中国は猛反発しているが、今日の北朝鮮の現状に手を打たない中国に配備に反対する資格はない。そもそも朝鮮戦争で消滅寸前の北朝鮮を出兵により救ったことが今日の朝鮮半島の不幸の発端であり、その後も陰に陽に北朝鮮の政治体制を助けてきた。現在は考えを変えたとしても ( それすら確かではない ) 、手遅れである。日米韓三國のいずれにとっても配備は急務である。
しかし、金正恩氏やその取り巻き十人ほどに対し国民の人権の甚だしい無視を理由に名指しで個人的制裁を課したのは賢明だろうか。むろん彼らの傍若無人ぶりは目に余る。首領様への幹部の迎合ぶりや民衆の熱狂はもはや狂態と言うべきであり、嫌悪感を禁じ得ないのは私だけではあるまい。しかし、そうした狂態や人権無視は祖父金日成や父金正日の遺産であり、金正恩はそれを継承したのである。功績をあげた故の権力継承で無いことは本人の不安をかきたてる。権力の完全掌握前の改革は危険を伴う。性急に変化を期待するのは正しいだろうか。
ミサイルや原爆の実験は日本にとって見過ごせない脅威だが、北朝鮮にとって米国を交渉に引き込む手段と見ることもできる。そうであれば非難や制裁で開発を中止するはずはない。それよりまだしもトランプ氏の北朝鮮に乗り込んで直接交渉するとの発言に事態打開の可能性がある ( どこまで本気かは別とし、方法として ) 。戦争による北朝鮮の「解放」は誰も ( 韓国人も ) 望んでいないだろう。
他国に自国の道徳基準を当てはめることの誤りはイラク戦争から学んだ教訓ではなかろうか。フセイン政権は隣国イランに対し、自国のクルド人に対し毒ガスを使用する政権だった。米国に住むイラク人が、「イラクをせめて他の中東諸国並みにして欲しいだけだ」とフセイン打倒を願ったことを思い出す。しかし結果はご存知の通りだった。
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