昨夜のテレビニュースで殿下が「気さくな」人柄であったと再三言及されていた。それが生得のものか長年の配慮が習い性となったのかは分からないが、私に異存は全くない。非常勤講師の方々は通常、時間調整のため授業前に学科の談話室に立ち寄られた。われわれ専任教員も授業を依頼している以上たいてい顔を出しており、殿下も談笑に加わっておられた。特別扱いが何よりも嫌いな殿下には数少ない気楽で楽しい時間だったのではなかろうか。
年度末、熱海の来宮のキリスト系大学の共同の保養所で学科の教員の慰労会があり、殿下も興味津々? 参加されていた。私がご一緒したのは三度くらいだが、大学紛争が激しかった年 ( その年の卒業式は無かった )、教員間の関係も緊張をまぬがれなかった。そのため当夜二人の教員間で論争があり、年下の側が泣いて抗議する場面があった。目の前で諍いが起こるなど、軍隊時代を除き殿下には前代未聞の出来事だったかもしれない。むろん発言はなさらなかった。
過激派のテロの恐れを理由に ( そういう時期が日本でもあった ) 講師を辞められたとき、赤坂御所?の宮邸に同僚数人とお茶に招かれ、妃殿下やご息女も加わり楽しいひと時を過ごした。学生の奇怪な卒論を話題にして御一家の爆笑を誘ったので女性お二人は私のことを今も記憶しておられるのではないか??
殿下のご著書『古代オリエント史と私』の中だったと記憶するが、満州事変の調停のため来日したリットン調査団を敵視した軍の一部に、調査団の食事にチフス菌を入れる陰謀があったと記されている。一部にせよ当時の軍部がどれほど増長していたかを示すエピソードである。また、東條大将への大命降下は、勝手な要求を並べる陸軍を抑えるには陸軍自身に首相の重責を負わせる他ないとの苦肉の策だったのに、外国からは日本もいよいよ開戦を決意したと逆の解釈をされたと書中で残念がっておられた。不幸な時代だったという他ないが、他国に真意を理解してもらうことの難しさは当時だけではない。
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