結果は、男たちが怒鳴り合い聞き取れない場面が多かった往年の黒沢映画のように、今回は官庁用語入りの硬い内容が大声で叫ばれるので、内容を十分理解できたか自信はない。昔の『日本沈没』もやはり国難への対処という同じ内容だったのに十分理解できたのは世の中全体がせっかちになって来たからか、私の理解スピードが加齢で衰えたためか。
突発した異常事態の正体を先ず理解しついで対処するため複数の協議体が急遽設置されるが、それらの組織名の長たらしさは官僚主義を皮肉ったものだろう。また我が国では首相をはじめとする組織の長は下からの意見具申を承認するだけで自分で判断を容易に下せないこと、つまりは実質的にこの国を動かしているのは中堅クラスの人材であることを想起させる内容となっていた。世界各国の指導者が米国やロシアの大統領からトルコやフィリッピンの大統領まで、その判断の良し悪しは別とし果敢に判断し行動するのは我が国の流儀とは対照的である。この映画が福島原発事故での民主党政権や東電の混乱ぶりを念頭に置いているとしても、我が国のdecision makingの行動様式まで遡って考える必要があるのだろう。
作中でゴジラの世界的危険を排除するため米国が東京の中心部での原爆の使用を日本政府に迫る場面があった。幸い別の対策でゴジラは死ぬが、こうした場合米国なら自国民に対しても原爆使用をためらはないかもしれない。そのことの善悪は私にも判断が困難である。そうしたことが無いよう願うばかりである。
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