フランスがイスラム教国になると言ってもテロや戦争によってではなく、選挙と政党の政略で変わったわけだが、その後の変化は大きかった。酒類を売るバーは閉鎖され、列車の食堂は豚肉はご法度のハラールメニューを用意した。それは序の口で、全ての学校で男女共学は廃止され、女子学生は全員ヴェールを着用する。パリ大学はサウジアラビアの資金に買収され、女性教授は解雇。豊富な資金で給与が三倍となった男性教授はしだいにイスラムに改宗した。全女性が労働市場から姿を消した。
しかし本書の注目点は以上の変化を単に家族重視のイスラムの子沢山 ( 産児制限はご法度 ) が生んだ土着フランス人の数的劣勢に帰するのではなく、フランス伝統の個人主義、人間中心主義がイスラム教の「神への無条件の服従」の教義に太刀打ちできなかったことを理由としていることである。本書の主人公は40歳台?のプレイボーイのパリ第三大学教授 ( 文学 )。何ら非難されることなく多くの女性 ( 学生も ) と関係を持ってきた。しかし多くの同僚と同じくしだいに西欧個人主義に疑問を抱くようになり、自由よりも服従に心惹かれたのである。
40歳台の妻と15歳の妻を持つ学長の、「女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように人間が神に服従することとの間には関係があるのです」「イスラームにとっては ( 他の宗教とは )反対に神による創生は完全であり、それは完全な傑作なのです」との説得を主人公は受け入れる。
本書はつまり西欧の個人主義や人間中心主義がコーランの説く「神への絶対的服従」に敗れる物語なのであり、イスラム教の勝利というより西欧的知性の自滅の物語なのである。むろん作者の予想がそのまま現実になるとは限らない。しかし、イスラム勢力の中でも原理主義者がリーダーシップを握れば事態の悪化は小説以上ということもあり得る。100年、200年後にフランスの人口の半数が確実にイスラム教徒に占められるとすればウェルベックの『服従』を妄想の産物とは片付けられない。
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