かつて訪れた平戸の天主堂は当然もっと大きく立派だった。裏の墓地にかつて「二十の扉」の解答者として人気があった作詞家 ( 「別れのブルース」、「懐かしのボレロ」など ) の藤浦洸の墓があった。案内人は私たち夫婦の年齢なら知っていると思ったと笑ったが図星だった!
同じ長崎県の天草もキリシタンの里であり、崎津天主堂が観光スポットになっている。奥地の大江天主堂は小さいが、吉井勇の歌「白秋とともに泊まりし天草の 大江の宿は伴天連の宿」でも知られる。一度目は一人で、二度目は友人と大江を訪れたのはそのためではなく、この地に49年間住んで1941年に亡くなったガルニエ神父に敬意を表するためだった。当時、西洋の食材など入手不可能だったろう僻地に異邦人が一人で半世紀務めた寂しさはどれほどだったか。信仰とはそれほどの困難を耐えさせるものなのか。宗教弾圧に抗して殉教した人はむろん偉いが、49年間 ( 在日は56年間 ) の孤独に耐えた人の偉さも並大抵ではない。「聖人」でなくとも「福者」に列せられてもおかしくない気がする。
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