2016年11月2日水曜日

韓国大統領の「不正」問題

福沢諭吉はその「脱亜論」で、中国と朝鮮が隣国であるのは「わが日本国の一大不幸」であり、今後の日本は「アジア東方の悪友を謝絶するものなり」と述べたことは知られている。これに対しては彼の帝国主義的思考の表れとする批判論と、彼が期待し肩入れしていた朝鮮の「開化派」が起こした甲申政変 (1884年 ) が三日天下で終わった ( 首謀者の金玉均は亡命後、「守旧派」の刺客に暗殺された ) 失望が言わせたものとの弁護論がある。私は後者に共感し、近代化を目ざした金玉均らに同情を寄せていた。しかし最近、甲申政変は先ず守旧派殺害で開始されたと知り ( 陳舜臣 ) 、政敵を容赦しない朝鮮の政治文化にいささか鼻白む思いだった。

朴槿恵韓国大統領が側近の女性に政府文書を見せたり、演説の添削を頼んだり、財団設立などで便宜を図ったとの理由で国民の激烈な批判を浴びている。しかし歴代の米国大統領にスピーチライターがいることは常識であるし、もし当初から側近女性を秘書官などに任命していたら政府文書を見せたからと言ってこれほどの批判に晒されていただろうか? 財団資金の悪用などは未だ嫌疑の段階だし、それが事実としても朴大統領自身の不正ではない ( むろん任用責任はあるが ) 。

そんな時流に逆らうことを書きたくなったのも朴氏以前の大韓民国の歴代大統領十人のうち国民から惜しまれて退場した大統領を思い出せないからである。( 軍事クーデターによる ) 追放二人、( 独裁を批判された )亡命と暗殺各一人、任期後の無期懲役一人という直接選挙以前の五人の大統領は別にしても、その後の五人も全員が親族の不正利得などを追及され、一人は自殺した。彼らのうちには私が同感できない人格や識見の持ち主もいたが、金大中氏のように、ノーベル賞に値したかはともかく他国のリーダーと比べて何ら遜色ない大統領もいた。何れにせよ五人の大統領を選んだのは国民であり、その責任は国民にないのだろうか。韓国民が何かと日本に厳しい目を向けるのは自国の指導者に厳しいのと同じ政治文化のためだと考えた方が良いのだろうか。

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