およそ半世紀前、南米の国々ではクーデターは何ら珍しくなかった。その頃英国で同級だったアルゼンチン人の学生にそのことをからかったら、あれらはクーデターではなくmilitary paradeだと笑いながら反論された。じじつ流血の衝突に至ることは少なく、白人支配層の間の争いに過ぎなかった。言ってみれば南米流の政権交代の一パターンであった。
チリにアジェンデ政権が生まれた1970年代ごろから大衆の政治参加が顕著になると様相が変わった。ペルーのアルベルト・フジモリ大統領の出現もその流れの一端ではあった。今日フジモリ大統領時代の強権や独裁が非難されており、それが事実で無いとは言えないが、それ以前ペルーではゲリラのテロを恐れ裁判官は重罪判決を控えるようになっていた。法治国家は建前に過ぎず、放置すればペルーは破綻国家、失敗国家になる恐れがあった。「強権」がそれを阻んだのが実態だった。
アルベルト・フジモリ氏が大統領選挙に立候補を決意したとき、ペルーの日系人社会はそれが日系人排斥につながることを恐れた。幸いその危惧は現実とはならなかったが、白人支配層は自分たちの間のゲームを中断させられたことを未だに許していないように思われてならない。少なくとも強権や独裁をあげつらう資格が彼らにあるとは思えない。
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