トルコ国民の大多数がクーデター制圧に協力的だったことは事実のようだ。トルコは発展した近代国家であり、過去に再三あったように政府が軍部のクーデターにより退陣させられることを繰り返してはならないとの市民の決意があったのだろう。トルコ国民の成長のしるしとも解せられる。
しかし政権は「テロ組織関係者をすべて排除するため」九千人近い軍人や裁判官らを拘束し、六万人近い政府職員や裁判官や学校教師らを解任や資格剥奪にした (『朝日』7月22日)。驚くのは数字だけではない。クーデター直後にこれだけの処置を断行したことは、それ以前から拘束や解任の長大なリストが準備されていたことを疑問の余地なく示している ( 反対派には当然その情報は届いていたろう ) 。クーデターが政権側の自作自演だったとは思わないが。
作家の佐藤優氏は『東京新聞』(7月22日)の「本音のコラム」に、「トルコに民主主義が定着していて..........民主的選挙で選ばれた大統領を支持したという見方に筆者はくみしない」、「クーデターの失敗の理由はエルドアン大統領の拘束や殺害に失敗したからだ。トルコの民主主義は脆弱だ」と記している。反乱軍がもし大統領の拘束や殺害の写真を発表していれば形勢は逆転していたろうというわけである。私はそこまで断言したくないが、もし現政権の強権政治がさらに強化されるなら「トルコの民主主義は脆弱だ」との意見に賛成せざるを得ない。
意図した結果とは言わないが、現下のトルコ情勢はエルドアン大統領の逆クーデターの様相を呈している。ケマル・パシャ以来の百年近い政経分離が破棄されるならトルコはやはりヨーロッパとは異質な国だと言わざるを得ない。
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