2016年2月15日月曜日

瀬戸内の港町

広島県福山市の鞆の浦の埋め立てと架橋建設計画が最終的に放棄されることになった。立案以来30年ぶりの決着とかで、その間の反対住民の運動が稔ったということだろう。敬意を表したい。

かと言って計画が当初から妥当でなかったとまでは言いたくない。自動車交通など想像もつかなかった時代のメインロードは狭く、住民の不便は大きかったろう。埋立地に車道を新設するという計画は旧道を保存することにも通じていたと言えなくもない。しかし常夜燈を備え、目前に仙酔島が横たわる港町の景観は鞆の浦を瀬戸内有数の観光スポットにしており、近代的な横断橋との相性には大きな疑問があった。なによりも時代の価値基準が変わったということだろう。

私が鞆の浦に立ち寄ったのは尾道を訪ね一泊した翌日だった。もう記憶は曖昧だが、背後の福禅寺 ( 朝鮮通信使の宿だった ) からの眺めは美しく、江戸時代の人たちと同じ眺めを見ていると思うと感慨深かった。尾道と倉敷の間という地の利もある。一見を勧めたい。

その日のうちの東京帰着に十分余裕がある筈だったが、初めての消費税導入 ( 1989年 )の二、三日前だったので名神高速道の大型トラックの数は半端ではなく、途中一泊を余儀無くされた。しかし、尾道水道の波音を聴く宿での一夜の思い出とともに記憶力の減退に抗して快い思い出となっている。

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