2016年9月2日金曜日

辻政信の評価

この夏、私の知る限りで二度、辻政信の『潜行三千里』( 1950年 )の復刻新書版の広告が毎日新聞に載った。他紙の広告ページには載らなかったので現在の出版元が「毎日ワンズ」であるためだろう。辻政信と言っても記憶にない人が多数だろう。旧陸軍の参謀として縦横に腕を振るい、戦後は連合国の戦犯追求を逃れて国内ばかりか外国にまで潜伏し、さらにその後衆議院や参議院で議員を務めた伝説的軍人である。

広告には「ノモンハン、シンガポール、ビルマ戦を指揮した伝説的軍人の決死行!」と、米国主導の戦犯裁判を拒否した英雄であるかのような文言が踊っている。しかし日ソ間の「ノモンハン事件」は多くの将兵を失った無意味な敗北戦であり、シンガポール攻略は勝利したとしてもその後の占領下で多くの中国系住民を対敵協力の疑いで虐殺したことで知られる。ビルマで展開したインパール作戦は太平洋戦争で最も悲惨な愚行の一つだった。

作家として日本ペンクラブ副会長も務めた杉森久英氏が1960年代初めの『文芸春秋』に「日本怪物伝」という題 ( たしか ) で辻政信や徳田球一 ( 日本共産党書記長 ) の伝記を連載した ( それぞれ単行本にもなった )。杉森は豊かでない出身の辻が刻苦勉励して大人物になったと当初考えて書き始めたが、しだいに自分の名声のため兵士の犠牲など何とも思わない人物と考えるに至ったと書いた。
逆に徳田球一については批判的伝記を書くつもりで始めたが、徳田がのちに受けた「家父長的支配」との批判を正しいものと認めながらも、「獄中十八年」を耐えた信念や一種愛すべき人柄に惹かれ、次第に評価を改めたと語っている。そして米占領軍の共産党弾圧を逃れて共産党下の中国に渡った徳田はほとんど軟禁状態で生涯を終えたと結んでいる。毛沢東の目には、ソ連共産党に批判された徳田は同志としての扱いに値しない用済みの人間でしかなかったのだろうか。

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