番組は二回のうちの前半なのか山形県に入ったところで終わった。芭蕉の旅が各地の西行ら先人の歌枕の地 ( と義経関連史跡 )をたどることが大きな目的だったことは全く知らなかったわけではないが、よく分かった。那須の殺生石や遊行柳、白河の関、義経の忠臣佐藤兄弟ゆかりの飯坂温泉周辺、松島、平泉、尿前の関、月山をのぞむ山刀伐峠と、白河の関以外は曽遊の地だったので懐かしく見られた。個人的には平泉の義經堂が最も印象深かったのはやはり日本的な判官贔屓と「夏草や兵どもの夢のあと」と、北上川を眼下に束稲山をのぞむ風景と三つそろっていたことが大きいのだろう。
国内で歌枕を意識して訪ねたことは無いが、外国の歌にうたわれた名所は多少意識して訪ねた。結果としてヴェネチア、ナポリ、ソレント、カプリ島とやはりイタリアが多くなったが、パリを含めて幾つかある( ライン川とドナウ川の船旅は案外大味だった ) 。
パリは、そのものを題名にした戦前の『パリの屋根の下』や戦後間も無くの『パリの空の下、セーヌは流れる』しか思い出せない。前者の方がどちらかといえば知られているが、私は後者の曲が好きである。首都クラスの都市として昔は犬の糞の多いパリは特別好きではなかったが (同胞のパリ滞在記はなぜそれに触れぬ!)、いま振り返ればやはりもう一度訪ねられたらと思うのはパリが一番である。ヒトラーのパリ破壊命令に従わず降伏した駐留ドイツ軍のコルティッツ将軍は世界の人々の感謝に値する。パリを訪れる観光客は彼を想起すべきである!
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