2016年4月26日火曜日

新聞は最高裁を批判できるか?

特別法廷という形でのハンセン病患者への過去の「差別」を最高裁が昨日になって謝罪した。新聞各紙は「差別放置 自省を」( 『毎日』)、「責任負わぬ最高裁 理不尽だ」(『朝日』)、「遅れた検証 踏み込みも甘く」(『産経』)、「問題を直視せず」(『東京』)などの見出しで一斉に最高裁を批判している。

しかし、各紙は戦後間も無く諸外国が次第にハンセン病患者への特別扱いを改めてきたのに ( 米国統治下の沖縄では60年代からハンセン病患者でも地裁支部で裁判が開かれていた。『毎日』)、まして2001年に熊本地裁が隔離政策を違憲と判決したのに大きく問題としなかった。今朝の四大全国紙でも最高裁に反省を迫っても自社の反省の言葉は皆無だった。わずかに『読売』が「偏見がすさまじい時代」との識者の言葉を紹介し、「戦後、隔離政策と厳しい偏見が続く中.........、裁判所に出廷させる判断が難しかった面はある」と一定の理解を示しているだけである。新聞各紙は最高裁を批判するならば同時に自社の報道への反省にも言及すべきだろう。

同じく今朝の『朝日』には一面をつぶして坂井隆氏( 元公安調査庁部長 )の「北朝鮮と向き合う」との発言が紹介されている。北朝鮮の国家運営には一定の合理性があり、最近の粛清も「かつての旧ソ連のスターリンのような社会全般におよぶ粛清ではない」「北朝鮮を多角的、冷静に見極めることが重要です」との氏の発言は傾聴に値する。同様に、同紙に十数回続いているコラム「北朝鮮を読む」は、かつて朴軍事独裁政権の道具と報道されてきたKCIAの元幹部の驚くほど冷静で鋭利な回想を紹介している。情報部出身というと特別な目で見られがちだが、先入観は良くないと思う。

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