元来EUはフランスとドイツの不再戦を担保するためのヨーロッパ石炭鉄鋼共同体に始まり、途中から米国や日本に経済的に立ち向かうための単一市場の形成が加わった。しかし現在、西欧大国の間の戦争など想像もできない。そうなれば経済のための国家主権の制限にどこまで耐えられるかが問題となる。
個人でも国民でも自分のことは自分で決めたいと思うのは自然である。まして遠いブリュッセルの高給取りのEU官僚のすることに不満が先立つのはやむを得ない。我が国では語学力不足と自国の給与水準の高さのため、国連をはじめとする「国際公務員」の人気は高くないが、ヨーロッパの若者にとっては憧れの職場のようだ。しかし、その恩恵に浴さない大衆から見れば何の有難味もない。
他方、高学歴のロンドンのサラリーマン(金融業従事者が多い )やその予備軍の学生と異なり、移民と直接に仕事口を争う大衆には移民増加はなんの有り難みも無いばかりか賃金水準の低下の原因でしかない。EU加盟の利益を享受する人たちは移民の少ない住宅地の住人だが、移民と日常的に接する大衆には前者の説く経済的利益など他人事でしかない。
英国のEU離脱は英国経済の地盤低下を生む恐れは大きい。しかし、それでも自国のことは自分で決めたい、移民と日常的に接したくないとの草の根の大衆の願いは国民投票 ( レファレンダム )制度により突如顕在化した。民主主義を信条とする限り国民投票に反対することは難しい。しかし、熟慮の政治である議会政治よりも直接民主主義が優れているとの神話は揺らいでいる。
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