2016年3月23日水曜日

『福翁自伝』を読む

新聞の読書欄 ( 『読売』3月13日 )で某氏が福沢諭吉の『福翁自伝』の面白さを指摘していたので、手にしてみた。諭吉については種々のエピソードや発言はこれまで聞かぬでもなかったが、恥ずかしながら著作の一冊も読んだことはなかった。考えてみれば、一代で二世 ( 封建の世と近代の世 ) を経験した ( 諭吉自身の言葉。ただし大意 ) 彼の自伝が面白いのは当然かもしれない。

彼の他の著書を読んでいないのにおこがましい限りだが、私の知っているエピソードや発言のかなりの部分が『自伝』に由来する?ことを知った。「門閥制度は親のかたきでござる」と骨身に感じた幼少期から、長崎や大阪 ( とくに後者 ) での猛烈な蘭学修行。それがひとたび横浜を訪ねて英語の圧倒的力を知り、ただちにオランダ語から英語に修行目標を切り替えた変わり身の早さ。渡米と渡欧の二つの幕府の使節団に加わって赤ゲットぶりを発揮した経験 ( それでも蘭学者の彼には機械など物質文明については説明不要だった ) 。米国で初代大統領ワシントンの子孫の消息を誰も知らず、民主主義の意味を理解したこと、米国の少女と写真に収まって羨ましがられた話なども自伝に ( にも?) 述べられていた。

上野の彰義隊に対する官軍の攻撃 ( 指揮する大村益次郎は昔の蘭学仲間の村田蔵六 ) の砲声を聞きながら義塾の授業を続けたエピソードを私は学問や教育への諭吉の信念の現れと理解していた。それも誤りではないだろうが、彼自身自分を行動の人とは考えなかったこと ( 自分は「診断医」であり治療医ではないとの彼自身の譬え ) も大きいようだ。また、徹底した欧化主義者の彼が攘夷主義の官軍に好意を抱くはずもなく、他方、開国を実行した幕府側も本心は攘夷主義だと見抜いていた彼には、どちらの味方をする気にもなれなかったという。

近年、諭吉の朝鮮や中国への「蔑視」がしばしば指摘されているようだ。本書でも「いまの朝鮮人、支那人、東洋人全体を見渡したところで、航海術を五年学んで太平洋を乗り越そうというその事業その勇気のあるものは決してありはしない」と欧化主義者の面目を発揮している ( 明の鄭和の大遠征を知らないのは仕方ないか!) 。私は当時の清国や李氏朝鮮の現状への批判として十分理解できると考える ( 一冊読んだだけでまた何を!)。

P.S.
前回、「南房州の実家が.........艦砲射撃を受ける」と 書いたが、「実家のある南房州が.......艦砲射撃を受ける」の誤り ( そのぐらい訂正しなくても分かる。大邸宅でもあるまいし?)。

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