私自身は実はどちらも特別好みではない。やはり肉か魚の入らない鍋は淡白すぎる。偶然、余った元貨で成都空港で買ってみた四川名物の火鍋のルーで作った鍋は旨かった。淡白な人間は濃厚な味を好むのか!
それなのに一昨日豆腐屋でおからを買った ( 正確にはもらった )。私は最寄り駅の駅前の図書館で毎日新聞を読み比べているが木曜日は休みなので、土方歳三の生地が売りの隣市の図書館を利用する。そのとき車窓からすぐ近くに古臭いが趣もある豆腐屋の存在に気付いていた。もう何年もおからを食していないので、スーパーにはなくとも豆腐屋なら有る筈と立ち寄った。
今どきの豆腐店は夫婦二人で細々と営業していると思い込んでいたが、間口は狭いが奥には深い店で、驚いたことに四、五人の店員が忙しく働いていた (スーパーにでも卸しているのか?)。おからは無料で、店頭の桶から自分ですくうことになっていた。仕方なくついでに油揚げを買って格好をつけた。
国産大豆の使用を売り物にしているらしい店はあくまで古風な「三河屋」という店名だった。戦前の世田谷の我が家には三河屋が御用聞きに出入りしていたのでそれも懐かしかった。当時、豆腐はラッパを吹く行商人から買うものだったので、八百屋だったのだろうか。
便利さで言えば何でも手に入るスーパーに勝るものはないので、越してきた半世紀前にはあった個人商店は魚屋、肉屋、果物屋の順に姿を消した。いまや顔見知りの店員とやりとりすることも無くなった ( 理髪店ぐらい )。住んだ事はないがこれは米国流なのか。ヨーロッパとは少し違うように感ずるが。
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