した。反対理由は基本的には「犯罪被害者の人権や尊厳に配慮がない」ということだが、手続き論としても強制加入制の日弁連が会員の思想・良心の自由を損なう決定をすべきでないこと、大会出席者は会員の数%に過ぎずそうした決定をする権限はないということである。

私は「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の主張に全面的に賛成である。手続き論としてもそうだが、それを離れても死刑制度を止むを得ないと考えるから。高名な廃止論者に元警察官僚にして元自民党幹部の亀井静香氏がいるが、氏の著書 ( ブックレット ) にも冤罪の可能性など聞き慣れた反対理由しか挙げられていない。

廃止論者が真っ先に挙げる冤罪の可能性が絶無とは言わないが、戦後しばらくはともかく現在のわが国では、死刑囚がしばしば再審を認められている事実が示すように、犯行をあくまで否定する死刑囚が刑を実行されることは先ず考えられない。国連加盟国の中には政治的反対者を死刑にする国が少なくない ( 国連の人権擁護組織のメンバーにはそうした国の国民が少なくないようだ ) が、わが国ではそうしたことはあり得ない。死刑の犯罪抑止効果はあまり期待できないとしても、逆に国によっては犯罪者と見なされた者を裁判の手間を省くため射殺する誘惑は強まる。

しかし私が死刑を是認するのはそれが正義に叶うと思うからである。前にも紹介した気もするが、オバマ大統領はビンラディンの殺害に成功した際 、Justice has been done! と叫んだ。一人でも他人の生命を奪った者は原則として自分の生命で罪を贖うべきだが同情すべきケースもあろう。複数の生命を奪うと死刑判決という現在のわが国の慣行は妥当なのだろう。EU諸国の犯罪者の人権擁護のための死刑廃止論に私は偽善の匂いを感じてならない。

2016年10月3日月曜日

戦時中の日本知識人たち

一昨日終了した朝ドラで花森安治がモデルとされる花山編集長が、雑誌『あなたの暮らし』の今後の重要テーマとして戦時中の庶民の暮らしを取り挙げるとの決意を表明していた。庶民の暮らしではないが、当時の知識人たちは戦時中どんなことを考えていたのだろうか。さいわいドナルド・キーンが彼らの考えていたことを『日本人の戦争   作家の日記を読む』( 文春文庫 )で詳細に教示している。  

本書に取り挙げられている日記作者は引用や言及の回数順( 大略 )に記せば、高見順、伊藤整、山田風太郎、永井荷風を主として、清沢洌、内田百閒、渡辺一夫、大佛次郎、徳川夢声、古川ロッパ、高村光太郎、野口米次郎と多彩である。

戦争の評価に深入りせず、生活とくに食生活に関心を集中している荷風は特異であり、銀行員として米国やフランスで生活した彼には「鬼畜米英」的風潮にページを割く気になれなかったのかもしれない。逆に熱烈に「大東亜戦争」を肯定している作家 (将来の )の代表は伊藤整と山田風太郎である。米国で激しい人種差別を経験した高村光太郎や野口米次郎が戦争を肯定しているのは理解できるが、伊藤整と山田風太郎に海外体験はない。とくに伊藤はジェームズ・ジョイスの翻訳者として抜群の英語力を有し、小樽高商生時代には英米人教師に接した筈なのが信じられないほどの対米戦肯定者だったし、山田も当時医学生だったことが信じられないほど既にフランス文学やロシア文学に通じていたインテリだったのに伊藤と五十歩百歩の反米派であり、戦後しばらくも見解を改めず、復讐戦を熱望したのは驚きである。

結局、最もバランスの取れた見解を書き記しキーンが最も多く言及や引用をしているのは高見順である。戦前の左翼運動に参加して特高に「転向」を強いられた彼が「大東亜戦争」に批判的なのは自然だし、従軍作家として中国戦線に送られ皇軍兵士の蛮行を目撃した。だが、それを指摘しながらも特攻機に涙し、戦後の同胞の苦難には深く心を痛めている。また、戦後直ちに米兵向けの売春施設を用意した日本人、戦時中の英語全廃でバットやチェリー ( 分かるかな?)を廃止し、戦後あたらしいタバコにピースと名づけた日本人には「極端から極端へ。日本の浅薄さがこんなところにも窺える」と批判している。他方、ロッパはGHQの指令で歌舞伎が全面的に禁止されたことを評して「アメリカ人の芸術の分からなさが、先づ嘆かわしい。............敗戦国のみじめさは、地理歴史の廃止の次に、かういふものが控えていた」と評している。

2016年10月2日日曜日

関係者の責任の取り方とは?

横浜の大口病院の患者不審死事件は犯罪の気配が濃厚になって来た上に、まったくの素人に可能な犯罪とも思えない。まだ推測に過ぎないが病院関係者の手による犯罪の疑いは小さくない。

同病院の四階は終末期の患者の収容施設になっていたようだ。そうでなければ一日に5人の患者が死亡しても ( 2か月で50人とも )病院が意に介さなかった理由は説明困難である。あくまで想像だが、病院側が不自然死と感じていたとしても事件となれば厄介であり、まして終末近い患者の死では目をつむりたかったのかもしれない。

もし病院内の犯罪ということになれば相模原の県立障害者施設「やまゆり園」での大量殺人事件の影響は当然考えられる。他人の介護なしには生活できない人たちという点で両者には共通性がある。「やまゆり園」事件の犯人植松は麻薬の影響下にあったらしいが、抵抗できない人の命を奪う行為が悪であることは明らかである。ただ、そうした施設で働いた経験に欠ける私には自分がその場合どう感ずるかは予想困難なので、軽々に他人を糾弾したくはないが。

「やまゆり園」の障害者 ( の父兄 )の会の要求に応じて黒岩神奈川県知事は、園の建物を60~80億円をかけ撤去し新築することにしたという。危うく難を逃れた入居者の保護者としては無理もない面はある。しかし、こうした施設への入所希望者は数多いのではないか。同じ規模の施設を新設し、「やまゆり園」は残して新規希望者を収容すべきではないか。既入居者の要求だからといって同意するのは安易に過ぎる。知事は県の施設での職員の犯罪の管理責任を取ったつもりだろうが、知事のすべき第一の仕事は入所を希望する人を可能な限り多く収容することではないか。立派な施設を撤去する必要があるとは思えない。

2016年9月27日火曜日

日本植民地化を阻止した徳川慶喜?

NHKの「英雄たちの選択   幕末秘録  京都に外国軍侵攻?」( 9月15日 放映 ) を録画で見た。幕末の1865年、我が国が開国の約束をサボタージュしているとの理由を挙げ米英仏蘭の四カ国の九隻の連合艦隊が大阪湾に集結し、開国の勅許を求めて京都に攻めのぼると威嚇した ( 摂海侵入事件 )。板挟みになった幕府は朝廷に勅許を求めるが狂信的攘夷思想の孝明天皇は抵抗し、攘夷派公家たちを背後で操る大久保一蔵 ( 利通 ) は幕府を窮地に追い込むため国難も意に介さなかった (革命家とはそういうものか?)。

朝廷の抵抗に追い込まれた慶喜は、内心は騒乱を避けたい諸藩の代表たちを御前会議に呼ぶという前例のない方法で世論の動向を示す一方、勅許が得られないならこの場で切腹すると脅して朝廷を屈服させた。番組の出席者たち ( というより司会の磯田道史氏!)はこの摂海侵入事件を幕末の最大の危機と捉え、もし列強軍が京都に侵入していればアヘン戦争後の清国のように我が国が列強の植民地になっていた可能性があると結論した。

たしかに、幕末史では薩英戦争や列国艦隊の下関砲撃事件が有名だが、それらは薩摩藩や長州藩にとって危機であっても日本国が列国の直接の目標だったのではない。むろん京都侵攻で必ず日本が植民地化したとまでは言い切れないが、いまや世界の観光都市京都が第二次世界大戦より80年早く焼け野原となる危険にさらされたことは確実だろう。

徳川慶喜の評価としては矢張り鳥羽伏見の戦いで劣勢となるや将兵たちを置き去りにして江戸に逃げ帰ったことの印象が強いし、私個人は吉村昭氏の『天狗争乱』を読んで慶喜を味方と信じて ( 誤解して ) 関西にまで攻め上った水戸藩士たちを見捨てた ( 彼らは虐待され処刑された ) 酷薄な人、しょせん臣下のことなど気にかけない殿様と考えていた。急に意見を改めろと言われても.........。
殿様には相応の貢献の仕方があるということか。歴史上の人物の評価はかくも難しい。

2016年9月25日日曜日

豪栄道 優勝!

大相撲秋場所は大関豪栄道の初優勝で終わる。まだ全勝優勝かどうか分からないが、たとえ14勝1敗で終わっても文句のつけようのない成績での優勝である。これが大関昇進いらい四度のカド番という惨憺たる成績だった力士の為せる業とは思えない。あれよあれよの間の優勝であり、誰もこの結果を予想していなかったろう。あまりの変身の理由はこれまで体調が不良だったせいか?  そうと聞いていないのは、それを理由にしたくない大関のプライドの故だろうか。それとも単なる偶然の変身なのだろうか。

二敗の遠藤 ( よくやった!)が負けての優勝決定でなく、日馬富士を敗って決めたのがまた良かった。私は日馬富士のファンでもあるので取組前の心境は複雑だったが、やはり今回は日本人力士に勝って欲しかった。負けた瞬間、日馬富士は照れたような表情を浮かべた。あれほど相手を圧倒しながら逆転されては苦笑する他なかったのだろう。しかし、彼の俊敏さはこれまで私が知る力士のうちでも随一であり、今場所もそれは十分発揮された。好漢の今後を期待する。

稀勢の里が今回優勝どころか期待外れに終わったのは残念だが意外ではなく、場所前あれほど期待を煽ったメディアがおかしい。これまでの彼は日本人故の期待を一方的に負わされていた。今回でその面での心理的負担はある程度解消したことは喜ばしい。今後はただ自身のためにだけ勝負して欲しい。今場所の豪栄道のように。仮に横綱昇進なしで終わったとしても、白鵬に双葉山の連勝記録を破らせなかった力士として私は忘れないだろう。

2016年9月22日木曜日

国際結婚と難民問題

卓球の福原愛選手が台湾の卓球選手と結婚した。彼女ほど同胞に愛されたアスリートも稀だろう。長嶋茂雄がいると反論されそうだが、確かに長島の人気は高かったが巨人ファン以外にも圧倒的人気とは言えなかった。それに対し「愛ちゃん」は20年近く国民の言わばアイドルだった。結婚相手も好青年のようだ。相手が中国や韓国の青年だったら私も心から祝福したか正直分からないが、最大の親日国 ( 国と言ってよいかは兎も角 ) 台湾の青年となら何のわだかまりもないし、台湾の人たちも ( 大陸中国の人たちも ) 喜んでくれると信ずる。今後の二人の幸せを願うばかりである。

現在開会中の国連総会の重要テーマが難民問題であり、安倍首相はシリアを中心とする難民に3年間で2800億円の人道支援を行う考えを表明した。それに対しメディアではこれ迄も、日本は資金は出すが難民受け入れには冷淡であると批判されてきた。ヨーロッパ諸国には日本への不満をかこつ向きもあると指摘する新聞もある。確かに今年上半期の難民認定が4人とも6人ともいうのは何とも少なすぎる。

しかし、2800億円が少額とは必ずしも言えないし、国民の税金、その中には外国で諸々の困難や危険にさらされている同胞の貢献も含まれていることを忘れるべきではない。それに何より中東やアフリカからの難民が故国から遠く西欧語も身につかない日本に本心から住みたいと考えるとは思えない。ヨーロッパで日本を批判する国があるとすれば、植民地支配の過去や労働力不足を理由にこれまで移民や難民を受け入れた国々の日本への妬みが主な理由だろう。我が国が難民として受け入れるべきなのは戦時中被害を与えたアジア諸国からだが、現在難民問題を抱えているのはミャンマーぐらいだろう。

シリアで日本語や日本学を学んでいる若者を受け入れるとの日本政府の意向は妥当であり、ぜひ全員を国費で招いてもらいたいが、一般論として移民難民には慣れない異郷で苦労するよりも安全が確保され経済が安定した故国で生活することが望ましい。一時の同情が本当に当人たちの幸せに貢献するとは限らないことは一匹狼のテロリストの頻発に明らかである。


2016年9月19日月曜日

『緑の魔境』?

昨年百數十個の収穫があった庭の温州蜜柑の木に現在実が皆無である。果樹に生り年と裏年があることは無論知っていたがこれ程のことになるとは思いもよらなかった。木からすれば休養のため、つまりは自己防衛のためだろうが。

収穫ゼロは仕方のないことだが、栄養が余るせいか盛夏も過ぎる今頃に20センチぐらいの新しい枝が次々に伸びてくる。現在以上に大きな木になると厄介になるので除去に努めているが、きりが無いという感じである。

蜜柑の木だけではない。住んで半世紀ともなると庭木の大きさも半端でなくなる。ヒマラヤ杉や樅など既に二、三本は切り倒したが、今でも柿やムクゲ、ハナミズキなどどれも植えた時は直径1センチくらいの苗だったのが切り倒すのも困難な高さになり、植木屋への支払いも増額を考えなければならなくなった ( 親の代からの家に住む友人からはそんな少額と笑われたが!)。除去したくとも植木屋にも迷惑視されそうである。

数年前に亡くなられた著名な農学史学者兼科学評論家の筑波常治氏は衣服はもちろん使用するインクや朱肉まで緑色で統一するという、ある意味で現在の自然保護運動の先駆者のような人だが、たまたま私が読んだ著書の中では普通の人は植物の旺盛な生命力を知らないと書いておられた。アマゾン川流域の原生林がプランテーション農法で急速に失われつつある現在、自然保護運動の重要性、緊急性は論をまたないが、極小単位の個人の側からすると樹木の旺盛な生命力を強調したくもなる。

1954年に製作されたイタリア映画に『緑の魔境』というのがあった。題名を覚えているだけで私は多分見ていないが、未開のアマゾン奥地の動植物や原住民の紹介の映画だった (  ピラニアの凶暴さはこの映画で世に知られたという )。その頃とは何もかも様変わりしたアマゾン地方である。しかし私には題名が妙にリアルに感じられるようになった!

2016年9月15日木曜日

『東亜日報』の気骨

今朝の『産経』に「慰安婦像移転し日本と協力を   韓国有力紙 異例の『正論』」との見出しで『東亜日報』紙の論説主幹が「北朝鮮の核に対していくために、ソウルの日本大使館前に設置された少女像 ( 慰安婦像 ) を移転させるべきだ」と同紙のコラムに書いていると報じている。

『東亜日報』は1936年のベルリンオリンピックのマラソンで孫基禎選手が優勝した際、孫選手のゼッケンの日の丸を韓国旗に写し変えた写真を掲載し、当時の総督府から11ヵ月の停刊処分を受けた有名なエピソードの他にも9年間に300回の販売禁止を受けた硬骨のジャーナリズムである ( ウィキペディア )。「韓日合意の精神と国際社会の基準に従い、少女像を日本大使館から移転させ....」、「軍事大国の中国がアジアで中華覇権主義で疾走するなか、核兵器もない日本の再武装を憂慮するのは、過去にだけとらわれた見方だ」との主張は間然するところのない正論である。想像だが、これまでも主筆は慰安婦像設置を行き過ぎた行為と考えており、「北朝鮮の核」への対抗は名目なのではなかろうか。何れにせよ同紙の伝統に違わぬ勇気ある発言である。日本の他紙、特に『東亜日報』と特約関係にある『朝日』がこの記事を報道しないのは理解できない。

6月10日の『毎日』に戦時中米軍が三人の朝鮮人捕虜を尋問した調書が記事になっている。「日本支配の過酷さ、米で確認」との見出しだが三人は、「太平洋で目撃した朝鮮人慰安婦は、志願したか親に売られた者だった。( 軍による ) 直接的な徴集があれば暴挙とみなされ、老若を問わず朝鮮人は蜂起するだろう」と答えた。「『金もうけができる』と言われて徴集された就業詐欺が多かったことが判明している」との調書の結論を「植民地支配された朝鮮の貧困」「民族・女性差別の深刻さと同紙は解説しているが、ちなみにイザベラ・バードの『朝鮮紀行』は李朝末期の朝鮮人の生活の貧しさ、不潔さに驚いている。しかし、それが民族性と無関係であることはロシア支配下の沿海州の朝鮮人が見苦しくない生活をしていることにバードが着目していることから明らかである。李朝末期の政治に原因があったということだろう。記者たるものもっと勉強して記事を書いて欲しい。もっとも調書を紹介しただけ他紙よりましとも言えるが。

2016年9月12日月曜日

歌枕の旅

先日、芭蕉の『おくのほそ道』をたどるNHKの番組があり、久しぶりに森田美由紀アナに再会?し懐かしかった。むかし外国からの帰国時、機が日本に近づくとニュース番組の彼女の穏やかな声が流れ、帰国を実感したものだった。

番組は二回のうちの前半なのか山形県に入ったところで終わった。芭蕉の旅が各地の西行ら先人の歌枕の地 ( と義経関連史跡 )をたどることが大きな目的だったことは全く知らなかったわけではないが、よく分かった。那須の殺生石や遊行柳、白河の関、義経の忠臣佐藤兄弟ゆかりの飯坂温泉周辺、松島、平泉、尿前の関、月山をのぞむ山刀伐峠と、白河の関以外は曽遊の地だったので懐かしく見られた。個人的には平泉の義經堂が最も印象深かったのはやはり日本的な判官贔屓と「夏草や兵どもの夢のあと」と、北上川を眼下に束稲山をのぞむ風景と三つそろっていたことが大きいのだろう。

国内で歌枕を意識して訪ねたことは無いが、外国の歌にうたわれた名所は多少意識して訪ねた。結果としてヴェネチア、ナポリ、ソレント、カプリ島とやはりイタリアが多くなったが、パリを含めて幾つかある( ライン川とドナウ川の船旅は案外大味だった ) 。

パリは、そのものを題名にした戦前の『パリの屋根の下』や戦後間も無くの『パリの空の下、セーヌは流れる』しか思い出せない。前者の方がどちらかといえば知られているが、私は後者の曲が好きである。首都クラスの都市として昔は犬の糞の多いパリは特別好きではなかったが (同胞のパリ滞在記はなぜそれに触れぬ!)、いま振り返ればやはりもう一度訪ねられたらと思うのはパリが一番である。ヒトラーのパリ破壊命令に従わず降伏した駐留ドイツ軍のコルティッツ将軍は世界の人々の感謝に値する。パリを訪れる観光客は彼を想起すべきである!

2016年9月8日木曜日

映画『シン・ゴジラ』を見て

私のゴジラ映画歴?は初期の二、三篇を見た程度で、むしろ無関心派に近かった。それが今回、『シン・ゴジラ』( シンは新、真、神など解釈自由だとか ) を見る氣になったのは、本作が怪獣ものであると同時に怪獣に対する当事者 ( 政官界など )の危機対処もテーマであるかのような評を目にしたからである。

結果は、男たちが怒鳴り合い聞き取れない場面が多かった往年の黒沢映画のように、今回は官庁用語入りの硬い内容が大声で叫ばれるので、内容を十分理解できたか自信はない。昔の『日本沈没』もやはり国難への対処という同じ内容だったのに十分理解できたのは世の中全体がせっかちになって来たからか、私の理解スピードが加齢で衰えたためか。

突発した異常事態の正体を先ず理解しついで対処するため複数の協議体が急遽設置されるが、それらの組織名の長たらしさは官僚主義を皮肉ったものだろう。また我が国では首相をはじめとする組織の長は下からの意見具申を承認するだけで自分で判断を容易に下せないこと、つまりは実質的にこの国を動かしているのは中堅クラスの人材であることを想起させる内容となっていた。世界各国の指導者が米国やロシアの大統領からトルコやフィリッピンの大統領まで、その判断の良し悪しは別とし果敢に判断し行動するのは我が国の流儀とは対照的である。この映画が福島原発事故での民主党政権や東電の混乱ぶりを念頭に置いているとしても、我が国のdecision makingの行動様式まで遡って考える必要があるのだろう。

作中でゴジラの世界的危険を排除するため米国が東京の中心部での原爆の使用を日本政府に迫る場面があった。幸い別の対策でゴジラは死ぬが、こうした場合米国なら自国民に対しても原爆使用をためらはないかもしれない。そのことの善悪は私にも判断が困難である。そうしたことが無いよう願うばかりである。

2016年9月4日日曜日

日露交渉の行方

日露間の領土問題交渉はひとつの山場を迎えつつあるようだ。安倍首相とプーチン大統領との交渉の内容は不明だが、通訳以外の余人を交えず二人だけの密談が前回 ( ソチ )を併せ二度目ともなれば相当程度本音の話し合いに入っていると考えられる。

それに対する各紙の社説だが、『産経』は四島返還方針の堅持を、『日経』は領土に触れず単に交渉促進を ( つまりは領土放棄もあり ) 主張しているが、全国紙三紙は明確な態度表明を控えている印象である。いくら会談内容が不明と言っても、四島一括返還 ( 時期はともかく ) と返還なしの間の何処かで話し合いがなされていることは明らかであるのに。

これまで、専門家の予想も、袴田茂樹氏のようにロシアは一島も返還の意志なしというものまであったが、今回のプーチンの公開発言から推測すると二島返還まで譲る用意があるのでは ( あくまで推測 )。私も日本人として四島返還、少なくとも三島返還を切望するが、『産経』のようにそれ以外は無しとまでは言いたくない ( 仮に返還されても北方領土に移住する日本人が多いとは思えない ) 。『日経』の指摘するように石油輸入の中東依存 ( 8割とか ) からの脱却やロシア極東地方の経済基盤強化への協力も重要だが、日露提携は中国に対する両国の立場を強めるとの認識が肝要ではないか。

確かに四島ともポツダム宣言に言う、過去に日本が他国から奪った領土ではないが、それを言うなら千島全島が1875年の千島樺太交換条約で日本が正当に獲得した領土だろう。しかし可能性のないものを求めても仕方が無い。ウクライナ問題に発する現在のロシアの経済的苦境は日本にとり最後の機会かもしれない。米国の反対は予想されるが、中国主導のアジア・インフラ投資銀行に西側諸国で米国とともに唯一加盟せず、同じく米国の要請に応じて新安保法制を導入したのは今回のためでもあったのではないか。日米同盟は日本のためだけでなく米国のためでもあるはず。安倍首相には毅然として説得に務めてもらいたい。

2016年9月2日金曜日

辻政信の評価

この夏、私の知る限りで二度、辻政信の『潜行三千里』( 1950年 )の復刻新書版の広告が毎日新聞に載った。他紙の広告ページには載らなかったので現在の出版元が「毎日ワンズ」であるためだろう。辻政信と言っても記憶にない人が多数だろう。旧陸軍の参謀として縦横に腕を振るい、戦後は連合国の戦犯追求を逃れて国内ばかりか外国にまで潜伏し、さらにその後衆議院や参議院で議員を務めた伝説的軍人である。

広告には「ノモンハン、シンガポール、ビルマ戦を指揮した伝説的軍人の決死行!」と、米国主導の戦犯裁判を拒否した英雄であるかのような文言が踊っている。しかし日ソ間の「ノモンハン事件」は多くの将兵を失った無意味な敗北戦であり、シンガポール攻略は勝利したとしてもその後の占領下で多くの中国系住民を対敵協力の疑いで虐殺したことで知られる。ビルマで展開したインパール作戦は太平洋戦争で最も悲惨な愚行の一つだった。

作家として日本ペンクラブ副会長も務めた杉森久英氏が1960年代初めの『文芸春秋』に「日本怪物伝」という題 ( たしか ) で辻政信や徳田球一 ( 日本共産党書記長 ) の伝記を連載した ( それぞれ単行本にもなった )。杉森は豊かでない出身の辻が刻苦勉励して大人物になったと当初考えて書き始めたが、しだいに自分の名声のため兵士の犠牲など何とも思わない人物と考えるに至ったと書いた。
逆に徳田球一については批判的伝記を書くつもりで始めたが、徳田がのちに受けた「家父長的支配」との批判を正しいものと認めながらも、「獄中十八年」を耐えた信念や一種愛すべき人柄に惹かれ、次第に評価を改めたと語っている。そして米占領軍の共産党弾圧を逃れて共産党下の中国に渡った徳田はほとんど軟禁状態で生涯を終えたと結んでいる。毛沢東の目には、ソ連共産党に批判された徳田は同志としての扱いに値しない用済みの人間でしかなかったのだろうか。

2016年8月29日月曜日

古川隆久『昭和天皇 「理性の君主」の孤独』を読む

天皇の生前退位問題で複数の新聞に意見を求められていた古川隆久氏は昭和天皇について最先端の研究者の一人のようだ ( 大正天皇の伝記の著者でもある )。新書版 (中公新書 ) と言っても400頁という異例の分量なだけに内容は豊富だった。

大正デモクラシーの影響かどうか、昭和天皇の受けた帝王教育は各界最高水準の人たちによるもので、当時としては進歩的教育と言ってよかった。それに加え青年期にヨーロッパ諸国を歴訪し ( それを勧めた一人が山県有朋とは!)、とくに英国王室に歓待されたこともあり英国の憲政の信奉者となった。即位後、天皇として発表された最初の写真は背広姿だったという。戦前戦中の軍服か礼装の天皇の写真しか記憶にない私には驚きだった。

こうして西欧的王室観や国際協調主義を身につけた昭和天皇にとって、明治憲法下で大臣 ( とくに軍部大臣 ) や参謀総長や軍令部総長の輔弼無しに決定を下せないことは不本意の極みだった。一応はリベラルであった西園寺や牧野ら重臣も天皇と軍部の決定的対立を回避するよう助言した。軍内の要職についた皇族たちは軍部の代弁者となり、弟君の秩父宮は「極右的な考え方に共感を示し」て「陛下との間に相当激論」をする有り様で、天皇は秩父宮を擁立する軍部クーデターを恐れなければならなかった。

「満洲は兎も角、支那の領土であるから南北統一しても差し支えない」と中国の主権を尊重する昭和天皇は、満州事変以後の軍部の既成事実の押し付けに抵抗したが彼らに無視された。古川氏は天皇が何度か現実に妥協したことを批判的に指摘しているが、首相選任に際し「ファッショに近いものは、絶対に不可なり」と条件をつけた天皇にとり、太平洋戦争への道は刀折れ矢尽きたという印象が強い。

元首として昭和天皇の戦争責任はむろん否定できない。しかし、傍証は十分ではないとはいえ、天皇がマッカーサーとの会見で自分に全責任があると語ったように ( 『マッカーサー大戦回顧録 』)非公開の場では天皇は戦争責任を認めていた。戦後の各地への行幸も国民への贖罪の意味を持っていたと側近たちは理解していた ( 古川氏も ) 。昭和天皇の一生は戦前も戦後も腹ふくるることの多い生涯だったのではなかろうか。

2016年8月27日土曜日

朝ドラに思うこと

『暮しの手帖』社の女性社長がモデルとされるNHKの現在の朝ドラで、同誌が始めたユニークな商品テストの一つが昨日再現されていた。各社の十数種?のトースターで計一万枚以上の食パンを焼いたテストで、なかには火を出すものまであり、欠点のないトースターは皆無だった。現実がドラマそのままだったかは確言できないが、凄いことを企画したと同誌の本気度に驚いた。

しかし、同誌のテスト結果の公表で自社のトースターが売れなくなり倒産の危機に陥った小企業の経営者に怒鳴り込まれ、ドラマでは主人公が深刻に悩むことにもなった (結末は経営者がテストの趣旨を理解したことになっている )。なるほど、消費者のための文句無しに立派な企画が思わぬ結果を生むことがあると知った。

それと同じとは無論言わないが、同業各社が裏で「談合」して官庁の発注案件を高値で受注する独占禁止法違反行為が後を絶たないようだ。国民の納めた税金を不正に利用することが許されない行為であることは明らかである。しかし、日常的に業界団体などで交流する各社のうち最低値をつけた一社が100%受注し他社が0%という結果は、米国の企業風土では当然であっても日本の企業風土では躊躇されることは日本人の私には理解できる面もある。正当な手続きの結果なら競争力に劣るものは敗れるのは止むを得ないとしても、参入できなかった企業の社員まで敗者となるのは仕方のないことなのか ( 私の周囲でも現に見聞する )。ドラマの中の小企業はどうなったのだろうか。

2016年8月22日月曜日

盛会に終わったリオ・オリンピック

。リオ・オリンピックが無事、盛会のうちに閉会となった。開会式がそうだったように閉会式も当初予算を十分の一に削られたわけではなかろうが、少ない予算をブラジル人の大好きな歌と踊りと電子技術によるバーチャルリアリティ効果 ( 日本の協力もあったとか ) で補い、立派な式典となった。聖火台も斬新でよかった。ラテン的な芸術的才能と言ったら言い過ぎだろうか。     
                                                                                                                                                             一方、大会直前までの治安や準備不足への危惧はいくつか現実となった (『朝日』8月19日 )。開会式ではナイジェリア国歌の代わりにニジェール国歌が演奏され、中国国旗のデザインの誤りは大会7日目まで正されなかった。プールには過酸化水素水が誤って投入され藻が発生し水が緑色になった。大会ボランティア5万人のうち1万5千人は姿を現さなかった ( 制服が欲しかっただけ?)。しかし組織委員会の広報氏は、「誰にでも間違いはあるし、ミスは必ず起こる。入念な計画よりも、軽やかな挽回が大事なんだ。何事も完璧を求め過ぎないことさ」と動じる気配は無かった。

むろん大会準備は万全に越したことはない。とくにテロ対策は重要だ。しかし大会があまりにピリピリした雰囲気に終始するのも望ましくないし、運営の失敗をあまり厳しく問題視したくない。ときにはスポーツ ( 原義は気晴らし ) なんだからと割り切ることもあって良いのでは。メダルを得た選手たちの多くがインタビューで次の東京大会の目標を口にするのは真面目すぎる ( 外国の選手たちもそうだろうか?) 。まずは自分が好成績を得た喜びを噛みしめ、華やかな大会の雰囲気を満喫して欲しい。これまで並大抵でない努力を重ねたのだから。

2016年8月20日土曜日

多文化共生の難しさ

今朝の『朝日』はドイツで、イスラム教徒の女性が全身を覆うブルカやニカブを着用することを公共の場で禁止する方向で検討すると伝えている。ドイツもやはり禁止かと感じたが驚きはなかった。この問題の先進国?フランスでは既に、もっと露出度の多いヘジャブさえ学校などでは着用禁止と聞いている。フランスほど世俗主義をとっていないドイツもフランスの後を追うことになる。    

アラブ諸国からのイスラム移民が多数のフランスと異なりドイツのイスラム移民は従来、政教分離をいちおう建前とする国のトルコ人が中心だった。しかし最近はドイツでもイスラム信仰のあついアラブ系の移民難民の割合が上昇し、今回の再検討の動きとなったのだろう。むろん一連のアラブ系のテロ事件もきっかけだろう。

仮に政策変更となっても私は止むを得ないことと考える。以前にも書いたことだが、ブルカやニカブを着用すると男女の別すら判然としない。多文化主義が叫ばれる現代でも、以前からの住民は異文化に寛容であるべきだが、移民難民の側もある程度現地の文化に順応しなければ文化摩擦は無くならないだろう。

戦前のわが国に住んだライシャワー一家では、日本人の下手な英語を笑いのタネにする米英同胞への反感から、自分たちは日本に住まわせてもらっていると教えられていた。多くの外国人が来日し日本経済のために貢献している現在と当時とは異なるし、旧植民地出身者を特別扱いするのは各国でも普通のことのようだが、「郷に入れば郷に従う」とのことわざは現在でも必ずしも時代遅れではない。人間心理は時代により大きく変化しないからこそ現代の我々が過去の文学を理解し共感することが出来るのではなかろうか。

2016年8月18日木曜日

善意あふれるわがまま ( 続 )

8月9日に表題のブログを書いたが、その後の憲法学者らの発言は奥歯に物が挟まったようなものが多かったと思う。両陛下の体調を考慮しての同情からか、皇室に関して何か発言して反発を招いてもとの警戒心からかは分からない。私とても「わがまま」との表現は、このブログが直接コメントを寄せられない仕組みでなかったら炎上を恐れてもっと穏当な言い方をしていたかもしれない。

今朝の東京新聞に横田耕一九州大学名誉教授が天皇発言について書いた記事 ( インタビュー?)は率直で、我が意を得たものだった。氏はまず天皇発言には「憲法的に賛成できない点がいくつかあります」と、逃げることなく正面から受け止める。憲法上「天皇がしなければならないのは国事行為のみ」であって、その他の公的行為には法律に規定はない。しかるに、「天皇陛下の忙しさはその多くが公的行為なのです」。したがって少なくとも行う義務はない (と氏は言外に言っている )。両陛下の望む「皇室典範の改正は...........差し迫った状況で慌しくやる議論ではないと思います」、もっと根本から「『天皇の公務とは何か』から考え直す必要があるのではないでしょうか」とする。

私は両陛下がフィリピンや旧南洋諸島などで戦没者の霊を慰め、現地の人たちに与えた被害をお詫びすることに何の反対もない。むしろ、よくぞ実行されたと尊敬する。しかし震災地訪問などで膝を床につけて住民と対話されることには違和感を持つ。体力的にもそこまでやる必要はないし、国民と同じ目線でということなら、物理的に同じ高さで話すこととは別のはず。被災者が立ってまたは車椅子で陛下を迎えれば十分だと思う。欧米での生活体験のある雅子妃は異様と感じておられるのでは。次代に受け継がれる必要はないし、私はそれらすべてが彼女の病気の一因ではないかとさえ思う。私は善意も誠意も多ければ多いほど良いとは思わない。自己満足にならぬよう、周囲への影響まで考慮すべきだと思う。

2016年8月17日水曜日

オリンピック団体戦のメダル

まだ途中だがリオ・オリンピックでの日本人選手の成績は予想以上?のようだ。オリンピックは国家間ではなく個人間で優劣を競う競技会だと分かっていても自国選手の好成績は嬉しいし、なぜか団体戦のメダルは嬉しさ倍増である。

今日現在でも、体操男子、男子競泳のメドレー・リレー、男子卓球、女子卓球での日本人選手のメダル獲得に個人戦のメダル以上に感動するのは私だけてはないのでは。選手たち自身も個人戦のメダル獲得以上に喜んでいるように感じる。仲間への負担となってはならないとの意識からやっと解放されたからか。

むろん外国の選手たちも団体戦のメダルを喜んでいるが、日本人選手ほどではないように感じる。ヨーロッパの卓球選手チームには各国とも中国人が必ずのように加わっている。自国の代表チーム入りは困難な選手たちが国籍を変えて出場している。ルール違反でも何でもないのだろうが、オリンピックは個人間の競技とこれまで口にして来た私でも何故か違和感を覚える。私は狭量なのだろうか。勝敗を度外視している?猫ひろし以外に日本人には考えにくいのではないか。

団体戦ほどではないとしても個人戦でのメダル獲得もむろん素晴らしい。今日まででは、絶体絶命のピンチから立ち直って銅メダルを得た重量挙げの三宅宏美選手が、試合後使用したバーベルを抱きしめて感謝している姿には心を打たれた。他にも感動的なシーンは幾つも見たが、三宅選手の謙虚さは長く私の記憶に残るだろう (あと何年生きられるつもり?!)。

2016年8月16日火曜日

池内恵氏の『サイクス・ピコ協定 百年の呪縛』を読む

中東の混乱した情勢はまだ解決には程遠いが、そうした混乱を生んだ元凶としてしばしば糾弾されるのが百年前の1916年5月に英仏二国間で結ばれた秘密協定、サイクス・ピコ協定である。西洋帝国主義、植民地主義による中東の不当な分割の代表例と多くの「識者」が言及する。

しかし、私は以前からそうした決めつけに疑問を抱いてきた。なぜなら第一次大戦までのシリアを中心とした中東地域はオスマントルコ帝国の支配下にあったのであり、独立国を分割したわけではない。そこに西欧大国の植民地主義的動機が働いたことは疑いないが、トルコの敗北後そのアラブ民族支配が継続されるのでない限り何らかの戦後構想は必要であったし、当時のアラブ地域の部族中心の社会では直ちに独立国家群を予想しなかったのは無理もなかった。

ところが英国の支援を得たメッカの太守フサインの兵力が大戦末期に自力でダマスカスを占領したことは予想外の事態だった。当然フサインはパリ講和会議でアラブの大義を主張した。しかし、反トルコ蜂起後のフサインの勢力は一時軍艦の艦砲の届く範囲内の狭い地帯に閉じ込められ、英国の支援無しには存続すらできなかった。

今年5月に刊行された池内恵『サイクス・ピコ協定   百年の呪縛』(新潮選書)は「サイクス・ピコ協定ほど、批判と罵りの対象になった外交文書もめずらしい」が、それは「中東の国家と社会が抱えた「病」への処方箋だった」と判断している。それが中東問題の解決にならなかったことは明らかである。しかし、百年後の今年5月、米国とロシアの間で成立したシリアでの「敵対行為の停止」の合意が、アラブメディアでは「またも外部の超大国の取り決めでアラブ世界の運命が決まるのだ」とも論評されているという ( 「米露間ではシリアの新憲法についての交渉も開始されているという」)。現在も百年前と同じ状況 ( 中東の病い ) に直面しているとも言える。

中東だけでなく世界では、外圧により近代世界に無理やり引き入れられた地域は少なくない。そうした場合、地域の近代化にとって百年は決して十分な長さではない。

ともあれ本書は示唆に富んだ中東問題の解説書だと思う。ウェルベックの『服従』を書評欄で取り上げた新聞は私の知る限り一紙だけだった ( イスラム教への遠慮?)。本書がどれだけ書評欄で取り上げられるかは各紙の中東理解の成熟度のリトマス試験とも言える。

2016年8月9日火曜日

善意あふれるわがまま

今朝の新聞各紙はオリンピック報道に劣らず現天皇の生前退位関連の報道であふれている。私は詳しく目を通す気になれない。

私は陛下と同年なので、2歳下?の美智子皇后ともども体力の衰えを理由とする退位願望はよく理解できる。しかし憲法に定められた国事行為以外の地方訪問などの行事は体力の許す限り行えば良い。それ以上のことは皇太子や他の皇族に分担してもらえば良い。

両陛下が象徴としての強固な義務感を抱いておられることは国民の誰もが知っている。しかし、ときに何もそこまで為さらなくてもと感ずるのは私だけだろうか。公務に重要度で差をつけたくないのと御心と伺うが、物事には軽重の差があって当たり前である。今のやり方を守り通すのは次の天皇皇后 (  現皇太子と雅子妃 ) にも同じ負担を強いることになる (  さもなければ御両人は公務に熱心でないと見られるだろう )。程度を越す善意はときに我がままともなる。

海外では国王の生前退位は珍しくないようだが、英国のエリザベス女王はまだ退位せず頑張っておられる。だが、訪問国の国民はウイリアム王子とその家族の訪問を女王の訪問よりも喜ぶのではなかろうか。王族の役割は相手国に自国への親しみを感じさせることが重要であり、残酷なようだが老人にはその点で限度があろう。

皇室典範の改正は上皇?の地位や権能など、一年程度で決着がつく問題ではなさそうだ。女性天皇創設まで踏み込むならば改正に賛成だが、秋篠宮家に男児が誕生した途端に女性天皇の論議がストップした現状を見ればその可能性は乏しいだろう。私は何時とも知れぬ典範改正よりも摂政を立てる ( そのための改正なら時間を取らないだろう ) ことで解決するのがベターと考える。それが両陛下の希望に反するとしても。 

2016年8月8日月曜日

訂正

図書の購読と書いたが閲読の誤り。機械が間違えた?!

イスラム教国フランス

2022年のフランス大統領選挙が一位のマリーヌ・ルペン国民戦線党首、二位のイスラム同胞党候補、三位の社会党候補の三すくみとなったフランスは、ルペンを「ファシスト」視する社会党が決選投票で二・三位連合を組みイスラム教徒の大統領の誕生を見たとする近未来小説『服従 』(ミシェル・ウェルベック作 ) が話題を呼び、邦訳本も出た。私は自ら購入するほどの熱意は無かったが興味はあったので図書館の十数人の購読希望者の末尾に加わり、半年後にようやく読むことができた ( 多摩市はけっこう文化都市?)。

フランスがイスラム教国になると言ってもテロや戦争によってではなく、選挙と政党の政略で変わったわけだが、その後の変化は大きかった。酒類を売るバーは閉鎖され、列車の食堂は豚肉はご法度のハラールメニューを用意した。それは序の口で、全ての学校で男女共学は廃止され、女子学生は全員ヴェールを着用する。パリ大学はサウジアラビアの資金に買収され、女性教授は解雇。豊富な資金で給与が三倍となった男性教授はしだいにイスラムに改宗した。全女性が労働市場から姿を消した。

しかし本書の注目点は以上の変化を単に家族重視のイスラムの子沢山 ( 産児制限はご法度 ) が生んだ土着フランス人の数的劣勢に帰するのではなく、フランス伝統の個人主義、人間中心主義がイスラム教の「神への無条件の服従」の教義に太刀打ちできなかったことを理由としていることである。本書の主人公は40歳台?のプレイボーイのパリ第三大学教授 ( 文学 )。何ら非難されることなく多くの女性 ( 学生も ) と関係を持ってきた。しかし多くの同僚と同じくしだいに西欧個人主義に疑問を抱くようになり、自由よりも服従に心惹かれたのである。

40歳台の妻と15歳の妻を持つ学長の、「女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように人間が神に服従することとの間には関係があるのです」「イスラームにとっては ( 他の宗教とは )反対に神による創生は完全であり、それは完全な傑作なのです」との説得を主人公は受け入れる。

本書はつまり西欧の個人主義や人間中心主義がコーランの説く「神への絶対的服従」に敗れる物語なのであり、イスラム教の勝利というより西欧的知性の自滅の物語なのである。むろん作者の予想がそのまま現実になるとは限らない。しかし、イスラム勢力の中でも原理主義者がリーダーシップを握れば事態の悪化は小説以上ということもあり得る。100年、200年後にフランスの人口の半数が確実にイスラム教徒に占められるとすればウェルベックの『服従』を妄想の産物とは片付けられない。

2016年8月6日土曜日

リオ・オリンピックの開会式

リオデジャネイロのオリンピックの開会式を同時中継で見た。熱心なオリンピック・ファンではないので北京やロンドンの開会式を良くは覚えていないが、それらと比較しても今回の開会式は見劣りしないし、むしろ上回っているのではないかと思った。北京やロンドンも自国の過去を再現して印象的だったが、ブラジルの場合、歴史は両国に及ばない長さでも世界から多様な移民を受け入れた結果、イベント自体が多様性に富んでいた。

開会式前のブラジルは治安の悪さ、会場や選手村の不備、交通機関の準備の遅れなどをメディアがひんぱんに取り上げた。国民の半数がオリンピック開催に反対と報ぜられ、じじつ式の直前にも会場前の反対デモを催涙ガスを使って鎮めた。現在の同国の政治経済の混迷を考えればデモも理解できる。しかし私は競技が始まりブラジル選手が活躍すれば空気は一変するのではないかと予想していた。これだけ立派な開会式を成し遂げたことは彼らの自信を高め、競技を待たずとも空気を変えるのではないか。愛国心とか国民意識というものはそれほど根強く、ある意味危険となりうるものだろう (終わる頃には私自身も変わっているかも!)。

前回 ( 前々回?)のオリンピックのシリア選手団の行進はそれなりの規模だったろう。国家とはこれほど簡単に崩壊するものだった。開会式ではキリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、仏教徒の選手たちがひとしく式の熱気に感動したと思うのに。せめてこの熱気と感動が映像を通して諸国民に伝えられ、宗教や領土で殺しあうことの無意味さを考えるきっかけとなって欲しい。そのためならブラジル人が負担する巨額の費用も努力も無駄ではない。

2016年8月3日水曜日

訂正

前回、杉尾氏が長野県知事としたのは参院議員の誤り。また、宇都宮氏の鳥越氏批判の激しさに、「淫行疑惑」の女性側の主張に真実味を感じたのかと疑っていたが、選挙終了後解禁した宇都宮氏のブログhttp://utsunomiyakenji.com/1040  によれば、応援演説を拒んだのはやはりそれが理由だったと読める。鳥越氏は選挙戦敗北の上に裁判まで抱え込んだ。自業自得と言えばそれまでだが。

選挙 内と外

新聞でもテレビでも安倍改造内閣の顔ぶれが次々と報道されているが、全然興味が湧かない。政権政党が変わらないなら大臣に誰がなっても大した違いはないというのはある意味幸せなことなのかもしれない。それより小池百合子都知事のニュースの方がよほど面白いということもある。「小池劇場」にはめられたとも言えるが、同氏のしたたかさを自民党も野党も私も見損なっていたようだ。選挙費用50億円が無駄でなかったとなって欲しい。

最近のこのブログで小池候補が「エジプト留学などで身につけた視野の広さ」と書いたとき、私は彼女の留学期間が5年間とは知らなかった ( 1年や2年では本物ではない!)。しかし選挙中、知事の課題として電柱の地中化を挙げたのには共感した。地震の際、倒れた電柱が道路を塞ぐ危険は大きいが、その他にも都市の美観の点でも東京は都心の一部を除き先進国の都市に比べて見劣りするからである。ともあれ、「抵抗勢力」を排して? 順調な航海をして欲しい。

米国ではヒラリーとトランプの戦いの行方はまだ見えないが、ヒラリーの大会演説 ( 出色の出来だった ) の結果か、彼女が取り敢えず優勢を取り戻したという。このままリードを保って欲しいが、共和党大会でのトランプの演説も中々のものだった。銀行業と証券業の分離を復活する ( 1929年の大恐慌の教訓として分離されていたのに近年復活され、リーマンショックの一因ともなった )との公約は、サンダースの支持者を味方にするため ( サンダースの公約の一つだったとか ) の策ではあるが、ヒラリーが言わない ( 言えない ) 公約ではある。先日、イスラム教徒の米兵の戦死者の父親の演説を代作呼ばわりし、国民の反発を招いているが、「英雄とされる軍人や遺族への批判は米国ではタブー」(『日経』8月3日 ) というのも健全ではない。日本政府の日中戦争の停戦努力に対し当時の東條英機陸相が、戦死者の「英霊に対し申し開きできない」と反発して日米開戦にまで至った歴史は苦い教訓である。当時の日本と現在の米国が同じだなどとは言わないが...........。 

2016年8月1日月曜日

宇都宮健児氏の鳥越批判

朝刊各紙に小池百合子氏の勝因がさまざまに考察されており、いちいち頷ける。逆に鳥越氏の敗因は底の浅い分析しか見られない。たまたまカーラジオを点けたらTBSの伊集院光の番組に宇都宮健児氏が招かれ発言していた。誰よりも早く都知事選出馬の意思表示をしながら後出しの鳥越氏のために出馬を断念させられた経緯は周知の通り。

宇都宮氏は野党統一候補となった鳥越氏への批判には積極的ではなかったが、「依頼はあったろうに何故、鳥越氏の応援をしなかったのか」との伊集院の質問には矢張り本心を隠せなかったようだ。氏は応援演説を求める組織や個人からの強い圧力があったと明かし、応援に条件をつけたが鳥越陣営に受け入れられなかったと答えた。さらに氏は、鳥越氏に「淫行疑惑」が生じたのなら説明をすべきなのに、自身で一言も説明しなかったのはおかしい。多年人権問題に関わってきた弁護士として納得できないと語ったのち、「保守派、革新派の違いよりも、本人の人間性の方が大切だ」と断言したのには驚いた。これが共産党の支援を受けてきた革新派の宇都宮健児氏の言葉とは.....。私は氏の信念吐露に打たれた。

鳥越氏はこれまで疑惑を持たれた各界の人に説明責任を何十回と要求してこなかったろうか。これでは与党の議席数が衆参両院で三分の二に達したので引っ込んでいられなくなったとの氏の説明はそのままでは受け取れない。元記者仲間の三反園氏と杉尾氏がそれぞれ鹿児島県知事と長野県知事に当選したのを見て世の中を甘く見たのではなかったかとの疑いを私は禁じ得ない。だからと言って知名度やテレビ人気を重視して宇都宮氏や古賀氏よりも鳥越氏を起用した野党各派の無定見を見逃して良いわけではないが。

2016年7月31日日曜日

神からの贈り物

朝日新聞の土曜版beの読者アンケートは数回前から「もういちど流行歌」というテーマで各年のある月のベスト15を公表している。なぜか最近の年から年代をさかのぼる形で続いている。最初の一、二回など知っている歌が皆無だったりして、何と最近の歌と無縁かと驚いた。

ということで、その後はせいぜいリストを一瞥するだけだったが、昨日のそれは1974年2月の曲ということで、10位までなら2曲 ( かぐや姫の「赤ちょうちん」とアグネス・チャンの「小さな恋の物語」)以外は既知の曲だった。

第一位の小坂明子の「あなた」は私も好きな曲で、小坂の透明な?声も美しいと感じていたが、今回、彼女が高校二年生のとき作詞作曲したものと聞いて驚いた。父がバンドリーダーだったなら矢張りDNAの仕業なのか。これでは修行とか努力はいったい何なのか! もっともその後彼女が作曲した二千曲はひとつも知らないが。

両人を並べても不謹慎ではないと思うが、フランスの国家「ラ・マルセイエーズ」を作詞作曲したルジェ・ド・リールは国民軍将校だった。すばらしい歌だが、「マリー・アントワネット」、「ジョセフ・フーシェ」などで知られる伝記作家ツヴァイクの『人類の星の時間』の中の「一夜だけの天才」によるとリールはその後音楽とは無縁だったようだ。突然神が乗り移った奇跡としか言いようがない( 学問的に「憑依現象」と言っては味気なさすぎる!)。北朝鮮に拉致された曾我ひとみさんが帰国後、佐渡への上越新幹線の車中で発した言葉はそのまま素晴らしい詩になっていた。二度と見ることはないかと思った風景を見て神が乗り移ったのだろう。

74年2月のベストテンの中では私は五位の「くちなしの花」が好きである。これまでカラオケバーにあまり縁がなく、全部で10回くらいしか経験がないが、「くちなしの花」は一度歌ったことがある。「カラオケの持ち歌だという男性も目立った」と評にあったが、やはり中高年男子の好みということか。

2016年7月28日木曜日

都知事選の行方

米国の大統領選挙と比べればスケールも重要度も違うし、東京都民以外の人たちにどれほど関心があるかはわからないが、都知事選はあと3日で決着がつくことになった。先週末の世論調査では各紙とも小池、増田、鳥越の順に最後の追い込みに入った。

私が都知事に求める資質は単純化すれば、1 ) 専門的素養の蓄積があること、2 )文化外交の当事者として適任か の二点である。そこで三人の資質を私流に判定すると、1の点では増田候補が一歩抜きん出ていることは認めたい。岩手県知事12年間の経験はやはり強みだろう。立候補後の最初の三者インタビューでも主張に最も具体性があった。その後、都政のムダを無くすための方策を問われて、ムダを無くす人材の登用がカギだ、職員はどんなムダがあるかをよく知っていると答えたのは説得力があった。文化外交の担当者としてどうかは不明だが、誰もが感じている地味さはマイナスではある。

小池候補は環境大臣を務めたのだから専門的素養がないとは言えないが、増田候補にはやや劣るだろう。そのかわり、エジプト留学などで身につけた視野の広さや語学力は三人の中で頭一つは優れていよう。初代の女性都知事ということもホスト ( ホステス?) 役として有利に働くだろう。

突然浮上したと自認する鳥越候補はやはり準備不足が否めない。最初の三者インタビューで都知事としての第一の課題にガン検診100%を挙げたのには耳を疑った ( いくらガン対策が大事だと言っても )。 ついで東京都を、働いてよし、住んでよし、環境によし ( あと一つ、忘れた!)の都市にすると述べたが、それらは目標であり、それを実現する手段である政策ではない。憲法擁護や原発反対は都政への具体策の乏しさをカバーするためではないかと疑われる。突然の「淫行」疑惑はまったく真偽不明だが不利に働くことは間違いない。

英国のEU離脱はブックメーカーの賭け率では5対1で負けていたが結果はご存知の通り。あと三日間に何が起こるか誰にもわからない。しかし、公私混同問題の舛添氏と今回の鳥越氏と、週刊誌の暴露記事が二人の将来の帰趨を決めるとすればそれで良いのかという気がしないでもない。いまは都民の成熟した大人の判断を期待するほかない。

2016年7月27日水曜日

訂正

前々回の1900年のパリ・オリンピックは1924年、ハロルドのオクスフォード大学はケンブリッジ大学、エリックの200米走は400米のそれぞれ誤りでした。記憶力の減退です! なお、『炎のランナー』は1981年のアカデミー賞を受賞しているようです。

既視感のある風景描写

今朝、どこかのテレビでアニメ映画の新海誠監督が紹介されていた。私にはその名前は初耳だったが、最近その作品が海外で注目されていると言う。見たことがないので作品自体については何の感想もない。ただ、断片的だが紹介されたいくつかのシーンは太陽光を逆光で美しく捉えた風景が多かった。「アナと雪の女王」は氷の美しさをアニメで巧みに表現したことで画期的だったと聞いたように記憶するが、今回は逆光線の巧みな表現がそれに当たるということのようだ。

新海監督は長野県東部の小海町出身で、故郷の自然の美しさに早く目覚めたが、アニメ映画の中の風景描写としては宮崎駿監督の作品にもっとも心惹かれたという。私はそもそもアニメ映画をそれほど見ていないが、「隣のトトロ」をはじめとする宮崎作品の風景描写の美しさについてはこのブログでも言及したと記憶する ( 計300余回ともなると確かではないが )。空を入れた何でもない風景が、あゝ、こういう風景に出会ったことが有るよなと懐かしく感じる点で新海氏に同感である。ある意味でフェルメールの「デルフトの眺望」に共通する!

私がブログ名に借りた徳富蘆花 (健次郎 )の『みみずのたはこと』の良さも文章で同じ既視感を強く感じさせる点にある。初期の『自然と人生』ほど有名ではないが、『自然と人生』の文章が名文ではあってもいかにもそれを意識した名文であるのに対し、『みみずのたはこと』のそれは毀誉褒貶を度外視した感じの素直な文章である。作中の「安さん」という短編は、しばしば居宅に立ち寄ったおとなしい乞食の安さんの死を聞き、「秋の野にさす雲の影のように、淡い哀しみがすうと主人の心を掠めて過ぎた」と結んでいる ( 一部の漢字を現代式に変換 ) 。深く哀しく思う間柄ではない人物への前半の比喩がじつに巧みである。こういう感慨が人生には有るよなと感じさせる。映像と文章の違いはあってもどちらも心に残る表現と感じる。

2016年7月25日月曜日

ロシア選手のリオ・オリンピック参加

IOCはロシアの国家がらみのドーピング違反にもかかわらず、違反者以外のロシア選手のオリンピック参加を排除しないとの方針を決めた。IOC内部でどんな力学が働いたかはまだわからないし、反対論にも一理も二理もあると思うが私は参加を支持したい。

旧ソ連圏ではかつて国威発揚のため ( 共産主義発揚のため?)、国家が大規模にスポーツ選手を援助し、メダリストともなれば栄誉だけでなく一生豊かな生活を保証された。いま思えば薬剤も大いに使われただろう。ロシアと名を変えてもその悪しき伝統は未だに残っていたとは。IOCの今回の決定でも果たして何人の選手が検査をパスするかは分からないし、開幕まで十日という現在検査が完了できるかも危ぶまれる。

それでも例え少数でも無違反者がオリンピック競技から締め出されるのは不当である。オリンピックは国家間の競争ではなく、あくまで個人間の競争であるとあれほど説かれてきた筈。検査が間に合わなければ事後メダルを剥奪すれば良い。一部?のメディアではロシア選手排除の結果、日本選手が有利になる種目はどれかなど推量している。浅はかというほかない。体操の内村航平選手は今回のIOCの決定を歓迎している。異論の余地のないチャンピオンになりたいのだろう。これこそ真のスポーツマンだろう。

これまで私が見た映画のなかでも十指に入りそうなのが、偶然テレビで見た「炎のランナー」である ( 世評は知らなかった ) 。1900年のパリ・オリンピックに出場して金メダルを取った二人の英国の陸上短距離 ( 100米 ) ランナーの物語である。一人はオクスフォード大学の学生?だがユダヤ人への偏見に苦しみ、一人は競技当日が安息日の日曜になったため出場を辞退し、予定外の200米走に出場し両者とも優勝した。後年、前者は人種偏見を克服して英国スポーツ界の重鎮となり、後者は神への献身を貫き中国で宣教師の生活を送ったという。今日ではテーマ音楽のみ有名だが、真のスポーツマンとは何かを示唆して印象深い映画だった。



2016年7月23日土曜日

訂正

前回、トルコの「政経分離」としたのは「政教分離」の誤りです。

エルドアン大統領の逆クーデター?

トルコ軍部のクーデターが失敗した。選挙で選ばれた政府を武力で打倒するのは本来認められない。世界の指導者たちが一斉にクーデターを非難したのは当然である。エルドアン大統領の強権政治に内心危惧を抱いても、対IS作戦での協力やシリア難民の受け入れを依頼する立場からも一応そうせざるを得ない。

トルコ国民の大多数がクーデター制圧に協力的だったことは事実のようだ。トルコは発展した近代国家であり、過去に再三あったように政府が軍部のクーデターにより退陣させられることを繰り返してはならないとの市民の決意があったのだろう。トルコ国民の成長のしるしとも解せられる。

しかし政権は「テロ組織関係者をすべて排除するため」九千人近い軍人や裁判官らを拘束し、六万人近い政府職員や裁判官や学校教師らを解任や資格剥奪にした (『朝日』7月22日)。驚くのは数字だけではない。クーデター直後にこれだけの処置を断行したことは、それ以前から拘束や解任の長大なリストが準備されていたことを疑問の余地なく示している ( 反対派には当然その情報は届いていたろう ) 。クーデターが政権側の自作自演だったとは思わないが。


作家の佐藤優氏は『東京新聞』(7月22日)の「本音のコラム」に、「トルコに民主主義が定着していて..........民主的選挙で選ばれた大統領を支持したという見方に筆者はくみしない」、「クーデターの失敗の理由はエルドアン大統領の拘束や殺害に失敗したからだ。トルコの民主主義は脆弱だ」と記している。反乱軍がもし大統領の拘束や殺害の写真を発表していれば形勢は逆転していたろうというわけである。私はそこまで断言したくないが、もし現政権の強権政治がさらに強化されるなら「トルコの民主主義は脆弱だ」との意見に賛成せざるを得ない。

意図した結果とは言わないが、現下のトルコ情勢はエルドアン大統領の逆クーデターの様相を呈している。ケマル・パシャ以来の百年近い政経分離が破棄されるならトルコはやはりヨーロッパとは異質な国だと言わざるを得ない。

2016年7月21日木曜日

シルバー民主主義

最近、シルバー民主主義という言葉にしばしば出会う。その意味は「老人の老人による老人のための民主主義」とでも言ったらよいだろうか。人口で他の世代に優越する老人の票が老人層の利益を排他的に守っているということであろう。それに文句があるなら壮年や青年 ( いまや18歳から!)はもっと投票所に行けというのは理屈として間違っていないが、独裁国家のように投票を暗黙裡にでも強制することはできないし、暇な老人の投票率に勝ることは難しい。

シルバー民主主義が問題視されるのは具体的には限られた国家予算が高齢者の年金や医療費に過剰に使われていると言うことだろう。現在の年金額が多くないと言っても、将来は現役世代の二人の収入が老人一人の年金を負担する ( 制度発足時には十何人で一人だったとか ) ということなら相対的には多額だと言える。 さらに毎年1兆円づつ増える医療費の大部分が老人医療費のようだ。

老人の一人として無論言い分はある。NHKの朝ドラで目下連日紹介されている戦後の絶対的貧困を我が国が脱したのは老人世代 ( 私のというより主に私の父母の世代 ) の努力による。当時「酷電」と呼ばれた超満員の電車で毎日通勤した人たちの苦労だけでもよくぞ我慢したと言いたくなる。政府の「持ち家政策」に乗せられてローンで入手した自宅は確実に次の世代に相続される。高齢者は年金も医療費も相当に遇されて良いとの意見もあろう。

しかし医療や年金の制度を支える世代の人間が大幅に減少するのが確実である以上、老人福祉は何処かで制限せざるをえない。さしあたりすべての老人が医療費を最低2割負担することは急務であり、消費税も手遅れにならないうちに10%以上にすることが必要だろう。特に前者は世代間の公平のために必要である。民主主義になったが故に後世の財政破綻が避けられなくなったと後世から言われないようにしたい。

2016年7月19日火曜日

民族と国籍

我が国の国立西洋美術館を含むルコルビュジエの建築作品群が世界文化遺産に登録されることになり、日本の関係者も喜びに包まれている。その筆頭に台東区長が加わっており、私など、「えっ、上野は台東区だったの?」と無知をさらけ出す結果となった。地元が沸くのは当然だが、世界遺産を観光資源と受け取りがちな他の例に習ってほしくはない。

ルコルビュジエを紹介する新聞各紙は、スイス出身とことわりながらも「フランスのルコルビュジエ」と記している。じじつ途中でフランスに国籍を変更したという。ルソーの昔からフランス系スイス人とフランス人との国籍の違いは問題にされないようだ。

スイスはドイツ系、フランス系、イタリア系の民族が使用言語はまったく違っても一つの国民として共存する。それでも第一次世界大戦時には流石に各民族間の緊張は極度に高まったが、国民としての一体性はかろうじて保たれ、その後定着した。だが、それは稀な例のようだ。いま世界ではいたるところで一国内の多数派民族と少数派民族の争いがある。ヨーロッパでも何十年と続いたチェコスロバキアは二つに分かれて今は存在しない。ベルギーではフランス系とオランダ系の対立が続いている。

30年ほど前、ブリュッセルの日本料理店で日本に関心を寄せるベルギーの青年と偶然テーブルを共にした ( うがった見方だが、外国人にとってその国の日本料理店は日本人とのコネを作る一つの方法でもあるのでは?)。いろいろ話題をかわした中で私が、「君はワロン (フランス系 )かフラマン ( オランダ系 ) か」と聞いたら「私はベルギー人だ」と強い調子で返され、赤面したことがある。しかし、ベルギーがチェコスロバキアのように将来分裂する可能性は絶無とは言えないようだ。EUの存在、ともにEUの一員であるということで分裂を防いでいると読んだ記憶がある。

西ヨーロッパから他地域に目を移せば、至るところで多数派民族と少数派民族との流血の争いが続いている。今度のトルコのクーデターは民族対立とは無関係のようだが、同国は第一次世界大戦中のアルメニア人虐殺や現在のクルド人との衝突と民族問題の解決に難渋している。トルコに限らず多数派により大きな譲歩を期待したい。フィンランドはスウェーデン人を少数民族 ( 約1割 ) として抱えているが、道路の地名は両国語で表示されていると聞く。

トルコが抜きんでた親日国と聞くだけに問題を理性的に解決して欲しい。私は我が国の死刑制度に反対ではないが、伝えられるようにクーデターを機にトルコが死刑復活を考慮するようでは念願のEU加盟は遠のくばかりである。もっとも英国離脱でEUの魅力はこれまでとは違ってきたが.......。

2016年7月16日土曜日

ニースの惨劇

南仏ニースの祝日の花火を楽しんでいた人々へのテロで百人近い死者が出た。ちょうど50年前、英国の友人との初めてのフランス旅行 ( 二人とも )で写真を撮りあった「英国人遊歩道」でこんなことが起こるとは。フランスの都市で安全と言い切れるところは無くなった。世界一の観光大国への打撃ははかり知れない。

犯人はISの一員ではなさそうだがイスラム過激主義の影響は間違いないようだ。昨年11月のパリのテロ事件後の政府の治安対策も効果はなかった。フランス政府への批判は高まるだろうが、異教徒に打撃を与えれば天国に迎えられると信ずるジハーディスト ( 聖戦主義者 ) の犯行を完全に防止することは不可能である。そうであれば移民難民への警戒を唱えるルペンらの言説は影響力を増すだろう。

フランスでは非常事態宣言がさらに延長される。しかしそれ以上に事件の影響が予想されるのは米国大統領選挙の行方である。イスラム教徒の入国禁止を口にしたトランプ人気は高まることはあっても低下することは考えられない。銃や爆弾が無くともトラックでも大規模テロが可能であることが示されたことは新しい脅威である。

我が国で同種の大規模テロが起きるとは私は思わないが、海外の邦人の危険増大は憂慮すべき事態である。バングラデシュでは我が国の最良の人たちが犠牲者となった。金銭の問題ではないとはいえ、日本政府の慰労金が僅か200万円とは信じられない。他方、在日バングラデシュ人がつらい思いをしていることには同情する。幸い我が国では彼らへの憎しみが見られなかったと信ずる。そのことは当たり前のようだが、日本国民の成熟を示すもので誇ってよいのでは。

2016年7月10日日曜日

硬軟両用は不可能か?

米国と韓国が北朝鮮ミサイルの迎撃システムTHAADの韓国への配備を決定した。韓国は配備に反対する中国を刺激しないよう、配備を迫る米国の圧力に抗してきたが、北朝鮮の相次ぐミサイル発射に中国への配慮を取り下げざるを得なかった。韓国駐留の米軍を守るためと言われればこれ以上の決定の先送りは不可能だったろう。

中国は猛反発しているが、今日の北朝鮮の現状に手を打たない中国に配備に反対する資格はない。そもそも朝鮮戦争で消滅寸前の北朝鮮を出兵により救ったことが今日の朝鮮半島の不幸の発端であり、その後も陰に陽に北朝鮮の政治体制を助けてきた。現在は考えを変えたとしても ( それすら確かではない ) 、手遅れである。日米韓三國のいずれにとっても配備は急務である。

しかし、金正恩氏やその取り巻き十人ほどに対し国民の人権の甚だしい無視を理由に名指しで個人的制裁を課したのは賢明だろうか。むろん彼らの傍若無人ぶりは目に余る。首領様への幹部の迎合ぶりや民衆の熱狂はもはや狂態と言うべきであり、嫌悪感を禁じ得ないのは私だけではあるまい。しかし、そうした狂態や人権無視は祖父金日成や父金正日の遺産であり、金正恩はそれを継承したのである。功績をあげた故の権力継承で無いことは本人の不安をかきたてる。権力の完全掌握前の改革は危険を伴う。性急に変化を期待するのは正しいだろうか。

ミサイルや原爆の実験は日本にとって見過ごせない脅威だが、北朝鮮にとって米国を交渉に引き込む手段と見ることもできる。そうであれば非難や制裁で開発を中止するはずはない。それよりまだしもトランプ氏の北朝鮮に乗り込んで直接交渉するとの発言に事態打開の可能性がある ( どこまで本気かは別とし、方法として ) 。戦争による北朝鮮の「解放」は誰も ( 韓国人も ) 望んでいないだろう。

他国に自国の道徳基準を当てはめることの誤りはイラク戦争から学んだ教訓ではなかろうか。フセイン政権は隣国イランに対し、自国のクルド人に対し毒ガスを使用する政権だった。米国に住むイラク人が、「イラクをせめて他の中東諸国並みにして欲しいだけだ」とフセイン打倒を願ったことを思い出す。しかし結果はご存知の通りだった。

2016年7月6日水曜日

原爆投下と国家間の和解

昨夜のNHK   BS1の「国際報道」 ( 夜10時~ ) で、オバマ大統領と言葉を交わした被爆者2人のうちの1人の原重昭氏のことを短くだが改めて取り上げていた。同氏は原爆で死亡した12名の米兵捕虜のことを40年間調査した人としてオバマ広島訪問の際にも注目されたことは記憶に新しい。米国人にも殆んど忘れられていた死亡捕虜たちを多大な困難を克服して調べ上げた氏を大統領が抱擁したのは理解できる。
原重昭氏にとっては日本人であれ米国人であれ被爆者であることに何の違いもなかったことが、大統領の感動を呼んだのだろう。米国でも広く報道された ( 一部に批判的新聞もあったらしいが )ことは一個人として原氏は日米の和解に多大の貢献をした人と言えよう。

米国による原爆投下が一般市民を無差別攻撃した国際法違反行為であることは間違いない。それ故にこそ米国は広島市民の反応を恐れ、公式謝罪となることを恐れたのであろう。しかし、広島市民も日本国民も原爆の正しい認識や核兵器の無い未来を謝罪よりも優先した。対照的に、オバマ氏の広島訪問を日本を免罪するものとした韓国新聞や中国政府の志の低さが今回あぶり出されたのは皮肉である。

長い歴史を持つ国はむろん、建国後二百数十年の米国も汚れの無い歴史を刻んできたわけではない。それを自覚すれば他国の過ちばかりを取り上げて謝罪にこだわるのは賢明ではないし建設的でもない。そのことを身をもって示した原重昭氏の存在を讃えたい。

2016年7月2日土曜日

「正論」は常に正論か

朝日新聞に「モニターの目」という欄がある。300人の読者に「紙面モニター」を依頼して月一回自社の紙面を批判してもらっている。今月は舛添都知事の辞職を取り上げ、週刊誌の報道以前に「記者は知っていたのか」、「報道過熱、いじめに見えた」、「甘利氏の追求はどこへ」と読者の三つの疑問を紹介している ( 7月2日 )。

舛添都知事に関するメディアの報道に私がこれまで疑問を呈してきたのは、外国出張が贅沢旅行だったとの報道はメディア側の知識不足であること、他の都知事の先例と比較した上での非難とは思えなかったこと、都知事に必要な専門的素養や文化的素養の点で彼が不適格な人間とは思えなかったことなどがあった。それらを繰り返したくないが、都知事の旅費規定 の宿泊費 (  4万円とか5万円とか ) は今では非現実的だし、司法、立法、行政の三権の長の航空料金がファーストクラスということならその次には都知事は有資格者だろう。厚労相を務めた彼の専門的素養も、外国の政治家や文化人の表敬訪問へのホスト役としての彼の学問や芸術面での素養は役立ったろう。次の都知事候補と取り沙汰される人たちはどれも前知事以下としか思えない。

メディアの舛添非難の洪水の中では、朝日新聞と東京新聞は途中からではあるが少なくとも異論を紹介した。前者は「声」欄に「集団的いじめではないか」との投書を載せたし、東京新聞は以前本ブログで紹介した宮子あずさ氏の「本音のコラム」での高額旅行費弁護の他にも、「もっと巨悪に立ち向かって」( 6月17日 )との投書や、日ごろ野党的立場で知られる山口二郎氏の「私は、同氏が辞めなければならないほどの悪事を働いたのかという疑問を持っている」、舛添氏が「さもしいと思う」が、「叩いても安心な人物は嵩にかかって攻撃する日本のメディアもまた、さもしいと感じた」とのメディア批判を載せている ( 6月19日)。

今朝の「モニターの目」の朝日新聞批判に対し、同紙の東京社会部次長は「厳しく ( 知事の )責任を追求しながらも、新聞ならではの冷静で多様な論点を提示する方法がもっとあったのではないか。いまでも自問自答している」と答えているのは救いである。他の全国紙は見習って欲しい。本当の危険はむしろ画一的空気にあるのではないか。

数日前、テレビ東京は池上彰氏司会でスタジオに100人の各世代の視聴者を集めて意見を聴取したが、舛添氏は辞めるべきだったとの意見が96対4で多数だった ( やはり...........)。反対意見は1 )再選挙に50億円かかるから    2) 責任をとるイコール辞めるではない、3) ( 残りの任期を)タダ働きさせるだった。舛添氏も給与削減などと中途半端な提案をせず、全額返上と最初から言うべきだった( もっと批判に敏感であるべきだった )。

2016年6月29日水曜日

記憶の嘘

BS放送発足いらい放送時間を空白にしないためか、海外旅行や外国紹介の番組がやたらに増えた。私は見たことはないが、イタリアの小さな村ばかりを紹介する番組もある ( あった?)。同国の都市の紹介番組はあまりに頻繁でもう珍しくないからだろう。

フィレンツェは街並みも美術館も見どころが多いので何回も番組に取り上げられている。私も二度訪れているが、美術館は最初のとき ( 1966年 )しか訪れていない。その三十年ほどのちに再度訪問したのはシエナやサン・ジミニャーノなど周辺の町を訪ねたかったから。

ヨーロッパの都市の広場は美しいものが多いが、ヴィクトル・ユーゴーがブリュッセルのグランプラスを、ゲーテ ( ? )がヴェネチアのサンマルコ広場をヨーロッパで最も美しい広場と挙げたといわれ、確かにどちらも素晴らしい ( 私個人はサンマルコ広場がベストと思う ) 。長年の友人とその話をしたら、「シエナのカンポ広場を見たか」と言われ一言もなかったので、何としてもシエナを訪れたかった。専門家ではないので大きなことは言えないが、赤煉瓦一色のカンポ広場は私には今ひとつだった。

最近フィレンツェのウフィツィ美術館の紹介番組を見ていてギョッとしたのは、ボッティチェリの有名な「春」、「ヴィーナスの誕生」を紹介していたから。私は同市のピッティパレス美術館で見たと記憶し、授業でもそう話していた。その際、両作品は思ったより小さかったと両手を半端に広げて見せていた。ところがその後見た美術本によると寸法はその倍ちかくあった。あの有名な絵が案外小さいとの最初の印象がどんどんひとり歩きし、いつしか誤った記憶となっていたのである。所蔵美術館名ともども長年授業で間違いを繰り返していたことは慚愧に耐えない。ここに謹んで訂正!

2016年6月26日日曜日

草の根の反乱

英国の国民投票はEUからの離脱を決めた。その主な理由としてメディアでは 1) 自主的決定権の回復要求、2) 移民流入反対  3) 大英帝国以来の大国ナショナリズム が挙げられている。1 と 3 はむろん関連している ( 3 が1 をさらに強める ) 。

元来EUはフランスとドイツの不再戦を担保するためのヨーロッパ石炭鉄鋼共同体に始まり、途中から米国や日本に経済的に立ち向かうための単一市場の形成が加わった。しかし現在、西欧大国の間の戦争など想像もできない。そうなれば経済のための国家主権の制限にどこまで耐えられるかが問題となる。

個人でも国民でも自分のことは自分で決めたいと思うのは自然である。まして遠いブリュッセルの高給取りのEU官僚のすることに不満が先立つのはやむを得ない。我が国では語学力不足と自国の給与水準の高さのため、国連をはじめとする「国際公務員」の人気は高くないが、ヨーロッパの若者にとっては憧れの職場のようだ。しかし、その恩恵に浴さない大衆から見れば何の有難味もない。

他方、高学歴のロンドンのサラリーマン(金融業従事者が多い )やその予備軍の学生と異なり、移民と直接に仕事口を争う大衆には移民増加はなんの有り難みも無いばかりか賃金水準の低下の原因でしかない。EU加盟の利益を享受する人たちは移民の少ない住宅地の住人だが、移民と日常的に接する大衆には前者の説く経済的利益など他人事でしかない。

英国のEU離脱は英国経済の地盤低下を生む恐れは大きい。しかし、それでも自国のことは自分で決めたい、移民と日常的に接したくないとの草の根の大衆の願いは国民投票 ( レファレンダム )制度により突如顕在化した。民主主義を信条とする限り国民投票に反対することは難しい。しかし、熟慮の政治である議会政治よりも直接民主主義が優れているとの神話は揺らいでいる。

2016年6月21日火曜日

産業デザインの名品たち

テレビのチャンネルを回していたらNHKで「プロフェッショナル   仕事の流儀」を再放送していた。以前あった「地上の星」の後継番組と言って良いのか、まだニ、三回しか見ていない。「地上の星」は昭和の「もの作り大国日本」を支えた無名の人たちを顕彰した番組で、最近の民放局では望めない良質の番組だった ( 受信料を徴収しているのだから当然かも知れないが ) 。

今回の「プロフェッショナル」は書体デザインの制作会社を興したデザイナーを取り上げていた。「自分の明朝体を作りたい」と思い立ち先の見えない冒険に中年から身を投じた氏は、転職も転居 ( 東京から福岡 ) も受け入れた夫人のことに触れたとき涙にむせんだ。何しろひらがなの一字に数十の書体のヴァリエーションがあり、私にはその微妙な違いは分からなかった。

氏のマイカーはちっぽけなフィアット500。戦後間も無くの未だ貧しかったイタリア人の愛車で冷房など付くはずもなく、氏の場合助手席は扇風機に占領されていた! 氏の仕事机にはスポーツカーのモデルが二台置かれていたので、氏のデザイン好みは自動車にも及んでいるようだ。ジブリの宮崎駿監督もやはり戦後間も無くのシトロエン2CVを愛用していた。これ以上簡素な車は有り得ないと言いたい車で、私の師の一人に「あの豚のような車は何だ」と聞かれたことがある。現代ではそれがむしろ清い、潔いと感じられる。

むかし十歳年長の日本古代史の同僚に「仏像の良し悪しがまったく分かりません」と訴えたら一言、「沢山見なさい。そうすれば違いが分かる」と言われた。その後仏像をあまり見なかったので良し悪しがまったく分からないが、クルマのデザインの良し悪しはなるほど沢山見てきたので分かると自負している! 現在のマイカーは三代目のワーゲン・ビートル ( かぶと虫 ) 。初代のビートルは二回所有したが、エアコンが付かないので惜しかったが手放した。現在のそれは流石に電子化が進んでいるが、それでもディスプレイに要求項目を入れる方式ではなく、スイッチを昔風に押したり回したりする方式が残っているので分かりやすい。車なんてこの程度で良いのだと言っても高級車が買えない負け惜しみだと言われそうだが、本人は初代ほどではないが素敵なデザインだと思っている。

書体デザイナーの一字ごとのバリエーションの違いはまったく分からなかったが、六字を連ねた「わるいやつら」の書体は本当に嫌な感じで驚いた( 今回のブログって結局自慢話なの?!)。

2016年6月19日日曜日

天草の神父

今朝のNHKテレビの「小さな旅」は「西海に祝福ありて」とのタイトルで長崎 五島列島の隠れキリシタンの末えいたちの生活を紹介していた。小さいが堅牢な石造りの天主堂はむかし信徒たちが十年かけて建てたものという。しかし現在は住民は15人とか。今後どうやって維持されるだろうか。

かつて訪れた平戸の天主堂は当然もっと大きく立派だった。裏の墓地にかつて「二十の扉」の解答者として人気があった作詞家 ( 「別れのブルース」、「懐かしのボレロ」など ) の藤浦洸の墓があった。案内人は私たち夫婦の年齢なら知っていると思ったと笑ったが図星だった!

同じ長崎県の天草もキリシタンの里であり、崎津天主堂が観光スポットになっている。奥地の大江天主堂は小さいが、吉井勇の歌「白秋とともに泊まりし天草の  大江の宿は伴天連の宿」でも知られる。一度目は一人で、二度目は友人と大江を訪れたのはそのためではなく、この地に49年間住んで1941年に亡くなったガルニエ神父に敬意を表するためだった。当時、西洋の食材など入手不可能だったろう僻地に異邦人が一人で半世紀務めた寂しさはどれほどだったか。信仰とはそれほどの困難を耐えさせるものなのか。宗教弾圧に抗して殉教した人はむろん偉いが、49年間 ( 在日は56年間 ) の孤独に耐えた人の偉さも並大抵ではない。「聖人」でなくとも「福者」に列せられてもおかしくない気がする。

2016年6月15日水曜日

不寛容社会と過剰反応社会

NHKスペシャル ( 6月11日 ) が、「炎上が相次ぐ   ニホン社会が不寛容に!?」とのタイトルで最近の世相の一端を切り取っていた。視聴者アンケートによれば 46%の人が日本が「不寛容社会」になりつつあると答えたという。

さる子供向け学習帳の表紙が46年前から昆虫の大写しの画 ( 写真?)を使用してきたが、気味が悪いとの反発を受け変更したとは聞いていた (  止めても自然界から昆虫がいなくなる訳でもないのに )。秋田の「なまはげ」も子どもを怖がらせるのはトラウマになり良くないとの批判があるとか。ある学校の二宮金次郎像は、歩きながら書を読むのではなく、腰かけて読む像に変えられた。何とも奇妙な金次郎像だったが、「歩きスマホ」が良くない以上、金次郎像も変わらなければということらしい。フォアグラ弁当は動物虐待の産物だとの反対があり、中止になったとか。

そうした「不寛容社会」の出現は裏返せば「過剰反応社会」の出現ということでもある。造る側や売る側が面倒を避けたがるのは商売である以上やむを得ない面もあるが、ある病気 ( ALSとか ) の患者支援のため有名人が頭から水を被る「アイスバケツ」というイベントが売名行為だとの非難を浴びたと聞くと論議なしに中止して欲しくないと思う。

インターネットの普及により誰でも匿名の批判が容易になり、無視できない圧力となりつつある。企業にとどまらず政治や行政もそれに引きずられる過剰反応社会は健全な社会ではないとの強い自覚が必要だろう。

2016年6月10日金曜日

映画「ズートピア」を見て

昨日、ディズニーのアニメ映画「ズートピア」を見た。一昨年?の「アナと雪の女王」ほど話題になっていないが、それでも上映期間が延長される程度の人気を集めていると制作の末端に名を連ねている長男は内容に自信ありげだった。

前作の超人気の理由がいまひとつ理解できなかった私 ( と家内 ) だったので今回それほど期待していた訳ではなかったが、登場人物 ( むろん動物だが ) が小悪人が案外善人だったり、善人のようで実は悪人だったりと意外性があったのは現実世界のようで前作より共感できた。

ズートピアとは無論ズー ( 動物園 ) とユートピア ( 理想郷。原義は何処にもない国の意とか ) からの合成語である。なぜユートピアかと言えば、草食動物とそれを食料とする肉食動物がそこでは仲良く共存しているから。確かに何処にもない国には違いない。

最近テレビで野生動物の生態を写したドキュメンタリー番組をよく上映している。そこでは残念ながら?草食動物や弱い肉食動物は必ず強い肉食動物の餌食となっている。自然界はそうして保たれていると言うほかない。いっとき、人間以外の動物は同種の仲間を殺しはしないと聞かされたが、事実に反するらしい ( 人間ほどに相互殺戮はしないと言われればその通りだが ) 。それでも我々は家畜家禽の肉を盛大に食しているし、私もベジタリアンになりたくない! 人間はせめて自分の罪深さを自覚する以上のことは出来ない。

2016年6月7日火曜日

ペルーの大統領選

南米ペルーの 大統領選は予告に反して7日午前現在も結果がわからない激戦のようだ。負けたとされる側の異議申し立てもあり得る。

およそ半世紀前、南米の国々ではクーデターは何ら珍しくなかった。その頃英国で同級だったアルゼンチン人の学生にそのことをからかったら、あれらはクーデターではなくmilitary paradeだと笑いながら反論された。じじつ流血の衝突に至ることは少なく、白人支配層の間の争いに過ぎなかった。言ってみれば南米流の政権交代の一パターンであった。

チリにアジェンデ政権が生まれた1970年代ごろから大衆の政治参加が顕著になると様相が変わった。ペルーのアルベルト・フジモリ大統領の出現もその流れの一端ではあった。今日フジモリ大統領時代の強権や独裁が非難されており、それが事実で無いとは言えないが、それ以前ペルーではゲリラのテロを恐れ裁判官は重罪判決を控えるようになっていた。法治国家は建前に過ぎず、放置すればペルーは破綻国家、失敗国家になる恐れがあった。「強権」がそれを阻んだのが実態だった。

アルベルト・フジモリ氏が大統領選挙に立候補を決意したとき、ペルーの日系人社会はそれが日系人排斥につながることを恐れた。幸いその危惧は現実とはならなかったが、白人支配層は自分たちの間のゲームを中断させられたことを未だに許していないように思われてならない。少なくとも強権や独裁をあげつらう資格が彼らにあるとは思えない。

2016年6月1日水曜日

公園か保育園か

東京の杉並区で公園を縮小して保育園を設置するとの区の計画に付近住民が反対し、区との話し合いが5時間にわたるも物別れに終わったとテレビが報じていた。保育園が騒音源になるからとの反対は各地で問題となっているが今回はそうした反対理由は少なくとも表面には出ておらず、住民の憩いの場であり子供たちがサッカーなどで遊ぶ場が奪われるというのが理由である。計画図によると「東原公園」はほぼ半分に縮小される。

発端は杉並区長が待機児童ゼロを目標に掲げたことにある。まことに立派な主張だが、それが公表されると翌年の待機児童数が2~3倍の百数十名となり、翌々年はそのまた2~3倍に増加すると予想されるという。増加は杉並区民の要望以外に待機ゼロ目標を聞き知った他区民の転入もあるらしい。その結果幾つかの公園に保育園が併設されることになった。

なぜ公園かというと設置が認可されるまで手続きに半年が必要で、一年以内に建設するためには認可不要の区有地の活用しか考えられないという。杉並区は他区に比べれば公園は多いようだが、先進国としては日本の都市は公園面積は少ないのでは。その意味では反対住民に味方したくなるが、待機児童を抱えた親たちの切羽詰まった心情にも同情する。待機児童ゼロ目標を公表した区長に現場の区職員は振り回されている印象だったが、だからと言って区長が悪いわけでもないだろう。  

ただ、反対住民の、区の計画案が地元に相談なしの突然の提案だったというのは、切迫した事情を考慮すると反対理由として無理があるのではないか。また、仮に切迫した事情がなかった場合でも、順序として先ず行政側が案を示すのはおかしいとは言えない ( 近年そうした反対理由が多い )。最終的にはやはり区民の代表である区議会の決定を待つしかないだろう。保育園は幼稚園ほど広い遊び場は必要ないなら駅に近いビルなどに設置しても良いのでは...........。

2016年5月28日土曜日

オバマ訪問の評価

オバマ米大統領が広島を訪問した。原爆投下の謝罪はしなかったが、原爆死没者慰霊碑に献花し、駆け足ながら原爆資料館を視察した。予想された数分の短い声明ではなく、17分間の長い演説をおこない、被爆者の代表とも短いながら言葉を交わした。

「71年前............」と彼が話し始めたとき、私はリンカーンの有名なゲッティズバーグ演説の「87年前.........」との冒頭を思い出した。オバマ氏がリンカーンの演説を意識していたとの証拠は何もないが、私には単なる偶然とは思えない。大変格調の高い文章だが、2分間とも伝わるリンカーン演説と比較してやや長すぎると感じた ( 長い演説を聞く間、緊張を持続するのは難しい ) 。それでも謝罪の言葉がない上に短くては日本に対して失礼との印象を与えると思ったのかも知れない。

謝罪の言葉がないのは物足りないと思う人がいてもおかしくないが、NHKの被爆者の要望調査によれば、資料館見学88%、慰霊碑献花81%、被爆者との対話58%であるのに対し、被爆者への謝罪の要求は14%だった。被爆者の怒りが小さい筈が無いが、訪問した米大統領が他ならぬオバマ氏であることが怒りを和らげた一因かも知れない。

かつてゴルバチョフがソ連指導者だったころ、訪日した彼に対しシベリア抑留者の代表が謝罪を迫りゴルバチョフが困惑していた場面を思い出す。抑留者の怒りはまったく正当だが、ソ連共産主義時代の不条理の数々を改めるため日夜努めていたゴルバチョフに対する謝罪要求は私には心ない行為とも映った ( すでに地位が弱体化していたゴルバチョフに譲歩は困難だった )。それと比較して今回の被爆者たちの寛容には頭が下がる。

いつだったか、加害国が「未来志向」を口にするのはおかしいとの被害国の批判を聞いて確かに一理あると思った。原爆問題では我が国は逆に被害国だが、戦争という複雑な現象の解釈に対しどの国も謙虚であり過ぎることはないと考えた方が良いのではなかろうか。

2016年5月23日月曜日

田中康夫を都知事に!?

舛添都知事の話題ほどマスコミ好みのテーマは無いようで、連日飽きもせずテレビでゲストを呼んでは舛添氏を肴に論議している。最近はやはり知事経験者をということか松沢成文氏や浅野史郎氏らが目立ったが、今朝のテレビでは田中康夫元長野県知事と岸博幸慶大教授が新しく参戦?していた。途中から見たので断定はしないが、どちらかと言えば岸氏の方が舛添知事に厳しかったようだ。田中氏が同情的とも言えまいが、舛添氏が外国語に堪能であることなど文化面が強みだと評価していた。

都知事の職務は多様だろうが政治や経済は自治体首長に出来ることはかぎりがあり、文化外交の比重が大きいだろう。私が舛添都知事に期待したのも巨大官庁の厚生労働省の長を大過なく務めた実績とともに、英仏語に堪能で五十余冊の著書 ( 内容は承知しないが ) があると聞く氏は来日する要人たちを迎えるホストとして適任だと思ったことがあった。絵画購入もそうした人たちと知事室や公邸で面談する際には確かに有用だと思った。細々とした版画を公費で購入とは知らなかった!
舛添氏に不満でもそれに代わる実績のある人物があるのかと思っていたが久し振りに田中康夫氏の顔を見たら氏も都知事候補たり得るとの突飛な考えが浮かんだ。何年か前、白骨温泉の一部の旅館が人工的に温泉成分を加えて問題となった際、証拠を隠そうとする人を走って追いかける田中氏に驚いた。そうした際、現地の首長はむしろ隠す側に加担するのが普通なのに。けっきょく白骨温泉は実力で立ち直ったが私は氏の正義感は本物だと確信した。長野県知事としての実績もオリンピック開催での大きな債務を六年で解消するなど私は高く評価する。県の公務員に負担を求めて不人気となり三選されなかったが、なあなあで財政再建が出来たとは思えない。いまは突飛と思われても..................。

2016年5月22日日曜日

訂正

「デルフトの眺望」の説明に空の部分が三分の一と書いたのは三分の二の誤り。単純ミス!!

「デルフト眺望」

昨夜のテレビ東京の「美の巨人」でフェルメールの「デルフトの眺望」を紹介していた。フェルメールは近年わが国でも人気の画家だが、作品群はほとんどが室内の人物画であり風景画は稀だという。「静謐」という言葉がぴったりの画風のフェルメールは自画像を一枚も残さず、その生活圏も洗礼を受けた新教会と死後埋葬された旧教会を含む半径500米以内という。それがまた謎めいていて関心を呼ぶ一因かも知れない。

番組では彼の絵画技法の説明もあったが私に分かるはずもない。私が「デルフトの眺望」に何と無く惹かれたのは画面の三分の一を占める空である。何ということもない青空に雲が浮かんでいるだけなのだが、何故か夏のヨーロッパを旅行していて車窓に見た雲を強く想起させた。今回初めて下三分の一の市街をゆっくり見たが、高層建築は教会だけという点は現在も変わらなかった。想像だが、フェルメールの絵が高層ビルの建設を許さなかったのか? そう思いたくなる珠玉のような町で、訪れる機会を逸したのが惜しまれる。

「美の巨人」は毎回一つの絵とその背景を丁寧に紹介しており好きな番組である。音声担当は小林薫。私の特別に好きな俳優ではないが、「美の巨人」で彼の音声が流れてくるとわくわくドキドキ、この人しかないと思えるのが不思議である。番組の最後に流れてきたポール・モーリアの「オリーブの首飾り」?が最近他の曲に変更されたのが残念である。せめて小林薫にはいつまでも音声を担当して欲しい。むろん番組そのものも。スポンサーのキリンビールさん頼みます!


2016年5月21日土曜日

東京偏重ニュースのいやらしさ

先日、東京の東武東上線で脱線事故があり、その日一日不通となった。夜七時のNHKニュースでは一番に取り上げ数分間 (  と感じた ) 放映されたが、東京以外の視聴者が一番に見たいニュースだったろうか。たしかに東上線利用者には最も知りたいニュースだったろうが、地震のニュースと同様テロップでも十分状況を周知させることはできる。死者も負傷者もゼロの事故を全国放送で一番に流す必要があったとは思えない。NHKのニュース室 ( ? ) の東京偏重の感覚の結果ではなかろうか。

『サンデー毎日』5月29日号に「内幕スクープ! 新国立競技場建設の「闇」 「舛添」都知事もう一つの重大責任   「神宮外苑」都有地 35億円 タダ貸しの「裏」」との記事が掲載されている。タイトル名だけで内容は多言不要だが、猪瀬都知事時代に有償で日本スポーツ振興協会に貸す筈だったのが、昨年末無償で貸すことに決め、約35億円の損失になるという。しかし、かつて名古屋市や大阪市がオリンピック招致に手を挙げたのは開催のためのインフラ整備も隠れた目的だったろう。35億円が少額だとは言わないし、まして舛添氏の公私混同問題は別に厳しく追求されねばならないが、東京オリンピックのための国費でのインフラ整備の工事費は35億円の100倍でも足りないだろう。東京都民以外の国民から見れば35億円の借地料の不請求は「タダ貸し」どころか当然のことだろう。ここでも東京のジャーナリズムのおごりが感じられる。

『サンデー毎日』編集長は東京都の「不透明な動き」というが、1月末に東京都の「オリンピック・パラリンピック特別委員会」で可決したのであれば「不透明な動き」ではないだろう。それとも編集長は自誌の記事を読まないのだろうか。時流におもねる記事は私には見苦しく映る。

2016年5月19日木曜日

強者と弱者

最近ひとにすすめられ五木寛之の『余命  これからの時間をいかに豊かに生きるか』( 祥伝社 2015)を読んだ。はるか昔、友人に大変面白いと薦められた映画を見たら、いつ面白くなるのかと思ううちに終わった ( 『ボタンとリボン』)。今回も、老人は高望みせず無暗に延命を願うなとの趣旨のようで、私も日頃考えていたことなので感銘を受けたとまではいかなかったが、「老いても元気な老年」など例外に過ぎず、老人になれば体力も知力も衰えると知れとの提言はわが身に照らしても十分納得できた。

都知事の高額旅費問題に関連してか、それ以前からかは知らないが、林文子横浜市長が海外出張に際し「仕事の厳しさと七十歳という年齢を理由に」ファーストクラスの航空便を使ったとして批判された。それに対し東京新聞の「本音のコラム」( 5月16日) で常連筆者の宮子あずさ氏 ( 看護師 ) が、「誰しも加齢とともに回復力が落ちる」「高齢者にも大きな仕事を任せるならば、今回のように、快適な移動や宿泊などさまざまな形でコストがかかる可能性がある」と林市長への理解を訴えている。宮古氏は評論家の吉武輝子氏の娘で40冊以上の著書のある看護師・随筆家の由。舛添氏への言及はないし、まして公私混同に寛大ではないだろう。ただ看護の専門家として黙ってはいられなかったのだろう。

京子氏は3月7日の同コラムにも看護師として「患者の暴力や暴言に直面してきた」として、「弱者とみなされる人が牙をむくと、こちらの反論は全て権威的とみなされる。そこだけみればどちらが強者かわからない」と記している。メディアはとかく単純に病院や病院勤務者を強者に分類し、患者やその家族を被害者と報道しがちでなかったろうか。どちらが強者でどちらが弱者かはケースバイケースのはずである。メディアは自分が真に弱者の味方なのかを常に再考しなければなるまい。

PS. 昨日東京で行われた女子バレーの試合でタイの監督が審判が公正でないと憤激しているという ( 『朝日』5月20日 ) 。私は見ていないので審判が正しかったかどうかは分からない。しかし、『朝日』以外の他紙がタイ側の不満に全く言及しないのは問題ではなかろうか。私も日本女子バレーチームにぜひオリンピックに出て欲しいし昨日の勝利を喜びたいが、これでは単純に喜んでいいものか。

2016年5月15日日曜日

エアコンはびっくり箱?

十数年前に購入した居間のエアコンが故障した。最近のものは電気使用効率が大いに改善されているとは聞いていたが、修理で済めばそれに越したことは無い。これ迄のエアコンは暖房は都市ガス利用だったので一応東京ガスに相談した。そしたら部品がもう無いので買い換える他なく、今なら電気店で冷暖房とも電気式のエアコンを買うよう勧めますと、独占企業らしい鷹揚な対応だった。

先々のことを考えて量販店より町の系列店 ( いまや存続が危ぶまれている?某電気企業の。その種の店が減っているのでやむなく ) と交渉した。いろいろな付加価値が付いている高級型は気が進まなかったが、フィルター自動掃除は付いていて欲しいとなると他の装置も付いてしまい結構な価格。以前に当ブログで電気製品は物価の優等生のようなことを書いたので世間知らずを恥じたが、家内が保存していた前回の領収書を見たら当時も同じ程度を支払っていた。

昨日取り付けてもらったが、取扱説明書を見たらリモコン画面の表示として室内室外双方の温度と湿度は驚かないが、今日/昨日/一昨日の使用電気代や月毎の電気代も分かるという。その他プラズマ空気清浄など余計なものが付くのは迷惑だが仕方がない。

今朝試しに運転ボタンを押した。最新型と言っても頭上から暖気が降りる型式だとダイニングキッチンの床設置のガス暖房 ( いわゆる床暖房ではない ) ほどの暖かさではなかったのは止むを得ないか。それでも部屋が温まり電源を切ったら頼みもしないのに使用電気代10円と表示され家内と笑ってしまった。今後どんな予想外の事が起こるか楽しみ!

2016年5月13日金曜日

都知事の効用

舛添都知事の高額な旅行費用と政治資金私的流用問題についての記者会見を見たばかりだが、内容がないし一時間半を過ぎても終わらず、途中で切ってしまった。

外国訪問のファーストクラス航空料金の高いのに驚いたが、私はビジネスクラスに格下げせよとも考えない。欧米の首都の高級ホテルの宿泊料の高さはある程度予想していた。われわれ庶民からすれば途方もない金額だが、私は例えばソウル市長の宿泊ホテルより下位のホテルに舛添氏が泊まるのは愉快ではない。黒岩神奈川県知事が高額すぎると批判していたが、都知事と同クラスのホテルに黒岩氏が泊まったらむしろ私は釈然としない ( 同行時は別 )。

政治資金の私的流用は別問題である。また、毎週金曜日午後2時半からの公用車による湯河原の別荘通いは褒められたものではない。回転寿司の料金も結構な金額のようだ。しかし、回転寿司は私もときどき利用するが、都知事も利用するのは悪い気持ちはしないし、秘書や運転手も加わって食事をするならば悪い風景ではない。金曜半ドンは初耳だが、石原前知事が週に3回程度の出勤だったと最近になって知った。怖い石原慎太郎だからメディアは問題にしなかったのか?

20年ほど前?、青島幸男氏が「世界都市博」の中止を訴えて都知事選に勝利した。そして公約を守ったのは私も大いに評価するが、その後の青島知事は見るべき業績もなく終わった。ユーモア作家の氏には海千山千の都官僚に反論することは不可能だったろう。知事職にはそれなりの素養や識見が必要だろう。私はその点で舛添氏が他の候補より適任だと判断して投票した。その意見は今でも変わらない。我々は知事に何を優先して望むだろうか。


2016年5月11日水曜日

オバマ大統領の広島訪問

オバマ氏が米国の現職大統領として始めて広島を訪問するという。「やっと」という受け止め方もあろうし、「遺産作り」の側面は否めないが、イランやキューバとの和解と同様正しい遺産作りと評価したい。彼に広島訪問を決意させたのにはキャロライン・ケネディ大使の熱心な働きかけがあったと聞くが、直接的にはケリー国務長官の広島訪問が反米プラカードでなく児童たちの掲げる各国旗で迎えられたことが日本の「謝罪要求」への米側の懸念を弱めたことが大きいだろう。

米国による広島長崎への原爆投下にはソ連への牽制を始め複雑な事情が指摘されているし、それらは当たっているだろう。他方、日本の終戦決断にもソ連の参戦がより大きく作用したと思うが、広島長崎への原爆投下がそれを促進したことは否めない。被爆者側に米国への謝罪要求があるのは無理のないことだが、ここでそれを持ち出すのは賢明ではない。

広島の原爆慰霊碑の「........、過ちは繰返しませんから」との銘文は日本語の特徴らしく主語がないので日本の過ちとも米国も含めた人類の過ちとも解せられる ( どう外国語に訳されているのだろう?) 。しかし私は建立当時の我々の受け止め方を回想して日本の過ちが主な含意だったと思うし、少なくとも米国の過ちを指摘したのではないと理解する。米国にせよ人類にせよ日本が「繰り返しません」と約束することはできないから。

加害国の米国が他国からの「謝罪要求」に過敏になるのはある意味で当然だが、われわれ日本人は米国に謝罪を求めるよりも「過ちは繰返しませんから」との当時の思いを大切にした方が賢明である。自国は悪いことは何も無いと信じている国々と同列になる必要はない。

2016年5月8日日曜日

敵の敵は味方?

トランプが共和党の大統領候補に確定したようだ。民主党でもヒラリーの勝利は間近いという。ニューヨーク州を除けば最近の民主党予備選ではサンダースが8連勝?していたのに敗北とはまったく納得がいかないが、投票によらない幹部票も計算に入るのがルールなら仕方がない。トランプとヒラリーでは常識的にはヒラリー有利と見るべきだろうが、両党とも棄権が増えそうだ。

トランプとヒラリーの争いならば私もヒラリーの勝利を願うが、世の中単純ではないらしい。トランプの「日本安保ただ乗り論」が日本による米軍への基地提供や駐留費負担を無視しているとしても、防衛費の対GDP比率が日本1%、NATO大国2%、米国3~3.5%とあれば一般の米国民が基地提供や経費負担の無視に傾くおそれ無しとしない。

米国が同盟国とくに日本や韓国やドイツを援助しない結果、それらの国が原爆保有に走ったとしても構わないとの発言はさすがにその後封印されたようだ。しかし米国 ( というよりも五大安保常任理事国 ) が他国の原爆保有をどれほど嫌うかを知る日本の保守世論の一部に、トランプ発言を新状況と期待する空気もあったようだし、それ以外にもトランプ発言への肯定的理解はあるようだ。

昨日の東京新聞によると、従来から激しい日米同盟批判で知られる元外交官の孫崎享氏は日米関係を考え直す良い機会として「トランプ氏はその主張を続けてほしい」と語り、前泊沖縄国際大教授はトランプ氏が「自分の頭で考えて素朴な疑問を呈していることは...........評価すべきだ」と語ったという。敵 ( 日米同盟 ) の敵 ( トランプ ) は味方ということか。

孫崎、前泊両氏が原爆保有に賛成ということではなかろうが、日米同盟を桎梏と捉える人としては不自然ではない。私としてもオバマ大統領までが日露の交渉に公然と疑問を呈するのは不愉快ではある。ロシアを中国の側に押しやって何の利益があるだろうか。

2016年5月7日土曜日

親日台湾を失望させるな

台湾漁船が沖ノ鳥島の近海で漁をしたとの理由で日本の海上保安庁が取り締まりを強めるのに対し、馬英九政権が漁船保護のため巡視船を同行させつつある。日台間の係争に発展させないよう双方が努めなければならない。

毎日新聞のコラム「木語」( 5月5日 ) に同紙の編集委員某氏が、うがった解釈を紹介している。それによれば馬総統が民進党政権に「難題を作り出して日台分離を図ろう」との陰謀説がある ( じじつ蔡氏も世論を考慮すれば日本を批判せざるをえない 。私も馬氏が大陸中国にいい顔をしたいのだろうとは思う ) 。しかしコラム筆者によれば別の説もある。南シナ海問題でフィリピン政府は「南沙諸島に島はないし、岩しかない」と主張するが、台湾は同諸島中の最大の「太平島」(51ヘクタール)を実効支配し、馬総統も訪問したことがある。つまり、「敵は本能寺にあり」で、馬氏の真の目的はフィリピン牽制であるという。ただしコラム子も断定してはいないようで、馬氏は南シナ海を領海視する中国の伝統的主張に従っているだけかもしれない。

沖ノ鳥島に話を戻せば、国連海洋法条約では「満潮時に水面上にあれば島」で面積は関係ないとする条文とともに、それと一見矛盾する「人が居住できない岩はEEZ ( 排他的経済水域 ) を有しない」との条文もあるという。前者に依るとしても沖ノ鳥島は近年しだいに標高を失っており、構造物なしではやがて水中に没するだろうし、後者によれば我が国は他国の漁船を排除できないはずである。じっさい映像で見る限り岩にしか見えない。これでは南シナ海での中国の埋め立てを非難できるとは思えない。

アジアに日本に好意を持つ国は少なくないと信ずるが、中国との経済関係を第一に行動しがちである ( オーストラリアも!)。その点で台湾は中国との経済的繋がりが飛び抜けて強くとも親日的な貴重な友人である。漁業資源も地下資源 ( レアアースの埋蔵の可能性 ) も大事でないとは言わないが、民主主義を堅持する第一の親日国との関係を損なって良いほど日本の領土主張は異論のないものではない。

2016年5月3日火曜日

元ハンセン病患者の日常

今年のゴールデンウィークは前半が好天と聞いたので、急きょ東京に一番近い静岡県某市にやって来た。翌朝、NHKの「小さな旅」の「東京調布市  湧き水の恵み豊かに」を見ようとしたら、同地ではNHK名古屋と静岡の両局の共同制作の「ハンセン病元患者のいま (  国立駿河療養所 )」の放映だった。

富士山が大きく迫る療養所に住む大岩さんは変形した右手が使えず左手で食事を作るが、他人と会う時はどうしても右手を隠すという。週一回スクーターに乗りスーパーマーケットに出かける姿は写ったが買い物の場面は写されなかった ( スーパーとしては元患者が出入りする店とは知られたくなかったのだろう )。

明治40年から続いた隔離政策のため設置された駿河療養所はもっとも患者が多かった昭和31年には471人が収容されていた。今年、入所後58回目の春を迎えた大岩さんには其の間家族の訪問は一度もなかった。入居後、職員に「名前を変えますか」と聞かれたが大岩さんは拒んだ。

平成6年、隔離政策は廃止されたが、療養所を去った人は僅かで、9割以上が残留した。入所後「希望が無かった」大岩さんの今の生き甲斐は野菜作りで、片手で何とか耕運機を運転する。「国から面倒を見てもらっているという弱みを感ずる」ので、出来た野菜を仲間に分けることで「仕事を
して生活できて幸せ」と感ずる。

入所者の平均年齢は83歳にもなった。大岩さんの希望はハンセン病の歴史が忘れられないようにして欲しいということである。所内の納骨堂には ( 引き取り人のない?) 骨壷がずらりと並んでいる。大岩さんの遺骨もここに並ぶことだろう。

この番組はいつか中部地方以外でも放映されるだろうか?  ハンセン病患者の苦難 ( 現在も終わっているようには見えなかった )を報道することは大変有意義だと思うのだが..........。歴史 ( 過去 )を知れば現在をよりよく理解できるとはよく言われるが、逆に現在を知れば過去が見えてくるというのも真実ではなかろうか。

2016年4月30日土曜日

福島への一泊旅行

今朝の新聞に目を通したら「福島の観光は魅力全開」との大見出しが目についた。先週同地に一泊旅行したばかりだったこともあり着目したが、1ページ全面を使っての福島の観光広告だった。

福島の( 信夫 ) 高湯、山形の蔵王高湯と白布高湯は奥羽三高湯と呼ばれる高地温泉であるが、その中で私は福島の高湯を一番に好む。蔵王は冬のスノーモンスターは素晴らしいが温泉地としてはやや広がり過ぎ趣に欠ける ( 2軒くらいで断定して申し訳ない!)。白布高湯は米沢藩主の贔屓の名湯で巨きな藁屋根の宿が3軒並んで立つ様は壮観だったが、唯一泊まったことの無い東館が火災にあったと聞く。

信夫高湯は磐梯吾妻スカイライン沿いの高地の山の湯で、何よりも10軒足らずの宿のある現地に入ると硫化水素の匂いに包まれるのが素晴らしい。これ迄ハイランドホテルに二回、日本秘湯の会のA館に三回、今回のT館に始めて泊まったが、唯一露天風呂のないホテルでも失望はしなかった。

4月下旬ないし中旬 ( 年による ) の東北道は芽吹きの山中と高速道脇の双方の山桜がたっぷり見られるのが楽しみで、今回は都合でたった一泊のために福島に往復した。途中、いつものことだが雪の残る安達太良山が我々を見下ろしている。半世紀以上前、友人2人と登ったことがある。旧火山らしい荒々しい山頂を超え会津側にくだった二人はそれぞれ20年前と10年前にこの世を去った。その時はそれを知るべくも無かったが、安達太良山の下を過ぎるたび毎に運命の不思議を思わずにはいられない。

2016年4月28日木曜日

姨捨伝説が現実に?

たいした期間ではないが最近数年間に再度入院した私には、近年の病院の検査 (と治療 ) の施設の充実は心強いものだった。しかし医療の急速な進歩を単純に賛美してばかりはいられない。薬代を含めて医療費の高騰という矛盾を生んでいるからである。

新聞各紙によれば平均的体格の日本男性が最新の肺がん治療薬オプシーボを服用すると年間3500万円の薬代となり、年患者数10万人強の半数が服用すると年1兆7500億円が必要となる。ただし患者の出費は高額医療費補助を利用すると月額8万円 (患者により多少の差 )程度で済む。

今後の薬価の低下も期待出来ないでもないだろうが、現在でも社会保障費の中で大きな割合を占める医療費は次々と新薬が予想される現在、立ち行かなくなることは目に見えている。そうなれば余命の短い後期高齢者 ( だけではないが )に無制限に投薬して良いかという問題が生ずる。しょせん人間の寿命には限界があるのに現役世代にこれ以上の負担をかけることは公正と言えるかである。

哲学的に根本から考察すべき問題かもしれないが、私は或る年齢以上の高齢者の超高額医療の利用の制限は止むを得ないと考える。一部諸外国についで日本政府もようやく「費用対効果」の観点の導入を検討すると決めたらしいが、有限の資力で全ての要求を満足させられない時代に入りつつあるのだろう。とはいえ私は深沢七郎の『楢山節考』( というよりも木下恵介監督の同名の映画 ) のおりん婆さんのように、「楢山まいり」を息子に催促するほど立派にはとてもなれない。いざとなれば変節してオプシーボに期待するかも。せいぜい薬価の低下を期待するとしょう!

2016年4月26日火曜日

新聞は最高裁を批判できるか?

特別法廷という形でのハンセン病患者への過去の「差別」を最高裁が昨日になって謝罪した。新聞各紙は「差別放置 自省を」( 『毎日』)、「責任負わぬ最高裁 理不尽だ」(『朝日』)、「遅れた検証 踏み込みも甘く」(『産経』)、「問題を直視せず」(『東京』)などの見出しで一斉に最高裁を批判している。

しかし、各紙は戦後間も無く諸外国が次第にハンセン病患者への特別扱いを改めてきたのに ( 米国統治下の沖縄では60年代からハンセン病患者でも地裁支部で裁判が開かれていた。『毎日』)、まして2001年に熊本地裁が隔離政策を違憲と判決したのに大きく問題としなかった。今朝の四大全国紙でも最高裁に反省を迫っても自社の反省の言葉は皆無だった。わずかに『読売』が「偏見がすさまじい時代」との識者の言葉を紹介し、「戦後、隔離政策と厳しい偏見が続く中.........、裁判所に出廷させる判断が難しかった面はある」と一定の理解を示しているだけである。新聞各紙は最高裁を批判するならば同時に自社の報道への反省にも言及すべきだろう。

同じく今朝の『朝日』には一面をつぶして坂井隆氏( 元公安調査庁部長 )の「北朝鮮と向き合う」との発言が紹介されている。北朝鮮の国家運営には一定の合理性があり、最近の粛清も「かつての旧ソ連のスターリンのような社会全般におよぶ粛清ではない」「北朝鮮を多角的、冷静に見極めることが重要です」との氏の発言は傾聴に値する。同様に、同紙に十数回続いているコラム「北朝鮮を読む」は、かつて朴軍事独裁政権の道具と報道されてきたKCIAの元幹部の驚くほど冷静で鋭利な回想を紹介している。情報部出身というと特別な目で見られがちだが、先入観は良くないと思う。

2016年4月24日日曜日

「植物工場」の将来

NHKの日曜朝の番組「サキどり」で植物工場の事例を紹介していた。たまたまチャンネルを回していて ( 昔はチャンネルは文字どうり回して変えるものだった!) 見ただけなので当初はいい加減な態度で見ていたが、しだいに興味が湧いてきた。

私のような高齢者は人工光ではなく太陽光を浴びて育った野菜を選びたいところだが、専門家によれば成分も味も天然ものに劣るものではなく、むしろ与える肥料分 ( むろん水耕栽培 ) により特定の成分を強化することも可能との話だった。

それでも露地ものを選びたい人はいるだろうが、地方によっては気候上他県産に頼らざるを得ない場合がある。番組で紹介されていた青森県の場合、冬の生鮮野菜は殆んど温暖な他府県産だった。そこで或る生産者、彼はほんらい他産業の下請け工場の経営者だったが注文の先細りを見越して自社の小工場を野菜工場に転換した。地元スーパーとしても輸送費を節約できるし、さらに地域の雇用を維持したい自治体が廃校を苗育成用に無償で貸してくれた。現在では新鮮野菜としてスーパーで売れているという。

周囲の協力など成功の条件は欠かせないだろうが、全国の植物工場の約3分の2は収支トントン乃至利益を計上できているという。青森県では未だ3社だけということだが、地方に雇用の場を提供する植物工場は大いに育てていくべきだろう。外国を含む遠隔地からの輸送のためのエネルギーの無駄遣いを減らすことは地球温暖化対策としても有益だろう。人工的と敬遠している場合ではなさそうだ (  主婦はそんなこと気にしていない!?)。

PS    前回、メルセデス・ベンツとBMWの実燃費が公称値の4倍と1.8倍と書いたのは排ガス  ( NOX )の排出量の誤りでした。私としたことが。悪しからず。

2016年4月22日金曜日

自動車の公表燃費値のウソ臭さ

昨日あたりから新聞各紙に三菱自動車製の軽自動車の燃費試験データの不正操作が大きく報道されている。原因として他社の軽自動車との激しい販売競争や、公表燃費値に応じた税金の軽減などが挙げられている。だが、不正な数値で顧客を欺いたとすれば、その責任は追求されねばならない。

しかし、私は確信するが、自動車各社の車種ごとの公称燃費を信用していたドライバーは一人もいなかったろう。きわめて燃費コンシャスなドライバーを自任する私が四年間ほど使用した二代目プリウスは評判どうりの低燃費車で、リッター当たり20キロは日常茶飯値?だったが、カタログの数値に達したことはただの一度も無かった( 他社の車も同じだった ) 。 いったいどんなテスターが運転したのか不思議だったが、試験場の機械の上での走行値だったのか?  もしそうなら事態を知りながら放置してきた役所も好い加減だった。

フォルクスワーゲン社の不正が公表されたとき私は他の輸入車もその可能性があると指摘した。今朝の毎日新聞は「輸入二車種も基準超」と報じている。メルセデス・ベンツ社とBMW社の特定のディーゼル車の実際の路上走行調査では、公表燃費値のベンツは4倍、BMWは1.8倍だったという。

だからといって積極的にユーザーを欺いたワーゲン社や三菱自動車の罪が軽くなる訳ではないが、役所だけでなくメディア界の人間も怠慢かお人好しか。既往はともかく今後はしっかりして欲しい。

2016年4月19日火曜日

訂正

前々回、三河地震の際私が小学6年生だったとしたのは5年生の誤り。それより、以前にも本ブログで三河地震を話題にしたような気がしてきた。もし繰り返しだったらブログを終わりにする時期が近いのか!

報道番組の面白さとつまらなさ

昨日の新聞によればワイオミング州の共和党予備選でクルーズがトランプを抑え勝利したという。映画「シェーン」に描かれた人口希薄な州の勝利で最終結果に結びつく訳ではないが、嫌な予感がしないでもない。

内外のメディアではトランプの発言の数々が大きく取り上げられ警戒を呼んでいるが、だからといってクルーズが「より小さな悪」なわけではない。先日 ( 4月11日 )のフジテレビの「プライムニュース」で旧外務官僚で評論家の佐藤優氏が、トランプは「うんと悪い」候補だがクルーズは「とんでもなく悪い」候補だと語っていた。私も氏の意見は傾聴に値すると思う。

クルーズは保守強硬派ないしキリスト教保守派と呼ばれている。私は米国であれ日本であれ政治に宗教を持ち込むことは良くないとこのブログでも指摘してきたが、とりわけ一神教を政治に持ち込むことは危険だと感ずる。トランプの暴言はその効果を巧みに計算した上での意図的戦略的暴言で、本人が仮にそのすべてを信じているとしても実行できるとは限らないことは分かっているだろう。しかしクルーズは狂信者とまでは言えないとしても確信者である。「プライムニュース」に彼が小銃の先端部分にベーコンを巻きつけて連射し、発射熱で焼けたベーコンを平然と食べている場面があった。もともと全米ライフル協会への支持を公言しているクルーズだが、「マシンガン・ベーコン」を食べる彼には作為も計算も感じられず、不気味な印象しか無かった。

「プライムニュース」は反町という記者出身のキャスターが毎回複数のゲスト ( 多少違った意見のゲストの場合が多い ) を呼ぶ番組で、フジ・サンケイグループが保守寄りな論調であることは否めない。しかし他局の同種の報道番組がゲストの御意見拝聴に終始したり、逆に先月までの「報道ステーション」のようにキャスターに反論しない ( 反論できない。また呼んで欲しいから ) ゲストばかりを呼んだりするのに比べて、反町氏がゲストの意見に疑問を呈したり、時にまぜっかえししたり、活発な意見が交わされ面白い。

それにしてもかつてムネオと組んで叩かれた佐藤優氏は、『外務省のラスプーチンと呼ばれて』の著者にふさわしい怪物的容貌にさらに磨きがかかってきた!

2016年4月18日月曜日

直下型地震の恐ろしさ

熊本県を中心に発生した地震は他県にも拡大する動きを見せて不気味である。東北大震災ほどの巨大地震ではないが、被害住民の規模だけでは直下型地震の恐ろしさは計れない。まだ小学6年生だった私でもその恐ろしさは覚えている。

1944年12月7日の東南海地震のことは当ブログにも書いたと記憶するが、その37日後の45年1月13日の三河地震の恐ろしさは別種のものだった。未明に発生した三河地震の揺れは東南海地震のときほど大きくなかった。しかし、今回の熊本地震と同様、間断なく襲ってくる余震の恐ろしさは、どうせ余震だろうとたかをくくっていられるものではなかった ( 今回のように本震と思われた後にそれ以上の強度の本震に襲われたのは前代未聞だろうが ) 。

結局、翌日の夜は、ふすまを家型に建てた小屋で一夜を過ごしたが、近所にもそうした家は少なくなかった。今回もそうした写真を見かけたが、当時と異なりほとんど各戸にマイカーがある点では日本社会にも多少の進歩?があったと言える ( 硬い床で寝るよりは耐えられるはず )。とはいえ水とガスとりわけ前者の供給ストップは水道が普及してなかった1945年当時にはない困難である。今朝のテレビが報じた水不足の現地は、山村とまでは言えないが傾斜地に散在する独立家屋が舞台。ここまで水道化されているのかというのが正直な感想だった。

戦時中のことで両地震の報道は最小限に抑えられていたので、私は自分の体験から三河地震の人命被害は東南海地震よりもずっと少ないと思っていた。ところが死者数は東南海地震が1223名、三河地震が2306名と後者が多かったという ( 木村玲欧  『戦争に隠された「震度7」』 吉川弘文館 2014年 ) 。地震の規模 ( マグニチュード ) と被害は必ずしも比例しないのである。首都直下型地震が起こればどうなるのか。政府や自治体もだが個人としても対策や準備に本腰を入れる必要がある。

2016年4月15日金曜日

奨学金制度の問題点

予算編成の時期と関連するのかはわからないが、最近、現行の奨学金制度の問題点が新聞各紙でも取り上げられ、国会ではその改善 ( 貸付型から給付型へ ) が検討されているようだ。しかし、その返還が元奨学生への過大な負担になっているとの各紙の指摘ではあるが、公正という観点からすると給付型が理想とも言い切れない。

昨日の東京新聞によれば ( 各紙の数字には若干違いがある ) 、現在の国立大の授業料は年54万円、私立大の平均は86万円とのこと ( 入学時の諸負担を加えると国立大で60万円台、私立大では100万円以上にもなるようだ)。60年以上前、私が大学入学した頃の授業料は1万円前後だったから、その間のインフレを考慮しても授業料などの負担はより重くなっているだろう。

しかし、国立大やそれに倣った私立大の授業料の高騰には一応の理由があった。戦後かなりの間、大学入学者は同年齢者の1割にも満たず ( ? )、中高校卒の勤労者 ( 就職した同年齢者を含む ) が納めた税金を大学奨学金に回すことには異論もあり得た。そのため授業料は値上げし代わりに奨学生を増やす方向が選ばれたと記憶する。じじつ今の大学生の4割は奨学金を得ている ( その内訳は有利子枠が約7割という )。

時代は変わり大学進学者が同年代の半数を占めるようになった。奨学金を全額無利子としたり支払猶予期間を延長するのは望ましい。しかし統計上では中高校卒業者よりも大卒が生涯賃金額で有利な以上、奨学金返還を求めるのは不当ではない ( ある意味、格差縮小の方向とも言える ) 。一般論として教育にもっと我が国が予算を当てるべきという意見には賛成するが.................。

2016年4月12日火曜日

世論調査の読み方

メディア各社の世論調査が発表されている。と言っても調査日は一斉でもないようで、昨日から今日にかけてはNHKと朝日新聞の結果が発表された。そのうち安倍内閣の支持率に関してはNHKが支持42%、不支持32%、朝日新聞は支持45%、不支持34%  。先月と比較してもNHKは内閣支持率マイナス4%、朝日新聞はプラス1%だった。巷間ではNHKの政府与党への迎合や従順化がしきりに論じられているが、世論調査の結果で見る限り朝日新聞と比べてもそうとも言えないことが示された。

次の選挙でどの政党に投票するかとの質問にはNHKの与党23%、野党32%、どちらとも言えない40%に対し、朝日新聞は( 各党ごとの数字を合計すると ) 与党50% ( おおさか維新を含む ) 、野党24%、答えない・分からない26%となる。ここでも政府与党に批判的な朝日新聞の数字は与党優勢である。質問の仕方 ( とくに分類 ) が全く違うが、両者の与野党比が違うのは何故か?

そもそも調査の数字は客観的な筈だが、放送局よりも主張が鮮明な新聞各紙を読む限りこれまでそうとも言えなかった。つまりは世論調査とはその程度のものと考えるのが一番正しいのだろう。むしろ今回私に一番印象的だったのはNHKの質問にあった「一番関心のある問題」との質問に対し、我が国では景気と社会保障がそれぞれ22%で一位を分け合ったが、他国 ( 中東だったか南米だったかヨーロッパだったか国名を忘れたが ) の関心の第一位が「治安の維持」だったことである。あやふやな点はお許しを乞う他ないが、我が国で世論調査を何回やっても治安の維持が国民の関心の一位を占めることは考えられない。今後もそうとは確言しないが、自国の常識や基準を他国に当てはめて考えることの危うさをあらためて感じさせられた。

2016年4月9日土曜日

桜と桜桃

日本列島を桜前線が北上中である。東京近辺ではすでに満開を過ぎ、今日あたり桜吹雪そのものだったが、未だこれからの地域も少なくないだろう ( 今日、旭川では雪がちらついていた )。それでも今年は東北地方の桜も例年よりは早いようで、テレビニュースでは福島県の帰還困難地域の桜がもう満開だった。       

一、二年前から外国人の花見客が増えたが、今年が特に多いようなのはメディアが話題にしたせいもあろう。とくに中国人の観光客が多いのをあまり快く思わない人もあり、じじつ公衆道徳が問題となるケースもあるようだ。しかし、花見の季節と限らないが、多くの外国人が日本の治安の良さ、清潔さ、親切さなどを知ることは大いに歓迎すべきである。

外国で桜見物をするのはポトマック河畔や旧植民地の韓国など例外的なようだ。世界に自慢して良い日本の桜だが、開花期間が短いのは残念である。花木としてはジャカランダも有名で、テレビで見たブエノスアイレスの街のそれも桜花の美しさに劣らず、しかも一ヶ月近く咲き続けるのは羨ましい。

桜は桜桃 ( さくらんぼ ) の生産木としても有難い植物である。私は旧来の日本のさくらんぼよりも甘味の強いアメリカンチェリーが好きだ ( ヨーロッパも同じ品種。何がアメリカンだ!)。もう一つの理由は日本のさくらんぼがやたら高級化して気楽に買う気になれないことである。アメリカンチェリーも日本では結構高価だが、フランスやドイツでは市場で山積みされ、キロ単位で安く売っているので心置き無く食べられ?、初夏から夏の旅の楽しみだった。フルーツに限らないが生産者も、大きさを揃えたり容器に凝ったりして高く売ることを考えるよりも、買い手に心置き無く食してもらうよう心がけて欲しい。そうならない限り私はTPPに肩入れしたくなる。


2016年4月5日火曜日

大相撲春場所



先ごろの大相撲春場所は紆余曲折の末、白鵬の優勝で終わった。実力どうりという他に評し様がないが、千秋楽の横綱同士の結びの一番はあっけなく終わり失望したファンは多かったようだ。むろん私も。白鵬自身はあれで決まるとは思っていなかったと語り計画的な注文相撲を否定したが、心のどこかに何としても勝ちたいとの気持ちはあったことは認めた。素人の私に確かなことは分からないが、日馬富士の姿勢が低すぎたので思わずいなしたと見てもおかしくないとは思う。

武田鉄矢司会の「昭和は輝いていた」( 3月30日放映 ) は「大相撲名勝負」と題し、栃若時代から輪湖時代までの名勝負を再現し論評していた。栃錦と若乃花の最初の名勝負は優勝をかけた横綱と大関の対決 (栃錦の勝ち ) であり、次の優勝をかけた名勝負は両者ともに横綱で今度は若乃花の勝ちだった。どちらも激しい四つ相撲の末の決着だった。当時、本郷の森川町の学生下宿に住んでいた私の部屋にテレビがあるはずもなく、東片食堂という学生向きの食堂に対戦時間を見計らって通ったように思う。

試合の再現シーンを見て再発見したのは両者とも中年太りの中高年ほどにも腹が出ていなかったことである。二人が筋肉質タイプなことは無論知っていたが、ともに身長170センチ台、体重100キロだったとあれば不思議ではなかった。次の大鵬と柏戸はともに180センチ台、130キロ程度だったとのことで、栃若よりは腹が出ていたが、栃若と柏鵬どの取組もがっぷり四つ相撲で立会いの変化も張り差しもなく、勝負をたっぷり楽しめた。

輪島と北の湖の場合、後者は無論アンコ型だったが、がっぷり四つの勝負だったことには変わりなかった。なお、柏戸も輪島も大鵬や北の湖ほどの大記録は残さなかったが、印象に反し直接対決では勝負は相手を上回っていた。並び称されるゆえんであろう。

張り手もかち上げも立会いの変化も認められた勝負手なのに白鵬が非難されるのはおかしく、文句があるなら規則を変えるべきだとの投書があった。理屈はそのとうりだが、やはり白鵬ほどの横綱には正攻法で勝って欲しかった。相撲は他の格闘技とは違うというのは、これだけ外国出身力士が増えた時代にすべきでない要求だろうか。

訂正   前々回、子息と書いたのは子女の誤り。子どもは親子関係と年齢の両義が有るので使えなかったので.............。

2016年4月4日月曜日

エーゲ海の今昔

シリアなどからの難民がトルコからギリシアに入国する報道で中継地としてエーゲ海のレスボス島やヒオス島などの名前が紙面に載っている。難民の窮状には同情するし、上陸地のギリシアの困惑にも同情を禁じ得ない。しかし、不謹慎とのそしりは甘受するが、それらの島名に私は記憶を呼び覚まされ、ある種の感慨を覚えた。

レスボス島は女性の同性愛を指すレズビアンの語源とされているし、ヒオス島はドラクロワの名画「キオス島の虐殺」のキオス島の別称だろう。1820年代、オスマントルコの支配下にあったギリシア人が独立戦争を展開すると、トルコによる住民の虐殺が頻発し、詩人のバイロンを先頭にヨーロッパ人のギリシア人への同情が高まった。当時の理解には異教徒のトルコへの偏見も混じっていたのではと想像するが、当時のトルコ帝国の対応に問題が無かったとは言えないだろう。

ヒオス島のさらに北のサモトラケ島は難民の上陸地ではないが、ルーブル美術館の至宝のひとつの「サモトラケのニケ」の石像の発見された島である (靴のナイキは英語読み )。現在は知らないが、以前は「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」以上に目立つ場所に展示されていた。

古代以来エーゲ海はヨーロッパ文明の発祥地であるとともに諸民族の衝突の場でもあった。ペルシャ戦争でスパルタ軍が勇戦し全滅した「テルモピレーの戦い」は教科書にも載るエピソードだが、現地ガイドによるとテルモピレーとは「熱い門」の意味だとか。サーモスタットやサーモメーターと同じ語源である。古代文明の遺跡に囲まれたエーゲ海は諸文明の発祥地であると同時に、諸文明の衝突の地でもあった。今後のエーゲ海が平和の海になるよう願う。

2016年3月30日水曜日

ハンセン病対策の遅れを考える

ハンセン病患者への過去の差別に対して患者の家族数百人が、隔離政策をとった国に一人当たり500万円の損害補償と謝罪を求めている。また今朝の新聞によれば最高裁の ( 依頼した?) 有識者委員会が犯罪を犯した患者の裁判を、隔離された「特別法廷」でおこなった事実を差別的な措置だったと指摘する方針だという。

裁判所の庁舎外で開く特別法廷は例外的に認められており今回は、当時、規則にある「裁判官会議」を開かずに「伝染の恐れを理由に」特別法廷を開催したことが差別とされるという (『毎日』)。私は医療刑務所や療養所で法廷を開催したのは「伝染の恐れ」とともに患者の家族を含む関係者が内情が公開される可能性を危惧したためではないかと推測するが、正規の手続きが省かれたのであれば批判は止むを得ないと思う。だが、家族の損害賠償の請求には子息を除き違和感がある。

戦前から戦後にかけて誤った医学知識 ( 病気の感染力の過大視 ) のためハンセン病患者に隔離政策がとられた。その政策の是正が諸外国と比較しても大幅に遅れたため、患者本人には国家賠償がなされたと聞く。しかし私の乏しい記憶でもハンセン病への恐怖は大きく、強制隔離は患者の家族の密かな要望でもあったろう。冷酷なようでも、親族とくに患者の兄弟姉妹が厳しい差別被害に会うことは確実であった当時、親としてはひたすら事実を隠し、事実上親子の縁を切ったのはやむを得なかったろう。誤った医学知識が是正され隔離が誤りであったとされる現在でも施設に残る旧患者が多いのは高齢ということもあろうが、家族関係の再建がいかに困難かを示しているだろう。

それにしても強制隔離の根拠となった「らい予防法」の廃止が我が国で大幅に遅れたのは、「らい患者の父」と呼ばれた光田健輔氏の存在が大きかったようだ。医学知識が誤っていた時代の氏の隔離提唱を現在の知識で批判するのは「非歴史的」な誤りである (  それがいかに多いことか!)。しかし、医学知識が改まった時期まで隔離にこだわったのは頑迷と言われても仕方がない。それにしても氏の死まで隔離政策を批判しなかったメディアの「学界の権威」への盲従がそれで免責されるわけでは決してない。

2016年3月28日月曜日

理想と現実

シリア政権軍がパルミラ遺跡をISから奪還した。ブリュッセルでのテロ事件に際して、ISがシリア・イラクで劣勢になった結果代わりにヨーロッパの都市でのテロを強化したとの説明が聞かれたが、それは正しかったようだ。そうだとすれば、ISの中心のリビアへの移動との情報は無視はできないが、中東での戦火の沈静化の希望はやがては期待できそうだ。

異教徒や異端派の女性の奴隷化など21世紀の出来事とは思えない所業を公然と犯しているISやボコ・ハラムの撲滅には世界の国々の協力が必要だが、空爆だけで完全制圧は期待できず、地上兵力の投入の重要性は明らかである。そして米国もNATO諸国もそこまで深入りする用意がない以上、実際にはシリア政権軍、クルド人勢力、イラク・シリアのシーア派兵力の三者しかIS打倒の担い手はいない ( 穏健反体制派にはその力は無い ) 。苦い結論でも世界はそれを受け入れる他ない。

クルド人が一貫してISと戦って来た以上、彼らの国際的地位の向上は抑えられない。もともと、人口3000万人と言われる民族が国家を持たないことは不自然であり、ISらイスラム過激派の打倒の暁にはクルド人の自立要求を世界とくにトルコ、シリア、イラクは認めるべきだろう。

ISが中東で打倒されても西欧内のイスラム教徒とりわけアラブ人の反抗は止まないだろうし、それがテロという形を取る可能性は少なくないだろう。「他文化との共生」は理想だが、それを唱道してきた人たちは風俗習慣から宗教に至る文化的隔たりの根深さを十分認識していなかったと言わざるを得ない。現実を踏まえない理想主義はトランプやルペンや「ドイツのための選択」派に太刀打ちできるだろうか。

2016年3月23日水曜日

『福翁自伝』を読む

新聞の読書欄 ( 『読売』3月13日 )で某氏が福沢諭吉の『福翁自伝』の面白さを指摘していたので、手にしてみた。諭吉については種々のエピソードや発言はこれまで聞かぬでもなかったが、恥ずかしながら著作の一冊も読んだことはなかった。考えてみれば、一代で二世 ( 封建の世と近代の世 ) を経験した ( 諭吉自身の言葉。ただし大意 ) 彼の自伝が面白いのは当然かもしれない。

彼の他の著書を読んでいないのにおこがましい限りだが、私の知っているエピソードや発言のかなりの部分が『自伝』に由来する?ことを知った。「門閥制度は親のかたきでござる」と骨身に感じた幼少期から、長崎や大阪 ( とくに後者 ) での猛烈な蘭学修行。それがひとたび横浜を訪ねて英語の圧倒的力を知り、ただちにオランダ語から英語に修行目標を切り替えた変わり身の早さ。渡米と渡欧の二つの幕府の使節団に加わって赤ゲットぶりを発揮した経験 ( それでも蘭学者の彼には機械など物質文明については説明不要だった ) 。米国で初代大統領ワシントンの子孫の消息を誰も知らず、民主主義の意味を理解したこと、米国の少女と写真に収まって羨ましがられた話なども自伝に ( にも?) 述べられていた。

上野の彰義隊に対する官軍の攻撃 ( 指揮する大村益次郎は昔の蘭学仲間の村田蔵六 ) の砲声を聞きながら義塾の授業を続けたエピソードを私は学問や教育への諭吉の信念の現れと理解していた。それも誤りではないだろうが、彼自身自分を行動の人とは考えなかったこと ( 自分は「診断医」であり治療医ではないとの彼自身の譬え ) も大きいようだ。また、徹底した欧化主義者の彼が攘夷主義の官軍に好意を抱くはずもなく、他方、開国を実行した幕府側も本心は攘夷主義だと見抜いていた彼には、どちらの味方をする気にもなれなかったという。

近年、諭吉の朝鮮や中国への「蔑視」がしばしば指摘されているようだ。本書でも「いまの朝鮮人、支那人、東洋人全体を見渡したところで、航海術を五年学んで太平洋を乗り越そうというその事業その勇気のあるものは決してありはしない」と欧化主義者の面目を発揮している ( 明の鄭和の大遠征を知らないのは仕方ないか!) 。私は当時の清国や李氏朝鮮の現状への批判として十分理解できると考える ( 一冊読んだだけでまた何を!)。

P.S.
前回、「南房州の実家が.........艦砲射撃を受ける」と 書いたが、「実家のある南房州が.......艦砲射撃を受ける」の誤り ( そのぐらい訂正しなくても分かる。大邸宅でもあるまいし?)。

2016年3月22日火曜日

山中の鉱山跡 訂正と補足

昨日のブログで秩父鉱山を過去のものとして紹介したが、インターネットによると金属採掘事業は廃止されたが石灰岩と硅砂の採掘は続いているとのこと。住民は犬と住む会社OB一人とのことなので、通勤の従業員でほそぼそと採掘されているのだろう。住宅街は廃屋だが私が見たのはその一部だけだったようだ。それにしても奥へと続く道は無かったと記憶する。今は群馬県側からはいるのか?

親戚一家としたのは叔父一家のこと。誰もが自分たちの生活で手一杯だった終戦前後は近い親戚でも連絡を取り合うことは稀で、記憶に確信が持てず曖昧な書き方をした。昨夜従妹に確認したら時期は終戦を挟んだ一年足らず。南房州の実家 ( 私にとっても ) が米軍の艦方射撃を受ける( 受けた?)ので、叔父の勤務する秩父山中に疎開したとのこと。子どもの教育環境など考える余裕など無かった時代は不幸なのか幸福なのか!

2016年3月21日月曜日

山中の鉱山跡

昨日の『東京新聞』に、「秩父鉱山  にぎわい伝える」「3000人が暮らした街  写真と証言」という記事が載っていた。アマチュア写真家?が著した『写真と証言でよみがえる秩父鉱山』(同時代社)にかこつけた記事だった。

現場は秩父地方の主邑秩父市から中津川を遡った長野県境に近い最奥の山中で、木造の鉱山住宅が若干残っているが、現在はここに3000人が住んでいたとは到底思えない狭い斜面である。私は北海道の美唄炭坑の無人の炭住街を訪ねたことがあり、やはり寂寥感は否めなかったが、無人の鉱山跡の寂寥感はひとしおである。中津川渓谷は紅葉の名所として関東では多少は知られている。私が最初に訪れた時も主に紅葉見物のためだったが、親族の一家が戦後すぐごく短期間済んだとは聞いていた。

親族一家は戸主が地質鉱物学科の出身で日窒鉱業 ( 現チッソ? ) に入社し、現在の北朝鮮のダム建設の地質調査のため一時期ソウルに住んでいた。戦後は同社の秩父鉱山に短期間勤務したが、のち商社に移り東南アジアのダム建設のための調査に従事した。

再度わたしが秩父の現地を訪れた時は鉱山跡の訪問が主目的だったが、険しい山中の半ば朽ちかけた住宅地には足を踏み入れることさえ困難で、遠望 ( というほどの距離ではないが ) しただけだった。戦後の日本では戦前から続いた多くの鉱山が海外との競争に勝てず閉山となったが秩父鉱山もその一つだった。今ではその記憶を持つ元住民さえこの世を去るか去りつつある。『荒城の月』の岡城跡ほどドラマチックな遺跡ではないが、史実の一端を知るものとしてその次第を紙碑として残しておきたい。

2016年3月15日火曜日

「民主党」よ さらば?

民主党と維新の党は昨日、合流に伴う新党名を民進党とする方針を決めた。私は仮にも20年間掲げてきた民主党の党名を変えることには賛成ではなかったが、党員でも党友でもないので、そうですか以上のことを言う資格はないのだろう。

岡田代表をはじめ民主党名を捨てたくない党員は少なくないだろうが、世論調査で決めると約束したからには今さら「民進党」への反対はむづかしかったろう。まして「民主党支持層」でも「民進党」支持が多かったとあればお手上げだろう。そもそも政党にとって大事な党名を世論調査で決めるなど、他人任せもいいところだった。国民の信頼をこれほど失っていたとはと驚く幹部もいるとか。メディアの世論調査で内閣支持率が下がろうとも政党支持率で自民党に5倍の大差 ( 『朝日』)をつけられて居たことへの反省が不足していたと言うほかない

これほどの国民の不信は何よりも政権担当時に消費税上げ問題で小沢一郎氏らの反対を受け、長い間決められなかったことが大きい。政党は討論クラブではない。党内で少数意見の尊重を守るには限度がある。反対があるからといって方針を決められないのでは不信を買うのは当然だった。国民は悪い政府よりも無能な政府に苛立ちを覚えるものである。

とはいえ政権交代の無い議会政治は健全ではない。新しい党には台湾の民進党にならって元気になってもらいたい。いっそのこと同党の正式名「民主進歩党」、略称民進党としてはどうか!?


2016年3月11日金曜日

自然の恩恵と猛威

家の裏の土手の片隅にほんの少しだがフキノトウのとれる場所がある。最近は数個程度の収穫で、今年も十日ほど前にはいじけた葉があるだけで完全消滅かと思った。ところが今日見回ったら、わずか五本だが既に食用に向かないほど成長していた。今春はもう期待できるかどうか。油断だった。

フキノトウほど収穫時期が微妙ではないが、裏の敷地内に背丈ほどのタラの木があり、毎年確実に二回分の天ぷらの材料のタラの芽が収穫できる。前年の冬は温州蜜柑の収穫はなぜか30個に満たなかったが、今年は450個ほど取れ、隣近所四軒にもお裾分けした ( 何しろ丸見えなので!)。予測不能は自然の特質なのか!

今日が東北大震災五周年ということで新聞の紙面はそれで半ば占領されている。地震も津波も人智を超え予測不可能のようで、またしても寺田寅彦の偉大さを知らされた。我々に今できることは確実に来る自然災害に備えることだろう。そこには間接的だが原発事故も含まれる。

原子力工学に無知な私には原発反対に踏み切るべきかはわからないが、少なくとも古くなったものや都会に近いものは廃止が賢明だとは思う。五年前米国は福島原発から70キロ以内の自国民の退避を考えた ( 実行した?) ようだ。じじつ核燃料プールの燃料の爆発が回避されたのはかなりの幸運も手伝っていたとも聞く。京都が福井原発群から70キロ以内か以外かは知らないが、今や人気世界一の観光都市となった京都が放射能に汚染されたら文化的損失は言うまでもなく、我が国への経済的打撃ともなるだろう。

核燃料プールに放水するヘリコプターの画面は何度も放映されたが、それだけでは不十分であり、自衛艦が牽引する二隻の給水船 ( バージ ) が原発直下に決死の覚悟の接岸をした様子が数日前のテレビで紹介された。私は再度放映して国民に周知して欲しいと思った。自衛官なら外敵から国を守るための決死の行動は覚悟しているだろうが、原発事故でそうした行動を強いられることは無いようにすべきであろう。

2016年3月7日月曜日

物価の相対性

一昨日の土曜版beの「買い替えたい家電」ランキングによれば、1位から5位まで、冷蔵庫、電子レンジ、エアコン、洗濯機、炊飯器の順だった。利用頻度に大方比例しており納得できた。薄型テレビも上位と予想したのだが、20位にも入っていないのは意外だった。ここ数年のうちに新規購入した人たちが多かったせいだろうか。コンバーターで旧型を使用する人は稀だったようだ。

新製品は使い勝手や消費電力で改良されているとの意見と、まだ使えるのに修理不能との理由で新製品を買わされるとの意見はどちらも消費者が感じているところだろう。メーカーが主張する部品保管期限十年は身勝手であり、やたら新製品を出すからそうなるのでは?  同じ会社のカメラの新型はリチウム電池が変わっており、サービスステーションの係員は小型化のための止むを得ない進歩だと頭を下げた。

「価格については、昔に比べて安くなったという声が目立った」という。同感である。確かに洗濯機を買い換えた時昔より何倍も高いのに驚いたが (それほど長く使った!)、購買者の収入と比べればそう言えそうだ。長く日本の大衆車の代表だったカローラは1966年?の発売時は40万円台だったが、それは当時の大学新卒者の平均年収を超えていたと思う。当時と同程度の大衆車 ( 冷房などない )なら現在は年収の半分程度で買えるだろう。薄型テレビに至っては激安と言ってよく、家電メーカーが気の毒になる ( だから倒産もするし、海外生産が当たり前になった )。

19世紀のフランスでは男性のスーツは高価であり、古着で我慢する人が多かったようだ。我々はコナカや青木やユニクロに感謝すべきなのか? 後者については浜矩子氏の「ユニクロが日本を滅ぼす」との主張 (  数年前の『文春』の論文 ) も一理あると思うのだが。

最近十年、二十年間、勤労者の平均年収は低下しているという。恐らくその通りだろう。しかし、他方で衣食住のうち衣食はむしろ価格は低下していると思う ( ワンコインで買える弁当は数多い ) 。食材を世界から入手していることも無関係ではないのだろう。メディアを信じれば国民生活は常に窮乏していると思いたくなるが、夕方のテレビは各種の美食番組で持ちきりである。

2016年3月4日金曜日

アベノミクスの評価?

自動車の自動運転 ( 矛盾してる?)が最近話題になっている。それでは運転の楽しさはどうなるのだと言いたいが、身障者や老人などで移動の必要に迫られた人たちに心強い味方なことは間違いないだろう。

今朝のNHKニュースでタクシー業界やバス会社で運転手不足を解消するため自動運転への期待は大きいと紹介されていた。私などあらゆる場合に対応する技術的困難から自動運転に懐疑的だったが、コースの限定されるバスやタクシーから実用化は進むだろうとの研究者の指摘に成る程と納得した。

しかし気になったのはバス会社でもタクシー業界でも運転手不足に直面しているとの事実だった。バブル経済の崩壊後、職を失った人たちがタクシー業界に運転手として多く雇用され、安全弁として?貢献したが、そのため運転手の収入が大幅に低下したと聞いていたからである。

アベノミクスは目標の物価上昇 ( 2%のインフレ ) はとても覚束ないし、勤労者の所得の上昇もそれほどでないことも事実だろう。経済の専門家で無い私にはインフレが望ましいとの論には半信半疑だし、勤労者の所得はもっと顕著に上昇して欲しいが、各業界で人手不足が生じていることは素晴らしいことだと思う。自分が失業者だったら人手不足は自分の交渉での立場 ( bargaining power ) を確実に高めるはずだからである。その程度のことで現在の経済格差が無くなるわけではないが、方向として ( 方向性などと言って学問的になったなどと錯覚するな!)改善の方向ではあるし、何より求職者の選択の自由を拡大するはずだから。アベノミクスの最終的評価はまだまだ何とも言えないが、安定した職についている人たちのアベノミクス批判には共感をためらう。

2016年3月3日木曜日

病院今昔

数年前の胆嚢胆管手術以来、その病院に痛風予防の薬をもらうため月一回通院している。ところが一ヶ月近く前、左下腹部に軽い痛みを感じ、周囲が熱っぽくなった。さいわい十日足らずでおさまったが、担当医に一応その旨告げたら念のため大腸検査を勧められ、昨日検査を受けた。

CT検査のため造影剤を注射することになり、血管が見えにくい体質のため自分から申し出て見えやすい手の甲から注入した。注射後看護婦が痛くなかったかと聞いたので、腕への注射と変わらなかったと答えた ( これは本当 )。つい図に乗り本当に注射したのかとからかったら、直後は爆笑した彼女が急に真剣な表情になり、同僚に針の刺さった私の手を見せた。医療紛争への警戒がそうさせたと私は理解した。

学生時代の盲腸炎手術以後、数年前の手術は久し振りだったが ( 入院は経験 )、病院側の配慮 ( 警戒心と言っても同じ ) は格段に強まったと感じた。。手術前の同意書の提出から事前の各種の検査、検査前の患者本人の確認の徹底、手術前後の呼吸訓練、術後の早期の歩行訓練まで以前とは様変わりの印象だった。

CT検査だけと思ったら「透視検査」とかで腸にバリュームを注入され機械の上で何度も反転。あまりの念入りさに何かを発見したのかと不安になった。けっきょく無罪放免され、ホッとしたが。

最近、血液検査で殆どのガンが発見できるとの記事があったが、その後、続報がないので過大評価だったのだろう。高価な検査機械 ( 装置と呼びたい ) を導入した病院はもし本当ならどうなるのか。病院としては進歩を単純に喜んではいられない気持ちだろう。患者としては喜ばしいが.........。

2016年3月1日火曜日

訂正

昨日のブログの『逝きし世の面影』の著者渡辺京一氏は京二の誤りです。

米国の「ダイナミズム」

半世紀前に読んだ時事英語のテクスト ( 新聞記事を編纂したもの ) に、英国の列車内の出来事の記事があった。旅客の一人が持ち込んだ犬の行儀が悪く周囲はうんざりしていたが、だれも苦情を口には出さなかった。ところが途中から乗り込んできた米国人が、騒ぐ犬を車窓から放り出してしまった。真偽のほどは知らないが、良くも悪くも米国人の果敢な行動力を示す挿話だった。

米国大統領選の行方はまだ読めないが、昨日の『東京新聞』の関連記事は末尾に、誰が選ばれてもヒラリーなら初の女性大統領、トランプなら初の実業家出身大統領、サンダースなら初のユダヤ系大統領、ルビオやクルーズなら初のキューバ系大統領だと指摘していた。オバマが黒人初の大統領であることは言うまでもない。やはり米国のダイナミズムを示す事実だろう。

丸山和也参院議員の発言が非難されている。オバマ大統領を例に挙げて「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」と発言したという。オバマは奴隷の子孫ではなく、粗雑な発言だが、文脈からすれば米国のダイナミズムを強調したかったと読める。丸川議員や島尻沖縄・北方担当相に続いての失言だったので野党の好餌になったが、本質的に差別発言ではなかったと思う。

野党側も中川正春元文科相が、甘利氏に続いて「首相の睡眠障害を勝ち取りましょう」と発言してのち取り消した。安倍首相が「人権問題だ」と怒ったのは大人気ないが、与党議員の失言をしつこく質問され立腹した後だったようだ。それにしても中川氏の発言は自党の代議士会での発言なら品位はともかくとして問題視するほどのものではないと思う。

エリザベス女王の曾孫の名前を日本の動物園の猿の子?に付け、非礼だと非難の声が挙げられたが、当の英王室も国民も意に介さなかった。今回、オバマ氏も米国民も格別の反応を示してはいないようだ。粗雑な発言で不快ではあっても一議員の発言を取りあげるのは大人気ないと感じたのだろうか。

米国民主党の討論会で他の大統領候補たちがヒラリーのメールの「不正使用」に批判を集めたのに対し、サンダース候補がもっと大きな問題があるはずだと呼びかけ、ヒラリーに感謝された。私はいっぺんにサンダース氏が好きになった。

2016年2月29日月曜日

教育崩壊の責任

二十年ほど前、「学級崩壊」や「学校崩壊」がひとしきり話題を集めたが ( 河上亮一 『学校崩壊』草思社 1992 。著者を私は教えたことがある ) 、最近は「いじめ」が話題を集めている。私はどちらの問題も、教員の手を縛り過ぎて彼らの権威を低下させた結果という点で同根だと考えている。

今朝の『東京新聞』に隣市 ( 前回のブログの豆腐屋の所在地!)の56歳の中学教師が、「生活指導の信念失うな」と題した投書をしている。「最近は、親子の過剰な被害者意識、権利主張に辟易し弱体化した学校現場が激増している」一方、「昔の生活指導が今は体罰と呼ばれることもある」との指摘に私は全面的に賛成する。

戦後教育では子どもの人権の尊重が叫ばれてきた。その一半の原因は近代の欧米の教育理論の影響にもあるだろう。そうした理論はヨーロッパで長年にわたり子どもが半人前ないしそれ以下の存在として遇されてきた ( フィリップ・アリエス『子供の誕生』)ことへの反動、修正だったろう。それに対し幕末の日本を訪ねた欧米人は住民が子供を大切に扱うと一致して指摘している ( 渡辺京一 『逝きし世の面影』 第十章 子どもの楽園 )。今さら欧米の教育理論に従う必要はなかったのである。

モンスターペアレンツの理不尽な要求に対してはせめて教育委員会が毅然としているべきだった。しかし、私の見るところ各地の教育委員会は問題化以前は事態を隠蔽し、それが不可能となると一転して教員を厳しく罰することが多かった。どちらも事なかれ主義という点では同じである。親の「過剰な被害者意識」におもねるメディアに対して、現場を知らぬ無責任な批判と一蹴する教育委員会や教育長がこれまで少なすぎたのではなかろうか。私は現場の教員たちの苦境に同情を禁じ得ない。

2016年2月27日土曜日

昔ながらの豆腐屋

『朝日』の土曜版beのbetweenという読者の世論調査?に、湯豆腐VS.冷ややっこが載っている。記者と同様私も湯豆腐が楽勝と思ったら何と51%対49%。ほとんど相討ち?だった。

私自身は実はどちらも特別好みではない。やはり肉か魚の入らない鍋は淡白すぎる。偶然、余った元貨で成都空港で買ってみた四川名物の火鍋のルーで作った鍋は旨かった。淡白な人間は濃厚な味を好むのか!

それなのに一昨日豆腐屋でおからを買った ( 正確にはもらった )。私は最寄り駅の駅前の図書館で毎日新聞を読み比べているが木曜日は休みなので、土方歳三の生地が売りの隣市の図書館を利用する。そのとき車窓からすぐ近くに古臭いが趣もある豆腐屋の存在に気付いていた。もう何年もおからを食していないので、スーパーにはなくとも豆腐屋なら有る筈と立ち寄った。

今どきの豆腐店は夫婦二人で細々と営業していると思い込んでいたが、間口は狭いが奥には深い店で、驚いたことに四、五人の店員が忙しく働いていた (スーパーにでも卸しているのか?)。おからは無料で、店頭の桶から自分ですくうことになっていた。仕方なくついでに油揚げを買って格好をつけた。

国産大豆の使用を売り物にしているらしい店はあくまで古風な「三河屋」という店名だった。戦前の世田谷の我が家には三河屋が御用聞きに出入りしていたのでそれも懐かしかった。当時、豆腐はラッパを吹く行商人から買うものだったので、八百屋だったのだろうか。

便利さで言えば何でも手に入るスーパーに勝るものはないので、越してきた半世紀前にはあった個人商店は魚屋、肉屋、果物屋の順に姿を消した。いまや顔見知りの店員とやりとりすることも無くなった ( 理髪店ぐらい )。住んだ事はないがこれは米国流なのか。ヨーロッパとは少し違うように感ずるが。

2016年2月24日水曜日

米国の所得格差

最近、米国における富の極端な偏在がメディアにも取りあげられ、民主党のサンダース候補の人気の源泉ともなっている。。昨日、NHK BSの「世界のドキュメンタリー」のひとつ、「みんなのための資本論」の再放映を偶然途中から見た。

内容は主としてロバート・ライシュ氏 ( 米国の名門大学で教職を歴任し、現在はカリフォルニア大学バークレー校教授。クリントン政権で労働長官も務めた ) の講義の紹介だった。米国ではトップ400人の所得が国民の半数の所得に匹敵するとの指摘は格別新しくはないが (それにしても呆れる ) 、所得格差が最大になったのが大恐慌直前の1928年と、リーマンショック直前の2007年だったとの指摘は不気味である。リーマンショックは金融大緩和により大恐慌の時ほどの経済混乱は避けられたが、それは危機を先送りしただけとの疑惑は残る。

番組によると、所得格差拡大の原因の少なくともひとつは、最大時90%台だった所得課税がレーガン政権時代に30%台に引き下げられ、その後の民主党政権時代に少しは引き上げられたものの格差拡大に対しては無力だったという。政権交代に伴う振幅の大きさは米国政治の果断さや活力を示すとも言えなくはないが、これでは旧ソ連や現中国の支配層と庶民との隔絶ぶりを批判するのは難しい。

むろん米国では格差を批判しても罪に問われることも職を失うこともない点で上記諸国と比較すればはるかに健全だとは言えるが................。 ヒラリーは大統領就任の暁にはサンダースを政権で内政に当たらせると、サンダースは大統領就任の暁にはヒラリーに外交を担当させると宣言すべきである!   それは大統領選挙での民主党候補の勝利にも貢献するのではなかろうか。

2016年2月17日水曜日

ドストエフスキー的犯罪?

介護施設勤務の23歳の職員が三件の殺人を自白したという。『罪と罰』のラスコーリニコフを想起した人は少なくないのではないか。

なにしろ60年くらい以前に読んだだけなので記憶は確かでないし、私の理解力も不十分だったろう。しかし、貧乏学生ラスコーリニコフが金貸の老婆を、この世に生きている価値が無いと見做して殺害する大筋は間違いあるまい。金を借りていた?としても基本的には関係の薄い他人を殺害したラスコーリニコフと、介護担当者だった今回の職員とは立場に若干の違いはあるし、被害者数も違う。しかし他人 ( とくに老人 )を生存の価値が無いとして殺人に走った心理は共通していると思う。

窃盗犯でもあったらしい今井隼人被疑者のケースを一般化するのは問題かもしれないが、親子や夫婦といった関係でも認知症などで人格まで一変した場合、実行するか否かは別とし、殺意が浮かぶこともあり得ることだと思う。そうした場合も含む介護の仕事に従事する人には感謝を欠かしてはならないし、具体的には介護報酬の引き上げは焦眉の急だと思う。自分の仕事が社会から正当に評価されているとの納得感、充実感はこうした犯罪の減少に資すると思うし、現代社会ではそれは金銭的評価で表わすしかないだろう。

そうであってもラスコーリニコフ的疑問に答えるのは最終的には宗教や道徳によらざるを得ないのだろうか。『罪と罰』を再読するしかないか! いつ被害者になるかわからないし...........!

2016年2月15日月曜日

瀬戸内の港町

広島県福山市の鞆の浦の埋め立てと架橋建設計画が最終的に放棄されることになった。立案以来30年ぶりの決着とかで、その間の反対住民の運動が稔ったということだろう。敬意を表したい。

かと言って計画が当初から妥当でなかったとまでは言いたくない。自動車交通など想像もつかなかった時代のメインロードは狭く、住民の不便は大きかったろう。埋立地に車道を新設するという計画は旧道を保存することにも通じていたと言えなくもない。しかし常夜燈を備え、目前に仙酔島が横たわる港町の景観は鞆の浦を瀬戸内有数の観光スポットにしており、近代的な横断橋との相性には大きな疑問があった。なによりも時代の価値基準が変わったということだろう。

私が鞆の浦に立ち寄ったのは尾道を訪ね一泊した翌日だった。もう記憶は曖昧だが、背後の福禅寺 ( 朝鮮通信使の宿だった ) からの眺めは美しく、江戸時代の人たちと同じ眺めを見ていると思うと感慨深かった。尾道と倉敷の間という地の利もある。一見を勧めたい。

その日のうちの東京帰着に十分余裕がある筈だったが、初めての消費税導入 ( 1989年 )の二、三日前だったので名神高速道の大型トラックの数は半端ではなく、途中一泊を余儀無くされた。しかし、尾道水道の波音を聴く宿での一夜の思い出とともに記憶力の減退に抗して快い思い出となっている。

2016年2月11日木曜日

政治家への「口利き」依頼

もう旧聞だが、甘利明氏が政治資金関連の疑惑を受けて大臣を辞任した。それに対し高村自民党副総裁を皮切りに「はめられた」との声が挙がった。確かに現金授受の場面を録音したり、『週刊文春』が証拠写真を撮っていたり、不自然なことは確かだし、がんらい相手は問題のある人物だったとも聞く。しかし大臣本人や秘書が現金を受け取り申告をおろそかにしていたのなら大臣辞任は止むを得ないだろう。

ところが問題化後の世論調査では内閣支持率は報道各社の予想とは逆に上昇している。その理由は何なのか。2月2日の『東京新聞』に明治学院大の川上和久教授が、辞任発表時の甘利氏の「潔さ」「無念さ」の演出を理由に挙げている。「政治心理学」者らしい見方だが私も同感である。甘利氏の頭髪が最近とみに白さを増したのもPTT交渉が原因とは断言出来ないが、同情を呼んだのかもしれない。しかし何といっても国民が驚かなかったことが挙げられよう。

今回は金銭授受が問題となったが、多くの政治家が関係しているらしい役所などへの「口利き」は金銭が絡まなくとも問題を含む。それも有権者の側の問題である。むかし愛知県選出の代議士の某氏は土建業出身とかで選挙にはめっぽう強かった。彼も高齢となり子息が後を継いだが一期で議員をやめてしまった。同氏の耳には氏が支持者の「口利き」依頼に十分応えないこと、果ては選挙中の後援者へ提供された弁当が粗末だった?などの不平が聞こえ、政治家稼業に嫌気がさしたのだった。父親に似ない誠実そうな?風貌を思い出す。

私も知人が初めて外国に行く際、選挙区の有名代議士に現地の領事館への「声掛け」を頼んだと聞いて呆れたことがある ( たぶん、後援会員だったのだろうが )。結婚披露宴への出席依頼から子弟の就職の「口利き」まで議員に依頼する選挙民が多いとは良く見聞する。政治家を非難するだけでは済まない現実がそこにはある。