王室尊崇の感情は君主国ならどの国にも多少にかかわらず存在するだろうが、国王に拝謁する国家指導者たちが文字通り床にひれ伏すのには驚いた。我が国では絶対に見たくない光景だし、今後そういうことは有り得ないと信じるが、タイの流儀を否定する気はない。
自由、平等、友愛を掲げたフランス革命が王制を廃止して以来、王制廃止を民主主義発達の指標と見なす風潮が一般化したが、英国の例を挙げるまでもなく皮相な見方である。フランス自身その後ナポレオン独裁を生んだが、彼はオーストリア宰相のメッテルニヒに、「フランス人は戦勝を続けなければ私を許さない」とこぼしたという。身勝手な弁解だが否定もできない。血筋による正統性、神秘性を持たない弱みである。
君主は政治的階級的対立を超越した存在であるとの主張は疑わしいし、虚構の要素が大きいが、君主制が国内対立が内戦にまで激化することを防ぐ緩衝役を務める場合は確かにある。第一次大戦後英仏はメッカの太守フサインの三人の息子をそれぞれシリア、イラク、ヨルダンの王位につけた。そのうち王制を廃止しなかったヨルダンだけが 同じく王制のモロッコとともにアラブ世界で悲惨な内戦をまぬがれている。両国の政治や社会に問題はないはずがないが、内戦よりはマシである。
一度は君主制を廃止しながらのちに復活した国にスペインとカンボジアがある。どちらも共通して激しい内戦を経験した国民が王制復活を許したり願ったりしたのである。王制が人間平等に反するとの主張は間違っていないが、君主制が緩衝装置となる現実は否定できない。「君主制の効用」とする所以である。
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