しかし、私は以前からそうした決めつけに疑問を抱いてきた。なぜなら第一次大戦までのシリアを中心とした中東地域はオスマントルコ帝国の支配下にあったのであり、独立国を分割したわけではない。そこに西欧大国の植民地主義的動機が働いたことは疑いないが、トルコの敗北後そのアラブ民族支配が継続されるのでない限り何らかの戦後構想は必要であったし、当時のアラブ地域の部族中心の社会では直ちに独立国家群を予想しなかったのは無理もなかった。
ところが英国の支援を得たメッカの太守フサインの兵力が大戦末期に自力でダマスカスを占領したことは予想外の事態だった。当然フサインはパリ講和会議でアラブの大義を主張した。しかし、反トルコ蜂起後のフサインの勢力は一時軍艦の艦砲の届く範囲内の狭い地帯に閉じ込められ、英国の支援無しには存続すらできなかった。
今年5月に刊行された池内恵『サイクス・ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)は「サイクス・ピコ協定ほど、批判と罵りの対象になった外交文書もめずらしい」が、それは「中東の国家と社会が抱えた「病」への処方箋だった」と判断している。それが中東問題の解決にならなかったことは明らかである。しかし、百年後の今年5月、米国とロシアの間で成立したシリアでの「敵対行為の停止」の合意が、アラブメディアでは「またも外部の超大国の取り決めでアラブ世界の運命が決まるのだ」とも論評されているという ( 「米露間ではシリアの新憲法についての交渉も開始されているという」)。現在も百年前と同じ状況 ( 中東の病い ) に直面しているとも言える。
中東だけでなく世界では、外圧により近代世界に無理やり引き入れられた地域は少なくない。そうした場合、地域の近代化にとって百年は決して十分な長さではない。
ともあれ本書は示唆に富んだ中東問題の解説書だと思う。ウェルベックの『服従』を書評欄で取り上げた新聞は私の知る限り一紙だけだった ( イスラム教への遠慮?)。本書がどれだけ書評欄で取り上げられるかは各紙の中東理解の成熟度のリトマス試験とも言える。
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