2016年4月28日木曜日

姨捨伝説が現実に?

たいした期間ではないが最近数年間に再度入院した私には、近年の病院の検査 (と治療 ) の施設の充実は心強いものだった。しかし医療の急速な進歩を単純に賛美してばかりはいられない。薬代を含めて医療費の高騰という矛盾を生んでいるからである。

新聞各紙によれば平均的体格の日本男性が最新の肺がん治療薬オプシーボを服用すると年間3500万円の薬代となり、年患者数10万人強の半数が服用すると年1兆7500億円が必要となる。ただし患者の出費は高額医療費補助を利用すると月額8万円 (患者により多少の差 )程度で済む。

今後の薬価の低下も期待出来ないでもないだろうが、現在でも社会保障費の中で大きな割合を占める医療費は次々と新薬が予想される現在、立ち行かなくなることは目に見えている。そうなれば余命の短い後期高齢者 ( だけではないが )に無制限に投薬して良いかという問題が生ずる。しょせん人間の寿命には限界があるのに現役世代にこれ以上の負担をかけることは公正と言えるかである。

哲学的に根本から考察すべき問題かもしれないが、私は或る年齢以上の高齢者の超高額医療の利用の制限は止むを得ないと考える。一部諸外国についで日本政府もようやく「費用対効果」の観点の導入を検討すると決めたらしいが、有限の資力で全ての要求を満足させられない時代に入りつつあるのだろう。とはいえ私は深沢七郎の『楢山節考』( というよりも木下恵介監督の同名の映画 ) のおりん婆さんのように、「楢山まいり」を息子に催促するほど立派にはとてもなれない。いざとなれば変節してオプシーボに期待するかも。せいぜい薬価の低下を期待するとしょう!

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