2016年4月4日月曜日

エーゲ海の今昔

シリアなどからの難民がトルコからギリシアに入国する報道で中継地としてエーゲ海のレスボス島やヒオス島などの名前が紙面に載っている。難民の窮状には同情するし、上陸地のギリシアの困惑にも同情を禁じ得ない。しかし、不謹慎とのそしりは甘受するが、それらの島名に私は記憶を呼び覚まされ、ある種の感慨を覚えた。

レスボス島は女性の同性愛を指すレズビアンの語源とされているし、ヒオス島はドラクロワの名画「キオス島の虐殺」のキオス島の別称だろう。1820年代、オスマントルコの支配下にあったギリシア人が独立戦争を展開すると、トルコによる住民の虐殺が頻発し、詩人のバイロンを先頭にヨーロッパ人のギリシア人への同情が高まった。当時の理解には異教徒のトルコへの偏見も混じっていたのではと想像するが、当時のトルコ帝国の対応に問題が無かったとは言えないだろう。

ヒオス島のさらに北のサモトラケ島は難民の上陸地ではないが、ルーブル美術館の至宝のひとつの「サモトラケのニケ」の石像の発見された島である (靴のナイキは英語読み )。現在は知らないが、以前は「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」以上に目立つ場所に展示されていた。

古代以来エーゲ海はヨーロッパ文明の発祥地であるとともに諸民族の衝突の場でもあった。ペルシャ戦争でスパルタ軍が勇戦し全滅した「テルモピレーの戦い」は教科書にも載るエピソードだが、現地ガイドによるとテルモピレーとは「熱い門」の意味だとか。サーモスタットやサーモメーターと同じ語源である。古代文明の遺跡に囲まれたエーゲ海は諸文明の発祥地であると同時に、諸文明の衝突の地でもあった。今後のエーゲ海が平和の海になるよう願う。

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